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王子殿下の冒険と王家男子の事情について  作者: あいの あお


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48.文官

 心なしかぐったりとしている母に退室の挨拶をして温室を出ると陽がずいぶんと強くなっており、王妃宮へと至る短い道のりで少し汗ばむほどだった。


「今日は暑くなりそうだな」

「そのようですね」


 声をかければ前を行くグレアムが答えてくれる。そのことがフレデリックはどうしようもなく嬉しかった。


「どうされました、殿下」


 思わず声に出して笑っていたらしい。不思議そうに振り向いたグレアムに、フレデリックは笑って首を横に振った。


「いや、何でも無いんだ」

「左様でございますか」


 グレアムは微笑んで頷くと、それ以上は何も聞かずまた前を向いて歩き出した。庭から王妃宮への入り口には白い制服の女性騎士がふたり立っており、フレデリックを見て一礼すると扉を開けた。


「グレアム?」


 すぐに入ってこないグレアムを振り返るとグレアムが女性騎士に何かを見せて名乗っている。女性騎士が頷くと、グレアムは一礼して王妃宮の中へと入って来た。


「そうか。そういえばグレアムは入れないのか」

「はい。許可証は所持しておりますが簡易とはいえ手続きは必須ですからね」

「僕が王太子宮へ移ったら僕も必要になるのか?」

「いえ、殿下は王妃殿下の直接のご子息ですから王妃宮へ入る手続きはご不要ですよ。先ぶれが必要なのは今と同じでございますね」

「そうか……色々なことを少しずつ知っていかないといけないな」


 同じ内宮の敷地内であるとはいえ王太子宮と王妃宮では様々な規律や手続きが違う。王太子宮に入れば当然、王妃宮より入れる人間は増えるし立太子すればまだ少ないとはいえ公務も始まる。

 沢山の人に会い沢山の言葉を聞いたとき、今までのフレデリックなら良いも悪いも嘘も本当もきっと全てを真に受けてすっかり翻弄されていただろう。


 ふっと、ひとつの事実に気が付いて、フレデリックの体から一気に血の気が引いて行った。


「………なあ、グレアム」

「どうされました?」

「中央棟というのは、一般の文官が頻繁に出入りするところなのか?」


 フレデリックが俯いたまま問うと、グレアムは一度立ち止まりフレデリックと向き合った。そうして周囲を軽く見回すとフレデリックの前に膝をついた。


「そうですね……所属の部署にもよりますでしょうか。地下に書庫がありますので中央棟へ来ることもございますが機密書庫ですので入れる者がかなり限られます。ですので一般階級の制服を着た文官が来ることはそう無いと存じますよ。上階は個人的な謁見やもてなしの場にも使われますのでわたくしのような侍従や侍女、メイドの出入りは多いですが文官が入る理由は呼ばれない限りは特にございませんね。一般階級の文官ならば客人を迎えるとしても正宮の応接室を使うでしょうから」

「そうか………」


 ここ最近、常にレナードやアイザックが側にいた。それ以外の時もグレアムが一緒にいることが多かった。だから忘れていたのだが、あの文官がフレデリックに声をかけるときは必ずフレデリックはひとりだった。

 護衛はいたが少し距離をとってフレデリックの後ろにいたし、フレデリックと文官の会話に割り込んでくるようなことも無かった。

 フレデリックの側に誰かがいる時は、あの文官が中央棟の通路に現れることは無かったのだ。


「何かございましたか?殿下」


 グレアムがじっとフレデリックの顔を覗き込んだ。フレデリックが俯いたまま言いあぐねていると、グレアムがふっと笑って立ち上がった。


「お部屋に戻りましょう、殿下。立たせたままで気づかず申し訳ございません」


 グレアムにそっと背を押されてフレデリックは歩き出した。何とも言えない、苦いものが胸に広がっていく。

 アイザックにも言われたはずだ。その文官は本当に信用に値するのか、と。まだはっきりと決まったわけでは無い。単に一般の文官であっても上司から特別信頼されて機密書庫に通っていたのかもしれないし、上司に頼まれてよく来客の案内をしていたのかもしれない。


「どうぞ」


 グレアムに声を掛けられてフレデリックはすでに自室の前にいたことに初めて気が付いた。ずいぶんと考え込んでいたらしい。


「ああ、すまない」


 フレデリックは頷くと自室に入りぼんやりと立ち尽くした。


「殿下、こちらへ」


 グレアムに促されてひとり掛けのソファへと座る。するとすぐに、グレアムが目の前に膝をついた。


「殿下。大丈夫です」


 グレアムがフレデリックの手を握り、ぽんぽんと叩いてくれる。


「グレアム……」

「はい、殿下」

「彼からは、悪意を感じなかったんだ………」

「はい」


 自分でも意味が分からないことを言っていると思うのに、グレアムは否定も肯定もせず、ただフレデリックを見て静かに頷いた。


「いつも僕には教えてもらえないことを教えてくれて、僕が知らないことを教えてくれて、僕を応援してくれた」

「はい」

「だから僕は、味方だと思ったんだ。皆が隠していることもちゃんと正直に話してくれる良い人間だと思ったんだ」

「はい」

「でも……」


 グレアムが握ってくれている手が震える。アイザックの言う通り、フレデリックは文官の言うことが事実かどうか確認しなかった。どうせ聞いても教えてもらえないと諦めて誰にも確認しようとしなかった。


「彼が、悪意を持って僕に色々な話をしたのか、それとも彼自身が噂を本当だと信じてしまっていたのかは分からない。でも彼が真実として聞かせてくれたのはほとんどが事実とは違い、ただの噂だったと今の僕には分かる」


 例えばベンジャミンが文官たちに無理難題と思えることを言ったり叔父が無茶をしたり、そういうひとつひとつの点となる部分は事実だろう。けれどそこに至る理由や原因を彼は全く知らず、知らないからこそ憶測でさも真実のように話していた。それがきっと、噂というものの正体のひとつなのだろう。


「王家の谷のことを教えてくれたのも彼だ。家にあった古い本に載っていたと言っていた。でも、もしかしたら危ないから今は儀式が無くなったのかもしれないとも、言ってくれた」

「はい」


 フレデリックは握られている手をそのまま持ち上げ、グレアムの手を額に当てて絞り出すように言った。


「僕は…僕は彼に、騙されていたと思うか……?」


 酷く、恐ろしかった。彼は父を、叔父を、周囲を信じるなと言った。もしも彼が悪意を持ってフレデリックに近づいて来たのなら…フレデリックがすでに何か取り返しのつかないことをしてしまっていたのなら、大切な人たちを危険に晒してしまったのだとしたら……。


 目の前が一気に暗くなり冷や汗が止まらない。誰にも利用されたくないなどと嘯いていた愚かなフレデリックはあまりにも幼く無知で、耳触りの良い言葉に簡単に騙され利用されてしまう、そんな人間だったのだ。


 フレデリックがグレアムの手にすがり目も上げられず震えていると、「そうですね」とグレアムの小さなため息が聞こえた。


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