後始末 その一
十一 後始末
笠階宇木正の乱から数日後、夜中、寝ていた郷巻興嶽がふと目を醒ますと、枕元に男が座っている。興嶽は驚いて飛び起きた。
黒い衣装に渦巻く黒い髪。
土蜘蛛か?…いや、違う。土蜘蛛よりは少し小柄に見える。
「話がしたいだけだ。」
谷子呂は目覚めた興嶽に声を掛ける。
「ならば、何故こんな夜更けに忍んで来た。」
興嶽は恐れる素振りを少しも見せずに、気丈に応える。
「そうでもしなければ、会えないだろう。」
興嶽は、谷子呂の瞳を見つめる。そこに殺気は感じられない。
太刀は…
興嶽は、就寝時、いつも手の届く場所に置いている太刀の在り処に視線を飛ばす。そこに在るべき太刀は無い。視線を巡らして探せば、谷子呂の後に置かれている。
興嶽は覚悟を決める。
「俺の命は、もうお前の手の内にあると言う事か。…それで、何を話したい。」
「昔、ユニ族の村が焼き討ちに遭ったのを知っているか。」
「なんじゃ、古い話だな。詳しいのは、正虎…、そうだな、もう死んだか。」
「知っている事を教えてくれ。」
「知ってどうする。」
谷子呂は答えない。
「ふん。俺も知りたい事がある。それに答えてくれたら、教えてやろう。」
谷子呂の反応を見る。無表情だが、拒否してはいない。
「お前、以前にもこの屋敷に忍び込んだろ?」
「いつの話をしている。」
「あれは、澤の郷曲輪の合戦よりも前…。そうか。俺が気付いていないだけで、何度もこの屋敷に忍び込んだって事か。」自嘲気味に興嶽が笑う。「そう言えば、合戦の時、俺に切りかかって来たのもお前だな?」
谷子呂は答えない。
「ふん、一縄の手先になって働いていながら、今更ユニ族の村の話を俺に訊きに来るとは…、ああ、そう言う事か。それじゃお前、土蜘蛛の弟か。道理でそっくりな訳だ。」
興嶽は、また一人ほくそ笑む。
「質問はそれだけか。」
「また、思いついたらする。」
「知っている事を教えてくれ。」
「まあ、良いだろう…。あれは、随分昔の事だ。親父が生きている頃だから、二十年くらい前になるか。百足原で郷巻と一縄の合戦があった。負けたのは一縄だ。這う這うの体で逃げ帰った一縄勢の中で離反があった。丁度、今度の騒動の様に。その時は、離反を起こす前に露見した。親を亡くし、まだ少年でしかなかった正虎だったが、離反を事前に鎮圧しおった。離反者は逃亡した。それから何年も時が過ぎた。一縄勢が正虎の元で結束を取り戻した頃になって、その逃亡者を助けた罪で、正虎はユニ族の村の焼き討ちを命じた。」
「逃げて来た奴など助けていない。」
「本当の所は知らん。ただ、正虎はそう考えていた。ずっと、恨みに思っていたのだろう。」
「そんな…」
初めて谷子呂が戸惑いを見せる。
「理不尽か?」
「…それで、誰が実際に村を焼いたんだ。」
「さあ、それは知らない。一縄の中の事だ。そこまで俺達には分からない。」
「そうか…」
谷子呂は俯く。
「お前の兄に訊かなかったか?」
「訊いた。」
「何と言っていた?」
「笠階宇木正。」
「ならば、そうなんだろ。お前、土蜘蛛に会えたんだな。土蜘蛛はどうしている。」
「死んだ。」
興嶽の動きが一瞬とまる。
「…そうか、死んだか。」
興嶽は遠い目をして肩を落とす。
「何故、兄貴は郷巻の手下になっていたんだ?」
「手下と言うのとは、少し違う。俺盟友みたいなものだ。…最初に会ったのは、そのユニ族の村の焼き討ちがあってから数日後だった。うちの郎党が、領内で怪しい子供を捕まえて、俺の親父の前に連れて来た。それが土蜘蛛だ。本当の名前じゃない。本当の名前は、もっとこう、変な発音の…」
「山保呂だ。」
「そう。そうか、そういう名だったな。土蜘蛛は、俺の親父が付けた名だ。その名でしか呼んでいなかったから、すっかり忘れていた。…それで、その焼き討ちから逃れて来たのだと知って、自由にしてやったんだが、郷巻の軍勢に加えてくれと言うんだ。腕を磨いて、仇を討ちたいと。それで、土蜘蛛…山保呂は、俺の側付きになった。俺とあいつは歳が近いのもあって、直ぐに仲良くなった。俺の方が五つ年上だ。あいつは、郷巻の中で武術の稽古に励み、仇討ちを果たすために自ら間者として活躍する事を望んだ。親父が死んで、俺が郷巻の棟梁になったが、あいつを自分の手下だと思った事は無い。あいつは、あいつの目指す物に向かって突き進んでくれれば、それで良かった。お前はどうして一縄の間者になった?」
「焼き討ちに遭った村で、笠階宇木正に拾われた。」
谷子呂は素直に応じる。
「そうか…。そりゃ、とんだ巡り合わせだ。…山保呂は以前、俺に村が焼き討ちされた日の事を話してくれたよ。弟より先に山から村に帰ってみると、村は武者達に襲撃されている最中だったそうだ。慌てて叢に隠れて、村の様子を窺っていると、次々に村の大人達が殺されていく。ある者は騎馬武者に追い抜きざまに槍で刺され、ある者は弓に射られ、女子供は雑兵の餌食となる。それから、次々に家から火の手が上がる。炎が赤鬼の舌の様にみるみる家を呑み込んでいったそうだ。あいつはその時、叢の隙間から垣間見た、武者の旗印と大将の顔を脳裏に刻み込んだ。村から逃げた者を探しに林に入って来た雑兵に追われて、必死で逃げる他無かったと言っていた。大将の顔が笠階宇木正だと言うのは、あいつが間者として一縄領に潜り込む様になってから判ったのだろう。」
「もう良い。」
谷子呂が声を絞り出す。
「そうか、そうだな…。」
興嶽は視線を自分の手元に落とす。谷子呂は立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「おい、これからどうするつもりだ。」
「本当に村を襲ったのが宇木正なのか」谷子呂は興嶽に背中を向けたまま話す。「もう少し調べる。」
「調べるって言っても、笠階宇木正に訊いたところで本当の事は言うまい。当てでもあるのか?」
「いや…。」
「もう一人、当時の事を知っている男がいるぞ。」
谷子呂が興嶽を振り返る。興嶽は、満足気に笑顔を見せる。
「土薙忠隆だ。あいつは、妻も子供も捨てて、一人北に逃げおおせたらしい。蝦夷の集落まで辿り着いて、隠れているそうだ。そんな男一人では何もできないだろうと、笠階宇木正は知っていながら追うつもりも無い。」
「済まない。助かる。」
「いや、良いさ。ついでにもう一つ。もし忠隆を見つけて、話が聞けて気が済んだなら、俺と一緒にやらないか。東国一の武者になって都に上り、腰抜け公卿共を震え上がらせてやろうぜ。」
「興味ない。」
谷子呂は即答すると、闇の中に姿を消す。興嶽は両眉を上げてつまらなそうな表情をした後、両手を投げ出して寝転がった。
谷子呂は夜の鷹ノ巣山を走る。常人には危険な山道も、ユニ族の谷子呂には容易い。岩や石がゴロゴロする足場をものともせず、飛ぶ様に先を急ぐ。そうして夜が明けないうちに人目につく事なく、笠階領に入った。
薄暗い竹林の中に身を潜める。日が昇り天中に達しても、竹林の中はなお暗い。積もった笹の葉の上に座り、周囲を窺う谷子呂以外、一人として通る者はいない。竹林の中にある館は、今は住む者も無く、風に枯葉が転がる音しかしていない。
谷子呂は徐に首から下げた小さな笛を取り出す。朱漆が塗られた小笛が、木漏れ日を浴びて掌で鈍く光っている。谷子呂はずっとそれを見つめていた。彼が次に行動を起こしたのは、日が西に傾き、周囲が茜色に染まり始めた時だった。谷子呂は意を決して、小笛を咥えると息を吹き込んだ。音が鳴ったかどうか分からない。音がしていたとしても、谷子呂には聞こえない。笛を吹いた後、暫く耳を澄ましていたが、何の変化も起きない。不安に駆られた谷子呂はもう一度笛を吹く。
遠くから狼の遠吠えが聞こえる。もう一つ、違う方向からも聞こえる。きっと、この笛の音が届いたのに違いない。
確信した谷子呂は、勢いよくもう一度笛を吹いた。
最初に谷子呂が吹いた時から、山吹にも笛の音は届いていた。笠階の屋敷の中で、山吹は耳を澄ます。
今のは、笛の音?え?本当に?
反乱の後、姿を消した谷子呂を案じて憔悴しきっていた自分が聞かせた空耳ではないだろうか。谷子呂が自分を呼んで連れ出してくれないかと、自分の中に押し込めていた感情が、こんな形で幻聴を引き起こしたのじゃないかと山吹は疑う。
「山吹様?」
山吹の異変に気付き、お付きの下女が怪訝な顔で問い掛ける。
「いえ…何でもありません。」
そう答えた時、再び笛の音が響く。
間違いない、笛の音!
遠くから狼の遠吠えも聞こえて来る。
山吹は一目散に厩へと走る。
「山吹様、どうなされました!」
背中で下女の声がするが、そんなものはどうでも良い。
「馬を借りるぞ!」
厩に着くなり、目に付いた馬の手綱をとって下人に告げる。何事かと下人がおろおろしている内に、馬を屋敷から引き出し跨る。
また笛の音。近い。あれは竹林に違いない。
山吹は馬を駆る。一通りの馬の扱いは、東国なら女性でも身に付けている。単衣の着物に裸足のまま馬に跨り走らせる。
「山吹様!どこへ!」
狼狽えている下人達は、あっと言う間に置き去りにされ見えなくなる。道を歩く村人達が疾駆する馬に驚いて道を空ける。馬上に茶色の長い髪をなびかせた若い娘が跨っているのを見て、更に驚いている。いつの間にか、狼の群が山吹の馬と並んで走る。里を走る狼の群など、まずお目にかかれない。走るうち、更に狼達が合流し、大きな塊になって竹林を目指す。竹林の入り口で山吹は馬を降りた。馬など放り出し、裸足のまま竹林の中の小径を走る。
「谷子呂!」
背の高い黒々とした男の姿を見付け、一散に走り寄る。山吹と共に大量の狼が迫って来る様に戦慄を憶えながらも、谷子呂は身構える。勢いを緩めずに飛び付いて来たのは、幸いにも山吹だけだ。勢いに圧され、倒れそうになるのを必死で踏ん張る。谷子呂は山吹の顔を見ようとするが、しっかりと抱き付いて離れない。
「笛は聞こえたんだな。」
「そうでなけりゃ、ここに来ない。」
「誰かに怪しまれなかったか?」
「きっとすっかり怪しまれている。」
びっくりした谷子呂は、強く抱き付いたままの山吹を何とか引き離して、その顔を見る。顔いっぱいの笑顔で谷子呂を見ている。
「そんな、大丈夫なのか?」
「知らない。そんな事はどうでも良い。」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ。」
「だって、谷子呂が私を呼んでくれた。」
「聞いてくれ、山吹に話したい事が有る。」
喜色満面の山吹と対照的に、谷子呂は思い詰めた顔をしている。山吹はそれに気付いて、不安になる。
「何?何の話?乱の後、姿が見えなかったから心配した。」
「済まない。どうしてもはっきりさせたい事がある。」
「大事な事なの?」
「ああ。とても大事な事だ。それをはっきりさせるために、暫く北へ行って来る。」
「北?どこまで行くの?私も連れて行って。」
「駄目だ。女の足では危険だ。用事を済ませたら、必ず戻って来るから。」
「いつ?いつ戻って来るの?」
「分からない、そんなに遠い先の話じゃない。きっと春には戻って来る。」
「そんなに遠く…。今は未だ夏よ。私は、そんなに待てないかも知れない。」
「どういう事だ?」
「父上がきっと縁談を進める。もう会えなくなってしまうかも…」
谷子呂の眉間にしわが寄る。
「俺の仇が、山吹の父親かも知れない…。それでも、お前は俺を選ぶか?」
山吹は即座に頷く。
「そんな事で変わらない。私は谷子呂について行く。」
「ならば、できるだけ早く帰って来る。そして、この場所でもう一度笛を吹く。必ず、必ずやって来てくれ。そうしたら、もう山吹を離さない。」
「この笛の音が届けば、どんな困難があっても必ず谷子呂の元に行く。忘れないで、私の気持ちは変わらない事を。」
谷子呂は山吹の目を見て頷く。
「もしも…、もしもだけど、笛の音が聞こえても、私が自由に動けなかったら、谷子呂は見付けてくれる?」
「勿論だ。必ず探し出してやる。」
「どうすれば良い?『私はここ』って知らせるにはどうすれば良い?」
少し考えてから、谷子呂は力強く言葉にする。
「真夜中に明かりを掲げろ。どんなに小さな光でも良い。俺の目なら必ず見付けられる。この笛の音が聞こえてから、何日経っていても良い。俺は、笛を吹きながら、ありとあらゆる場所を探してやる。」
山吹はゆっくりと頷く。
「必ず戻って来て。」
今度は谷子呂が頷く。
「俺には山吹しかいない。」谷子呂の言葉に力がこもる。「最初から、俺には山吹しかいないんだ。だから…」
「必ず私を見付けて。」
山吹を谷子呂は抱きしめる。
「きっと、この子達が教えてくれる。」
山吹は体を離すと、二人を取り囲んで竹林を埋め尽くす狼の群を見回す。
「こいつらは?」
谷子呂も自分の足元に群れる狼達を見回す。
「笛を吹く者に付き従う。谷子呂が笛を吹けば、この子達が谷子呂を守ってくれる。」
山吹はそう言って微笑むと、もう一度谷子呂に抱き付いた。




