90 王令
「クリストピア王、レイナード・クリストピアが交戦中の全兵士に告ぐ。直ちに戦闘を停止せよ」
ギルドや近衛騎士の持つ通信系統をフルに使い、国王のそんな言葉を王都中に流すだけで、驚く程にあっさりと各地の戦闘は一部を除いて全て停止した。
近衛騎士と『冠なき我が家』の守備の下、占拠された議事堂で国王が王令を出すことは、議事堂の占拠及び革命組織の活動を国王が承認することを意味していた。
デレックス派を構成する兵士の殆どは『国王暗殺を企て、国家の転覆を図る近衛騎士の討伐』を目標に戦っていたため、その大義を無くした彼らは直ぐに戦闘を停止したのである。
一部、デレックス直属の組織や兵士、彼と癒着のあった王都の貴族は『国王陛下は近衛騎士に脅されている』として、戦闘継続を主張したが、それも宰相デレックス・ヴュルツマーが正式に大義の喪失を認めたため、殆ど収まった。
「あー、疲れた......」
俺は疲労感を全面に出しながらベッドに寝転んだ。一台で家が立ちそうなほど高級感溢れるベッドだ。正直言って利用するのは滅茶苦茶、緊張するが、まあ......良いか。俺達、来賓扱いだし。ちょっと、皺を付けたくらいでは怒られないだろう。
国王が目覚め、停戦を呼び掛けたため、長期化も予想されたクリストピアの内戦は終結した。レイナード国王、クロード、クララと契約魔法を結び、ソフィアの正体について口止めをした俺達はそろそろ、帰ろうかと思ったのだが、気づけば時刻は真夜中。
流石にもう眠いため、王城の中に一部屋借りることになった。デレックスは国王の命令によって拘束が命じられ、彼もまた自ら投降したため、完全に王城は近衛騎士と『冠なき我が家』の物となっている。
「申し訳ありません。ソフィアが今朝、参の勇者の燗にさわるようなことをしてしまったばかりに」
ソフィアは俯きながらベッドに寝転がる俺に対して頭を下げた。
「ソフィアのやったことは正しいことだ。ソフィアが気にすることは何も無いよ。それに、ソフィアのお陰でこんな所に泊まれた訳だし」
王城に宿泊する、なんて貴重な体験が出来ているのは全てソフィアのお陰である。
「そうですか......」
「ソフィアもそろそろ、寝ようぜ。疲れただろ」
「ソフィアは別に疲れていませんが、契約者がそう言うなら寝ましょうか」
ソフィアは電気を消すと、てくてくとベッドの方まで歩き、ゆっくりと俺の寝ているベッドへと上がってきた。
......ベッドは二台あるのだが、もう一つのベッドを使うつもりはないらしい。
「今日は悪夢を見ないで寝られそうか?」
俺は今日の朝、二時ごろ、ソフィアが寝ているとき、苦しそうに喘いでいたことを思い出してそう聞いた。
「ソフィアは悪夢など見ません」
「じゃあ、契約者、契約者って叫んでたのは何?」
「......すー」
「おい、寝たフリすんな」
俺はわざとらしく寝息を立てるソフィアに笑いながら言った。
「......可笑しな夢を見るんです」
ソフィアは観念したように溜息を吐くと、そう打ち明けてくれた。
「可笑しな夢?」
「内容は、よく、覚えていません。覚えているのは、ソフィアが現実では未だかつて経験したことのないような恐怖をその夢の中では感じるということだけです。夢から覚めた後も、その恐怖感だけは漠然と心に刻まれていて......」
「その夢は前から見ていたのか?」
「いえ、見始めたのは昨日......初めてフランチェスカ・アインホルンと戦った後の睡眠中に見ました。本当はそれまでも見ていたのかもしれませんが、夢の中での恐怖感が残っているのはその日と今日だけです」
「心当たりみたいなものは?」
「特には」
「そうかあ。恐怖感、って具体的にはどんな感じか説明出来る?」
「自分が自分で無くなるような、何かに迫られ、責められているような、逃げ道が無く、契約者も何処かに消えてしまうような、そんな緊迫感と絶望感と喪失感が混ざった感覚、でしょうか」
聞いている限り、確かに悪夢としか言えないような夢だ。しかも、覚醒しても尚、そんな感情が残っているということは夢の中でのその恐怖心は覚醒してから残っていたものの何倍も強かった筈である。
クールなソフィアがあんなに必死に俺のことを呼んでいたことからも彼女が感じていた恐怖は察するに余りある。
「ソフィア自身にこう、催眠魔法みたいなものをかけて悪夢を見ないようにするのはどうだ?」
ふと、思い付いた案を俺はソフィアに話した。
「成る程。不可能ではありませんね。......やってみます」
「オッケ。それでもまた、変な夢を見たらまた夢の中で俺の名前を呼んでくれ。きっと、起こすから」
「......ありがとうございます」
部屋は静まり返った。ソフィアは俺に少し、体をくっつけながら眠りに付いた。そうすると、安心出来るのだろう。
俺はソフィアがうなされていないかを確認するために、眠たい目を擦りながら一時間程、ソフィアが眠りについた後も起きていた。しかし、彼女は苦しみの声を上げたりはしない。
催眠魔法が効いたのだろう。そろそろ、俺も寝よう。
そう思った時
「ううっ......止めなさい......契約者、契約者......貴方に契約者の何が......」
ソフィアは喘ぎ始めた。
直ぐに起こそうと思い、彼女の体に触れたとき、一つの考えが過った。今日の彼女の寝言はただ、俺の名前を叫んでいるだけではなく、具体的な言葉も話している。
恐らく、前にソフィアが見た夢と今、彼女が見ている夢は同じ夢だ。そして、これからも彼女はまた同じ夢を見ることが予測される。繰り返し同じ夢を見るということは、きっと、その夢はただの夢ではないのだろう。
であれば、このソフィアの寝言を聞けば、その『普通ではない夢』の尻尾を掴む手掛かりになるのではないだろうか。一瞬にしてそんな思考が頭の中を駆け巡った俺はソフィアを起こさずに、少し、様子を見てみることにした。
「来ないで......止めて......」
夢の中のソフィアの口調は敬語ではなく、タメ口だ。余程のことがない限り、誰にでも敬語を話す彼女がタメ口で話す相手とは、一体、誰なのだろう。
『来ないで』という言葉も気になる。ソフィアは誰かに追いかけられているのだろうか。
「......止めて。お願いだから。ソフィアは......ソフィアは......っ!? やめっ、てっ! ああああっ! 契約者、契約者!」
苦しそうに俺を呼ぶソフィア。流石にこれは起こさなければと、俺は彼女の体を強く揺すった。
「ソフィア! 起きろ!」
しかし、ソフィアは起きない。依然として何者かに襲われているかのような悲鳴を上げている。
「契約者......!」
そして、突如、彼女は飛び起きると俺に抱き着いてきた。
「ソフィア!?」
「契約者、契約者あ......! はあ、はあっ。はあはあはあはあ......契約者!」
これでもかというくらいに過呼吸になりながらソフィアは俺のことを呼び続け、俺の温度を確かめるように手を首に当ててきた。冷たい。思わず、ビクリと体が反応してしまった。
「ソフィア、大丈夫だ。大丈夫だから。落ち着け。夢だから」
「服を掴まれました」
「え?」
「アレに背を掴まれて......服を破ってでも逃げようと思ったけど、向こうの動きの方が早くて、突き飛ばされて、それで、転んでしまって、そのまま捕まりそうに......」
何時もと比べると、少々、拙い話し方で彼女は必死に夢の中で起きたことについて説明した。
「待ってくれ。アレって?」
「......忘れてしまいました。今、話したこと以外は全て。夢の内容は起きると、直ぐに泡のように記憶から消えてしまうので」
成る程。忘れないうちに夢の内容を伝えておこうと思ったから、あんなにも焦って内容を話してくれたのか。
俺の二倍くらいありそうな速さでソフィアの心臓は拍動する。相当、怖かったのだろう。
「大丈夫。大丈夫だから。安心してくれ」
俺はソフィアをギュッと抱きしめてそう言った。何の根拠もないが兎に角、ソフィアには安心して欲しかった。
「申し訳ありません。契約者にご迷惑を掛けてしまい......。日に日に恐怖心が増してきているような、そんな気がします」
「そうか......。俺にはソフィアを起こしてやることしか出来ない。ごめんな」
「それで十分です。本当にありがとうございます」
ソフィアがそう礼を言った時、突如、ガチャンと部屋の扉が開いた。
「「っ......!?」」
ソフィアと俺に緊張が走る。
「こんな真夜中に何者ですか?」
ソフィアは冷静な口調で暗闇の中、扉を開けてきた人物に問うた。
「こんな真夜中に、って、こんな真夜中に叫んでたのはアンタでしょ。私よ私。アンタの叫び声を聞いて飛び起きたのよ。......で、どしたの?」
紛れもなくフランの声だった。彼女は眠そうで苛立ったような、しかし、ソフィアを心配するような声色でそんなことを言う。
俺はソフィアに許可を貰い、フランにソフィアの悪夢について説明した。
すると、彼女は
「ふーん? 私と初めて会った日に、初めて見た、ね。言っとくけど、私は原因じゃないわよ。てか、首切り魔王様が悪夢でうなされている、なんて面白いわね」
と、前置きをしながら
「私も一緒に寝たげるわ。何時、寝首を掻かれるか分からない状況だったら悪夢なんて見てる暇ないでしょ」
「そんな状況だと、悪夢を見る見ない以前に寝れないんじゃないか......?」
「オルムは黙ってなさい」
「そもそも、お前は男の俺と寝ることに抵抗無いのかよ」
「アンタはその悪魔にご執心だから私に手を出したりしないでしょ。ほら、ソフィア真ん中ね」
「契約者......」
「ま、良いんじゃないか?」
助けを求めるようなソフィアの呼びかけに、俺はそう答える。その夜、ソフィアが悪夢を見ることは取り敢えず無かった。