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一番員、異常なし!

 京都からの帰りは夕方になり、福山駅から直行で冴子を家に送り届けた良行は、福山駅までの移動に利用したCB400をガレージに入れようとしていた。

「バァー!」

 ふいに、誰かに背後から脅された。良行は、CB400と一緒によろめいて、危うく転がりそうになった。体勢を立て直してガレージの入り口を見ると、千里が立っている。

「なんじゃー、千里か!」

 いつもの嫌な予感がする。

「なんじゃーは、ないでしょ。今日の昼間、ヨッちゃんに用があって寄ってみたら、おらんかったじゃろう」

「いっつも家におるとは限らん。それで、どうしたんな?」

 良行は、疲れもあって、千里に対してぶっきらぼうに応じた。

「時間、ある?」

「ない!明日、消防団の指導員講習会があるんじゃ。今日は集合時間も早いし、ゆっくりできん」

 良行は、いつもの場所にバイクを停めた。千里は、そんな良行を白けた目で見つめている。

「いつものバイクと違うね。しかも、二人乗りしたような形跡が……」

 バイクには、冴子に被らせたヘルメットが取り付けられたままになっている。

「はは~、さては、サエと、よりを戻したな」

 こいつ、何でそこまで深読みするか?

 良行は、動揺した。

「おまえには関係なかろうが」

「サエを紹介したのは、うちよ。二人が喧嘩しとるらしいことも知っとったし、橋本さんからヨッちゃんが悩んでいるらしいことも聞いてた。でも、まあいいわ。ほんとに疲れてるみたいじゃから開放してあげる」

 千里は、良行の態度が気に障ったらしく、怒っているようだった。後ろ姿を見せて、さっさとその場から立ち去っていった。良行は、その後ろ姿を見ながら千里を邪険に扱いすぎたかと、少しだけ後悔した。

 良行は自分の部屋に戻ると、ツーリング用のつなぎから団服に着替えた。夕食はすぐにできるはずだった。母の由恵には、今夜のポン操訓練の集合時間が早いことを伝えて食事時間を早めてもらっていたからだ。

 リビングでは、ジャージ姿の勝俊がテレビを見ている。円佳も今さっき帰ってきたみたいだった。

「昼過ぎに、用がある言うてチーちゃんが来とったよ。どこ行っとんたん?」

 ダイニングテーブルに料理を並べながら、由恵が良行に尋ねる。良行は、それを無視して、出された料理を食べ始めた。勝俊は、工場で釣ってきたらしいメバルの刺身をあてにビールを飲んでいる。着替え終わった円佳も、リビングに顔を出した。

 京都から日帰りで訓練はきついのー。

 良行は軽い疲労感を覚えていた。

「お兄ちゃん、元気なさそうじゃねー。さっき帰ってきたらチーちゃんが話しかけてきて、明日、消防の試合があるとか言うとったけど、大丈夫なん?」

「試合じゃないけど、講習会を兼ねた訓練はある」

 千里のやつ、円佳にまで情報を垂れ流しにしとるんか。しかも、帰ってきたばっかりの円佳を捕まえて話をしとる言うことは、ワシの家の見張りまでしとるんか?あいつは何を考えとんねー。

 良行は、疲労感が増してくるような気がした。

 円佳は、良行のその表情を見逃さなかった。

「彼女、できたんでしょう」

 食卓に座っていた家族の視線が一斉に良行に集まった。

 ビールを飲んでいた勝俊が、良行に、おもむろに軽い拳骨を入れた。

「そういうことは、早よう言え」

 良行は、拳骨を食らった頭を手で押さえて、円佳を睨んだ。

「いきなり、何を言い出すんね」

「チーちゃんによれば、ノンちゃんは、お兄ちゃんたちのことを新幹線みたいじゃねって笑っとったそうじゃない。お兄ちゃんって、晩生じゃない。それ聞いて、信じられんかったわ」

 円佳は、澄ました顔をして、さらりと言う。

「へ~、良行にもそんなところがあるんじゃねー」

 母ちゃんまで、何を言い出すんじゃ。

 ニヤニヤ笑っている勝俊が、良行の肘をつつく。

「おーいっ、どこまで進んどる。正直に言え」

 良行は、みそ汁の入ったお椀を、思わず落としそうになった。

 こりゃあ、いけん。どうにもならん。

「今日も、その人とデートじゃったんでしょ。知っとるよ。ねー、その人と結婚するん?」

 良行には応えようがない。その反応を見て取った由恵が追い打ちをかけてくる。

「そりゃあ、たいへんじゃが。結納の準備もせにゃならんし、お父ちゃんが言うたように、どうしてそういうこと、早よ言わんのん」

 良行の意思に関係なく、家族の会話はますますエスカレートしていく。

「母ちゃん、モーニングはあったかの?ほれ、勤続20年の授賞式で着たやつよ。こいつの結婚式にゃあ、それぐらい着て行かんと格好がつかんじゃろう」

「あるある、奥に仕舞っとる。うちの訪問着もあったはずよ」

「お母ちゃん、私、ドレスがいい。お兄ちゃんの祝い事なんだから、家の行事でしょ。買って欲しいなー。それに、そろそろ友だちで結婚する人、増えてくるし」

 円佳は、由恵に手を合わす。

「お願い!」

 こいつ、瞬間的にちゃっかりしてやがる。女って、こういう生き物なんか?

 良行は、凄まじいスピードで展開する我が事を、あっけにとられて眺めていた。終わりかけの食事は、最早、良行の口には運ばれそうにもなかった。

「ちょっと、待って!どうして、そこまで話が行くんね」

 良行は、成り行きの終着を願いたいと思った。しかし、それは、ムダな抗いに過ぎなかった。

円佳は、澄まし込んだ顔で、話を続ける。

「実はね、もう一つ話があるんよ。チーちゃんが婚約したって話、聞いてる?」

 両親は顔を見合わせて首を振った。

「お兄ちゃんの友だちの敏明さんて、ほら、造り酒屋の」

「おう、知っとる知っとる。良行とグループ作って遊んどったやつじゃろ」

「そうそう、その人。その二人が会ってるところを、お兄ちゃんに見られたんじゃて。それで、急いで婚約することになって、明日、その人がチーちゃんとこへ挨拶しに行くことになったんじゃて。その話をしょったら、お兄ちゃんの話が出てねぇ」

 円佳の顔は、してやったりとニヤついている。

「何か、お兄ちゃんと彼女、トラブってたみたいなんじゃけど、どうやら円満に解決したみたい、とか言うとったわ。もう、間違いないって、チーちゃんが太鼓判押しとったよ」

 良行は、これまでの経緯まで知られたと分かって、初めて観念した。

 ワシは、こっから先も千里と敏明の秘密をバラしとらんのに。千里のやつ、まんまとワシを利用しやがって、それも、円佳にサエとの関係をバラすっちゅうおまけまで付けやがって。さっき、ちゃんとあいつの話を聞いとってやりゃあよかった。益々おとろしい女になりょうる。

 良行は、開き直った。

「もう、分かったわい。でも、今はポン操大会まで会わせる時間がないけー、それが終わったら連れてくる。相手は、秋本冴子さん言うて、画家の卵じゃ」

 勝俊が感嘆して口を開いた。

「ほう、画家の卵?その子は知らんが、でも、秋本さんなら知っとる。もう亡くなっとるけど、ええ仕事しとった人で。しかも、資産家でのー。確か娘さんが家に残っとるが、その子がそうなんか」

 由恵は冴子のことを知っているようだった。

「お父ちゃん、知らんの?その子、有名よ」

「母ちゃんは、知っとるんか?」

 由恵は、得意げに冴子のプロフィールを紹介し出した。地元新聞でいつか紹介されたことがあって、その記事を覚えていたのだ。

 良行は、由恵が話に夢中になっている途中、やっと食事中だったことを思い出した。目の前に置かれた料理を手早く食べ終わると、時間を気にした。この日は、これまでの訓練の最終的な調整日と決められていたので、屯所への集合時間が早くなっていた。

 良行は、背中の産毛だけをサラッと撫でられるような視線を浴びながら、這々の体でようやく家から抜け出すことができた。

 屯所へは、軽いジョギングで向かった。

 薄紫色の夕焼け雲が一番星を際だたせているように見える。海岸線に沿って走ると、海は満潮らしく、いつもは防波堤に隠れている漁船がシルエットになって見えている。島影はすでに夕闇に包まれ、その景色を眺めていると、早春の能島は日一日とのどかさと暖かさを増してくるように感じられる。

 ふいに、結婚、という言葉が良行の脳裏をよぎった。

 サエと暮らす?

 犬を散歩させている老夫婦の側を走り抜けた。老夫婦と言ってもまだ若く、しっかりとした足取りだった。前傾姿勢で先へ急ぎたい愛犬を、繋いでいるリードでいなしながら、二人は穏やかな一日の終わりを満ち足りた気分で味わっているようだった。

 考えたこと、あったか?

 良行は、老夫婦とすれ違ったとき、今まで感じたことのない生活というものの匂いを嗅いだような気がした。

 良行は、まだ高校生だった頃、勝俊と由恵が消防団の分団旅行で撮された写真を巡って大げんかをしていたことを思い出した。当時、副分団長だった勝俊は、旅先の旅館での宴会中、調子に乗ってコンパニオンの女の子を浴衣のはだけた膝の上に乗せ、その瞬間を当時部長だった今の大崎分団長に激写されたのだった。

 由恵は、その写真を手に、怒りを露わにしていた。勝俊は、無視している。

「そがあに怒らんでもえかろうが、ええ加減にせえ」

 勝俊は、2年に一度の分団旅行に文句を言われる筋合いはないと思っていた。撮された写真にしても、男社会ではある程度許される許容範囲内だと思っていたし、誓って今まで浮気をしたこともなかった。

 由恵は、悔し涙さえ浮かべている。勝俊には、ますますその意味が理解できない。

「情けない……」

 由恵は、絞り出すように呟く。

「何が情けないんね!」

 由恵は、写真を勝俊に突きつける。

「情けないって思わんの?ええ年して!」

「ええ年は関係なかろうが、ちょっと羽目を外したぐらいで、何ねー」

  夫婦げんかは、その日を境に5日間、良行と円佳が見ている前で公然と繰り広げられた。悲惨だったのは勝俊の方だった。

 その間、勝俊は、由恵に朝食も弁当も、夕食まで拒まれ、外食するしかないようだった。しかも、汚れた作業着の洗濯もしてくれない。深夜になって帰宅すると、作業着を洗濯して、リビングのソファーで寝るしかないようだった。

 良行は、夫婦げんかの最終日を今でも覚えている。

 その日、残業だったらしい勝俊は、機械油のべっとり付いた作業着で帰宅した。その日も、まだ、夫婦げんかは継続中だった。

 直情径行で意地っ張りの勝俊も、その日ばかりは疲れ切っているようだった。その様子を良行も円佳も見ていた。風呂場へ向かった勝俊は、ここ数日の習慣で作業着を洗濯しようと思ったのだろう。しかし、ふいに足を止めた。

「疲れた…。頼むから、洗濯しとってくれ」

 親父の背中が小さく見える。

 由恵は、黙って立ち上がると、勝俊から作業着を受け取った。

「食事、用意できとるけね」

 その目は、なぜか笑っていた。

 ワシもそうなるんか?

 サエは、ゴーギャンの言った「帰るべき場所」に拘っとったけど、結婚したらワシにとってのその場所がサエということか。白旗を揚げたように見えた親父は、そうじゃのーて、自然に帰っただけなんかもしれん。

 屯所に着いた良行は、大崎分団長を筆頭にして、明日の指導員講習会の準備に余念がなかった。その作業中、良行は、ぼんやりと冴子との結婚生活を想像してみた。

 サエは画家。ワシは職工。

 良行には、その生活がアンバランスに思えて仕方なかった。

 やって行けるんかいな。結婚したら生活して行かにゃいけんので……。

「ヨッちゃん、なにぼやっとしとる?」

 一緒に作業をしていた大谷が話しかけてきた。

「何でもない。ちょっと物思いに浸っとっただけじゃ」

「そりゃあええけど、集中してくれよ。なるたけ早よう帰りたいんじゃ、今日は」

 大谷は、いつになく集中している。珍しく自分の気持ちを露わにして早く帰ってやりたいと良行に言ったのは、トッちゃんの妊娠中毒症を気にしているからだろう。

 夫婦になったら、同じ痛みを感じるもんなんじゃろうか。

 良行は、大谷の見せた厳しい表情から、痛みを共有するという感覚に不思議な思いを感じた。

 いつものようにポン操訓練が始まると、仲野県指導員は、

「今日の練習は、資器材の点検がポイントになる。大会本番前日のシミュレーションのつもりで、入念に不具合を確認し、調整して欲しい」と指示を出した。そのためか、この日のポン操訓練は、たった1回だけで終了した。そして、訓練終了後、仲野県指導員は、ただ一言、

「明日に備えて、ゆっくり休め」とだけ講評の中で指示した。

 団員は資器材の点検整備を入念に終えると、解散後、三々五々と別れていく。その団員の中で、松崎だけが近付いてくる。

「女連中、サエちゃんのところへ遊びに行っとるらしいで」

「女連中、言うて、誰ね?」

「ノンちゃんと、チーちゃんよ。ワシらも今から行ってみるか?」

「どうせ、千里がおったら、ろくな相談しとらんじゃろう。それに、もう帰っとる頃じゃろうし。もしあいつが残っとったら、飛んで火に入る夏の虫じゃが。からかわれるに決まっとる。ワシは行きとうない」

「そうか。でも、ワシにゃあ関係ないんで寄ってみるわ」

 松崎は、いつもの小汚いカブに跨って暗闇の中へ消えて行った。

 松崎のやつ、トッちゃんと婚約してから、どうしてあげーに変わりやがったんじゃろう。

 良行は、冴子の顔を見たいと思ったのだが、夕食での出来事を思い出して自重した。

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