31-14「アナスタの役目」
「イチノス様、ご無沙汰しております。エルミア様からの伝令と、シーラ様からの伝言を届けに参りました」
俺は予想していなかった人物が現れたことに戸惑いを隠すことも、思考を巡らせることもできなかった。それでも気持ちを落ち着けようとしつつ、アナスタの投げ掛けに応えた。
「エルミアからの伝令、それにシーラの伝言? 詳しく伺っても?」
アナスタは一礼すると、どこから取り出したのか分からない白い紙を手にした。それに目を通してから、まっすぐこちらを見据え、はっきりとした声で告げてきた。
「フェリス様の命を受けたエルミア様の伝令をイチノス様へお伝えします。『六月十五日、水曜日、十二時に、領主別邸へ顔を出すように』とのことです」
なるほど。母さんは、エルミアと話し合い、俺を呼び出すことに決めたんだな。その伝令のためにアナスタを使ったのか。
「イチノス・タハ・ケユール、エルミア殿からの口頭での伝令、しかと受け取った。その手にする紙に記された期日に、イチノスが伺うと返答してくれ」
「ありがとうございます。アナスタがイチノス様のお返事を、しかと受け取り、エルミア様へお伝えします。つきましては、当日は迎えの馬車も手配させていただきます」
「よろしく頼む。それで、シーラからの伝言は?」
「はい。シーラ様より申し伝えられましたのは、次の通りです」
アナスタは手にした紙を畳んで手の中に納めると、まるで記憶をそのまま再生するように言葉を紡いだ。
『ごめんなさい。今日の約束、冒険者ギルドで打合せをすることになってしまって、どうしても行けそうにないの。代わりに伝言をお願いしました。来週、またきちんと顔を出すから』
ハイハイ。シーラの口調まで真似ろとは誰も言ってませんよ(笑
「以上です」
(ククク)
アナスタの言葉が終わると、明らかに笑いを堪えたイサベルさんの声が漏れ聞こえる。声の主であるイサベルさんは、アナスタの後ろで笑ってしまった顔を見られないように、口を抑えて顔を伏せていた。
これはアナスタの立場も考えて、俺から一言添えるべきだな。
「アナスタ、伝えてくれてありがとう。イサベルさんも、今日はわざわざご足労いただき恐縮です」
「いえいえ、私はアナスタさんから、領主別邸のエルミアさんからの伝令と聞き、可能性を考えて付き添ったまでです(笑」
イサベルさん、やっぱり笑いが漏れてるぞ。
そう思った途端に、イサベルさんが軽めの王国式敬礼を出したので、俺もそれに軽めの敬礼で応えた。アナスタは、そんな俺とイサベルさんの様子を興味深そうに見ていた。
イサベルさんが敬礼を解くと、踵を使ったターンで店の出入口に向かう。アナスタはその様子に慌てて、俺に軽く頭を下げ、イサベルさんの後を追った。
カランコロン
二人が店を出て行くと、再び店内に静寂が戻った。窓から見える二人の後ろ姿は、道を渡って交番所へと向かっていた。
フゥー
店舗のカウンターの中で、俺はゆっくりと、軽めの深呼吸で気持ちを落ち着ける。
昼前に母さん宛てに書いた手紙は不要になったし、シーラの来店も仕切り直しになった。
これで今日は、この後の予定が空いた。それはつまり、このあと少しだけだが、静かに考える時間と、何かをする余白が得られたということだ。
そこで俺は、なぜかアナスタとシーラの接点を思い返した。
〉来週からシーラ様のお側にお仕えするんです
領主別邸へ出向いた時に、アナスタがそんなことを言っていた記憶が甦る。
もしかして、アナスタは今日からシーラに仕えることになったのか?
その初日に、エルミアからの伝令や、シーラからの伝言を受けるとは、随分と損な役回りを引き当てたものだ。
それに、この後に俺の返事をエルミア経由で母さんに届けるのも、一苦労だろう。
まあ、俺が考えても仕方のないことだが、アイザックが襲撃を受けた件が、俺と母さんに関わる人々、そして幾多の人々の面倒を増やしているように思えた。
さて、考えても仕方がないことをぐるぐると巡らせても意味がない。
こんな時は考え事を避けて、手を動かすか、物事の整理に充てるべきだな。
俺はカウンター脇から店に出て、出入口の扉に内鍵をかけ、ぶら下げていた札をまっすぐに直す。窓のブラインドも降ろし、少し早いが店仕舞いだ。
カウンターに戻って、売上帳簿にリリアとシンシアが購入した『水出しの魔法円』を忘れずに記しておく。もちろん、ブライアンの求めた土魔法の『魔法円』も忘れずに記した。
そこまで終えて、俺は一旦、店内を見渡し、片付けが済んでいることを確認してから作業場へと戻った。
棚から魔法円の下書きに使う紙を一枚取り出し、自分の席に座る。
それから、ここ数日の予定を思い出すように書き出していった。
◆
店仕舞いを終え、ここ数日の予定を書き留めた俺は、そのメモを売上の入ったカゴの上に置き、急いで二階の書斎へと向かった。
昼に描き上げた『製氷の魔法円』を手にした俺は、すぐに書斎を出た。書斎の扉には魔法鍵を施すのを忘れなかった。
そして階下の作業場へ戻り、『製氷の魔法円』を外出用のカバンに放り込んだ。
少し迷ったが、実演の可能性を考え、店から『魔石』を購入した客に渡すための魔石袋を持ってくる。
棚からゴブリンの『魔石』を一つ取り出し、魔石袋に収めて、これもカバンに放り込んだ。
よし、準備は整った。俺は風呂屋と夕食を求めて店を出ることにした。
カランコロン
出しなに見た作業場の時計は、五時を過ぎていた。少し早い店仕舞いになったが、今日は朝が早かったから良しとしよう。
そんなことを思いながら、入口の扉に魔法鍵を施して振り返ると、店の向かいの交番所に立つ二人の女性街兵士が、何処かで見掛けた雰囲気のある男性と立ち話をしていた。




