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月の姫が国を去った夜〜婚約破棄されたのでお仕置きしてから月へ帰ります〜  作者: 猫が寝転んだ


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1/2

前編 満月の断罪

たくさんの小説の中から選んでいただきありがとうございます。

後篇は14時10分に更新します。

その夜は満月だった。


 雲一つない夜空には、まるで磨き上げられた銀盤のような月が静かに浮かんでいる。


 月明かりは王城の白亜の壁をやわらかく照らし、その光を受けた塔や尖塔は、昼間とはまるで違う幻想的な姿を見せていた。

 王都を囲む城壁も、石畳も、庭園の噴水も、淡い銀色に染まり、吹き抜ける夜風だけが木々の葉を静かに揺らしている。


 王家主催の夜会が開かれている大広間にも、開け放たれた窓から月光が差し込み、幾つものシャンデリアの輝きと重なり合って、会場全体を穏やかな光で包み込んでいた。


「こんなに美しい満月は久しぶりですな」


「ええ。まるで今宵の夜会を祝福しているかのようです」


 夜会へ招かれた貴族たちも、杯を片手に夜空を見上げ、その美しさへ自然と目を奪われていた。


 煌びやかなシャンデリアの光さえ霞むほどの月明かりの中、貴族たちは音楽に合わせて談笑し、杯を交わしていた。


 夜会の開宴からしばらくは、王族の入場を待つ談笑の時間となっていた。


 招かれた貴族たちは親しい者同士で杯を交わし、それぞれ近況を語り合っている。


 婚約者を伴って歓談する若い貴族の姿も少なくない。


 だが、その輪の中に第一王子レオンハルトとルナエの姿はなかった。


 王子がルナエをエスコートしないのは、今に始まったことではない。


 夜会があれば、王子は王族としての控室へ向かい、ルナエは一人で会場へ入る。それがいつしか当たり前になっていた。


 プリンキピッサ魔法伯家も同様だった。


 父や継母、異母弟妹は社交の輪へ加わっていたが、ルナエは彼らと行動を共にすることもなく、会場の隅で静かに開宴を待っていた。


 そんな穏やかな空気を裂くように、一人の青年が中央へ進み出る。


 第一王子、レオンハルト・ロワイヨーム。


 彼は広間の中央へ進み出ると、口元に小さな笑みを浮かべた。

 そして、用意してきた筋書きを思い返すように一度頷き、ゆっくりと広間を見回す。


「諸君、本日は皆に伝えることがある!」


 王子の声に、楽団の演奏が静かに止む。 あちこちで交わされていた談笑も途切れ、大広間は次第に静けさを取り戻していった。


 その王子の傍らに、美しい侯爵令嬢アミラ・アルクァマルが寄り添った。


 月光を受けて輝く銀色の髪。聖女と讃えられるほど整った容姿。

 豪奢なドレスを優雅に着こなし、穏やかな微笑みを浮かべる姿は、まさに絵画のようだった。


 少し離れた場所で、ルナエはその様子をどこか他人事のように眺めていた。やがて視線を窓の外へ向ける。


 雲一つない夜空には、丸く満ちた月が静かに輝いている。

 その光を受けるたび、白銀の長い髪は淡く輝き、紫水晶を思わせる瞳は静かな月を映していた。


 夜会にふさわしい礼装ではあるものの、必要以上の華美さを好まない装いの彼女は、月明かりの差し込む窓辺に立つその姿も相まって、賑やかな会場ではどこか浮いて見えた。


 その時、王子がルナエを指差した。


「ルナエ・プリンキピッサ!」


 会場が静まり返る。


「貴様との婚約を、本日この場をもって破棄する!」


 どよめきが広がった。

 しかし、その当人だけは驚きもしなかった。


「はいはい。婚約破棄ですか」


 ルナエは小さく息を吐く。


「喜んで、お受けいたします」


 あまりにもあっさりした返事だった。


 予想外だったのか、王子の眉がぴくりと動く。


「……なんだ、その態度は」


「あら、どういう態度をご希望ですの?」


「泣いて縋るくらいが当然だ!」


「残念、それは期待外れでしたね」


 淡々と返され、王子は頬を引きつらせた。

 だが、すぐに咳払いを一つ。


「皆も見比べれば分かるだろう!」


 王子はアミラへ手を差し伸べる。


「こちらのアミラを!」


 アミラは優雅に一礼した。


「美しく、気品に満ち、装いも常に華やかだ!」


 会場のあちこちから感嘆の声が漏れる。


「学園での成績も優秀! 魔力も豊富! 誰に対しても慈愛を忘れず、常に私を立て、支えてくれる!」


 アミラは恥じらうように目を伏せた。

 王子は今度はルナエへ向き直る。


「それに比べて貴様はどうだ! いつも気だるそうな顔をして、夜会へ出ても華やかさがない!」


 そこまで言われると、貴族たちの間からも小さな賛同の声が起こった。


「王子妃教育は何年経っても終わらず、学園も休みがちだ。そのうえ私が呼んでもすぐには来ない。

 ようやく来たと思えば、愛想一つ見せようとしない。このような女性に、この国の未来を託せるはずがない!」


 王子は堂々と言い切る。


「私はアミラこそ、この国の王妃にふさわしいと判断した!」


 会場には王子に同調する者もいれば、戸惑う者もいる。


 ルナエはゆっくりと視線を上げた。

 開け放たれた窓の向こうでは、雲一つない夜空に満月が静かに輝いている。


「……御心のままに」


 その声には怒りも悲しみもなかった。 まるで、この日が訪れるのを、ずっと静かに待ち続けていたかのような穏やかな響きだった。


 その一言が、なぜか会場にいた何人かの古参貴族の胸をざわつかせる。

 まるで、何か取り返しのつかないものを失おうとしている――そんな予感だけが、満月の夜に静かに広がっていた。


 王子の婚約破棄宣言に続き、広間には重苦しい静寂が落ちていた。

 誰もが、次に何が語られるのかを固唾を呑んで見守っている。


 第一王子は満足そうに頷くと、ルナエを鋭く指さした。


「婚約を破棄するだけでは終わらせないぞ!」


 その声に、会場が再びざわめく。


「ルナエ・プリンキピッサ。貴様は嫉妬のあまり、アミラへ数々の嫌がらせを行った!」


 アミラが悲しげに目を伏せる。

 それを見た貴族たちの間から囁き声が波紋のように広がっていく。


 王子は罪状を並べ長い銀髪は、風もないのにふわりと揺れ、その一本一本が月光を映して輝いた。立てていく。


「貴様は学園でアミラの机や教科書に落書きをし、教科書や制服を引き裂いた。

 そのうえ、水を浴びせて辱め、階段から突き落として危うく大怪我を負わせようとした!」


 そこまで言うと、広間の空気がわずかに張り詰めた。


 落書きや器物損壊だけなら、子供じみた嫌がらせで済むかもしれない。しかし、階段から突き落としたという話が事実であれば、もはや悪戯では済まされない。


 その違いを、この場にいる貴族たちはよく理解していた。


 王子は勝ち誇ったように言い放つ。


「このような悪逆非道を働いた以上、相応の罰を受けてもらう!」


 一拍置き、広間中へ響く声で宣告した。


「ルナエ・プリンキピッサを、鞭打ち百回。その後、生涯にわたる魔力搾取刑に処す!」


 その宣告に、会場は静まり返った。


 やがて、あちこちから戸惑いを隠せない低い声が漏れ始める。

 それは賛同の声ではない。 あまりにも乱暴な裁きに対する困惑だった。


 貴族同士の争いであれば、証拠を集めたうえで貴族裁判にかけられる。それが、この国の法である。

 王子であっても、その手続きを飛び越えて刑を言い渡す権限は持たない。


「……はぁ」


 ルナエは深くため息を吐いた。


「――殿下」


「なんだ。今更言い訳は聞かんぞ」


「貴族裁判にもかけず、その場で刑を決める。そのような無法が、この国でまかり通ると本気でお思いですか?」


 王子は鼻で笑う。


「その心配ならば無用だ――」


 胸を張り、自信満々に続けた。


「過去に遡って貴様の貴族籍を剥奪する!」


 広間が静まり返る。


「平民となれば、不敬罪で処断しても誰も文句はあるまい!」


 さすがに何人かの貴族が顔をしかめた。

 過去に遡って貴族籍を剥奪するなど、聞いたこともない。


 だが、誰も口を挟まない。


 ルナエは何も答えず、ゆっくりと父へ視線を向けた。

 父は目を合わせようともせず、わずかに顔を伏せている。


(……なるほど)


 ルナエは胸の内だけで呟く。


「つまり、父上はすでに了承済みというわけですね」


 王家から何かしらの見返りを提示されたのだろう。


 魔法伯位の維持か、権益か――

 あるいは後妻の子らへの恩賞か。

 理由はどうあれ、父は娘を切り捨てることを選んだ。


 それだけは十分に伝わった。


 ルナエは静かに視線を戻す。


「いずれにせよ――」


 その声は驚くほど落ち着いていた。


「殿下がおっしゃった件につきまして、全て事実無根の言いがかりでございます」


 第一王子は眉を吊り上げた。


「貴様!!私の言葉を言いがかりというか」


 ルナエは静かに首を横へ振る。


「事実を申し上げているだけです」


「貴様のような女の言葉など――」


「では、一つお尋ねします」


 王子の言葉を遮るように、ルナエは穏やかな口調で続けた。


「殿下がおっしゃった嫌がらせは、どこで行われたのですか?」


「決まっている! 王立学園だ!」


「そうですか――」


 ルナエは小さく頷いた。


「でしたら、なおさら身に覚えがありません。

 ……というよりは、ありえません」


「何を世迷言を……」


「私は王立学園には、通っておりませんので」


 思わぬ返答に、貴族たちは顔を見合わせる。

 王子は鼻で笑った。


「ふん。学園をサボっていたことを自白したな!」


「……人の話を聞いていらっしゃいますか?」


 ルナエは疲れたように息をつく。


「私は『通っていない』と申し上げました」


「だからサボって――」


「どうやら、理解能力がないだけのようですね……」


 その一言だけで、王子の言葉が止まる。


「私は、とっくの昔に学園を卒業しております」


 一瞬、広間から音が消えた。


「…………は?」


 間の抜けた声を漏らしたのは、王子だった。


「飛び級で卒業しております」


「ば、馬鹿な!」


 ルナエは淡々と続ける。


「入学式後の特別試験で必要課程の全てを修了し、卒業いたしました」


 広間のあちこちから驚きの声が漏れる。


「入学式後……?」


「そんな前例が……」


「聞いたことがないぞ。」


 王子だけが呆然としていた。


「う、嘘だ!」


「学園へお問い合わせになれば、すぐに分かります。」


 その口調には、一片の動揺もない。


「卒業した人間が、いつまでも学園へ通う理由はございません」


 王子の額に汗が滲む。


「そ、それは……」


「ですから――」


 ルナエは穏やかな笑みすら浮かべる。


「机や教科書へ落書きをすることも、教科書や制服を破くことも、水をかけることもできません。

 ましてや、階段から突き落とすことなど、私には不可能です」


 ルナエが口にするのは、感情ではなく事実だけだった。

 その一つ一つが、王子の主張を静かに崩していく。


 今度は王子が声を荒らげた。


「だ、だったら王子妃教育はどう説明する!

 何年経っても終わっていないではないか!」


「――ああ、その件ですか」


 ルナエは心底うんざりしたような表情を浮かべた。


「殿下は、あれを本当に『教育』だと思っていらしたのですね」


「な、何?」


「王子妃教育の名を借りた、公務の押し付けです」


 王子は目を見開く。


「王妃陛下の決裁書類にはじまり、各省から送られてくる書類の整理まで任されております。最近では、国王陛下宛ての書類まで私のもとへ回されるようになりました。」


 あちこちで驚きの声が漏れる。


「ばかな……」


「国王への書類まで?」


 信じられないという表情で、貴族たちは互いに顔を見合わせた。


 ルナエはさらに続ける。


「それだけではありませんわ。

 魔法省の書類整理と決裁、王都防壁へ展開する魔法障壁への魔力供給、さらには王城を覆う魔法障壁の維持まで、それらすべてを私が担当しております」


 その場にいた魔法省の役人たちの顔色が変わる。

 知っている者は、知っていた。

 だが、口にできなかっただけだ。


「そんな仕事を抱えながら――」


 ルナエは初めて王子を真正面から見据えた。


「さらに殿下の子守までして差し上げるほど、私は暇ではございません」


 王子の顔がみるみる赤くなる。


「き、貴様……!」


「呼べばすぐ来い?いつも笑顔で寄り添え?

 おそれながら、そのようなお世話は幼児に対する乳母の役目でございます」


 おそれなど欠片もない口調でルナエは続ける。


「そして、物事には優先順位がございます。

 国の仕事を止めてまで、お遊びに付き合う余裕などございません」


「黙れぇっ!」


 王子の怒号が響く。


「そんなものは全部言い訳だ!

 貴様のような陰険な女のことだ!どうせ人を使ったか、何か姑息な魔法でも使ったに違いない!」


 その言葉を聞いた瞬間。

 ルナエのこめかみが、ぴくりと動いた。

 穏やかだった瞳から、一切の感情が消える。


「…………」


 そして、小さく息を吐くと。


 ――プチン


 長いあいだ張りつめていた何かが、ついに切れた。


 満月の光が、ひときわ強く広間へ差し込んだ。


「……いい加減にしてくださいませ」


 ルナエの声は静かだった。

 だが、その静けさこそが、これまでとは違っていた。


「身に覚えのない罪を着せられ、証拠もなく断罪され――

 挙げ句の果てには、人を使っただの、姑息な手を使っただのと」


 ゆっくりと王子を見据える。


「冤罪を着せようとする国家権力の横暴に対する、正当防衛くらいは認められてもよろしいでしょう」


「な……何を言っている?」


 身にまとう雰囲気がガラッと変わったルナエに、王子が一歩後ずさる。


 ルナエは小さく微笑んだ。

 その笑みだけが、瞳の冷たさとひどく不釣り合いだった。


「ならば、こうしましょう」


 右手を軽く持ち上げる。

 そして――


 パチン。


 乾いた指の音が、夜会会場へ響き渡った。


「きゃっ!?」


 最初に悲鳴を上げたのはアミラだった。


「な、なんだこれは!?」


 王子も慌てて自分の頬へ手をやる。

 互いの顔を見た二人は、同時に目を見開いた。


「い、いやあああっ!」


「か、顔が!」


 王子の額には『大うそつき』

 頬には髭や猫の落書き。


 アミラの顔にも色鮮やかな落書きが浮かび上がっている。


 インクではない。

 魔法そのものが刻んだ印だった。


 ルナエは小首を傾げる。


「落書き、でしたよね?」


 会場中が息を呑む。

 誰一人、詠唱も魔法陣も見ていない。

 指を鳴らしただけだった。


「つ、捕まえろ!」


 王子が叫ぶ。


「王家への不敬だ!」


「まだまだですよ」


 ルナエは穏やかに言った。


「殿下がおっしゃった罪状は、まだ残っておりますもの」


 再び、パチンと指を鳴らす。


 ――次の瞬間。


 ザバァァァッ!


 どこからともなく大量の水が降り注ぎ、王子とアミラを頭から飲み込んだ。


「ぶはっ!」


「きゃああっ!」


 二人は全身ずぶ濡れになり、豪奢な衣装から水が滴る。


「水をかけた、でしたか?」


 ルナエは淡々と確認するように呟く。


「き、貴様ぁぁ!」


「それから――」


 ビリッ。


 乾いた音が響く。

 王子の礼服とアミラのドレスが真っ二つに裂けた。


「うわっ!」


「きゃあああ!」


 アミラは慌てて胸元を押さえ、王子も裂けた礼服を隠そうとする。


「服を破きましたね」


 ルナエは静かに頷く。


「これで三つ――」


 広間は完全に静まり返っていた。

 誰も動けない、声すら出せない。


 目の前で起きている現象が信じられなかった。


 王子は震える指でルナエを指さす。


「こ、近衛兵!何をしている!

 早く取り押さえろ!」


「……は、はっ!」


 近衛兵たちが一斉に駆け出す。


 しかし――


 ゴォンッ!


 見えない壁へ激突し、全員が弾き返された。


「ぐあっ!」

「障壁だ!」

「いつの間に……!」


 透明な半球が、ルナエと王子たちを囲んでいる。


 近衛兵が何度斬りつけても、槍で突いても、びくともしない。


 ルナエは障壁へ視線すら向けなかった。


「最後は、階段から突き落とした、でしたね」


 ゆっくりと周囲を見回す。


「残念ながら、この広間に階段はありませんね」


 視線が止まる。

 開かれたバルコニー。


「ああ……」


 小さく微笑んだ。


「ちょうど良いものがございました」


 王子の顔色が変わる。


「ま、待て……」


 パチン。

 二人の身体がふわりと浮いた。


「なっ!?」


「きゃあああっ!」


 見えない力に持ち上げられ、そのままバルコニーへ運ばれていく。


「や、やめろ!」


「誰か助けて!」


 近衛兵は障壁の外――誰も近づけない。

 バルコニーへ運ばれた二人は、そのまま宙へ放り出された。


 二人の身体が、一気に数メートル下へ落ちた。


「いやあああっ!」


 悲鳴が夜空へ響く。

 地面がみるみる迫る。


 このまま激突する――そう思った瞬間だった。

 あと一歩というところで、二人の身体はぴたりと静止した。


「ひっ……」


 二人の顔から血の気が引く。

 ルナエは冷ややかな視線を向けた。


「落とされたのでしょう?」


 静かな声だけが広間へ響く。


「ご安心ください。階段から落ちて怪我一つされないアミラ様なら、まだまだ平気でしょう」


 その言葉と同時に、二人の身体は再び空へ持ち上がった。

 そして、何の前触れもなく再び落下する。


「ぎゃあああっ!」


 またしても地面へ激突する寸前で止まり、二人の身体は何度も地面へ向かって落とされた。

 あと一歩で地面へ叩きつけられるというところで止められ、再び宙へ引き戻される。


 何度繰り返されたのか、本人たちにも分からなくなっていた。

 

 王子の絶叫とアミラの悲鳴だけが、満月の夜空へ響き渡った。

お読みいただきありがとうございました。

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