49.ぼんぼん
グレアムに肯定されたことでフレデリックの目から一気に涙が溢れ出した。やはりフレデリックは騙されていたのだ。誰も信じるなと言った文官自身のことも、フレデリックは信じてはいけなかったのだ。フレデリックはちゃんと選ばなければいけなかったのに。
「そうですね、その文官が殿下を騙すつもりで殿下とお話をしていたのかはわたくしには分かりかねますね」
「へ?」
フレデリックがぼろぼろと泣きながら顔を上げるとグレアムは困ったように眉を下げ、「大丈夫ですよ」と微笑んでハンカチを渡してくれた。
「その文官と話したことがありませんからね。わたくしはその彼の意図を知ることはできません。ただ悪意が有るにしろ無いにしろ、噂や秘されたことを何も考えずに殿下にお話している時点であまりにも浅はかです。友人にしろ側近にしろ、殿下のお側に置く人間としては相応しくありませんね」
「浅はか……」
フレデリックがぐずぐずと鼻を鳴らしているとどこから出したのかもう一枚ハンカチを取り出してフレデリックの鼻に当てるときゅっと鼻を摘まんで鼻水を拭かれた。
「う…痛いぞグレアム……」
「はい、我慢ですよ。垂れますからね」
ぐにぐにと鼻を拭くと更にもう一枚どこかからハンカチを出してきて頬と目元を優しく拭いてくれた。いったいグレアムは何枚のハンカチを隠し持っているのだろう。ポケットを探せばグレアムも飴を持っているかもしれない。
「はい、よろしいですよ。お茶は召し上がりますか?」
「いや、まだいい。母上の所で少し飲み過ぎた」
「承知いたしました。ではお話を続けても?」
「うん、ああ、頼む」
にっこりと笑うグレアムに毒気を抜かれてフレデリックはの涙はすっかりと引っ込んでしまった。そもそもグレアムは肯定したのではなく相槌を打っただけだった。言葉というのは実に難しい。
「お話を聞く限りその一般階級の文官は非常に考えの浅い、単に殿下とお近づきになって取り立ててもらいたいだけの、少々頭の足りない高位貴族のぼんぼん…いえ、ご子息でございましょう」
「頭の足りないぼんぼん……」
グレアムの口から出るとは思っていなかった言葉にフレデリックは思わず復唱した。
「そのような言葉はお忘れください、殿下。問題はその文官ではございませんね」
到底忘れられそうにないのだがフレデリックはいったん置いておくことにした。そうだ、穏やかな微笑みに忘れがちだがグレアムはあの叔父の親しい友人で血縁だった。
「では何が問題なのだ?」
「はい。わたくしやリンドグレン夫人が殿下とご一緒できないときは必ず殿下についての報告書が提出されます。会話の内容は側に仕える者以外には聞こえないことが多いので必須ではありませんが、専属では無い侍女や騎士は必ず殿下がどこで何をして誰と会話したのかを記録して提出せねばなりません。ですが、殿下が一般階級の文官と会話をした、という記録が提出されたことが一度も無いのです」
「どういうことだ?」
フレデリックは間違いなくあの文官と話していたし、いつも後ろで白い制服の騎士が見ていた。
「殿下、その文官とお話をするときは必ず同じ護衛ではございませんでしたか?」
「同じ護衛?」
「ええ。王妃宮の侍女は王妃殿下の専属を除けば皆様、王妃殿下預かりの行儀見習いの年若い御令嬢です。下手なことをすれば嫁に行けないどころか神殿行きになりますので将来を約束されている御令嬢方が危ない橋を渡る可能性は一点を除けばまず低いでしょう」
「一点?」
「ええ。惚れた殿方や憧れの騎士に頼まれた場合はころっといくことがあり得ますね」
「ころっと……?」
「はい、ころっと。まぁ、たぶらかす…とでも申しましょうか。手慣れた者なら慣れない御令嬢をたぶらかすのは容易いでしょう。私でもやろうと思えばできますからね」
「グレアム………?」
「冗談ですよ」とにっこり笑ったグレアムに、フレデリックは叔父の面影を見た。『昔は可愛かったのに』と嘆いた母の嫌そうな顔が思い起こされる。
きっとグレアムならできるのだろうと思うのだが、全くもてないと言ってはいなかったか。いや、そもそも『できそう』ではなく『できます』の時点でフレデリックは色々と突っ込みたい。
「グレアムは、やはり叔父上の友人なのだな」
「お嫌ですか?」
「いや……いや、違う、嫌なわけでは無くて…ややこしいな。嫌じゃない。意外だっただけだ。グレアムはグレアムだ」
「それは良ろしゅうございました。これまでは少々手加減をしておりましたもので…どこまで許されるのか探り探りですね」
「そうか……いや、うん。少しずつで頼む」
「承知いたしました」
ふふ、とグレアムが柔らかく笑う。叔父と顔立ちは似ているがまとう空気は全く違う。けれどやはり、どこかが似ている気がする。どれほどグレアムが変わっても、フレデリックは絶対にグレアムを嫌いになれないだろう。
「さておき殿下、その文官が現れる日の護衛は同じ騎士ではございませんでしたか?」
「それが…僕は自分に付いてくれる者の名を今まで全く知らなかったんだ。文官の名も聞かなかったし…。だが男性騎士だったのは確かだ。白い制服の第一騎士団の騎士。ジャック卿とケネス卿が来てくれるようになってからはほとんど姿を見ていないと思う」
「左様でございますか、特に色彩や顔立ちや体格に特徴はございませんでしたか?」
「そうだな………」
うーん、とフレデリックは首をかしげて唸った。
そもそも会話をしないのでしっかりと顔を見ていなかったのだ。髪の色も瞳の色も思い出せない。
身長もグレアムと同じくらいだと思う。体つきも大差ない。フレデリックの元へ来る第一の騎士は皆同じくらいの背で同じくらいの体格なのだ。
「あれ?グレアムは、もしかして今もかなり鍛えているのか?」
「わたくし、ですか?」
「いや、僕の護衛につく第一騎士団の騎士とグレアムとで体格に差が無いんだ。背も同じくらいだしこう……体の大きさと言うか、筋肉のつき加減と言うか、服の上からだがあまり変わらないように思えるんだ。だからグレアムがかなり鍛えているのかと思ったんだが」
「なるほど、そういうことでしたか」
グレアムがまたにっこりと笑うと頷いた。
「先日も申し上げた通り騎士の中途採用試験に通るくらいには今もずっと鍛えておりますよ」
「そうか、そうだったな。ではやはり第一の騎士たちと大差なくてもおかしくはないんだな」
「左様でございますね。ではジャック卿とケネス卿が護衛につくようになる以前によく護衛についていた者のうち、私と見た目に体格が大きく違うものは除外できますね。他には何かございますか?」
髪の色も瞳の色さえ覚えていない。いかに自分が周囲に興味を持っていなかったを思い知らされてフレデリックは何とも悲しい気持ちになった。
「ああ、そうだ。特徴というかひとつあったな」
何か無いかと懸命に考えていると、迷惑そうな顔のアメリアが浮かんできた。そうだ、一度だけフレデリックが見かねて声をかけたことがあった。
「メイやグレアムがいないときに来てくれる侍女にアメリアという女性がいるんだが、その騎士が馴れ馴れしく話しかけて困らせていたことがあった。あまりにしつこく話しかけていたから僕がアメリアに声をかけて騎士を下がらせたんだ。あの時はまだアメリアという名前も知らなかったが……。そうだな、アメリアなら覚えているかもしれない。メイも覚えているかもしれないな。メイと一緒に朝食から戻る時だったから」
「アメリア嬢と仰いますとブロードリック伯爵令嬢でございましたか」
「ああ、確かそう名乗っていた」
フレデリックが頷くと、グレアムは満足そうに笑ってフレデリックの頭にぽん、と手を置いた。
これはきっと怒られるやつだと思ったがフレデリックは嬉しいのでそのまま受け入れた。そういえば、温室でフレデリックがグレアムに抱き着いた時も誰も怒りはしなかった。
「承知いたしました。殿下は気にせず心穏やかにお過ごしください」
「ああ、すまない、グレアム」
フレデリックが眉を下げて謝ると、グレアムは「駄目ですよ」とにっこりと笑った。
「お忘れですか?殿下。わたくしは『思う存分やってみてください』と申し上げましたよ?まずはやってみて、それで少しずつ加減を覚えてくだされば良いのですよ。そのためにわたくしがお側にいるのですから」
「そうか……ありがとう、グレアム」
謝罪より感謝。フレデリックは精一杯心を込めてにっこりと笑った。




