招かれざる客 その三
帝の思惑に逆らおうとする者が居るのと同じ様に、その思惑に乗ろうとする者も居た。勅書の中身を知った宇木正の妻・露音は、これを不幸続きの闇に差し込んだ光明に違いないと思い込んだ。戦に勝敗は付き物なれど、負け戦のとばっちりで愛する息子を殺され、窮地の中で夫の宇木正は、長年苦楽を共にした棟梁を裏切る行為にまで及んだ。残された希望の筈の娘は、怪しいケダモノに心を奪われ、伴侶が決まらぬまま、当時としては行き遅れになりつつある。この状況に露音は精神を擦り減らしていた。そんな所に思わぬ形で話が舞い込んできた。もしこれで宇木正が官職を得られるなら、そこまで行かなくとも、山吹が宮仕えを許されるなら、笠階に漸く良い流れが向かって来ようとしている。露音は悟正の想いなど知らない。何故かなかなか良い返事をしようとしない宇木正に苛立ち、さっさと腹を括る様に背中を押そうと決心した。
露音は宇木正と二人になる場を捉えてそれとなく切り出す。
「勅使様は、貴方様と山吹を都にお連れするためにお見えになられた由、どうなさるおつもりですか?」
「うん。」
そう言ったきり、宇木正はどうするとも言い出さない。
「帝の思し召しとあれば、何を迷う事がありましょう。直ぐにでも出掛ける支度をしなくては。ズルズルとお返事を延ばして勅使様が機嫌を損ねる様な事になれば、それこそどんな災厄になるか分かったものではありません。」
「うん。」
宇木正は視線を足元に落としたまま、生返事を繰り返す。
「留守中の、この家の事ならば心配要りません。葦正様がしっかり守って頂けましょう。」
葦正は宇木正の弟だ。
「それは心配していない。…お前は、山吹が宮仕えになって里に戻って来なくても寂しくはないか?」
「遠く離れるのは寂しくもありますが、いずれはいずこの家に嫁ぐと一旦は覚悟していた娘。それに、和正が亡くなって婿をとるとなりましたが、もし、宮仕えを終えて戻れば、婿探しにも箔が付きましょう。」
「勅使様と一緒に来た悟正という坊主が言っていた。山吹は帝の側室になるやも知れん。そうなったら、最早手の届かない所に行くぞ。」
「それは山吹にとって、ここに居るより幸せかも知れません。忌まわしい目のバケモノに付き纏われ、一生を棒に振るよりもまし。」
「アカゲラは決起した夜からこっち、姿を見せていないじゃないか。」
「あいつは必ず現れます。」露音の言葉には凄みさえ感じる。「澤の郷の合戦の折もそうでした。そして今回も、貴方様のお指図を途中で放り出して姿をくらましてしまう。でも、あいつはどこかに潜んでいるのです。ほとぼりが冷めた頃、何食わぬ顔で戻って来て、また山吹を惑わすに違いありません。」
露音の言っている事は、勝手な思い込みだが、そう言われると気になるところもある。
「確かにアカゲラは生きているのだろうな。」
乱の後の一縄屋敷に谷子呂の姿は無かった。郎党から報告のあった郷巻の間者のユニ族の遺体も消えたと言う事は、谷子呂はまたも自分の意思で姿を消した事になる。
「あのバケモノが纏わり付いているから、山吹は幸せになれません。姿をくらましても、見えないあいつの生霊が山吹を狂わせているのです。あいつが消えてからと言うもの、山吹の感情の起伏が激しいのをご存知ですか?いつぞやは、馬に飛び乗って狗と走る騒ぎまで起こして。」
乱のすぐ後、山吹が突然馬を駆って狼の群と里を走り回った騒ぎは宇木正も知っている。宇木正は娘の能力を知っているから、その騒ぎは山吹が狼を呼び寄せる声を発したためだと思っている。騒動の後、宇木正が山吹に問い質したところ、『鳥に驚いて思わず高い声を出してしまった。これに狗が応えてしまったため、騒ぎを大きくしないために狗を竹林に導いて収めた。』と言った。話の筋は通っている。だが、驚いて高い声を出してしまう事などあるのだろうか。今まで一度だってそんな事は起きなかったのに。山吹は、『気を付けていたから今まではそんな事が起きなかっただけ。』と言ったが、釈然としない。
「あいつが戻って来る前に、山吹を都に連れて行って下さい。」
露音は、いつまでも煮え切らない宇木正に向けて、はっきりと言う。
「そうだな。」
宇木正の決意した表情に、露音は満足気な笑みを浮かべた。
都行きを決めるならば、郷巻に仁義を切らねばならない。宇木正は直ぐに興嶽の屋敷まで馬を飛ばす事にする。
支度をして馬を牽き出しているところで、宇木正は山吹に呼び止められた。
「父上、どちらへ。」
馬の傍らで山吹と宇木正は顔を合わせる。
「棟梁に会いに行く。」
何も隠す必要はない。
「父上と私が都に参るのでしたら、一つお願いがあります。」
「まだそうと決めた訳ではない。」
「では、もし都に行く事になった折にはと言う事で。…聞いて頂けますか?」
どうせ、厄介な要求を出して、父親を困らせようと言う魂胆だろう。
「言ってみろ。」
「私共が都に向かう間中、旅の安全を悟正様に祈祷して頂きたいと思います。」
想像もしない内容で、宇木正は面食らう。
「あの修行僧か?」
「はい。そのために竹林の館を使わせてはもらえませんか?それと、私が居ない間、私付きの下女は役がなくなりますので、悟正様の世話をさせたいのです。」
娘がこんなに信心深いとは思えない。一体何を企んでいるのか。
「お前は、都に行きたくないのではないのか。」
「はい、行きたくありません。」山吹はあっけらかんと答える。「でも、どんなにだだをこねたところで、自分の力で変えられないものは致し方ありません。せめてつつがなく事が進むよう、できる事はやっておこうと思います。」
山吹は目を伏せる。
覚悟を決めたと言う事か?それとも溺れる者が藁をも掴むかの様に、最後は神頼みで自分が無事に帰って来られる様に祈らせたいのか?いずれにしても、あの頼りなさそうな僧侶に大それた事ができるとは思えない。
「それで後悔はないのだな。」
宇木正は山吹の反応を確かめる。
「はい。私は笠階宇木正の娘ですから。」
山吹は微かに笑みを浮かべた。
悟正は、一縷の可能性に賭けて、もう一度、宇木正の説得を試みた。
「行くしかないでしょう。」
宇木正は既に覚悟を決めた顔をしている。
「もう少し考える余地は無いですか。人生には幾度か大きな岐路がやってきます。今、宇木正殿と山吹殿は運命の岐路に立っていると思います。」
「私は、昨日、新しい親方に会いに行ってきました。勅使が笠階に来ている事は、どうせ知られている。黙っていても良い事はありません。帝に呼ばれて行くのは、望んだ事ではないと伝えました。」
「郷巻殿はなんと?」
悟正は恐る恐る訊く。
「何とも。」宇木正は自嘲気味に笑う。「ふんと言ったきり、何も話してくれませんでした。」
「そうですか。却って恐ろしい気がします。」
「どうなるか分かりませんが」宇木正は気を取り直して、明るく言う。「これで筋は通しました。自分にやましい所がなければ、大丈夫でしょう。都に行って帰って来たら、暫く謹慎のつもりで屋敷に籠ります。」
「山吹殿はどうしますか?」
「これは諦めるしかない。本当は、郷巻一族との縁組をと考えていたのですが、進めた所で、戻って来られないのなら、断らなければならない。婿探しは終わりにします。」
「それで良いのですか?一人娘じゃないですか。」
悟正は悲しい目で宇木正を見る。
「運命ですよ。いや、罰が当たったのかも知れない。裏切った者には、結局それなりの報いがあると言う事でしょう。」
悟正は想像する。山吹が都に行けば、帝の側室にさせられる。初めの内は帝が興味を持つから、きっと子を生すだろう。そうすれば、宇木正はそれなりに出世する。宇木正本人が望まなくても、そうならざるを得ない。官位に就けば、郷巻興嶽との主従関係は破綻するだろう。そして生まれた皇子は、身分の低い女が産んだ子として、おざなりに扱われる、自分の様に。誰一人幸せにならない。そんな未来に向かって突き進むしかないのか。
悲しい目をした悟正に、宇木正は悲しい笑顔で応えた。
笠階宇木正と山吹は、勅使が来てから十五日後に、勅使一行と都に向けて出発した。
「どうか、よろしくお願いします。」
出発間際、一人残る悟正に山吹は念を押す。
「分かりました。安心して下さい。」
実際は不安でいっぱいだ。山吹の未来を左右する重大な役割を担ってしまった。だがこれも自らが蒔いた種が原因だ。下腹に力を入れて踏ん張って笑顔を見せる。今は、山吹の不安を少しでも和らげてやるしかない。
悟正は、馬に揺られて遠ざかる宇木正と山吹の姿が見えなくなるまで笑顔で見送り、最後に手を合わせた。




