31-18「婆さんとエールと古の記憶」
いつものように一杯目のエールを一気に飲み干し、二杯目のエールを味わいながら串肉が焼きあがるのを待っていた。
その間に、他の席の連中は店を出て行き、残るは俺と、もう一つの席に座る客だけになってしまった。
今日は本当に客が少ないんだなと思っていると、二人の少年が大衆食堂に飛び込んできた。
「あれ? イチノスさん?」
「本当だ、イチノスさんだ!」
飛び込むように入ってきたのはヴァスコとアベルだった。
二人が俺を見付けると、何とも言えない言葉を飛ばしてきた。
その呼び方はないだろうと思った途端に、アベルは迷わず厨房に向かって声を掛けた。
「おばさ~ん いいですか~」
「アベルか~い? いいよぉ~」
厨房から給仕頭の婆さんの返事が聞こえるのだが、姿までは見えない。
視線を戻して、ヴァスコの行方を追えば、先客の長机の脇で何かの話をしていた。
(おっしゃ~ 行きますかぁ~)
(ヴァスコ、行こうぜ)
(アベル、行くぞぉ~)
そんな声が聞こえると、若手冒険者の全員がガタガタと一斉に立ち上がった。
もしかして、あの若手冒険者の集まりも南町へ繰り出すのか?
しかも、ヴァスコとアベルを伴って南町へ繰り出すのか?
あの二人は酒は飲めないと言ってたよな?
というか、あの席の全員が店を出ていったら、この大衆食堂の客は俺だけになるぞ?
婆さんはそれで良いのか?
そう思って厨房へ視線を戻すと、婆さんがエールジョッキと串肉を手に厨房から出てきた。
「「婆さん、「行ってくるよ~」」」
「おう、行ってきな。ちゃんと先輩の言うことを聞くんだよ」
「「「は~い」」」
婆さんは俺の前に串肉とエールを置きながら、ヒラヒラと手を振る若手冒険者達を見送った。
「イチノスさん、いってきます」
「いってきま~す」
「おぉう、頑張ってな」
ヴァスコとアベルにも挨拶されて、何が何だかわからないまま、思わず俺は見送る言葉を口にしてしまった。
大衆食堂の客が俺一人となり、いつに無い静寂が訪れた。その静寂の中で、片付けをする婆さんが印象的だ。そんな婆さんを眺めながら、俺は串肉を食して、エールを味わっていく。
今夜の冒険者達の行動は、俺には理解できない事が多い。
ギルドの前で顔を合わせた二人は、交わした言葉から理解できる。紅茶の試飲会に参加した、自分の奥さんや身内の女性を迎えに来たのだと理解できる。
風呂屋で会った若手の連中は、この大衆食堂にも顔を見せておらず、揃って南町の歓楽街に繰り出すと口にしていた。
風呂屋からの帰り道、ギルド前に見えた人影は、皮鎧を着ていた気もするし、南町へ向かった気もする。
そしてこの大衆食堂の先客だった若手冒険者、そして彼等を迎えに来たようなヴァスコとアベル。彼等の動きは明らかに理解できない。若手の冒険者がヴァスコやアベルのような新人を伴って、南町へ繰り出すなんてあり得ない気がするのだ。
そこまで思った時に、婆さんが若手冒険者の座っていた席の下げ物を全て厨房へ運び込みながら声を掛けてきた。
「イチノス、何が起きてるか聞きたいって顔に出てるよ。直ぐに済ませるから待ってな」
婆さんは俺の様子に気が付いたのか、そんな言葉を口にした。
俺としては、いつに無い大衆食堂の雰囲気に、居心地が悪い気もする。
けれども、持参した『製氷の魔法円』を婆さんに引き渡さねばならない。
どこか早目に帰りたい気もするのだが、冒険者達の動きも気になる。ここは大人しく待って婆さんの説明を聞くべきだろう。
そう考えていると、厨房仕事を終えたのか、エールジョッキを両手にした婆さんが俺の向かい側に腰を下ろした。
「さて、どこから話した方が良いのかね? アタシも飲むから、イチノスも飲みな(笑」
婆さんの差し出す新たなエールを受け取り、互いに一口飲んだところで、俺から提案することにした。
「婆さん、話を聞く前に、約束の物、氷を作るやつを渡して良いかな?」
「あぁ、そうだね。そっちを先に済ませようか」
婆さんの言葉に応えて、俺は外出用のカバンから『製氷の魔法円』を取り出しながら問い掛ける。
「この店に『魔石』は無いよな?(笑」
「冒険者の連中が首から下げてるのだろ? 無いね」
婆さんの言葉に、俺は持ってきた『魔石』も取り出して、長机の上に置いた。
「まずこれが、サノスが使ってたのと同じ『製氷の魔法円』だな。そのエールの入ったジョッキを、置いてみてくれるか?」
婆さんの手元のエールジョッキを指差して告げると、婆さんは目の前に置かれた『製氷の魔法円』を引き寄せる。表裏を確めると、自分のエールジョッキを『製氷の魔法円』の中央にそっと乗せ始めた。
その乗せ方は誰に教わったのか、『製氷の魔法円』の内円に納まるように丁寧な置き方だった。
多分だが、サノスからそれなりの説明を聞いているか、その様子を見ていたのだろう。
「イチノス、これで良いのかい?」
「うん、正しい乗せ方だ。そしたらそこの角に小さい円があるだろ? そこに利き手の人差し指をあててくれるかな?」
「こうかい?」
「うん、そうしたら反対側の手を開いてくれ」
そこまで告げて、婆さんの開いた手のひらに『ゴブリンの魔石』を入れた魔石袋を乗せた。
「イチノス、これは魔石かい?」
婆さんの問いかけがはっきりと俺の耳に届く。その言葉から俺は婆さんが『魔石』のことを知っていることに気づいた。もしかして婆さんは魔物から獲れる『魔石』に忌避感があるのか?
「それは『ゴブリンの魔石』だよ。婆さん、苦手か?(笑」
「アタシは魔素とやらは扱えないよ」
婆さんの口ぶりは淡々としているが、どこか慣れた感じがあった。それに、何か隠しているような気配も感じられる。
なんだろう?
この、なんとも言えない違和感は、なんだろう?
「婆さん、もしかして『魔法円』や『魔石』を使ったことがあるのか?」
婆さんは微笑みながら答えた。
「若い頃にあるんだよ(笑」
「若い頃?」
「若い頃に付き合ってた男に、同じようなことをさせられたんだよ。袋に入れた魔石を左手に載せてね、こうして向かい合って座った状態で何かさせられたっけね。懐かしいねぇ」
俺は苦笑した。
「婆さん、何をニヤニヤしてるんだよ(笑」
「ふふ、思い出しちゃってね。いつも真面目ぶってて、些細なことに神経質な男だったよ」
婆さんは、手をそっと動かし乗せていた魔石の入った袋を長机の上に静かに置いた。




