50.ミント飴
その日の残り時間は謝罪ではなく感謝の手紙をしたためて終わった。グレアムと共に便箋と封筒を選び、それぞれに文面を考え、フレデリックが直筆した。
側近が文章を書いて署名だけをする方法もあるそうだが、それでは意味が無いとフレデリックは思う。多くの者に大量の同じような文面を送るわけではないのだ。散々書き損じたが何とか書きたいものは全て書き上げた。
「僕は初めてこんなに沢山文字を書いたと思う……」
「よく頑張られましたね、殿下」
気が付けばもう夜が近い。午後の茶の時間も取らず手紙を書いていたので、夕食までには時間があるがフレデリックは小腹が空いてしまった。だが今からだと夕食に差し支えるかもしれない。
「そうだグレアム。グレアムはポケットに飴が入っていたりするのか?」
母の温室でダレルとベンジャミンがどこからともなく出してきた飴を思い出し、フレデリックは聞いてみた。父も叔父も甘いものが好きなのでダレルもベンジャミンもいつも持ち歩いているのかもしれない。
「ございますよ。本日はミントの飴しか持ち合わせがございませんが…召し上がりますか?」
「やっぱり持ってるんだな……」
「やっぱり、でございますか?」
「ああ。ダレルとベンジャミンのポケットからも出て来ただろう?だからグレアムも持っているのかと思って」
フレデリックが首をかしげるとグレアムがふっとまた口元にこぶしを当てて笑うのを堪えた。
「あれは…そうですね。陛下とライオネル殿下が甘いものが好きだからというのもございますが、少々口を塞ぎたかったり気を逸らしたかったりするときにも使うそうでございますよ」
「口を塞ぐのか………僕も塞がれるんだろうか」
「いえ、これは昨日ベンジャミン殿に言われて一応ポケットに入れておりました。私はあまり甘いものを好まないのでミントの飴しか持ち合わせが無かったのです」
「そうだったのか」
グレアムとベンジャミンはいつ話をしたのだろう。ベンジャミンも昨日、王妃宮の応接室で軽食を取ったところまでは一緒に居たはずなのだが。
「召し上がりますか?少し夕食には間がございますのでお茶とお菓子のご用意もいたしますよ?」
「いや、今日の夕食は特別だからな、飴が良い。僕もそこまで甘さの強いものは好きじゃない。飴はミントが一番好きだ」
「それはよろしゅうございました。こちらどうぞ」
差し出された緑の蝋紙の包みを開けると爽やかな香りがする。口に入れれば程よい甘さとすっと冷たい感触が広がり疲れた体に染み込んでいく。
今日の夕食にはそう、あの銀大蛇が皿に乗る。しっかりと食べるためにも今は間食をしたくないのだ。
「グレアムは、銀大蛇を食べたことはあるか?」
フレデリックが腕をぐーっと上に伸ばし、飴を口の中でころころと転がしながら聞くと、中身を確認してひとつひとつ封蝋を押していたグレアムが振り向かずに答えた。
「ございますよ」
「そうか、あるのか」
あまりにも当たり前のように返事をされてフレデリックはぱちぱちと目を瞬かせた。
「どこで食べたのだ?」
「長期の遠征などに行くと食材が足りなくなることもございます。そうなると森で狩りや採集をして食べたりもいたします。川や海で釣りもいたしますし…蛇も立派な食材ですよ」
「遠征……騎士団か?」
「騎士団や軍、あとは偵察中であったり隠密行動中であったり…色々な遠征で必要になれば狩りは行われますよ」
「軍?」
「何か大きな行動を起こすときに騎士団の単位ではなく、王宮騎士団や貴族家所属の施設騎士団、各領の領兵、傭兵、志願兵など色々な所属の者たちをひとつの命令系統の下にひとまとめにしたものを軍と呼びますよ」
「大きな行動とは何だ?」
「軍が編成されるのは主に戦争でございますね。大型の討伐程度であれば軍の編成ではなく各勢力との協力体制となります。大きな戦争ほど軍の規模も大きくなりますね。一番近い時代だと十一年ほど前に小規模な軍が編成されておりますよ」
淡々と言うとグレアムは最後の封筒に封蠟を押し、「できましたよ」とにっこりと笑った。
「本日はもう日が落ちましたし、王妃殿下から許可はいただいておりますので明日の朝食後に王妃殿下の庭園で花をちょうだいいたしましょう。お好きな花を一輪ずつ添えて良いそうです。エヴァレット令嬢には薬草園で小さな薬草の束をお作りする方が喜ばれそうでございますね」
にこにこと笑いながらグレアムが綺麗に封蝋の押された封筒を並べていく。
「そうか、では明日は母上の庭園へ行き、その後に薬草園だな」
「ええ、リボンをご用意いたしますのでお好きなものを花に結ばれるとよろしいでしょう。それからすぐに送れば遅くとも明日の午前の間には皆様の手に届くはずでございますよ」
会話は和やかに続くのに驚くほど視線が合わない。フレデリックのどこで、という質問にもグレアムは一般的な話で明言を避けた。恐らくこれ以上深くは聞いてくれるなということなのだろう。フレデリックも気になりはするが無理やりに聞き出すつもりは無い。
「分かった、そうする。グレアム」
「何でございましょう?」
「今日は一緒に夕食を食べてくれないか?」
「そうですね…本来であればご遠慮するべきところなのですが、本日は特別メニューでございますからね。ご一緒いたしましょうか」
「ああ、ありがとう。結局、ティーナはどうしたんだろうな」
「後ほど確認してまいりましょう」
「ああ、頼む」
十一年前、小さな反乱と呼べるものがあったということは歴史として知っている。侯爵家がひとつ貴族名鑑から消えたことも知っている。もうすぐ十歳になるフレデリックが生まれる一年と少しだけ前の話だ。その頃の話を、あまり皆したがらないのはフレデリックも気づいている。
「疲れたな、お腹も空いた」
「左様でございましょう、頭も沢山使われましたから」
もう一度ぐーっと腕を上に伸ばすと、ころりと口の中で飴が転がった。ミントの飴は確かに甘いのに、すーっとする香りと広がるひんやりとした感覚のお陰か甘過ぎはしない。喉元がほんのりぴりりとする気がするのはミントが少し強めなのかもしれない。
「……グレアム」
「なんでございましょう?」
「叔父上も、銀大蛇を食べたことがあるんだろうか」
「ええ、ございますよ」
「そうか……」
フレデリックは薄く小さくなった飴を奥歯でかりりと噛んだ。飴の端で切ったのか、口の中に仄かに鉄の味がする。
「そろそろ夕食か?」
「少し早いですが確認してまいりましょう。わたくしの分も共にと頼まねばなりませんので」
「ああ、お腹が空いてしかたがない」
「承知いたしました。少しお待ちくださいね。扉の前には護衛がおりますが無暗に開けないこと、出ないこと、よろしいですね?」
「ああ、分かっている。グレアム…メイに似て来たな?」
笑いながらも小言を混ぜてくるグレアムに唇を尖らせれば、「光栄ですよ」と笑みを深くしてグレアムは部屋を出て行った。
口に残っていた飴の欠片をごくりと飲み込む。欠片が喉を引っ搔いたのかミントの刺激か、ほんの少しだけ喉の奥が痛んだ。
しばらくして、すでに出来上がっていた料理を先に持ってグレアムが戻って来たときも、銀大蛇の皿と残りの料理とデザートをメイドが運んで来た時も、グレアムが食後の茶を淹れてくれた時も。
フレデリックは最後まで、銀大蛇を食べた時『叔父とは一緒だったのか』をグレアムに聞くことができなかった。




