69.歴史家は希う
昔のことだと割り切れるのなら話もできるだろう。
けれどまだ『昔』にできていないのなら。今もまだ強い思いがあるのなら。それなら誰もが軽々しく口にできないのは当たり前だ。形はどうあれ、それほどまでに重くて大切な記憶なのだ、きっと。
「そうか……そうだな。すまない、難しいことを聞いてしまったな」
フレデリックが眉を下げるとイングラム翁がゆっくりと、けれど確かに首を横に振った。
「いいえ、殿下。今はまだ誰の口も重くはございますが、いずれ必ずお話するときが参ります。その時が参りましたら……どうかあの方を、責めずにいていただきたいのです」
「あの方?アドラム元侯爵か?」
「いいえ。いずれ、分かる日が参りますでしょう」
またも『いずれ』と言われたことにフレデリックは思わず笑った。
「まったく、皆そればかりだな」
「申し訳ございません」
頭を下げたイングラム翁に、フレデリックは「謝らないでくれ」と首を横に振った。
「責めているわけでも無理に聞きたいわけでも無いんだ。ただ、悲しい歴史があったのなら僕はそれがどんなものでも知っておきたいと思う。同じことを繰り返させないためにも、悲しむ人を減らすためにも…僕は知らねばならないと思うんだ」
知らねば、気付かねば、きっとフレデリックは間違える。気付いたところでフレデリックは間違えるのだから。
痛みを堪えるような顔、痛ましいものを見るような顔、ここでは無い遠くを見るような顔、何かを探すような、うつろな顔。
十年以上経った今でもそんな顔をさせてしまう何かを、フレデリックは次代の王としてひとつでも減らして行かなくてはいけないのだ。
「だから、いつかきっと話して欲しいと思うし、僕はそれを聞き、受け入れられる自分でありたいと願う」
「お支えします、フレッド様」
「ああ、俺も一緒にいる」
フレデリックは真剣な顔でイングラム翁を見ると、アイザックとレナードが隣で力強く頷いてくれた。
「ここ数ヶ月で殿下は…殿下たちは本当に変わられましたね」
これまでずっと黙っていたグレアムが静かな声で言った。
「そうか?」
「ええ。ひとつ大人になられたように思いますよ」
フレデリックが振り向くと、グレアムがとても優しい顔で微笑んでいた。
何だかむず痒くなるようなその笑みにレナードとアイザックを見ると、ふたりともフレデリックと同じように困ったような嬉しいような、複雑な顔ではにかんでいる。
「そうか……複雑だな。子供として精いっぱい動くと、結果として大人に近づくのだな?」
照れ隠しのようにフレデリックがそう嘯くと、イングラム翁がまた楽しそうに笑った。
「ほっほっほっ、そうかもしれませんの。興味を持ち、思いのままに求め、動き回ってこそ様々なことが分かるというものですぞ」
「先生が仰ると何でもその通りに思えますね」
「グレアムもずいぶん大人になったな。あの頭でっかちの堅物が…ずいぶんと良い顔をするようになった」
イングラム翁に褒められてグレアムが「そうでしょうか?」と少し照れたように目元を染めて微笑んだ。
「グレアムは先生と呼んでいるのか?」
フレデリックが首を傾げると、グレアムがフレデリックたちの方へ歩いて来た。
「ええ、わたくしも幼い頃はこうして陛下とライオネル殿下ともうお二方と共に机を並べていたのですよ」
「そうだったのか!」
「はい」
フレデリックの斜め後ろまで来ると、グレアムは少し屈んで内緒話をするようにフレデリックの耳元で笑み混じりに言った。
「何を隠そう、わたくしたちに王家の谷の話をしたのは先生ですから」
「そうなのか!?」
ぱっとイングラム翁を見れば、イングラム翁は呆れたようにグレアムを見て笑っている。
「お前たちにはちゃんと王太子教育で話をしただろうに」
「ええ、陛下の立太子後でございましたね。谷に行った時も陛下は十一歳でございました」
「そうだろう。東の宮にまつわることは立太子後に話すと決まっておるからの」
「はい、存じております。つまり十歳前に王家の谷に行った王太子は資料が残っている限りでは殿下が史上初ですよ」
にっこりと、グレアムがとても良い笑顔でフレデリックの肩をぽんと叩いた。笑顔がとても美しいのに何だか怖いのはきっと仕方が無いことだろう。
「一応聞くが…なぜ立太子後なのだ…?」
「次代の王と次代の王妃、それとイングラムの一部にのみ知らされることだからでございますよ。それ以外の誰に話すのかは王と王妃、そして次代の王と次代の王妃が決められることでございます」
「ああそうか、瞳の色が絡むからか」
「左様でございます」
紫の出生の秘密を隠すためには知る者を減らすのが一番だ。それが王太子教育にもつながっているのだろう。ふと、フレデリックは引っかかりを感じた。
「ん?叔父上とグレアムは父上と一緒に聞いたんだな?」
「はい。ライオネル殿下もわたくしも当時は陛下の側近としてでございますね」
「グレアムは離宮で叔父上に聞いたと言っていなかったか?」
「幼い頃の授業は一緒に受けておりますが、わたくしが側近から外れて後は様々なことをライオネル殿下からうかがっておりました。特に王子殿下の侍従となることが決まって以降はそれまで知らされていなかったことも陛下の許可を得てライオネル殿下からうかがっておりますよ」
「なるほどな」
どうにもややこしいが、父は叔父とグレアムを自分の側近とするつもりだったということだ。けれどグレアムが側近から抜け、更に叔父も父の側近にはならなかった。
いや、父の執務室で働いていないだけで父と王国のために動いている叔父はある意味では側近以上なのだろうが。
「あれ?グレアムは叔父上の側近にもならなかったのだよな?」
「その辺りは少々入り組んだお話になるのですが…表向きは違いますね」
「表向きは」
ちらりとイングラム翁を見れば驚いた様子もない。ワーズワース子爵も当然のように聞いている。ふたりはその入り組んだ話の内容を知っているのだろう。
父と母の許可は必要だっただろうがグレアムをフレデリックの侍従にと望んだのは叔父だ。
グレアムは今も叔父と仲が良いように見えるし、父や母ではなく叔父の命を受けて動いているように思える。グレアムは見た目だけでなく考え方もどことなく叔父に似ている気がするし、そうあろうとしているようにも見える。
少なくとも、グレアムは間違いなく叔父を慕っているし、叔父はグレアムを信頼している。
フレデリックがまた思考に沈んでいると、レナードがぐーっと上へ伸びながらいつも通りのんびりと言った。
「何でも良いんじゃないですか?呼び方なんて違ってもつながってる人間はつながってるでしょう」
レナードは「首が凝った…」と言いながら首を曲げて手でぐーっと押さえて伸ばしている。その様子に、フレデリックは今日も思考を止めた。
「それもそうだな」
「ふふふ…分かりやすいですね」
アイザックは口元に手を当てて笑っている。レナードの言葉は理屈など無いし感覚的なのにいつもフレデリックが悩んでいる的の正中を射るのだ。悔しいほどに。
「僕はレナードとアイザックを側近だと思っているが大切な友人だとも思っている。名前など違っても、近しいつながりはいくらでもあるってことだな」
公的な立場はどうあれ心の中にあるつながりは誰にも見えはしない。お互いがどう思っているか、本当に大切なのはきっとそれだけなのだろう。
グレアムと叔父はつながっている。そうしてふたりともフレデリックたちを守ろうとしてくれている。ただ、それだけのことなのだ。




