23.大暴走
父の胸に抱かれたその向こう。
フレデリックには見えない父の背後でふしゅううううう、と空気が抜けるような音と共に錆びた鉄のようなにおいが広がり、どおおおんという大きな地響きの後、ぴたりと周囲から音が無くなった。聞こえるのは、父のあまりにも早い鼓動と荒い息、それと自分の浅く忙しない呼吸の音。
そっと抱き起され、地響きにぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと、フレデリックの両肩を掴み父が肩で息をしていた。蜂蜜色の美しい巻き毛は乱れ、一部が汗ばんだ額に張り付いている。ぎゅっと寄せられた眉の下、フレデリックを見据える赤を混ぜた深い紫の瞳は見たことも無いほどに剣呑な光をたたえていた。
怒っている…フレデリックは思った。フレデリックやクリスティーナが何をしてもいつも困ったように微笑むだけの父が怒っている。いつも不安そうに母を見て、伺うように周囲を見ている父が、初めて真っ直ぐフレデリックに厳しい瞳を向けてた。
「…ちち、うえ」
フレデリックは息を飲んだ。父の後ろでは長剣を握る叔父がちらりとフレデリックと父に目をやり小さくため息を吐くと周囲を確認している。二言三言、同じく長剣を握るふたりに指示を出しているが、フレデリックには何を言っているのか聞こえない。その向こう、大きな銀の塊が落ちているのが見える。
自分の肩を両手で掴んだまま荒い息を繰り返す父にフレデリックは生まれて初めて恐怖を覚えたが、じっと見据える自分と同じ紫の瞳から目を逸らすこともできなかった。
「………父上」
フレデリックが乾いた喉から掠れた声をようやく絞り出すと、ぐしゃり、と今にも泣きそうに父の顔が歪んだ。頬に伸ばされた手にぎゅっと強く目を閉じると、フレデリックの体がふわりと包まれる感触がした。
ごめんフレッド、ごめんね…。そう言いながら父はぎゅっと、フレデリックを抱きしめた。
「…………ごめんね、フレッド。私はね、君の思う通り国王失格なんだ。今だって、本当は自分で動かず皆に任せなければいけないと頭では分かってた。でも、駄目だった…。もしも君を失ったら…そう思ったらもう、じっとなんてしていられなかったんだ…」
驚いて目を見開き父の肩越しに叔父を見ると、その視線に気づいた叔父は剣に付いた血を払い鞘に収め、にやりと笑うと肩を竦めた。共に剣を振るっていたふたり…叔父の従者のベンジャミンと護衛騎士のジェサイアも剣を収めて森へ入ると、すぐにレナードとアイザックを連れて戻って来た。
顔色は良くないが、ふたりは自分の足で立って歩いている。無事だったのだと、フレデリックの目頭が一気に熱くなった。
「フレッド、気は済んだか?」
周囲をざっと見回った叔父がいまだフレデリックを抱きしめたまま謝り続ける父とフレデリックの元へ来ると笑った。
血の匂いの漂うこの場にはそぐわない、いつも王宮で見る飄々とした叔父の笑みだった。
「レオ、言い方」
後ろからちくりとベンジャミンの突込みが入る。それもまた、王宮にいる時と同じ…いや、ベンジャミンは表向きには叔父を殿下と呼ぶから更に崩れているかもしれない。まるで何事も無かったように叔父は笑い、ベンジャミンも呆れたように微笑んでいる。ジェサイアも相変わらずの無表情だ。
「叔父上…」
呆然とフレデリックが呟くと、「うん?」と腕を組んだ叔父が首を傾げた。
「どうして…?」
それだけで理解してくれたのだろう。叔父は「ああ!」と言うとにかっと口を開けて笑った。
「お前らが何か企ててるのは分かってたからな。暴走はガキの特権だからちょっと様子を見ようと思ってたら陛下が大暴走して突っ走った。しょうがないから俺と側近で陛下の護衛をしつつお前たちを追っていたら、あっさりと面倒ごとに巻き込まれてくれたお前らがいたから助けに入った」
それだけだぞ、と笑う叔父に「それだけって…」とアイザックが遠い目になり、レナードがぽかんと口を開けて口元を引きつらせた。
「だったらもっと早く助けてくれたらよかったのに…」
視線を俯かせて思わず拗ねたように言ったフレデリックに、叔父が笑顔のままで言った。
「ふざけんな。お前ら、何のためにここに来た?俺たちが気づいて追いかけてなかったらお前ら、どうなってた?分かってて来たんじゃねえのか?…………甘ったれてんじゃねえぞ。てめえでやったことにはてめえで最期まで責任を取れ」
叔父の声がどんどんと低くなっていく。ハッとして顔を上げると、叔父の顔は笑っているが目が全く笑っていない。叔父の顔から笑みが消え、すっと目が細められた。
「無茶すんのはうちの男連中の血筋だ。それは仕方がねえ。だがな、やるならやり通せ。やり通して自分で責任を取れ。責任取れねえならやるな。……それすら分かんねえようなら、人の上に立つ資格は…王族を名乗る資格はねえよ」
かっと、フレデリックの顔に血が上り熱くなった。
フレデリックが無理を言ってふたりを連れ出したのだ。フレデリックが行くと言ったからここにいるのだ。ふたりが危険な目に合ったのも皆に迷惑をかけたのもフレデリックが選んだこと。フレデリックが全てにおいて責任を取るべきことなのだ。
ここまでずっと…大蛇と相対しているときですら、フレデリックだってそう思ってきたはずだ。なのに――――。
自分は今、何を言った。
「レオ…あまり怒らないでやって。この子はまだ九歳なんだ…」
フレデリックを抱きしめたまま父が叔父を振り返った。その視線を真正面から受け止め、叔父は無表情のまま言った。
「分かってますよ。だから追いかけたし、だから陛下の無茶も飲み込んだ――――昔も、今もです」
低い、低い声だった。初めて見る叔父の真顔は見惚れるほどに美しく、そして恐ろしかった。長い銀のまつ毛に縁どられた自分と同じはずの深い紫の瞳はとても静かで、凪いでいて。いつも楽し気にいたずらに輝く叔父の瞳と同じとは思えないほど深く、底が見えなかった。
ごくりと、フレデリックの喉が鳴った。父もまるで縫い留められたように叔父を見たままぴくりとも動かない。動けない。
そんなふたりをじっと見つめていた叔父はため息を吐くと「はっ」と自嘲気味に笑い、目を閉じてひとつく首を横に振った。そうして目を開けると困ったように笑って言った。
「あのな、フレッド」
フレデリックの名を呼んだが、叔父の視線は父に向けられたままだった。
「知りたいことがあるなら聞け、言いたいことがあるなら言え………嫌なら言え、泣け、怒れ。それで笑え」
眉尻を下げ目を細める叔父の微笑みは困っているような、泣いているような…決して目を逸らしてはいけない、そう思わせるような笑みだった。
「――――王ってのは確かに孤独だ。だがな、ひとりじゃねえ。何とかしてやろうってやつが、少なくともひとりは必ず周りにいるもんなんだよ。だから信じろ。周りをちゃんと見ろ。…………勝手に突っ走ってんじゃねえよ」
腰に手を当ててそう言うと叔父は「やれやれだな」と鼻で笑い、座り込んだままの父とフレデリックの目の前まで来てしゃがんだ。
「で…返事は?」
「はい…ごめんなさい……」
「うん…ごめん…」
フレデリックが頷いて頭を下げ、父が項垂れて謝った。同時に返事をした親子に叔父はにかっと歯を見せて笑うとぐしゃぐしゃとフレデリックの頭を撫でた。
「よし!んじゃ、帰るか!!」
がばりと立ち上がると叔父はぐーっと腕を上に上げて伸びをした。




