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第42話  第四部7『真夏の熱を受け継ぐ』

全国チャンプになった野田賢治。彼の姿を見てきた他の部員たちも全力を尽くす!

カーテンの隙間から差し込む光を感じた時、もうすでに野田賢治は覚醒していた。と言うか、今日もあまりよく眠れてはいなかった。


スマホの画面では早く見てほしい感を発揮して点滅するオレンジ色がせわしない。メールもLINEも今まで見たことのない状態になっている。着信があふれていた。坪内さんや憲輔さんだけじゃなかった。陸上部の皆から。学級の友達から。義母さんから。そして菊池美咲、姉から……。うん、なんと、大森先生からも……あれ、なんでアドレス知ってるんだ?


タクと健太郎の寝姿を見ながらカーテンを開けると、今日も徳島の太陽は真夏のエネルギーを全開に吐き出している。机の上の金メダルはそれに反応して輝いた。これは、この輝きは、間違いなく自分の力で、初めてつかみ取ったものだ。これだけは……夢じゃなく、現実の輝きだ。そして、この足の怪我も夢じゃなかった。

もう自分の出番は終わってしまったが、今日は朝から病院で検査の予定だった。


山野紗季が川合智子と二人でサブトラックに向かうと、もうすでに何人もの選手がハードルに向かっていた。ハードルストレッチ。スタートから一台目を越える練習。三台目までのインターバル練習。そのどれをとってもハードルを始めたばかりの山野紗季に劣等感を覚えさせる選手ばかりがそこにいた。


100mハードル、走り高跳び、砲丸投げ、200m走、走り幅跳び、やり投げ、800m走の順に行われる女子七種競技には、40人の出場者がいる。北海道の大会では女子混成の参加者はせいぜい20人程度で、地区大会だともっと少ないところが多い。この種目はけっして人気種目とは言えない。

 それでも全国の地区大会参加者を合計するとかなりの人数になるはずだ。陸マガのランキング表には100番までが掲示されている。中学校と高校までは、こんなに多くの競技者がいる陸上選手が、社会人になると駅伝やマラソン以外は本当に少なくなってしまう。中体連や高体連の規模がずっと維持できていれば、日本の陸上競技のレベルは今より遥かに高くなるに違いない。


高校生の陸上競技にかかわる生徒がこんなに多いのは、中学と高校で部活動がおこなわれていることが大きな要因になっている。部活動が地域に移行してしまったら、まず第一に陸上競技の参加人数が激減することは間違いない。たとえ地域スポーツがすべてになってしまってもプロリーグが定着した野球やサッカーは変わらずに盛り上がりを見せるだろうが、陸上などの学校スポーツを起点とするものとは大きな違いになってしまうだろう。

 陸上選手にも将来にわたって続けられるための選択肢が増えていけばいいのだろうが。


100mハードルがスタートした。男子のハードルが110mであるのに、なぜ女子が100mなのかはわからない。1964年の東京オリンピックの頃は80mだったという。ハードルの高さも低く設定されているので、上手な選手になるとほとんど跳び上がることなく、頭の高さが変わらないままなめらかに進んでいく。

 それでも、やはり混成競技では種目毎の得意不得意の差が大きく、フラットレースでも先頭争いになるだろう13秒台の選手もいれば、20秒に近い選手までいる。混成競技の場合、どの競技にも選手間の技術差は大きい。

 

4組が終わった時点で、ランキング1位でやって来た京都の山際という二年生がただ一人13秒台を記録していた。最終の5組に出場した山野紗季は一台目のハードルをひっかけ、思うようにスピードに乗れないままゴールすることになった。彼女にしては珍しく緊張と失敗の焦りから体がうまく動かないようなレースになっていた。負けず嫌いの彼女らしく、直前にランキング一位の選手が出したタイムを意識しすぎてしまったのかもしれない。

 タイムは15秒31なので彼女にとっては悪い記録とは言えない。けれども、各組とも二人か三人の14秒台の選手がいる。彼女のこの記録は40人中の23番目。自分の感覚が体の動きとうまく一致しないのだと言う山野紗季の顔がいつもと違った。


「ねえ紗季、右手を出して。あのね、開いてこう真っ直ぐに……」

川合智子はその手を自分の両手で挟んで前後にさすった。

「こうするとね、気持ちがいつの間にか落ち着くんだって。これはね、うちのお婆ちゃんのおまじない。でも、迷信なんかじゃなくて、ホントに効くからね。大丈夫。まだまだ。これからだもん。はい、次左手……」

「おー、川合、なんか巫女さんみたいだなー」

「うん、落ち着いてきた気がする。智子の手……暖かいし、やわらかい」

「いいなー、それー」

「タックンは最終日だから私がやってあげようか」

「えー、山野がー?」

「あら、私だと、不満ですかー?」


山野紗季の気持ちはもうこれで平常に戻ったようだ。

次の高跳びは得意種目だしきっといい記録を出すはずだ。


二種目目の走り高跳びは130㎝からスタートした。一番目の選手がその高さを失敗し、クリアするのに3度の跳躍を必要とした。長い戦いになりそうだ。150㎝から3センチ刻みになり、山野紗季とランキング一位の山際愛美がこの高さから始めて一回でクリアーした。この高さまででもう半分の人数になっていた。次の高さをパスし、156㎝をクリアーすると残った選手は10人を切り、159、162と進んだところで残っているのは、すべて一回でクリアーしてきた山野紗季と山際愛美の二人になった。


手足の長い長身の山際愛美はゆったりとした大きな跳躍をする。山野紗季は身長の足りない分をスピードと効率的な空中動作でカバーしている。大きな跳躍と鋭い跳躍の対決となった。先に跳んだ山際の後を山野紗季もついていく。165㎝をクリアーしたところで山野紗季は自分の背丈を超えた。次の168㎝を山際は今までと変わらないゆったりとしたリズで越えて見せた。彼女は男子混成競技の外崎選手と同じように、自分の背の高さや手足の長さという、走高跳には有利になる身体的特徴を十分に生かした跳躍をしている。それは、見るものに安心感を与え、競技者には大きなプレッシャーを感じさせる跳躍だった。


山野紗季はその姿に圧倒されたのかもしれない。三度の挑戦共に惜しいところでこの高さは越えられなかった。これは彼女の頭上4センチの高さであり、自己記録を越えるものだった。


山際愛美は次の高さを173㎝に上げて挑んだがクリアーすることはできなかった。それでも彼女は100mハードル13秒51の1049点と高跳びの830点を合わせて1879点となり、二種目を終えたところでダントツの一位だ。山野紗季はハードルの801点と高跳びの795点で1596点となった。


「あのさー、山野には悪いけど、あの人さ、やたら目立つんだわ。もういつでもスポットあたってる感じ」

「武部、鋭い。カメラマンだ」

「健太郎!単語並べるな!ググってるわけじゃねえだろ!」


「いや、武部君の言う通りだよー。全然悪くなんてないよ。私もそう思うもの。もう全然違うんだもん」

「名前もすごいしなー。京都で山際なんてさ、枕草子じゃん。『山際すこしあかりて』でしょ! 清少納言だよ!」

「そうそう、そして愛と美しいで『メグミ』だろ。ヤマギワ―メグミ。もうさー、純日本風ってのこんな感じじゃねえのか」

「でもねタックン、彼女、ハーフなんだって!」

「えー、そうなの、ハーフー? 全然そんな風に見えねー」

「父親がヨーロッパ系らしいよ」

「全国、ハーフ、多い」

「そうだ。もう一人のあの黒人系のハーフの選手、身長かなり高いだろう? 180以上あるっしょ!」

「あのねー、脚がすごーく長いよ。タックン好みかも」

「それにしてもさー、彼女、山際さん。ハードル1049点だって! そんな人いるんだなー」


「大丈夫、200mは山野の方が速いから」

「それがねー、200も速いんだよねー」

「紗季、ねえ、なんかいつもの紗季と違うよ。山際さんにこだわりすぎじゃない。人と比べるより自己記録並べるんじゃなかった!」

「……そう……そうだよ、ね……。うん、わかってるんだ。ちょっとねあんまりすごいんで圧倒されちゃった。でも大丈夫。まだ二種目だけど全力で行けてるから、自分の記録更新狙っていくから」

「川合、いいコーチ、なれる」

「だからさ、健太郎! 接続語使えって!」


清嶺高校の1600mリレー予選を終えて上野先生がスタンドに戻ってきた。わずかな差で準決に進めなかった残念さを打ち払うような口調で沼田先生に向かった。

「さて、沼田先生。紗季ちゃんも調子よさそうだし、今日も期待たっぷりだわよー」

病院の検査から帰って来てから沼田先生は真夏の太陽に負けてしまったような眼をしている。

「いやー、昨日の野田の怪我でよ、もうヘロヘロだわ俺も」

「いやーダメだなー。スポーツに怪我は付き物なんだから、監督がそれじゃダメなんですよね。沼田君!」

「またそれかい。それもういいって!」


「うん、だけどホントにノダケンの怪我、軽症で良かった。固定しなくてもいいし、あの形のテーピングだと基本だけだから私たちでもできるしね」

「一週間程度だろうって言うしな。まあ一安心ではあるんだけどよ……」

「もうシケタ顔しない! 監督が下向いたら試合は負けでしょ、ってなんかのドラマにあったじゃない。次だよ次!」


「わかったわかった。なんか俺がカウンセリング受けてるみたいだ。アイツらの話聞いてると、川合とか山野とか俺より、もー、しっかりしてるわ」

「あの子たちもね、ノダケンの活躍に刺激されたの。怪我してもやり抜くんだって、そういう姿が人を動かすんだねー。言葉じゃないんだよね」

「そうだな。じゃあ奴らにエネルギー分けてもらいに行くか」

「そうそう、そうなのよ。それこそが私たち学校の先生の特権なんだから!」


砲丸投げでも山野紗季は健闘した。

体の小さいことを補えるのはスピードだけしかない。それを彼女は実践している。低く速いグライドから飛び跳ねるような突き出しで10m03㎝を投げた。この記録だと531点にしかならないけれど、全国でも投てき種目は低調な記録で、これでも全体で4番目の記録なのだ。そして山際選手も同記録だった。

 合計点を縮めることはできなくとも彼女と同じ記録でくらいついていることに山野紗季は少なからず満足していた。


今日はあと一つ。200mで見せ場作ってみせる


200mが始まり、山際選手は1組目で二番手に10mもの差をつけて25秒32で走った。腕の振りを小さめに抑えてピッチを稼ぎ、脚を後ろに蹴り上げることなく、踵を中心に脚を前で捌く走り方をしている。膝下の動きが特徴的だった。3組目の和歌山の選手が25秒65で続き、山野紗季は全体三番目の25秒96で走り終えた。この種目で801点を獲得し一日目の合計が2928点となった。


山際愛美は858点を追加して合計3268点。一日目の四種目で300点以上もの差がついてしまった。でもそれは当然で、今年から混成競技を始めたばかりの山野紗季にとってはこの記録は上出来の結果だといえる。ハードルだけで200点もの差があるのだから今はしょうがない。


大会第四日目。

今日は山野紗季の七種競技後半の三種目と並行して川合智子の走高跳びがある。幼馴染の川合智子を応援するからと武部と一緒にやって来た姉の美由起は、いつものように朝から全開でエネルギーを放射している徳島の太陽光以上に沸騰した話し方をする。


「ねえ、ねえ、裕也君。ねーえ、この地域の施設って大塚製薬の力で出来てるだけあっていろんな製品名が出てくるよねーぇ。アミノバリューだとか、ソイジョイだとか、オロナミンⅭとかねーえ、ずいぶん露骨じゃぁ、なーいー?」

「いいんじゃねえのー。企業がさ、地域に貢献してるんだから、名前くらい使わしてあげればいいさー。こういうのって結構金かかるみたいだからさ、そのくらい許してあげればいいよ。テレビでコマーシャル流すよりずっと地域に役に立ってるもの。むしろ褒めてあげるべきさ」

「ほっほーう、なるほどねー。そういう考え方すればいいのねー。やっぱ裕也君はさーぁ、北海道知事になんなきゃ。応援するからね! 早く知事になってね。その時はさーぁ、私がねーぇ、第一秘書やってあげようかなーって思ってるからね」

「やめろー! 美由起に秘書やらしたら相手が怒って帰っちゃうだろ!」


「あのっ、武部は北海道知事になるんですか?」

タクの言葉はいつもと違って緊張している。

「うん。そうだよ! 裕也君はね北海道知事になってみんなを幸せにするのよー。小学校の卒業文集にそう書いたんだからねー!」

「武部。応援する。ぼく」

「健太郎、助詞!」

「あららっ、健太郎君って、あれよねー、中川璃子ちゃんの弟よねーぇ?」

「うん」


「もー、璃子ちゃんからいっぱい聞いてるよあなたのことー」

「チビ姉、お喋り」

「璃子ちゃんは私とね仲良かったんだよー。薬科大でしょう。薬剤師になって病院助けるんだもんねー。いいよねー、中川医院はちゃんと計算通りに進んでるものねーぇ」

「美由起、まーた余計なことしゃべりすぎるなよ!」

「あーら、いいじゃない。何にも悪いことじゃないもの。ねーぇ健太郎君!」

中川健太郎は顎を少し出すような反応をした。

「一番上のお姉さんはもう産婦人科医だものね。二番目のお姉さんが麻酔医になるんでしょ。そして三番目の璃子ちゃんが薬剤師だものねー。もー素晴らしいじゃないですかー。そしてほら、健太郎君が内科医を継ぐわけだし……」


「そうなのか? それってすごいじゃんか。俺んとこじゃそうはいかないわ。俺一人っ子だし」

「あら、あなたの家も、えーと野田琢磨君か。開業医なの?」

「はいっ。江別駅前で……」

「あらーそうなの! やっぱ南ヶ丘だよねーぇ。もうーお医者さんばっかりなんだから。あ、そうだそうだ、ほらあの子。山鼻整形の……、山野医院の妹さん?……も、そうだものね! すごいよねー。南ヶ丘。お医者さんの学校みたい」


「あのっ、武部先輩は京大で何を専攻してるんすか?」

「タク、あんまり美由起にしゃべらせない方がいいぞ。この人は哲学専攻だけど、話し始めたら何言ってんのかわからなくなるから。一時間は喋りまくるぞ!」

「哲学? 京大で哲学ですか? なんでまた?」

「あらっ、京大だから哲学でしょう! 野田君、哲学の道って知らない? 京大の代名詞みたいなもんだよ。北大だと農学部みたいにね」


「美由起、もういいから。スタジアムに行かないと間に合わなくなるからさ。その話は延期! もう行くよ。あんた一人で行ったら確実に迷子になるだろ。ほら、もう行くって!」

「あっ、待って! 裕也君ほら、賢治君忘れてる。野田賢治君も行くんでしょ一緒に」

「賢治はまだテーピング取り換えてないから後で来るってさ。沼田先生たちと一緒に来るから大丈夫だって」

「そーおー、賢治君と話したかったのにー。ママからいろいろ彼のこと聞いたから……ちょっと興味あるんだけどなー」

「後から話せばいいって。そのうち来るから。ほらー、いくよ!」


南ヶ丘の伝説とまで言われた武部美由起は、話し出したら止められないことでも伝説だったらしい。

伝説の武部美由起がこれからもひと働きすることになりそうな……。

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