24.大切な、僕の
ゆっくりと叔父が歩いていく。ぴたりと大きな銀の塊の前で止まり跪くと、光の失せた金の瞳の間、息絶えた大蛇の眉間に手を当てて頭を垂れた。その背中はまるで悼むように、祈るように見える。
しばらく俯いた後に立ち上がると、叔父はベンジャミンとジェサイアに手で合図をし、それから森を向いた。
「先行しろ。解体が必要だが場所が悪過ぎる。第一、第二、第三騎士団長即時召集の上、適切な人員と機材の派遣を依頼してくれ。この際口が堅くて信用できりゃ爵位と所属は目を瞑る。デカブツの解体ができるやつ、それと運搬な。この気温じゃどこまでもつか分からんが可能なら冷やせればそれに越したことはない。離宮も最大限活用しろ。離宮にはグレアムが戻っているはずだからそっちにも協力を仰げ。全て俺の名で許可を出す。情報共有は随時、俺も一度王宮へ戻る。ここまでの行動もここからの行動も何もかも絶対口外不可、第一級機密扱いとする。以上だ、急げ!」
「はっ」
誰かが森に待機していたのだろう。返事をする声だけが聞こえた。
ベンジャミンとジェサイアが木陰に座らせていたアイザックとレナードに声を掛けるが、ふたりとも首を横に振り、手を借りてゆっくりと立ち上がった。
フレデリックも立ち上がろうとすると、ふわりと体が宙に浮かんだ。
「父上!?」
驚いて声を上げると父がまたいつものように眉を下げて困ったように笑った。
「フレッド…大きくなったね…」
自分の視線よりも高くフレッドを抱き上げると、父が感慨深そうに言った。そのままぎゅっとフレッドを抱きしめ、「行こうか」と言ってフレッドを抱いたまま歩き出した。
「父上…あの…」
あまりのことにフレデリックが目を白黒させていると、まるで安心しろと言うように父がぽんぽんとフレデリックの背を叩いた。
「早く帰ろう。きっと皆心配しているよ」
叔父もゆっくりと父の隣を歩いている。後ろからベンジャミンとジェサイアが着いてくるのが見えるので、アイザックとレナードは歩いているのだろう。父に抱かれているのが気恥しく身じろぐと、「あまり動かないで」と父が言った。
「ほら、陛下。そろそろこちらにフレッドを渡してください。そのまま我慢してるといずれ落としますよ」
「…うるさいな、もう少し頑張れるよ」
にこにこと笑う叔父に、父がむっつりとした声で返した。ぎゅっとフレデリックを抱く腕に力が入るが、フレデリックの体が少しずつ下に下がってきており座りが悪く不安定だ。
「落としてからじゃ遅いんですよ」
ほら、と両腕を出す叔父に父が半目になった。
「………父親は僕なのに」
ぎゅっと眉根を寄せてぷいっと横を向いた父に叔父が宥めるように微笑んだ。
「そうですよ、父親は陛下です。かっこいい父のままでいたいならほら。駄々こねてないで………ほら、兄上」
「分かったよ、もう…」
叔父に優しく兄と呼ばれ、ちらりとフレデリックの顔を見た父はへにゃりと情けないくらいに表情を崩した。「こんなチャンス中々無いのに…」となんだか泣きそうな顔をしている。
「悔しかったらもう少し鍛えたらどうです。兄上、最近ちょっと腹出てきたでしょう」
「ぐっ、そんなこと、そんなことは…!」
無くは無いけど…!悔しそうに顔を歪めてぶつぶつと言いながら、父が名残惜しそうにもう一度フレデリックを抱きしめると腕を緩めた。叔父は「はいはい」と笑いながら腕を伸ばすと、フレデリックの両脇に手を入れてひょいっとフレデリックを父の腕から受け取り軽々と片手で抱き上げた。父に抱かれて少し不安定だったフレデリックの体が途端に安定する。
やはり父は無理をしていたのだろう、ちらりと見ると父がフレデリックから見えないようにか下の方でこっそりと両腕を軽く振っているのが見えた。
「叔父上!僕は歩けます!!」
慌ててフレデリックが叔父の腕から降りようと腕を突っ張ると、呆れたように笑った叔父に鼻をきゅっと摘ままれた。
「良いから大人しく抱かれとけ。お前が歩いてたら後ろのふたりも無理してでも歩き続けるぞ……………上の者がちゃんと気を使ってやれ」
ちらりと後ろを目線で示した叔父にフレデリックはハッとし、少し痛む鼻を両手で押さえながら叔父の大きな肩越しに後ろを見た。
アイザックはベンジャミンに手を引かれ、ふらりふらりとよろめきながらも歩いていた。とても疲れたのだろう、目の焦点もあっていないし今にも倒れそうに見える。
レナードもしっかりと歩いてはいるが顔色が悪い。やはり背を打っただけではなく骨や内臓に影響があるのかもしれない。それでもレナードはジェサイアの手を握ってはいるが決して寄りかからず自分の足で歩いてる。
「……レナード、アイザック」
「はい」
「はい、殿下」
フレデリックが静かに呼びかけると、ふたりはゆっくりと顔を上げた。とたんにバランスを崩したのかアイザックがよろめき、レナードがぐっと顔をしかめた。
「無理をするな。今は休め。僕はこんなことでお前たちを失うわけにはいかない………大切な、僕の側近で………大切な、と、友だち、だから」
「殿下…!」
アイザックの瞳が見開かれ、レナードの口がぽかんと開いた。側近…そして友だち。フレデリックは初めて声に出してふたりをそう呼んだ、たぶん。
「ふたりとも素直に抱えられろ。大丈夫だ、ジェサイアもベンジャミンもお前たちを抱えたままでも十分戦える程度に力もあるし、強い。安心して、休め」
こんな場所まで着いてきてくれた。何があっても守ろうとしてくれた。最後までフレデリックを信じてくれた。
ただ権力が欲しい?ただフレデリックを利用したい?それは違うと今なら分かる。それだけで掛けられるほど人の命は安くないし、それだけで背に庇ってもらえるほどフレデリックは彼らに返せるものがない。それこそ死んでしまえば、それで終わりなのだから。
もしも彼らが本当にただフレデリックの立場と権力を目当てにしているのでも良い。それでも良いと思えるくらいには、今日という日はフレデリックの心を強く動かした。
「ジェサイア、ベンジャミン」
振り向かないまま叔父が静かに呼ぶと、叔父の側近ふたりは頷いてそれぞれアイザックとレナードの前に跪くと少し言葉を交わし、ふたりが頷くのを見てベンジャミンは微笑みながらアイザックを、ジェサイアは小さく頷いてレナードを抱き上げた。




