収め!
明後日が指導員講習会という金曜日、良行は職場で主任に呼ばれた。
「三島っ、月曜日から気になっとったんじゃが、今日はすっきりした顔しとるじゃなぁーか。よっぽど声をかけようかと思うたんじゃが、もう心配いらんみたいじゃな」
「大丈夫です」と答えた良行は、主任に全てを見抜かれていたと感じた。
「いらんことを言うようじゃけど、聞け。おまえ自身の悩みは、ここでは全部、仕事に出ると思え。誤差を身体で覚えろ。自分で学んで、見て盗め。そしたら、おまえは一人前になれる」
しっかりやれ、と肩を叩く主任は、良行を元の仕事に戻らせて事務所の方へ向かった。その後ろ姿には、仕事の厳しさを知り抜いた男の威厳があった。
その日、残業を終えて自宅へ帰り着くと、良行はガレージに人影を感じた。日没の遅くなってきた埴生の町に澄み切った空から夕日が射している。
サエ?
冴子は、良行と電話で話して以来、どうして急に良行が冷たくなったのか理解できなかった。
画材の目処が付いて、久し振りに会えると思ったのに、どうして……。
無言のまま切られた受話器を握りしめたまま、冴子はしばらく漠然とした不安の中に漂っていた。
どうして怒っているの?
「これで仕上げができるね」
そう言って京都駅で別れた平野絵理は喜んでくれた。冴子の中で期待感が益々膨らんでいく。
早くヨッちゃんに会いたい。
その思いが、突然裏切られた。
私のどこが悪いの?何で、理由もなく怒っているの?
何度も問い返した言葉だった。
その良行が目の前にいる。
ゴーギャンがタヒチへ渡ったとき、どんな思いがしたのだろう。原始の風景、色彩、空気、人の温もり。でも、私の絵にはその想いが消えかかっている。
描くのが、恐い。恐くて恐くて、キャンバスのカバーを外せない。何度も何度も、会おうと思った。
思い出せない思い出のように、ヨッちゃんは私を苦しめる。
広いアトリエの中で一人ぽつんと椅子に腰掛けている冴子は、自分の居場所を求めていたに違いない。丸テーブルに頬杖をついて、空しさだけが強調されてくるような激しい心の痛みの正体だけを探っていた。
食事もろくに喉を通らない日が続いた昨日、冴子はふいに理解した。
生きるって、こういうことかもしれない。
私の中にヨッちゃんを閉じこめるのではなく、私の中からヨッちゃんを開放するのが私自身の役目なんだ。どうしてヨッちゃんが怒っているのか、その理由も知りたい。
「私、変わってる?」
良行の目の前に現れた冴子は、ふいに問いかけてきた。
久し振りに見る冴子は、少し窶れたように見えた。しかし、京都で受けた突然の屈辱が蘇ってくる。
ワシは、おまえの奴隷か?ポーズを取って、何時間も空腹を我慢して。その上、他の男に会うために京都へ行ったおまえは何なんじゃ。
「変わっとる!」
良行はムキになって言い返した。
二人の間に沈黙が生まれた。ガレージの奥で、二人を乗せたCB400だけがその様子を見つめている。
「京都で友だちに会うた」
良行から、ふいにそう言われて、冴子はその意味が理解できなかった。
「京都って、ヨッちゃん、京都へ行ったの?」
冴子は、不思議そうな顔をしている。押し黙ったままの良行に、冴子はさらに問いつめた。
「友だちって、もしかしたら絵理?」
良行の表情が険しくなった。
「絵理に会ったの?」
気むずかしい表情をした良行が頷いた。
「私、知らなかった。絵理の家にずっと泊まっていたのに」
「え?」
「えっ?て、どういうこと?」
聞き返された良行は冴子の言っている意味が分からない。
「だから、私、絵理の家にずっといたのよ」
「でも、ケンカして、どっかへ行ったんじゃ……」
「ケンカ?絵理と私が?どうして?」
「土曜日、京都へ呼び出されて、画材店の前で待ち合わせしとったら、おまえ、あの子の婚約者と肩組んで店の中へ入ったろう」
「ええ、購入予定の画材のサンプルと頼んでおいた画材が届いたんで、絵理の彼氏の店へ行ったわ。それがどうかしたの?」
良行は言葉に詰まった。
「おまえとその彼氏、昔付きあってたって彼女言ってたぞ」
「え?」
冴子は良行の言ってる意味が分からない。
「私と、絵理の彼氏が?それ、誤解よ。絵理の彼氏は画材を通しての付き合いしかしてないし、絵理がどうしてそんなことを言ったのか、私、理解できない」
ちぐはぐな思いを感じたまま、二人は押し黙っている。
冴子は、京都で会った平野絵理の婚約者、井上賢吾を思い出した。井上賢吾は、平野絵理と一緒に入ったスキー同好会の先輩で、美術科の客員教授をしていた水谷一正画伯の画材を手がけている。井上は、冴子にとっては面倒見のいい先輩でしかなかった。
京都へ行った初日、冴子は画材を注文するため、夕方近くになって井上の店に平野絵理と立ち寄った。そこで、数種類の見本を見た冴子は、キャンバスに描き込むイメージを元に色具合を決めようと思っていた。しかし、なかなか自分のイメージに合う画材は見つからない。
「絵理、悪いけど、ちょっと集中して画材を選びたいから先に帰ってて」
見本を取り出す井上も、
「悪いんやけど、集中させてやってくれへんか」と同意を求める。
一人で帰っていく平野絵理は寂しそうだったが、二人は画材選びに熱中した。ようやく目的の画材を選び終わると、午後十時を回っていた。画材店を出た井上は、駅前のタクシー乗り場まで歩きながら提案してきた。
「遅うなったから、食事でも御馳走しよう。サエちゃん、絵理には説明しとくわ。」
「いいんですか。そういえば、私にも電話しなくちゃいけないところがあった」
冴子は、良行に黙って京都へ行ったことを連絡する必要があると感じていた。
公衆電話を探してくれた井上の側で、冴子は良行に電話を掛けた。しかし、途中でコインが切れて通話は途切れた。
「サエちゃん、彼氏いるんやね」
「何も言わないで出てきちゃったから、心配してると思って」
その後、冴子は、井上と食事し、タクシーを飛ばして平野絵理の家に着いた。帰り際に、井上は平野絵理に遅くなった事情を説明してくれた。
玄関で出迎えてくれた平野絵理は、手を取って自分の部屋へ冴子を案内する。
「画材、決まった?」
「だいたいね」
「どうせサエのことだから、一度決めてても変えるんでしょ?」
「うーん、かなり詰めて選んだから、間違いないとは思うんだけど」
平野絵理は、その答えを聞くと、部屋の壁に飾っている学生時代の自分の絵を見つめていた。
冴子は、その時の寂しそうな平野絵理の表情を思い出した。
「私、確かめてくる」
良行は、深刻な顔をして帰っていく冴子の後ろ姿を見ていた。
何かが間違っていた?ワシは誤解しとったんか?そして、サエの何を今まで怒っとったんじゃろう。
「待てよ。何を確かめる言うんね」
冴子は良行の声を無視した。後ろから良行が走ってくるのが分かった。冴子の心の中に堅いガードが積み上げられていく。
私は何を探してたんだろう。
良行が冴子の横に並んで歩きだす。冷たい風が街路樹を揺らし、青ざめた空が静かに二人を見つめている。
「どうして、ついて来るの?もう、私にはかまわないで!」
並んで歩いている良行は、冴子の顔を見ようとしない。ただ、じっと、冴子の側について歩いていく。
そがーなんじゃない。
良行は、何かが間違っているとしか思えない自分を見つめ直したかっただけだった。
「京都へは、2回、行った。1度目は、サエが黙って出発した次の日、2度目は、サエの友だちに呼び出されて。そのたびに、サエを探し続けた。倉敷の町でサエを見失ったときみたいに」
冴子は、押し黙ったまま歩き続ける。
「最初は、京都まで行くんは、シャレじゃと思よった。サエが画材を選ぶのに一週間も会えんと思うたら、次の日には、バイクに乗っとった。サエの友だちに会って、どこに居るのか知らんと言われて、霙交じりの高速道路をずぶ濡れになって家に帰った」
良行は、その時のもやもやした気持ちと、芯から凍り付いたようになった体のしびれを思い出す。
「二度目に行ったときは、やっとサエに会えるとだけ、思よったんじゃ。それが、喫茶店で、平野さんに会っとるとき、いきなり、画材店の店主がサエの昔の彼だと聞かされたんじゃ。ワシは、動揺しとった」
良行は、その時のコーヒーカップに残った滴まで思い出す。
冴子は、眉を顰めたまま、押し黙っている。
どうして、絵理は、この人にそんな嘘を吐いたんだろう。
冴子は、京都で過ごした日々を思い出していた。
絵理の部屋に寝泊まりして、中学校へ出勤する絵理とは、いつも一緒の時間に家を出た。京都市内にある懐かしい美術館を見て回り、市立図書館で学生時代のように絵画の図書を閲覧して一日を過ごす。形になり始めた絵が、模倣でないことだけを確かめるだけで、充実した時間を刻んでいくのが分かった。
もし、そんな時に、この人に会っていたら。私は、どうしていただろう。そしたら、もっと違った可能性を見つけ出せていたかもしれないのに。
冴子は、やり場のない怒りを覚えていた。
どうして、絵理は、こんなひどい嘘を吐いたの?
冴子には、その疑問が解けなかった。学生時代、一番の親友で、絵理はいつも冴子と一緒に行動していた。
その絵理が、私を裏切る?
冴子は、平野絵理の家族との語らいにまで強い怒りを覚えていった。
夕闇に包まれた街路を、二人は、理由の見つからない怒りを共有しながら歩いている。
「どうして、私についてくるの」
「そっちこそ、声をかけてきて、勝手に怒って」
二人の溝は埋まらない。しかし、怒りの言葉は、その言葉だけが浮き足立ってくるように思えてくる。
「ストーカーじゃない!」
「何を言うんね。そっちこそ、変な友だちでワシを混乱させたくせに」
「絵理は……。絵理は、変な友だちじゃないわよ」
「だったら、証明してみせろよ。何なら……、明日、付いてってやろうか?」
冴子は、急に立ち止まった。
証明?私が絵理の親友だってことを?そんなこと……。
良行は、急に立ち止まった冴子をまじまじと見つめた。
「なあ、聞いてくれ。情けない話なんじゃけど」
冴子は、良行が何を話そうとしているのか分からなかった。どんな話をしだすのか警戒して、俯いたまま、足元だけを見つめている。
良行は、ただ、今の自分の素直な気持ちだけを知ってもらいたいと思った。
「ワシ、京都に行ってから、そのショックで何日かポン操の練習を休んだんじゃ。橋本班長が、心配して来てくれて、何の理由も分からんのに、涙を流して土下座するんじゃ。練習に来て欲しい言うてな。それを見たとき、ワシは、死ぬほど後悔した。誤解なんか誰にだってある。間違いなんか誰にだってある。その時、ワシは、それが自然に思えてきた。もしかしたら、最初っから答えは出とったんかもしれんけど、そのためにゃあ、行って、確かめるしかない。答えを出すんは、それからでもええんじゃと思うた」
冴子は、良行の目を見つめてきた。
「じゃあ、私に、何を確かめろって言うの?」
冴子には、ふいに突きつけられた平野絵理の裏切りが、床に叩きつけられて粉々になったワイングラスのように思えてくる。
その目には、悔し涙が滲んでいる。
「サエは、いつも言うとったろう?自分の居場所って言葉を。自分の居場所に変化を感じたら、誰だって、どうして変わったのか確かめたいもんじゃろう。現状に反発しても、じっと我慢しても、回りくどく探ってみても、結局、自分がどうしたいかが一番大事なんじゃないか。ワシの場合は、消防団の活動の中にそれがあった。そこに、見失っとったものが見えたんじゃ」
冴子は、学生時代の平野絵理との思い出をなぞってみた。
二人とも、表現者として生きていきたいという希望に満ちていた。そんな二人を教えてくれた水谷一正画伯は、いつもこう言う。
「芸術というのは、人間の生命を表現する活動なんだよ。怒りも、悲しみも、喜びも、楽しみも、全て自分の中にあって、その全ては人と自然との係わりの中でしか生まれないものなんだ。だから、人間の生命が表現できたら、人と人とは分かり合える。表現者が苦悩するのは、人間の生命を表現するために、いつも自分の生命の所在を確かめておきたいからなんだ。そこには、原点がある。君たちは、今、それを育んでいる最中なんだ。もし、道に迷って大切な何かを見失ったら、もう一度、原点に立ち返ることだ」
私の見失っていたものは、何だろう。
ヨッちゃんへの想い、絵理との友情、学生時代の思い出、今まで生きてきた中のありとあらゆる記憶が、今の私をグルグルと経巡っている。
私は、いつも、どうして欲しかったんだろう。
冴子は、その答えを見つけ出すと、両手で顔を覆った。頬に大粒の涙が流れていくのを感じた。
私は、私を分かって欲しいと思い続けていただけなんだ。でも、それだけじゃない。私は、ありのままの私でいい。ありのままの私は、私の夢だけを追いかけていく。だから、絵理に裏切られてもかまわない。でも、その理由だけは教えて欲しい。大切な何かを失しないたくないから。
その瞬間、二人の共有していた怒りが静かに溶けていった。倉敷で感じた二人の感覚が徐々に蘇ってくる。捜し物が見つかったときの喜びは、何物にも代え難い思い出を刻むものだ。
冴子とのすれ違いを解消した良行は、その夜、埴生中学校のグランドにいた。
「ワシらの訓練風景、見たことないじゃろ。今日は残業しとったから晩飯抜きで訓練に行かんといけんけど、明後日の日曜日には、指導員講習会っていう最大の予行演習が待っとるんじゃ。サエがそこで何かを感じてくれたら、ええんじゃけど」
玄関先でサエを待たせて出てきた良行は、いつものように団服を着込んでいる。まだ何かを考え込んでいるような冴子に、良行はそう言って訓練の見学に来るようにと促したのだった。
グランドより1メートルほど高くなっている校舎の礎石に腰掛けて、冴子はこれから訓練が始まるという消防団員たちの動きを見守っていた。
冴子の座っている場所まで気合いの伝わってくる号令が、夜間照明に照らされた消防団員たちを統一した意志を持つ生き物のように集めていく。そこに集まるどの顔も緊張に歪んでいるように見えたのは、けっして冴子の思いこみではなかった。
グランドには、一人一人の陰が、夜間照明の数だけ規則的に伸びている。その一人一人は、良行がIVEスクエアーで見せてくれた気を付けの姿勢を取っている。
……これが、ヨッちゃんの言ってた節度なんだ。
消防団員たちは、その動作の細部に到るまで、節度というものにコントロールされているのだと冴子は感じた。
団員の意志を貫くように号令が掛かり、中心者が横隊の中央前へ進み出る。
「分団長に、頭―、なか!」
一番端に走り込んだ団員と中心者が敬礼を交わし、列に並んでいる団員たちは中心者に向かって一斉に顔を向ける。
「なおれ」
冴子には、その場の空気が震えているように感じられた。中心者は、一言、
「楽にしてください」と言う。一番端に立って号令をかけている団員が、
「整列、休め!」と号令をかけ、列に並んでいる団員たちが肩幅の広さに足を広げて、両腕を後ろに回す。しかし、冴子には、それがけっして「休んでいる」姿勢には見えなかった。
中心者は、その緊張感を全身で感じ取りながら、話を始める。
「昼間のお仕事でお疲れの中、ご苦労様です。さて、いよいよ、明後日には、当面の目標で待ちに待った指導員講習会があります。もうお気付きでしょうが、今日の訓練に参加した団員は、指導員講習会に参加すると予定していた20名をすでに越えています。これも、皆さんが持つ熱と力の賜です。今後とも、本番に向け、さらなる団結を築いていこうではありませんか。以上!」
「気を付け!頭―、なか!」
この号令が響き渡ると、中心者は列から離れた。そしてまた、別の号令がかけられる。
「整列、休め!」
その中心者が列の前から下がると、もう一人の中心者が進み出て、さっきの中心者にしたときと同じような号令が響き渡る。
「気を付け!仲野県指導員に、頭―、なか!」
全員の目が中心者に注目している。さっきと同じような敬礼が終わり、中心者の「楽にして下さい」という合図で、再び、
「整列、休め!」の号令が掛かる。
その中心者は、さっきの中心者のように、すぐには話し始めなかった。冴子には、その中心者がその場の空気を一心に感じ取っているような気がするのだった。
それは、消防団の慣習からしても異例のことだった。その中心者は、その場から離れると、まず最初に、号令をかけている団員に向かって歩き出した。
列の一番端にいて号令をかけていた団員とその中心者は、ただ、じっと目と目を合わせている。そして、いきなり、中心者は目を合わせていた団員に手を差し出した。
「今日は、訓練開始前に、一人一人と握手がしたい」
その中心者は、そう申し出た。
一人一人と、固い握手が交わされていく。最後列に並んだ団員との握手が終わると、その中心者は元の位置に戻っていった。
「皆さんの気持ちは、たった今、確かめました。その意気でがんばってください。以上!」
あっけに取られていたのか、号令をかける団員のタイミングは少しずれていたように感じられる。
「気を付け!頭―、なか!」
敬礼が済むと、その中心者も列の中央から外れていく。それを見届けると、さっきから号令をかけていた団員が駆け足で列の中央前に走り込んで対面する。
「指導員講習会まで後2日。明日は、訓練をセーブするが、今日はさらなる限界に挑戦する。さっそく、訓練を開始してくれ。以上!別れ!」
その団員の敬礼に合わせて、全団員が敬礼を返している。
冴子は、その一つ一つの動作を憧れるような気持ちで見つめていた。
どうして、こんなにきれいなんだろう。曇りがなくって、直線的で、力強い。私は、今までに、こんなきれいな人の動きを見たことがなかった。
冴子は、機敏に動き続ける消防団員たちの動きを見続けている。訓練中には、あの握手をしていた中心者の気合いをかける怒鳴り声が響いてくる。
「限界に挑戦しろ!それでも、限界か?そがーな限界、飛び越えてしまえ!」
ホースを担いだヨッちゃんが地面を滑るようにして走っていく。生き物のようにしなるホースが、ヨッちゃんの未来を指し示すように伸びていく。
けたたましいエンジン音が響くと同時だった。車のギアチェンジをミスしたときのような聞き慣れないギュギュギュッという音の後、それまで平だった白いホースが生き物のようにホースを伸ばした先に向かって凄いスピードで膨らんでいく。
訓練を見守っている団員の目も、ホースの膨らみに注目しているようだった。そして、勢いよくホースの先端から水が噴出し、「火」と書かれた丸い円盤が倒されると、それまで怒鳴り散らしていた中心者が雄叫びを上げた。その手には、ストップウォッチが握り締められているようだった。
「50秒!」
雄叫びは、全団員を喜びで爆発させたようだ。
冴子には、その意味は分からなかったが、嬉しそうに手を取り合って喜び合う消防団員たちの姿を見ていると、胸の中に熱いものがこみ上げてくる。
そうか、ヨッちゃんは、こんなところに自分の居場所を持ってたんだ。
冴子は、結局、良行の訓練が終わるまで訓練風景を見学し続けた。後片付けが終わって解散した後、良行が額から汗を滴らせて近付いてくると、冴子の心は固まっていた。
「私、明日、京都へ行く。そして、確かめてくる」
良行は、冴子が消防団の訓練風景を見て何かを感じ取ってくれたのだと確信した。
「ワシも付いて行くよ。サエにとって大事なことは、ワシにとっても大事なことじゃ」
二人は、お互いの気持ちを確かめ合ったような気がした。
その時、松崎がグランドの外れから大声をかけてきた。
「ネタは上がっとるで。たった3ヶ月ちゅうて、ワシらのことからこうたくせに。この新幹線野郎~、たった2ヶ月でその親密さは何ねー」
松崎を取り巻いている団員から鋭い口笛が鳴った。大勢の笑い声が照明灯の落ちたグランドに響き渡っていく。