あざなえる縄 その三
悟正は、再び東国の街道を郷巻領に向けて歩いていた。
「東国の動きは面白い。負けた一縄が尻尾を巻いたままで居るとは思えない。お前はまた東国へ下り、続きを見聞きして持ち帰り、余に話を聞かせてくれ。」
山寺で会った帝は、ニヤついた顔で悟正にそう言った。全く、言うのは簡単だ。だが、東国まで下るのに、どれだけの労力が必要で、そのうえ何の関りも無い一介の修行僧に過ぎない身の上で、情報を集めるのがどれだけ大変な事か、分かっていないくせに涼しい顔で言われると癪に障る。悟正には、卓越した身体能力も、剣の腕も無い。衣の下は、骨と皮ばかりの肉体だ。ましてや、頼れる情報源になる知り合いも東国には居ない。
さて、どうしたものか…。
思案した挙句、直接郷巻興嶽と一縄正虎夫々と会い、どんな人物で何を考えているのか探ろうと思い立つ。直接、会って話をすれば、きっと何かしら得るところがあるだろう。悟正は、廃れて久しい国分寺の再興のため、勧進を行なっていると言う名目で、夫々の屋敷に乗り込んでみる事にした。
まずは、勝った郷巻から。
悟正は、埃だらけの墨衣を纏い、擦り切れたわらじを履き、網代笠を被り、片手に錫杖、もう一方に鉢を持って、郷巻の屋敷の門の前に立った。
「おい、お前は何だ?」
すっかり見下した態度で門番が声を掛けて来る。
「郷巻興嶽殿にお話しがあります。」
「なにぃ?坊主が、親方様に何の用だ。出鱈目を言うんじゃない。帰れ帰れ!」
「出鱈目など言っておりません。用事が無ければ、訪ねて参りません。取り次ぎお願い申す。」
少しも悪びれる素振りを見せない悟正の態度が、門番は気に入らない。
「お前の様な汚らしい坊主が来る話など聞いていない!痛い目に遭わないと分からないなら、教えてやるぞ。」
「それは勘弁願いたい。郷巻殿は寛容なお方とお伺いしておったが、勘違いでしたか。或いは、上の方の思いが下々まで浸透していないと言う事でしょうか。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや…」
「この野郎、口が減らない坊主だ。」
門番は手にした槍の柄で、悟正の足を叩く。難しい事を口にされると、門番ごときに分からないだろうと馬鹿にされている様に思えて、尚更悟正が憎たらしい。
「痛たたた…」
悟正は少し大袈裟に、叩かれた足を庇ってその場にうずくまる。その背中を門番の槍の柄が再び叩く。
「こら!何をしている。」
通りかかった郎党が、坊主を槍で叩く門番の姿を見付けて駆け寄り、門番を制する。
「何があった?」
郎党は門番に尋ねる。
「こいつは」門番は足元にうずくまる悟正を指差す。「親方様に話があるとか、いい加減な事を言う怪しい奴なので、追い返していた所です。」
「追い返すにも、やり方が荒いだろ。お前が一方的にお坊様をいじめている様に見えたぞ。」
門番は、不満そうに口を尖らせて黙り込む。
「お坊様、怪我をなされていないか。」
悟正はゆるゆると立ち上がり、墨衣の裾をはたく。
「ええ、大丈夫です。それにしても、血の気の多い門番を置かれておられる。」
「痛み入ります。門付けをしておられる最中でしたか?」
「いえ、今回は、国分寺を復興するための勧進を行なっておりまして。是非、郷巻興嶽殿にもお話を聞いてもらいたいと思い、参上つかまつりました。」
「そうですか…。」郎党は思案顔になる。「さて、親方がお会いされるかは何とも言えませんが…」少し考え込んでから言葉を足す。「ま、話を通してみましょう。それまで、部屋でお待ちください。もし、会わないと言われたら、手ぶらでお帰り頂く事になりますが、それでも構いませんか?」
「ご配慮頂きありがとうございます。元々、会えるかどうかは、私の運次第と決めております。お取り次ぎ頂ければ、幸甚にございます。」
悟正は深々と頭を下げる。
郎党に連れられて、悟正は屋敷の中に入った。郎党が寝起きする小屋があり、その先には広い庭がある。その更に奥に幾つかの離れを伴った大きな母屋が現れる。郡司を務める家柄、流石に立派な屋敷だ。
「ここで待たれよ。」
通された板の間の円座の上に座り、悟正は一人残された。勝手に動き回る訳にはいかない。怪しい者だと疑われ、折角信用して通してくれた郎党の顔を潰してしまう。座ったまま、頭を巡らして、部屋の中を観察する。漆喰壁で囲まれた、何の変哲もない部屋だ。特に興味をそそられる様な物も置いてない。外から聞こえる音に耳を傾ける。男達の声が聞こえるが、ぼそぼそと聞こえるばかりで、何を言っているのかまでは聞き取れない。ただ、複数人の男がいるのは声色の違いで判別できる。きっと郷巻の屋敷の中には、意気軒高な男達がひしめいているのだろう。
上り調子の時には、良き事が自然と寄って来ると言う事か。
悟正は一人含み笑いを浮かべる。
半分以上諦めていたが、意外にも郷巻興嶽は、直ぐに姿を現した。
「俺に用事があると?」
見るからに良い生地の着物を着込んだ男が、いきなり部屋に入って来るなり悟正の正面に座る。武将にしては小柄で痩せている。切れ長の目、顔の中央を占める大きな鼻がやけに目立つ。細い目の奥の瞳は、人を冷徹に峻別する粘り付く視線を繰り出してくる。
「拝謁を賜り恐縮です。」悟正は丁寧に両手をついて頭を下げる。「私、悟正と申す修行僧にございます。東国一の権勢を持つと噂の郷巻殿にお会いできて光栄です。」
「ふん。」興嶽は鼻であしらう。「前口上はそのくらいで良い。要件は何だ。」
「東国の国分寺が建立されてから幾百年。はや、その威容は廃れ、往時を偲ぶ姿もございません。仏法を広める帝の貴い志はまだ実現されていません。今一度、東国の国分寺を再興すべく、勧進を行なっております。是非、郷巻殿にもご賛同頂ければと思い、参上致しました。」
「ふん。」つまらなそうな顔をして、そっぽを向く。「要件はそれだけか。」
恐らく、興嶽の機嫌を損ねたのだろう。金の無心に来ただけの乞食坊主に、良い顔をする必要は無い。今、興嶽は何の警戒も無しに、素の己を晒している。
「はい。」
悟正ははっきりと返事をする。
「それだけ堂々と申すのだから、信用に足る物があるのだろうな。」
「これは、話が前後してしまい、申し訳ありません。今回の勧進を始めるにあたり、都の山寺の法主より一筆頂いて参りました。」
悟正は懐から書状を一つ取り出す。それを興嶽の方から見て読める向きで自分の前に広げると、興嶽に向かって押し出す。興嶽は、それを取り上げようともせずに、座ったまま、遠目から紙面を眺める。白い紙の上に、毛筆で何やら書かれている。遠くから見たら、気紛れに紙の上で筆を走らせてできた子供の悪戯書きにしか見えない。唯一、左下に朱印が押されている書き込みが、書いた者の署名だろうと判る。
「国司の獅子尾麻呂殿にお見せしたところ、是非にも進めようと言う話になり、こうして私が参った次第でございます。」
「そうか、御坊は国司の獅子尾麻呂様とは知己なのか?」
「はあ、まあ…」悟正は毛の無い頭を掻く。「それ程良く知っていると言う訳ではありません。獅子尾麻呂殿が都におられた時、何度か顔を合わせた事が有る程度です。」
獅子尾麻呂とは出家前に内裏で出会っているのだが、今そんな事を言う訳にはいかない。
「成る程…。」興嶽は悟正を見ながら、頻りと顎を撫で回す。「少し待たれよ。喜捨の準備をさせる。それを持って、帰られるが良い。」
「あの…」
言い捨てて立ち上がろうとする興嶽を、悟正は呼び止める。
「ん?まだ何かあるか?」
「ご賛同頂いたお礼と言う程の事でもないのですが、郷巻の一層の繁栄を祈祷致したいと存じます。ついては、御領内で然るべき場所をお借りできないでしょうか。」
「それは、それは。」興嶽の言葉に感情はこもっていない。「ならば、我が一族の菩提寺ではどうかな。郷巻の里を見下ろす山腹にある。話を通しておくから、如何様にも使うが良い。」
「ありがとうございます。」
悟正は再び、丁寧に頭を下げる。
「ならば、俺からも一つ問うて良いか。」
浮かしかけた腰を据え直して、興嶽は身を乗り出す。
「なんなりと。」
「御坊が我が一族の繁栄を願って祈祷してくれると言うならば、敢えて訊きたい。知っていると思うが、この地は長らく郷巻と一縄と言う二つの勢力が争ってきた。常に争いを仕掛けて来るのは一縄だ。争いがあれば、人々の暮らしが脅かされる。現に、二年前に起きた澤の郷での合戦の際も、青田が踏み荒らされて実りの無い年になり、農民は食う物に難儀した。争いを大きくすれば、それだけ苦しむ者が増える。だから、これまで郷巻は一縄の思い上がりに灸をすえるに留め、共存の道を選んできた。ところがどうだ。ほとぼりが冷め、勢いを取り戻せば、必ず一縄は戦いを挑んで来る。これは全く国を治める者の心を知らぬ、いや、仏教の教えを解さぬ外道ではないか。」
「民の苦しみを理解せず、己の煩悩に惑わされる者は、仏の道を理解していないと言えましょう。」
悟正の、興嶽の言い分を肯定するかの様な発言を聞いて、興嶽は満足気な顔になる。
「いくら教えても分からぬ者が、今は勢いを削がれて大人しくしているだけの事。いっその事、打ち滅ぼしてしまう方が後顧の憂いを断てると思うが、間違っているか。」
興嶽の目は、鋭く悟正を捉えている。少しでも付け入る隙を見せれば、一気に押し切られそうだ。悟正は目を閉じ、小さく深呼吸をする。興嶽は言葉を発さず、悟正の返答を待っている。
「後顧の憂いとは、一体何を指すのでしょう。」
再び目を開けて、悟正ははっきりを言う。
「分からぬ筈は無いだろう。今、話して聞かせた通りだ。」
「起きるとも、起きないとも分からない、明日の出来事を憂うのは何故でしょうか。憂いの元は外に在らず、己の内にございます。」
「お前は、俺を煙に巻くつもりか。」
「いいえ。心の憂いを取り除きたいと願うならば、そしてそれを仏の道に求めるのならば、他者に求めるのではなく、己の中に答えがあるかと存じます。」
「俺の中にどんな答えがあると言う。」
興嶽の悟正を見る目が更に険しくなる。
「さて、それは未熟な私には見通せません。ただ、人の憂いは煩悩より発すると申します。郷巻殿の中の煩悩の克服に励みなされてはいかがでしょうか。」
「くだらん!」興嶽は勢いよく席を立つ。「武士が煩悩を捨てて、何が残ると言うのだ。」
腹を立てて部屋の出口に向かう興嶽の背中を、悟正は涼しい顔で見送る。興嶽は、板戸の前で立ち止まり、悟正を振り返る。
「菩提寺には申しておく。精々、俺のために祈祷してくれ。」
手荒に板戸を開けて、興嶽は姿を消す。悟正は一人部屋に残り、誰かが呼びに来るまで、じっとそこに座っていた。




