80 許せない
ユリウスの案内で、病院に連れて来られた俺達は集められた怪我人の治療に当たっていた。
「魔法によるものでしょうか。右肩が爛れていますね。直ぐに治療します」
「すまない。炎系の魔法を食らってしまったみたいで」
「魔法の前に、肩に付いてる汚れを落としますね。少し染みると思いますけど頑張って下さい」
俺は消毒効果のある薬を糜爛した彼の肩に掛けた。兵士と思われる彼は歯を食いしばりながらも痛みに耐えている。
それが終わると、ソフィアの魔法による治療が始まった。魔法によってゆっくりと皮膚が再生してゆく。
「鎮痛の効果のある湿布です。貼らせて頂きますね」
そして最後に俺は彼の皮膚が再生しきった肩に優しく湿布を貼り付けた。ソフィア曰く、少しくらいの傷ならば治療時に痛みも取れるらしいのだが、大きな傷や深い傷などになると傷自体は治っても痛みは続くらしい。
『回復魔法ではなく、毒系統の魔法で痛覚を一時的に鈍らせることなら可能です』
とも言われだが、何か怖いので素直に病院から痛み止めを貰うことにしたのだ。
「かたじけない。これでまた戦える」
自らの横に置いていた剣を取り、立ち上がろうとするその兵士を俺は止めた。
「ま、待ってください。まだ、治療をしたばかりですし、どうか安静に。それに恐らく、今頃、参の勇者は無力化されている筈です。かなり強い俺達の仲間が応援に行ったので」
俺は兵士を宥めてどうにか納得して貰うと、ソフィアに耳打ちした。
「フラン、ちゃんと出来てるかな?」
「ソフィア程ではありませんが、彼女の実力は本物です。契約も交わしましたし、心配するようなことは無いかと」
「そっか。そうだよな......」
何と無く、嫌な予感がしつつも俺はソフィアの言葉に頷いた。
「魔法専門の参の勇者と彼女の相性を見ればどちらが勝つかなど、火を見るよりも明らかです。それにいざとなればソフィアが何とかしますので」
「ま、ソフィアが何とかしてくれるなら安心だな。俺、消毒液が切れたから追加で貰ってくるよ」
「分かりました。気をつけて下さい。何処で何に襲われるか分からないので」
「いや、病院で襲われたらいよいよ世紀末だけどな」
俺は苦笑しながらソフィアに手を振って病室から外に出た。ユリウスもこの病院の応援に当たっているようなので彼に言って消毒液を貰おう。
「お、少年。どうかしたか?」
運良く、病院の中を彷徨っているとユリウスに会うことが出来た。
「消毒液が切れたんだ。補充させてくれないか?」
「結構渡しといた筈なんだが、もうそんなに沢山の怪我人の治療をしてくれたのか。ありがとよ。付いてきてくれ。消毒液のタンクは外にある」
俺は礼を言って頷くと、彼と一緒に病院の外に出た。タンクくらい病院の中に運び込んでおけば良いのに。大きすぎて病院の扉をくぐれないのだろうか。
「どの辺りにあるんだ? そのタンク」
病院を出てから10分くらい歩き続けているのに、タンクの場所に辿り着かない。不審に思った俺はそう尋ねた。迷ってるんじゃないだろうなこの人。
「まあ、良いから。付いて来て」
低く、唸るような声でそう応えるユリウス。
「出来るだけ早くしてくれよ。ソフィアが待ってるんだ」
俺がそう言うと、ユリウスはギロリと俺を睨む。
「......ああ」
俺は何と無く、身の危険を感じた。俺の危機感知能力はソフィアのお墨付きである。此処はそれを信じてみよう。
「悪い! ちょっと、トイレを探してくるから待って......」
俺が言い終わるのも待たずにユリウスは俺の襟を引っ掴んだ。
「『ソフィアが待ってる』んだろ? そんな時間ねえよ」
「離せっ......!」
俺は目いっぱい暴れるが、ユリウスは物凄い力で俺を捕まえて離さない。混乱し、慌てながらも俺は目一杯に叫ぶ。
「ソフィ......!」
突如、首筋に電流が走ったような感覚がした。叫ぼうにも、声が出ない。
「ごめん」
途切れゆく意識の中でそんな声が聞こえた。
⭐︎
どれくらいの時間が経ったのだろうか。ユリウスに襲われ、気絶してしまっていたらしい俺は埃っぽい匂いを嗅ぎながら目を覚ました。
「ソフィアっ!?」
目覚めた俺が、目を開けるよりも先にした行動は彼女の名前を呼ぶことだった。返事が返ってこないことに悔しさを感じながら目を開ける。
「ああ、起きたの。もっと寝てても良かったのに」
最初に俺の目に飛び込んで来たのは予想外の人物であった。俺は混乱しながら周囲に目をやるが、何処にもユリウスの姿は無い。居るのは少女と老人だけだ。
「此処は何処だ。状況を説明しろ、フラン」
「此処はあの病院から少し離れたところにある空き家の二階。お前は人質になった。それだけ」
ギロリと俺を睨み付けながらフランは言う。この目、さっきも見た気がする。
「......お前、斧魔法を使ってユリウスに化けてたな」
「だったら何?」
少し焦ったような、苛立ったような口調で冷たく応えるフラン。何時の彼女の雰囲気とは180°違っていた。
「いや、別に。それより人質って何だよ」
舐められているのか、拘束されていない手で頭を掻きながら俺は問う。有り得ない状況下に置かれているというのに、俺は奇妙なくらいに落ち着いていた。
「そのままの意味だ。お前を人質にあの悪魔に契約魔法を解除させる。そして、『不死なる五芒星』を用いてあの悪魔を殺す」
俺の質問にはフランではなく、ルドルフが答えた。その目にはグラグラと燃えるような、確固たる意志が宿っている。
契約では斧でソフィアを攻撃することは禁じていたが、俺を攻撃することは禁じていなかった。上手く契約の抜け道を突いたものだ。
「フラン、俺に危害を加えるつもりは無いみたいなこと言ってなかったっけ?」
「気が変わったのよ。......どんな方法を使ってでもアイツを殺してやりたい。そんな気持ちが体に溢れてきて、止まらないのッ......」
血走った目で俺にそう語るフラン。息は荒く、何だかとても辛そうだった。
「それは残念だ。フランとは良い友達になれるかと思ってたんだが。......後、言っておくがあの堅物悪魔は普通に俺を捨てると思うぞ。人間一人の命と悪魔全体の利益を天秤にかけて」
とは言ってみたものの正直言って、契約の遵守と悪魔の利益、ソフィアがどちらを優先するのかは俺でもよく分からない。
「そうなった時は貴様の首が刎ねられるだけだ」
「そんでお前らもソフィアにぶっ殺されて仲良くあの世行きだな」
俺は苦笑しながらそう言うと、フランの足をちょんちょんと突く。
「何ッ!?」
フランは甲高い声を上げてキッと此方を睨む。
「何でお前、さっきからそんな殺気だってんだよ。上手いこと俺を誘拐出来たんだからもっと喜べ」
「うるさいわね! ハアッ......頭がクラクラしてて......気分が悪いノッ......クククククククッ。早く、アイツを殺してヤルッ」
フランは怒鳴ったかと思うと、急に弱気になり、そして笑い始めた。明らかに情緒が可笑しい。口調も何処か狂気を感じさせるものになっている。まるで人が変わったようだ。
というか、初めてフランと俺達が出会った時も彼女はこんな口調で襲いかかって来ていたような......。
「なあ、フラン。頭がクラクラするのはそんな重い斧を持ってるからじゃないか? 一旦、置けよ」
「黙れっ! 姫様、絶対に斧を手放してはなりませんぞ! 姫様が斧を置いたところを悪魔に奪わせるつもりかもしれませぬ!」
俺の言葉を聞いたルドルフは凄い剣幕でそう叫んだ。焦ったような、怒ったようなそんな口調だ。フランはルドルフの言葉にプルプルと体を震わしながらも頷いた。
「そんなつもりじゃなかったんだけどな。それより、ディーノはどうしたんだ?」
「奴ならあの悪魔に貴様を人質にした事を伝えについさっき、此処を出ていった。そろそろ病院に着いていることだろう」
「それ多分、ディーノ死ぬぞ」
「フンッ。あの悪魔が貴様の居場所を知るにはディーノに案内させるしかない。要らぬ心配をするな」
コイツ、完全にソフィアの力を侮っているな。
「ソフィアなら魔法で俺の位置を特定するくら簡た......」
その時、ガシャンッという爆音が轟き、部屋全体が眩しい光に包まれた。どうやら、壁が破壊されたらしい。
そして、光が収まった部屋の中には
「遅れて申し訳ありません、契約者。後で如何様にしてでも償います」
深々と頭を下げるソフィアと丸焦げになって、床に倒れているディーノの姿があった。