再会
「あっ、矢島のおじちゃんだー、ほらほら」
と言いながら利奈の細い手が俺の腕を引いた。珍しいものを見たかのようにテレビ画面を指差している。何の因果か、俺は娘と二人で結婚式のDVDなどを見る羽目になってしまっていた。
ほんの二時間ほど前、夏美がゴールデンウィークに地元の同窓会があるからというので送り出したばかりだ。
共稼ぎでそれなりに子供の世話には慣れているとはいえ、泊まりで母親がいないのは娘が六歳にして初めてなので正直不安だ。が、子供も小学生になって手がかからなくなってきたし、たまには息抜きも必要だろうと格好をつけてしまった。
そうだ、それで結局何をしていいか途方に暮れてしまった俺は、暇つぶしに二人で映画でも見ようかと思って棚を開けたのだ。そしたら娘がそれを見つけて……結婚式のDVDだと言ったら、見ると言って聞かなくなってしまった。やっぱりウエディングドレスとかいうと、女の子の憧れなんだろうか?
見返しても結構退屈な儀式だったりもするのだが、娘にとっては親戚や知った人の姿を見るだけでも楽しいようだ。俺自身も、退屈とはいえ過去を思い出して懐かしさは感じている。
画面の向こうでスピーチをしている若かりし矢島をぼんやりと見つめながら、そういえば本当に有言実行な奴だなと振り返る。
あの病室での矢島の言葉が、俺達を前に進ませたのは間違いない。ありがとう、なんて恥ずかしくて面と向かっては言えないが。
画面に映るあの頃のままの顔を見て、まるでつい最近のことのようにありありと思い出してしまい、ため息が出た。
「お父さん、救急車がキューピッドってなに?」
初めて見る両親の結婚式に目をキラキラさせながら、利奈が振り返って聞いた。
スピーチでは、救急車の赤い糸ならぬ赤いパトライトがキューピッドとなり、彼と夏美さんを結びつけたと言っても過言ではありません、とか朗々と語っている矢島がいた。二人の絆はダイヤモンドよりも硬くとか、永遠の愛を誓ってとか、恥ずかしいことを堂々と言う奴だ。時折映る壇上の俺は赤面してじとっとした目で彼を見つめており、夏美はわずかに困ったような笑顔を浮かべている。ちらっと映った結城や永沢の笑いをこらえた顔を見て、今更ながらにあれはわざとだな、と気が付いた。
「そうだなー、まあ、お父さんとお母さんが結婚する前、ちょっと色々あってね、お父さんが倒れちゃってね……」
その後の余興で、パソコンには詳しいと自負する結城が気合を入れた馴れ初めDVDを編集し、大学のサークルメンバー数人の熱演によって当時の飲み会の風景は再現された。ちなみに夏美役がイケメン永沢の女装で。大型スクリーンでの上映で会場は笑いに包まれ、夏美も俺も画面の中で照れながら笑っていた。「これこれ」と俺は説明を省いて利奈に画面を指し示す。笑いとドラマ性について脚色はあるが、大筋は間違いがない。
「お母さんが助けてくれたんだー。でもこのお母さん変!だって男だもん!」
けらけらと笑う利奈の横顔を見て、俺もほほえましくなって思わず笑みがこぼれる。いつの間にか利奈の手足はすらっと伸びて、顔つきも少しずつ子供から少女へと変わってきている。DVDの中に映る俺達を見て、もう結婚してからこんなに時間が経ったんだな、と思いを馳せた。
一度狭心症で倒れた俺は、今も服薬が欠かせない。当時、身体のためにと別の仕事を探し、時間的余裕ができた代わりに収入は減った。そのうえ病気であるリスクを知りながら、彼女は俺と結婚しようと言った。引け目があって俺からは言い出せなかったのに。
情けないな。でも今は、幸せにできているかな。
新鮮な気持ちで思い出す。あの頃の、夏美と支えあって生きていこうと決めた頃のことを。
新婦からの手紙のシーンで涙を浮かべる夏美を見ながら、利奈もうるうると目を潤ませている。
俺の緊張した面持ちでの花束贈呈シーンを見ると、あの頃はとにかく相手の両親が怖かったことを思い出した。別に嫌な人達だったわけではなく、俺自身に引け目があったのと、最初はやはりその点で結婚を渋られていたことが大きいだろう。今は孫もいるせいか、すっかり歓迎モードに切り替わったが。
エンドロールが流れ、画面には披露宴のハイライトが映し出され、切り替わっていく。
アー面白かった! と利奈が寝転がって大きく伸びをした。
「私もあんなドレス着たいなー」
「いつか着れるよ」
とか言いつつも将来の彼氏を想像して複雑な気持ちになる俺はいわゆる親バカってやつだろうか。
「でもさー、お父さんの友達面白いよねえ。矢島のおじちゃんみたいな人とケッコンしたいなー」
「えええ?」
あまりの台詞に思わず声が裏返る俺。こんな娘の他愛のない一言に動揺してしまう俺も未熟だが、つい嫉妬心を覚えてしまう。たまに遊びに来て相手をしてくれるからって感化されてしまったようだ。後で夏美にも報告しておこう。
「忘れ物をしたんだ、それは……君への愛だ!だって。あははっ」
仰向けになったままの利奈が、余興のDVDの台詞の口調を真似て一人で笑っている。
俺が飲み会に行って、用事を思い出して慌てて帰ったという話は、DVDでは婚約指輪を取りに行ったという話に脚色されていた。そして指輪を渡してそのまま力尽きたという……。この話は半分フィクションですと断って作成されていたもので、もちろん実際そんなことはなかった。その時は夏美に全然気がなかったのだから。
なんで俺が帰ったのか、俺自身すっかり覚えていないのもおかしな話だが、いくら考えてもそこだけが抜け落ちていて答えが出ない。もやもやするが、きっと鍵を閉め忘れたとかあまりに他愛もないことだから思い出せないんだろう、と今は思っている。
思えば、今こうして結婚して子供がいるのもそのお陰なわけで。その一件が俺の人生を変えたと言っても過言じゃない。今考えても不思議な出来事だ。神様の仕組んだいたずらなんだろうか。
「ねーねーなんか遊ぼうよー」
ひと通り笑い転げた利奈が、むっくりと起き上って俺の袖を引っ張っている。何をしようかと考える、が、俺は屋内で延々と同じ遊びの相手をするのは結構苦手だ。じゃあこれしかない。
「そうだな、じゃあ外に散歩でも行くか、それで、夕飯の買い物でもしよう。今日はそうだなー、パスタでも作るか!」
「いいけど、お父さんが作るのっていつもパスタばっかり」
「得意料理だと言ってくれ」
「はいはい」
DVDを片付け、財布とエコバッグが入ったボディバックを担いだ俺の後に、生意気な口を聞きながらも嬉しそうな顔の利奈が続く。
「利奈、しばらく歩くから、先にトイレ行っとけよー」
ドアを前にして振り返る。子供ができてから引っ越した2LDKのアパートは、夏美一人がいないだけでも随分と広く感じた。
準備を終えてパタパタと駆けてきた利奈は、キラキラのサンダルを履くと、俺よりも先に五月晴れの空の下へと駆け出して行った。
外は爽やかなそよ風の吹く快晴で、まさに散歩日和だった。閑静な住宅街に建つこのアパートからスーパーまでは、のんびり行って帰ってくるのにちょうどいい距離だ。途中に神社に併設された小さな公園もあって、夏美も何度か利奈を連れて訪れたことがあるらしい、帰りに寄れば夕方まで時間をつぶせるだろう。いつもはアパートのすぐ近くの公園で遊んでいるのだが、時間のある時だ、たまに趣向を変えてみるのもいい。まだ日も高いことだし、スーパーについたらおやつでも買って公園のベンチで食べようか、なんて考えながらゆっくり歩いている。
利奈はパタパタと走って、雑草の中に少しきれいな花を見つけては、摘んで俺の元へ見せに来る。
「きれいでしょ、これなんて花かな」
「いやあ、なんだろうな?」
さっぱり答えられない俺だが、こういう時、夏美ならどう返事をするのだろう? そう考えてみるが、とうの利奈は聞いてみたもののそれ以上追及することもなく、次の花を探しに行く。歩き始めて二十分も経たないうちに、すでに左手に小さな花束が出来上がっていた。
神社の近くに差し掛かり、公園で遊びたくてうずうずしている利奈に「おやつを買った後でね」と言うと、おやつの言葉に惹かれたのか、素直に「はーい」と返事が返ってきた。が、その後、利奈の様子が少し変わる。
「なんかバナナみたいなにおいがするー」
匂いを嗅ぐように目を細めて大きく息を吸い込みながら、利奈が神社の方角へと誘われるように向かっていく。
「甘いにおい、なんだろう?」
この香りには覚えがあった。以前住んでいたアパートの近くにも植えてあって、五月中旬ごろになるといつもこんな甘い香りを漂わせていたっけ。今年は少し咲くのが早いな、あの時みたいに。
「これ……そうだ。唐種招霊、っていうんだよ確か」
「カラタネオガタマ?」
花の名前には疎い俺だが、なぜかこの名前だけはぱっと思い浮かんだ。どうしてだろう?
「そう。誰かに教えてもらったんだ。誰だっけかな。その人の家にも植えてあるって……」
誰か。確かに聞いたはずなのに、その誰かの姿が、抜け落ちたように思い出せない。
考え込んでふと目を離した隙に、利奈がふらっと神社の入り口に向かって行ってしまった。顔を上げた俺は、それに気が付いて慌てて追いかける。公園に入ってしまってからでは、買い物に行こうと遊びを止めさせるのが大変になる。
塀の奥へ見えなくなった利奈を追いかけて神社の入り口の鳥居をくぐると、石畳の中央で、呆然と木を見上げるように佇んでいる利奈を見つけた。その両手は力なく垂れ下がって、先ほどまで集めていた左手の花は、石畳の床の上に散らばっている。
さっきまで無邪気に発散させていたパワーが一気に大人しくなって、利奈は静かに、ただ立ち尽くしていた。
様子がおかしいことに気が付いて、俺は駆け寄る足を止めて、数歩離れたところから声をかける。
「利奈?」
しばらくの間を置いて、利奈は口を開いた。
「……健治さん……」
それは、今までに聞いたことがないような静かな声で。
肩までの髪をなびかせて、静かに、そっと振り返る。
その姿が、誰かの姿と重なって見えた。
白いワンピースから伸びる細い手足。
透き通るような白い肌、長い黒髪。
その瞬間。抜け落ちていたすべての記憶が、とめどもなく溢れ出すように俺の心に甦る。
喉元から零れ落ちそうになるたくさんの言葉は声にならず、ただ一言だけ、絞り出すようにその名前を呼んだ。
「……ユイ?」
それを聞いて、目の前にいる彼女は、今まで見たことがないような大人びた微笑みを浮かべて俺を見つめ返した。
あの時、あの失った記憶の日々に、いつも見せていた微笑みで。
どうして、俺を連れて行ってくれなかったの?
どうして、君は消えてしまったの?
ずっと一緒にいたかったのに。
胸が詰まりそうになるほど沢山の想いが心から溢れ出して、声にならずに消えた。
きっと、全ての答えはもう出ているのだ。
彼女が何者だったのか、どうして俺と一緒に生きようと言えなかったのか。今なら全部わかる気がした。
彼女は最初から……
崩れ落ちそうになりながら、それでもふらつく足で彼女の傍に行き、膝をついて、小さくなった彼女を抱きしめる。
記憶が波のように押し寄せて、不意に涙がこぼれる。
「お父さん? ……どうしたの? 泣いてるの?」
すっかり我に返ったらしい利奈が、すがるように抱きつく俺を見て不思議そうな声をあげた。
俺は涙を拭って、利奈に向かって笑顔を見せる。
「なんでもないよ」
それから、きょとんとしている彼女に向かって、こう付け加えた。
「……生まれてきてくれて、ありがとう」
再び出会えてよかった。
生まれ変わった彼女と、たとえ愛し合うことはできないとしても。
このお話はこれでおしまいです。
あとがきに続きます。




