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第39話 第四部 4『寒冷地仕様のドサンコ』

 14時開始の砲丸投げでは、マンナンが自慢の力を見せつけた。彼の投げる姿は力強く、観客席からも歓声が上がった。一段と低く速くなったグライドから、分厚い胸の張りと太い腕の力強い突き出しで一気に6㎏の砲丸を空中に放り上げた。高い放物線から落下した砲丸はしっかりとレンガ色の土の中にめり込んだ。13m88㎝の表示に他の選手たちが声を上げた。マンナンは両手を高く上げてから力いっぱい肘から振り下ろしてポーズを決めた。

「ウワッシ! ヨッシャー!」

広い競技場でいくつかの競技が並行して進んでいる中、マンナンの雄たけびにみんなが振り向き、スタンドの観客席でも皆が彼のポーズに目をやった。


外崎は待機場所のテントから離れ、唯一人芝の上でターンの練習を繰り返した。午前中の様子を見ていた東雲高校の監督先生が「アイツから離れて動け!」と強い指示を出していたのだ。ただそのこと自体、マンナンが狙ったことでもあった。少しでも意識してくれれば競技に影響が出るはずと狙ったことだから、外崎はもうすっかりその作戦にはまってしまっていた。

 マンナンのような相手には。逆にやり返すくらいの強かさや、完全に無視するような態度で臨めばいいのだが……。


ノダケンにとっては、マンナンの投げの動きはとても良い見本になってくれた。全道大会の時にはどうしてもうまくイメージできなかった動作を、今、目の前でマンナンがやってくれたのだ。それはグライドから投げの構えに移るパワーポジションの取り方だった。助走となるグライドのスピードをうまく力に変換するためには投げの構えがしっかりできることが最も大事なのだ。函館ではそれが出来ずにいた。

 

スピードと体のバネはノダケンの方がはるかに上だった。

12m47㎝の表示を見たノダケンは珍しく大きく手をたたいて声を出した。

「オシッ!」

短いが力強い叫びだった。

マンナンはそれまでと違って喜びを表さなかった。

外崎はマンナンの時以上に顔を曇らせている。


回転投法で臨んだ外崎の砲丸はあまり飛んではくれなかった。長い脚と腕を器用に折りたたんで、円盤投げのようにサークル内を回転して放たれた砲丸は、左側のラインぎりぎりのところで止まった。低すぎる放物線のわりに転がる力も弱く、11m96㎝の表示は彼の力としては妥当なもののようだった。あれだけの身長と手脚の長さを持て余しているようにも見えた。まだまだ発展途上なのだろう。でも、そのことの方が今後を考えたときには素晴らしいことのようにも思えたのだが、今日の試合では勝負にならないものだった。


14時30分からの400mに向かう途中で、招集所にいた東雲高校の監督先生からマンナンにクレームがあった。

必要以上に外崎に話しかけるなということらしい。確かに外崎が先生に相談するまでもなく誰もが明らかに見える状態でやっていることなので、そういうクレームがあるのも理解できた。外崎以上に同じグループの選手にとってもうれしいことだったはずだ。

 ただマンナンはそんなことを意に介するヤツではない。もともとそれも計算に入れていただろうし、自分の高校の先生が東雲高校の出身だということも織り込み済みで、最後は「なにいうて万年」先生が後始末してくれるだろうことを計算の上だった。とはいえこれ以降、マンナンが直接外崎に絡むことはなくなった。しかし外崎にはそのことすらかえって自分が注目される大きなプレッシャーになってしまったようだ。


 結局、マンナンの計画はしっかりと効果を上げたのだ。


400mがスタートし地元徳島の三年生高橋が49秒48を記録した。ランキング二位のこの選手は100mと400mを得意とする典型的なスプリント型の選手だ。幅跳びの6m94㎝と砲丸投げの10m48㎝で一日目の合計では3038点を記録した。6000点を超えるあたりが優勝争いの目安となりそうなこの大会で、彼は一日目で3000点を超えてきたのだ。


四組目がスタートしたのは5時に近い時間なのに、まだこの会場は真夏の暑さが少しも収まる気配がない。むしろ夕凪の時間なのか風が全く止んでしまった。競技している選手にとっては、日差しの強さよりもそのことの方がかえって暑さを感じさせることになった。厚別の強い向かい風よりもこの無風状態の蒸し暑さとでも言えばいいのか、空気に重さを感じさせる暑さとでも言えばいいのか……。その方が野田賢治には厳しかった。

 ピストルが鳴ってしまうと、いつものようにスタートから力むことなくスピードを上げることができた。ところがそのあとバックストレートを過ぎるあたりで、もう体が動きにくくなってしまった。隠岐川さんと何度も競り合って練習したコーナーを回る辺りでは、もうそれ以上力を使えなくなったような感覚に陥っていた。まだ昼間の明るさは全く変わりない状態なのに、なんだか目の前が暗くなったような感じを覚えた。スピードはそんなに落ち込むことはなかったものの、なんとも自分の足で走っている感じがなくなってしまったのだ。それでもそのままの走りでゴールまで走り切り、タイムは49秒76と表示された。悪いタイムとは言えないけれども、この条件ならばもっといいタイムが出ていいはずだった。

 

 ゴールしてすぐにポカリを係員からもらい一気に半分ほど飲み干した。それでようやっと目の前が元の明るさに戻ったような気がした。後になってから上野先生に「軽い脱水症状だよ。この暑さだしね、こまめに水分は補給しなきゃ」と指摘されることになった。それは、初めての経験だった。北海道仕様、寒冷地仕様に慣らされた道産子たちの弱点だった。


最終組では、相変わらずマンナンがスタート前に大きな気合を入れた。そうやって自分のペースで進めてきた彼は51秒99で走り、400mでも自己記録を更新した。開始前のクレームなど全く気にしているふうはない。それでもやはり全国大会のレベルは高く、この組では5番目の記録だった。

 トップでゴールしたのは外崎だ。誰よりも大きなストライドの彼はスピード感や力強さを感じさせない。ところが後半になってもその動きは変わることなく、最後まで同じリズムで走り切ったのだ。49秒98は全体で四番目の記録だ。こんな状態でもやはり高校記録保持者らしい結果を出してきた。しかも彼は二日目の方が得意種目が多いはずだった。


八種競技は一日目の四種目が終わった。

ここまでの順位は、3184点の野田賢治、3038点の高橋駿平、3002点の外崎将大と三人が前半だけで3000点を超えている。つい一月前に6214点の高校記録を出した外崎は、後半の四種目で3100点以上を記録していた。高橋は投てき種目とジャンプ系が得意とは言えないものの、地元で行われている大会なのだから今日の好調を明日につなげてくるかもしれない。出場ランキングの1位から3位までが揃って上位にきているのだから、やはり三人とも実力があるということを証明した結果だった。

 マンナンは2870点で一日目は5番目の記録だ。彼もしっかりと自己記録を更新するペースで進めていた。


「ケンジー。この写真、ほら!」

武部が見せてくれた写真には400mの最終コーナーを回るシーンがアップで映っていた。

「ほら、顎上がってるし、目がなんか変な感じしないか?」

武部の目は鋭い。何回もレースの写真を撮っているのでちょっとした違いにすぐ気が付いてしまう。函館の調整不足の走りも、そして今日の力の入らない走りもちゃんとわかっていた。


「うん、なんだかな、力がはいらなくてさー、目の焦点が合わないみたいなそんな感じだった」

「バテてたみたいに見えたけど、タイムは悪くないよな」

「そう、なんか変な感じだった。四種目目だったし、暑さにやられたかもしれない」

「でもお前、49秒台で走ってるじゃんかー! なんまらすごい!って樋渡なら叫んでるぞ!」

タクは樋渡の話し方をまねたようだった。でもあんまり似てはいない。


「前半戦トップなんだよー! すごいー! なんかほんとにすごいー! 全国大会だからねー!」

川合智子はもしかしたら妹の祥子の真似をしているのかもしれない。

「でよ、ほら、これがあのでっかいヤツ。えーと、トノサキだっけ」

「おーおー、やっぱこいつさー、脚なげーよなー! 196センチ? やばすぎでしょ!」

「父親がオランダ人なんだって、ハーフなんだ。やっぱり、ひざ下の長さが日本人と違う感じだよ」

山野紗季がスマホを見ながらそう言った。


「オランダかー……」

この時、野田賢治の頭には隠岐川駿の顔が浮かんできていた。

「オランダ人ってさ、北欧のほら、ノルウエーとか辺りの人種みたくデッカイの多いよな。バイキングの血なのかー」

「えー、股下100㎝だってー! 体の半分以上、脚!」

川合智子が本当に妹祥子と似た反応をするようになってきた。


「この高橋って選手もさ、すごいな。賢治より速いもんな」

「地元開催だし、うまくムードに乗ってる感じがするよね。三年生で最後の大会が地元開催なんだから、こういう人って強いかもしれないよ」

山野紗季の目が鋭くなっていた。

「でもこいつさ、170㎝しかないんだって! 八種の選手じゃないみたいだ」

「私と大した違わないのに。それでランキング二位なんだから、すっごいよねこの人も」

川合智子の感激が続いている。彼女の話し方もだんだん祥子に近づいて来たようだ。


「でもよ賢治、全国大会で初日トップってのすごいぜ! このまま明日も行っちゃえよ!」

「そうだよ、こんなチャンス逃しちゃダメだよ! 明日はノダケンだけしか競技ないからね。全員で応援するよ! 清嶺高校の皆もいつもの全力応援スタイルだからね!」

「うん。……外崎がさ、二日目強いんだ。ハードルとか高跳びとかさ……でも、このまま逃げ切ってやる!」

「うおーい! 珍しくノダケンが勝利宣言だぞー!」

タクがわざとらしく盛り上げている。自分の競技は最終日までないので緊張感もまだ先のことなのだろう。

「すごーい!」

「賢治がそうやって言うのって初めてじゃないかー!」

「自信あるんだねきっと」

「多分マンナンのおかげもあってさ、一日目優位に立ってるから、明日こそ全力出し尽くすから」

「おー! すげー!」

「マンナン、関係ない、勝つよ、野田だから……」

健太郎の言葉はいつになったら日本人のレベルになるのか。


武部は鳴門シーサイドホテルに宿泊中の父親が車で迎えに来るからとスタジアムの入り口で別れた。

京都の自宅から父親の車に母親と一緒に乗ってやって来た武部。この夫婦はもう何年も前に離婚している。それなのに姉の美由紀は京大進学後に父と暮らし、札幌に暮らす母子とも毎年互いに行き来している。今回も武部の「取材」に併せて家族全員が旅行する関係なのだ。

 途中で鳥取砂丘に向かった姉。親子三人で大塚国際美術館を見学し、息子を陸上競技場に下した元夫婦は、徳島県内の観光名所を満喫した後、再び競技場まで迎えに来るのだ。明日はしまなみ海道で、その次は道後温泉に行くのだという。これが武部家の普通。


 インターハイ初日が終わった。この日、8月3日の徳島は、本当に暑かった。予想はしていた。ここに来る前にたくさんのアドバイスや注意をもらって来た。わかってはいたがやはり強烈な暑さのダメージをもらってしまったようだ。33度の気温を札幌だって何度も記録したことがあるし、30度を超えた中で試合をしてきたことだってある。

 けれども、朝も夜も関係ないこの暑さは寒冷地仕様の自分の体に、通常ならざる変化をもたらしたようだ。照りつける日差しの強さは北海道の太陽の角度とは違った。水蒸気をたっぷりと含み、暖められた空気の重さは初めて感じる不思議なものだった。今日一日で暑さには強いと思っていた自分の感覚を狂わせてしまった。瀬戸内特有の夕凪も追い打ちをかけて一日中暑さが続いてしまう。汗が止まることを知らない。それが真夏の四国地方だった。


眠れなかった。クーラーが快適な風を送ってくれてはいる。気温だってしっかり調整済みだ。三つ並んだベットで健太郎とタクは寝返りを打ちながらも寝息を立てている。窓側のベットにいる自分だけはいつまでも頭の中で何かが活動していた。初めての全国大会を戦ってきたこの一日で、体も頭も緊張状態から抜け出せていないのかもしれない。

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