炎 その三
年が明け、正月を過ぎてから、笠階宇木正と勅使の一行は都に辿り着いた。正月を都で過ごす事ができなかった勅使は、都に帰り着くまでずっと愚痴をこぼし続け、誰彼となく当たり散らした。
五十条帝への謁見は、二日後に実施された。笠階宇木正は、とんでもない咎めを受けるのではないかと内心ビクビクしながら参内した。謁見の間で気が遠くなる程待たされた末に、漸く今上帝が現れたが、宇木正は顔を上げる事を許されない。
「お前が笠階か。」
つまらなそうな顔をした五十条帝が、一段高い座敷の御簾越しに宇木正を見下ろす。
「は。」
宇木正は、床に額を擦り付ける様にひれ伏したまま答える。
「お前の娘はどうした?」
「それが…、旅の途中で野盗に連れ去られてしまいました。」言い難そうに告げた後で、慌てて言葉を足す。「嘘ではございません。勅使様もそれを目撃されていらっしゃいます。」
「ふん。」五十条帝は相手から見えていないのを良い事に、そっぽを向いて鼻で笑う。「もう良い。面を上げい。」
恐る恐る宇木正は顔を上げる。長旅と心労のせいか、小太りだった体は痩せ、丸顔だった顔は頬骨が分かる様になり、目の下には隈ができている。いつの間にか、髪も白い物の方が勝る様になった。彼を知っている者が見れば別人の様だが、初めて会う五十条帝にとっては、これが宇木正の顔だ。
面白味の無い男。
それが宇木正を一目見た五十条帝の印象。帝は、適当に言葉を並べて勲功をねぎらってやり、早々に謁見を終了させた。
五年の月日が流れた。心配された郷巻興嶽と笠階宇木正の関係は、表面上平穏を保ち、東国は戦乱の無い月日を享受している。宇木正は、弟の葦正に家督を譲り、第一線の武者から引退した。今は、農民として畑仕事に汗を流している。興嶽は、官位獲得活動に力を注ぎ、悟正は修行と称し、相変らず諸国を巡っては五十条帝に地方の情勢を持ち帰っている。
「仕方ない。ならば、郷巻興嶽を手持ちの駒とするか。」
東国の情勢を悟正から聞いた五十条帝は、興嶽の対抗勢力にしようとしていた笠階が、結局郷巻の家人の立場に落ち着いたと知ると、ならば興嶽を公家勢力の対抗手段に利用しようと考え出した。
「それこそ、先帝が踏み外した企みですぞ。」
悟正はたしなめたが、五十条帝は「分かっている、分かっている」と繰り返すばかりだ。
「東国に公家かぶれの武士が居るそうだ。どんな奴か見てやろうではないか。」
五十条帝は内裏の貴族を相手にそう言って、興嶽を呼び寄せる口実を作った。
そんな背景があって、郷巻興嶽は帝に謁見を許された。長年の悲願に一歩近付いた興嶽は、喜び勇んで都に上った。安芸泉兼実に伴われて内裏に足を踏み入れる。興味本位で謁見の間に顔を並べた公卿の期待に違わず、興嶽は化粧をして内裏に上った。顔中白く化粧をした小男と、それを導く赤ら顔の惚けた貴族の組み合わせ。公卿達は皆、笑いを堪えるのに苦労したに違いない。ただ、五十条帝は、その様子に満足していた。これなら公家共は馬鹿にして、興嶽に対する警戒が緩む。荒くれ共が屯す東国を束ねる実力が、この化粧をした小男の中に秘められているなど想像すらしない。いずれ慌てふためかせるのに充分な手札になり得ると、帝は一人ほくそ笑んだ。
何やらきな臭い都を逃げ出し、悟正はまた旅の空の下にあった。平穏になった郷巻領辺りに最早興味はない。彼は更に北を目指して足を延ばす。その往来の道すがら、悟正は斎行大師の庵がある山を訪ねた。
梅雨が明け、ギラギラとした日射しにいじめられながら、狭く険しい山道を登って行くと、尾根の上の開けた台地に出る。その一番端、見晴らしの利く大きな岩の上に幼い少女が立ち、谷から登る山道を見下ろしている。悟正が全身汗まみれになりながら、錫杖にすがり登る姿が木の枝の隙間から覗く。錫杖が反射する日光が眩しい。
「あ、来た。」
少女は飛び上がらんばかりに小躍りすると、岩の上をとても幼い子とは思えない跳躍力で跳んで尾根の奥へと戻って行く。
「来た!来た!」
誰かに告げると言うよりも、待ちに待った瞬間が来た事に興奮して一人で叫んでいる。
谷から尾根への急な山道を幾度も折り返し登る悟正は、途中で立ち止まり、行く手を見上げる。さっきまで見えなかった尾根の先端にある岩が、白い雲の浮く空を背景にあと少しと言う所に見えている。悟正は一つ大きく深呼吸をして、再び登り出す。それなのに、あと少しに見えていた尾根の岩までは、なかなか辿り着かない。
「待っておりました。」
とうとう足元ばかり見て登っていた悟正は、女の声に顔を上げる。尾根の先端の大きな岩の上に山吹の姿が見える。
「いやあ、山吹殿。お久し振りです。」
「お元気そうで。」
山吹が微笑みかける。
「手紙を出して頂いたのは、随分前だった様ですね。」悟正は額の汗を墨衣の袖で拭いながら、明るい声で山吹に話し掛ける。「諸国を巡っておりました故、山寺に戻ったのは、つい先頃で。その上、こう山深い所では、探すのに苦労しました。それにしても、山吹殿には敵いません。いつから私が来ると分かりましたか。」
山吹のいる尾根の上まで登って、悟正は山吹と一緒に歩く。
「以前にお坊様が来ると教えたら、ずっと楽しみにして待っていた子がおります。毎日、首を長くして、尾根の端から山道を眺めておりました。その子にさっきお坊様が来たと教えてもらいました。」
「え、お子さんですか?」
「はい。」
「毎日とは、その子に大変な思いをさせてしまいました。もっと早く来てやれれば良かったのですが、申し訳ない。」
「来られる時に、笠階の領地に寄ってからいらっしゃいましたよね。文を都まで届けてくれた作麻呂と言う者が、一足先にお坊様が来られるのを知らせてくれました。子供が待っていたのは、それ以降ですから、大した日数ではありません。」
「そうか、手紙をわざわざ都まで届けてくれた人が居るのですよね。その方にも、お礼をしなければいけませんね。」
「棟梁が都に行った折に、供をする父に随伴して作麻呂は都に上りました。ついでに持って行ってもらったのですから、気になさらなくて結構です。」
「それでも手間を取らせてしまった。作麻呂さんですね。憶えておいて、都に戻る途中に寄って礼を言っておきます。」
二人の行く手に、丸太を組んで造った小さな家が見えてくる。
「谷子呂さんは家に居ますか?」
「いえ、斎行大師様と一緒に狩に出掛けています。」
「そうですか…、それじゃあ、いつ戻って来るか分かりませんね。」
「そうですね、長い時は二日、三日帰って来ない事もあります。でも、この季節は獲物が多いから、多分日暮れまでには戻るでしょう。」
「それじゃあ、今日はここに泊めてもらっても良いですか。谷子呂さんと色々話がしたいですし。」
「ええ、構いません。ゆっくりしていって下さい。」
「先程の話では、笠階の家の方がここに山吹殿が居るのを知っている様でしたが、宇木正殿には、ここで暮らしている事を知らせたのですか?」
「ちゃんと伝えてはいません。でも、斎行大師様と父は旧知の仲。既に郎党達が知っているくらいですから、きっと知っているに違いありません。」
「つまり、宇木正殿は山吹殿を連れ戻すつもりはないと言う事ですか。もし、宇木正殿が谷子呂さんから山吹殿を奪い返すつもりがないならば、笠階に戻られてはどうですか?」
「いいえ。父がどういうつもりかは知りませんが、私達はもう、笠階と関わらずに生きていくつもりですから。」
「うーん、勿体無い様な…。宇木正殿は家督を弟君に譲られたそうですよ。それならもう厄介な事は起きないのではないでしょうか。」
「そうじゃありません。笠階と言う一族がどうなろうと、私は興味がありません。…今こうやって離れた地で生活する様になって、どうしてあの時父が右手を怪我して戻って来た谷子呂を、敢えて私の側に置いたのか分かる様な気がするんです。」
「ほう、宇木正殿は何を考えていたと?」
「きっと、万一、自分が離反に失敗した時、今こうして暮らしているのと同じ様な形で私だけでも生き伸びる道を残しておきたかったんじゃないでしょうか。父にとっては、兄の和正が亡くなった時点で、自分の血を笠階の頭目として残す夢は潰えました。後は私を死なせないために、色々な可能性を残しておきたかったんだと思います。」
「成る程、だからこうして笠階と関わらずに生きていく事も、けっして宇木正殿の望みに沿わないものでもないと…。だから宇木正殿はこのまま放っているのですね。そう言えば、宇木正殿は、行方の分からない一縄正虎殿の息子の東林丸を探しています。どうやら、自分の所の子供組とやらに入れて養うつもりの様ですが、いくら子供とは言え、もう何が起きたか理解できる年の子です。自分を親の仇と思う子を傍に置くのは危険でしょうに、どういうつもりでしょう。」
「谷子呂の時と同じでしょう。その子が父を仇と思うのはしょうがない事。もし、育てた末に殺されるのならば、それはそれで仕方のない運命だと、父は思っているのでしょう。」
「因果応報ですか…。宇木正殿は噂通りに真面目な方でいらっしゃる。それ程までに罪を背負い続けているとは。しかし、いささか不器用ですな。」
「それ程立派でもありません。自分のしでかした罪の重さに苛まれるくらいならば、今自分はこうして罪滅ぼしをしていると自分に言い聞かせられる何かを持っておきたいだけでしょう。」
「それは、いささか辛辣な…。」
二人が話していると、家の戸口の下の方、女の子が顔を覗かせ、走って山吹の陰に隠れる。それに気付いた悟正が視線を送る。
「おや、この子が私を待っていてくれたと言うお子さん?」
山吹は足元の子供を抱き上げる。母親似の色白に茶色の髪、父親似のひと際大きな黒々とした瞳。
「いくつになられる。」
「三歳になりました。もう、この辺りの山を遊び場にして、跳び回っています。」
「その眼ならば、夜でも遊び回れそうだ。」
「ええ。その上、狗も遊び相手です。」
山吹は抱いた子供をあやしながら、声を上げて笑った。
了




