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あなたの常識がくつがえる「学芸員古沸妖の妄想宇宙論」  作者: 赤木 爽人
6.人はなぜ生きるか?
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善と悪[1]

 少女の周りのには「善」がいっぱいありませんか?

 この究極の事例を二つ考える事で「善悪」の判断が見えてくる。

 もうお判りでしょう、「善」とは「利他愛」を行使する行為、そして「悪」とは「利他愛を育てるのを妨げる行為」ではないですか? ──「偏った自己愛」を剣にして…

 ここで何故「善悪」なのか、それは「善」という言葉に秘められた裏には魂の成長があるからなのだと思うんです。

 言い換えれば魂の成長をつまり、究極の「利他愛」を目指して学ぶ行為にプラスになる行為が「善」マイナスになる行為が「悪」ではないでしょうか?

 店先でエンピツを盗む行為は確かに社会的に許されませんが、何故でしょう? ──「道徳」や「法律」なんて言葉で終わりません、そんなものは地域が変わればコロッと変わるので絶対的なものではありません。

 店主なり製造者なりが生活のために売っているものをただで盗む行為は、その先にあるのは、関わっている人の「心」を傷つけるからだと思うからです。それは自分の「利他愛」の成長を妨げるからじゃないでしょうか?


 ──どう思いますか?


 現世で誰もが、そしてあの世で魂が「究極の自己愛」と「究極の利他愛」を併せ持つように成長していると考えると、善がある為に悪があるという事にはなりません。

 善の行為によって学び、その学びを後退させるものが悪だからです。だから善悪は相反するものでなく各々のが独立した行為であり、概念ではないかと思うのです。

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