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サンサーラ・オブ・ディファレンティア  作者: 石野 タイト
序章
14/14

第13話『ワガママとそれぞれの思い』

ー規則的な振動が寄りかかる自動ドアから伝わってくる。

閉じていた瞳をゆっくり開くと、視界に広がったのはモノクロの世界。

吊革、人混み、広告。その全てが色褪せ、その色彩を無くしていた。

しかし彼はその異常なはずの光景に不自然さを感じることもなく、その肩にかけられた縦長の布の袋に手を触る。

それは所謂“竹刀袋”というやつで、しかし中身は竹刀ではない。居合道と呼ばれる武道で使用する“居合刀”という物だ。袋の中に入るそのしっかりとした硬さが、妙なリアリティを彼に与えた。


ー…とうとう明日は演武会本番か……


不安と期待のおり混ざった鼓動の高鳴りを抑えるように、彼は瞳を閉じだ。


そして、頃合を見計らったような激しい揺れと衝撃を最後に彼の意識は再び途切れた。


******


ー窓の隙間風でカーテンから木漏れ日が射し込む。外からは鳥のさえずりが聞こえる。

しかし、そんな穏やかな早朝の空気を感じる余裕もない程に蒼真はパッと目を開いた。

ハッとして体を勢いよく起こすと全身を激痛が走り抜け、思わず体を踞らせる。


じっとりとした汗が全身から吹き出しているのが分かる。呼吸は踊り、鼓動がいやに速い。

呼吸を整え、体を起こしながらいまだぼんやりする頭を無理やり動かして、なんとか事態の理解に努めた。


「ぅんん……あっ!ソウマさん!良かったぁ、本当によかったですぅ……」


聞き覚えのある声のした方を見ると、そこには大きな瞳に溢れんばかりの涙を湛えたリシルの姿があった。

ベッドサイドのシミを見るに、蒼真の介抱をしながらうたた寝をしていたのだろうとあたりを付け、蒼真は申し訳なさそうに目尻を下げた。


「ごめん…ありがとうリシル。ずっと介抱してもらったみたいで…」


「えっ!いやっ、そんな……私はただ…その…」


蒼真の言葉に、リシルは今にも湯気が登りそうな程顔を真っ赤にしながら、口ごもりつつ頭を沈めていく。


「この手当もリシルがやってくれたのか?」


「あ、いえ、それはケルゲイン様が…私の魔力は現象型なので、私の回復魔法ではあの傷は治しきれませんでした。私には、お手伝いする事しか………」


そう今度は心底申し訳なさそうな、悔しそうな表情で肩を落とすリシル。

そんなリシルの頭に、蒼真は優しくポンッと手を置く。

おもむろにリシルが頭を上げると、蒼真は優しい笑みを浮かべていた。


「リシルも一所懸命やってくれたから俺はまだ生きてるんだ。ありがとう、リシル」


「……ソウマさん……」


蒼真の言葉に今にも泣き出しそうな声でリシルは呟く。


その時だ。コンッコンッ、と軽快な音が室内に入り込む。

零れそうな涙を拭いリシルが振り返り、蒼真と共に入口のドアに視線を送ると、ドアに肩から寄りかかるような体勢でムスッとした表情を浮かべ腕を組んでいるアリシアと、満面の笑みのローディスが立っていた。


「ようやく目が覚めたか。まったく…」


「おはようございます、白蛇(しらへび)の騎士殿」


「しら…何だって?」


ローディスの言葉に蒼真は戸惑った様に聞き返す。

人を罪人呼ばわりし、汚物を見る様な眼差しで睨んでいた彼が、今度は満面の笑みで自分を騎士と呼ぶ。

あまりにも綺麗な掌返しと明らかに聞きなれないその言葉に蒼真の脳はイマイチ処理に困っていた。


すると、アリシアは小さな溜息を吐きなから部屋に入り口を開いた。


「ローディスの癖だ、気に入った相手に妙な字名を付ける。そしてつけられたが最後、その名は何故か世の中へと浸透してしまう。まぁ諦めろ、“白蛇の騎士”殿」


茶化すようにそう言いながらアリシアは小馬鹿にした笑みを浮かべる。

確かに今までの散々な呼ばれ方からすれば大出世だが、どうにも妙な気になり蒼真は眉をひそめた。


そんな和やかな雰囲気を断ち切る様にアリシアはいつもの鋭い表情で、さて、と話を切り出す。


「そろそろ本題に入るぞ。ローディス、話してやれ」


「はい」


短くそう返事をすると、ローディスも先程とは打って変わって真剣な、そして深刻な表情で話し始める。

内容は件の相手。カーディ・バルドトルについて。

彼が武器や兵を集めている事。150年前の戦争の遺物、大量破壊兵器“トリシューラ”の存在。

そして、魔王“カイゲン”の暗躍。


ただでさえあまり顔色の良くなかった蒼真の顔から、更に血の気が引いていくのが見て取れた。

そして同時に表情は険しくなる。


頭の中にこだまする不気味な笑い声。脳裏に映る醜悪にして絶対的恐怖を纏ったその姿。

この世界に来たその日、これまで感じ得なかった死への恐怖が全身を支配し、否応なしに体が震え始めた。


震えと恐怖を押さえ込むように綺麗な包帯の下にある呪われた右腕を左手で握ると、側に来たアリシアがその肩に触れる。


「落ち着け、今は1人じゃない」


そう言われ項垂れた頭を上げると、リシルの不安げな表情や、恐ろしい位満面の笑みのローディスが、暗い色をしていた蒼真の瞳に写った。

この世界に来た時には言葉も分からず、右も左も分からない完全な孤独だった。

魔王を倒せと言われた時も、一人で立ち向かわなければならない、そう思っていた。


しかしこの世界で過ごすうち、師ができ、友ができ、知らぬ間にこの世界に居場所ができていた。

この数ヶ月間抱いていた孤独感が、日差しに当てられた氷のように溶けていく。

1人ではないという実感が体の緊張を解し、やがて全身の震えは静まっていった。


「ゴメン、ありがとうアリシア」


「まったく…世話の焼ける奴だ」


少し疲れた笑顔を浮かべ、素直な気持ちを伝える蒼真にアリシアは呆れ顔で素っ気ない返事を返す。

そして表情を再び鋭いものに戻し、話を切り替える。


「話を戻すが、説明した様に事態は切迫している。私は今日の午後にバルドトルへ直接召還命令を通達しに行く。お前にも同行してもらう」


「そんな…!ソウマさんはまだ動ける状態じゃありません!」


アリシアの言葉に珍しく声を張り上げたのはリシルだった。

眉にシワを寄せ抗議するその表情は普段のオドオドしたリシルからは想像も出来ない程険しいものだったが、アリシアは眉一つ動かさず鋭い眼光をリシルに向ける。


「リシル、これは近衛騎士団団長としての決定事項だ。言ったはずだ、事態は切迫していると。今こうして話しているのも惜しいほどに」


「なら…なら、アリシアさんだけで行けばいいじゃないですか!」


リシルは目に涙を湛えたまま振り絞るようにそう言った。いや、言ってしまった。

リシルも事態を理解していない訳ではない。

自分も拐われかけたのだ。恐らく他の領内でも自分と同じように襲われ、実際拐われた者もいただろう。そして今、その“誰か”はこの国を滅ぼそうと禁忌を犯す片棒を担がされている。

そこにある被害者達の恐怖も、背徳も、屈辱も――

完成までは大まかには1週間と話していたが、実際どの程度まで出来ているのか。完成すればどれほどの被害が出るか。

不確定でも確かにそこにある混乱も、破壊も、絶望も――

リシルは全て理解している。

蒼真がどんな立場でここに立ち、アリシアが何故蒼真を連れていこうとしているのかも。

蒼真は魔王を解き放った大罪人。アリシアの監視があるのが条件での釈放だということも。


これが自分の子供じみた“ワガママ”であると、それすらも理解して、しかし言わずにはいられなかった。

自分も知らない激情が突き動かし、言葉となった。


だが、そんな“子供のワガママ”で物事は変わるはずもない。リシルが嫌だと言ったからといって、蒼真の立場も、アリシアの役目も、今の事態も改善されるわけもない。


「もう一度言う。決定事項だ。お前のワガママを相手にする時間はない。ローディス、医術師を集められるだけ集めてコイツに時間一杯まで回復魔法をかけさせろ」


それだけ言うと、アリシアは踵を返し部屋を出ていった。

リシルはただその背中を睨むような、悲しむような目で見つめていた。


そんなリシルの手に、暖かな温もりが触れた。

視線を向ければ蒼真が柔らかな視線をリシルに投げかけ、いつの間にか固く拳を握り締めていたリシルの手にそっと左手を添えていた。


「リシル、俺は大丈夫だ。それに、俺じゃ足でまといかも知れないけど、やっぱりアリシア1人ってのもなんとなく心配だろ?」


そう言うと、蒼真は優しく笑みを浮かべた。


ー…あぁ…なんでこの人なんだろう…こんなに、優しい人が…なんで…


リシルの頭の中で、そんな答えのない疑問が堂々巡りを始めた。

蒼真の言葉には、時々重い何かを感じていた。

出会って間もないが、蒼真は言葉の端々には何か堅い物があり、それが彼を動かしているとリシルは思っていた。

そして、その正体は恐らく“優しさ”だ。

カーディの件をアリシアの執務室で聞いた時の表情や声音。

この世界で数ヶ月あまりを過ごし、この(レイヤード)で暮らす人たちを守りたいという気持ちが見て取れた。


それはきっと穏やかに暮らす人々を見て、蒼真が元の世界に戻りたいと願うのと同じ位に、蒼真自身が素直に思ったことなのだろう。

それ故に、彼は自分のしてしまった事に責任を感じ、ここまで来たのだとリシルは思う。


そんな彼に、何故こんなにも困難が立ち塞がるのか、何故幸福の女神(シェルビィ)が微笑まないのかと、リシルはその優しい微笑みに目をそらし、ただただうつむくことしか出来なかった。


「白蛇の騎士殿。午後の公務にあたり、1つお話せねばならないことが」


リシルの後ろから神妙な面持ちで声を掛けてきたのはローディスだった。

表情から鑑みるに真剣な話なのだろうが、蒼真は眉をひそめて答えた。


「あの、その前に一つ。その呼び方、止めてもらっていいですか」


「おや?お気に召しませんでしたか。では他にいくつか候補があるのでまずはそれを…」


「普通に蒼真でお願いします!」


渾身の力をこめて蒼真がそう言うと、ローディスは心底残念そうな表情で了承した。


「承知しました。ではソウマ殿。実はガルゴとの決闘の際ソウマ殿が使われていた武具一式、損傷が酷く修復の施しようがありません。特に胸当てと左手の“魔吸の篭手”の損傷は酷く、篭手に関しては専門の者でも…」


「あ、あの!その篭手は私がなんとかします!」


そう声を上げたのはリシルだった。

今まで俯き消沈していた彼女の突然の申し出に流石のローディスも一瞬面食らったようだが、リシルの強い感情が浮き出た表情に頷いた。


「では、それはレヴディクト殿にお任せしましょう。他の武具に関しましては私に一任下さい」


「お願いします。リシルも、ありがとう」


そう蒼真が言えば、リシルはパッと表情を明るくし、任せてください、と息巻いて部屋を出ていった。

ローディスも一礼し、リシルの後に続いて部屋を出ると静かに扉を閉めた。


突然早朝の静寂を取り戻した部屋。

蒼真が小さく息を吐き、ベッド横にある窓の外へ視線を向けると、ふとガルゴとの戦いがフラッシュバックする。

瞬間、耳にうるさいほどの自分の鼓動が鳴り響いた。


断片的には思い出されるガルゴとの戦い。

以前ミノタウロスのラナと手合わせした時と同じように、その戦いの中身は魔法を使う少し前からぼんやりと思い出せる程度しか覚えていない。

だが、体がそれを覚えている。この高鳴りが恐怖からなのか、高揚からなのか。


恐怖ならある意味自然なのかもしれない。当然だ。死にかけたのだから。

しかしもし、これが高揚なら、


「俺は…どうなっちゃってんだ…?」


自分が自分でない何者かになろうとしている、そんな気味の悪い、言い知れぬ不安感が満ち潮のようにジワジワと押し寄せ鼓動を流行らせる。


蒼真は逃げる様に布団に潜り込み、やがて来るはずのまどろみに助けを求めた。

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