キャンプ 中編
「クライミング体験?」
昼飯を食べてキャンプ場の散策を始めると、気になる文字が見えた。
「クライミングってオリンピック競技にもなったやつ?」
「あー……ボルダリングとか……だっけ?」
ただそういう人工的な壁は見えない。岩場を使ってやってるらしい。
「やる!」
まなみは基本的に身体を動かすことは全部好きなのでノリノリだ。
「まあせっかくならやってみるか」
「そうね」
俺たちも別にいいかと軽い気持ちでエントリーする。
説明を受け、貸し出されたプロテクターやらを身につけて岩壁に挑む。
「あ! 意外と楽しい!」
「おお、難しいなこれ……」
インストラクターが軽々登って見せるので簡単そうに思っていたが、実際やるとなかなかうまくいかず何度も下のマットに落ちることになった。
「流石だな……まなみ」
「怪我しないかしら……」
見上げる先には反り返りすぎてほとんど地面と平行になった岩壁にしがみついてひょいひょい動き回るまなみの姿がある。なんで天井にぶら下がるような形で動けるんだ……。
「頭より上に足があるって……」
「まあほら、まなみだから……」
半ば呆れるように見上げるのは俺たち以外の参加者も同じだった。
結局ほとんどの壁を攻略しきったまなみは賞状やら景品のお菓子やらを大量にもらってホクホク顔で帰ってきた。
「ほんとにすごいわね……」
「えへへー。夜一緒に食べようねー!」
戦利品の入った袋をまなみから受け取ろうとしたところで違和感に気づく。
「あれ?」
「どうしたの? 康貴」
心配そうにこちらをみる愛沙だが、多分他人事ではない。
「腕、めちゃくちゃ痛い」
普段使わない筋肉を酷使した影響が早くも出ていた。
「え? ほんとー?」
まなみはピンピンしてるが鍛え方が違うというやつだろう。そしてその理論で言えば、一番まずいのは愛沙だ。
その愛沙を見つめると……。
「あ……これは……思ったよりくるわね……」
案の定腕が上がらなくなっている。今までは楽しんでいたから感じていなかったわけだ。
「大丈夫か?」
「ん……いや……結構やばいかも……」
歩き方もぎこちなくなった愛沙に手を貸しながらテントに戻った。
◇
山は夏でも涼しい。
蝉を始めとした虫の声も、普段と違ってうるさいというよりどこか風情のある音ばかりになる。特に夕方を越え夜になるとなおさらだ。
「で、あれどうするんだ?」
父親二人はそうそうに酔いつぶれ、広い方のテントで眠り始めている。
「二人ともああなったらしばらく起きないわねぇ。あっちのテントは私達で使うから、あんたたちはあっちね」
「は……?」
「一応言っておくけど、愛沙ちゃんたちに手出すならちゃんと責任取るのよ……?」
「いやその注意はどうなんだ⁉」
ほうけている間に母さんは向こうのテントに行ってしまう。
「ん? どうしたの康貴?」
「いや……俺ら、同じテントらしい……」
「え……?」
固まる愛沙。そりゃそうだよな。いくら寝袋があっても狭いテントに男といるのは嫌だろう。
「俺、もっかい母さんに」
「んーん。それは大丈夫」
まだ起きてるだろう母親の方に言って代わってもらおうとしたが愛沙に袖を掴まれる。
「いいのか?」
「ん。それに、まなみが……」
「あー……」
まなみがお菓子の袋とトランプを持って目を輝かせているのを見て、愛沙と俺は覚悟を決めてテントに入った。
誘われるがまま、狭いテントに三人が身を寄せ合っておやつをつつく。
「楽しいねー! お姉ちゃん! 康にぃ!」
「そうね」
「そうだな」
久しぶりのキャンプにまなみは一日テンションが高い。一人だけ移動中寝ていたのを差し引いても放っておいたら明日の朝まで平気でゲームに誘ってきそうな勢いだ。いや実際には突然力尽きて寝落ちてたな、昔は。
「あ、革命〜!」
「えっ⁉」
「ふふふ。お姉ちゃんが強いカードばかり残してたのは知ってたのさー!」
「革命返し」
「えええええええぇええ! 康にぃ! ずるい!」
「ずるくないだろ。あがりだ!」
「むー!」
「あ、この順番なら私も上がりね」
「えええ⁉」
「ふふ」
まなみが負ければ次のゲームになる。逆に言えばここまでひたすらまなみに負け続けてきたということだ。運動もそうだがまなみは好きなものに関しては異様に強いからな……。
「むむっ! じゃあ次はこれです!」
「その前に、そろそろ寝る準備もしましょう」
「えー、寝るの?」
「まだ寝なくてもいいけど、まなみは突然スイッチが切れたように寝るでしょ」
「にゃははー」
愛沙も同じことを考えていたらしい。
本当についさっきまで騒いでたのに糸が切れたようにバタッと寝ることが結構あったのを覚えてる。流石にこの歳で……とも思ったが愛沙が言うならまだそのままなんだろう。
「これ、まなみの歯ブラシ」
「ありがとー!」
「タオルは持った?」
「はーい」
普段の二人の様子が垣間見える気がした。ここ最近は俺にもこういう一面を見せてくれるようになったのはこう、なおさら家族感が強くなった気はする。
「康貴は準備できた?」
「あ、あぁ」
あれから両親たちはテントから出てきた様子はない。あっちのテントは広いし快適そうだ。
父親二人は朝早くから運転で疲れてるしな……。いや、うちの父親は楽しそうだったけど、まぁ眠いのは眠いだろう。
「じゃ、行きましょ」
水場までは足場の悪い中そこそこの距離を歩く必要がある。懐中電灯を持って二人とテントを出た。
◇
「誰もいないねえ」
そう言いながら踊るように歩くまなみ。本当に何でも楽しそうだ。
キャンプ場の水場は数少ない灯りがある施設。夜は必然的に虫が集まってくるんだが、まなみにとってはそれすら面白いようだ。
「流石にちょっと気持ち悪いな……」
「康貴までまなみみたいになられたら困るわ……」
そう言って顔を洗い始める愛沙。
化粧とか、がっつりしてるイメージはないにしてもまったくないなんてことはない、と、秋津に聞いたことがある。そのあたりいいのだろうか?
いやそもそもクライミングのあとにシャワーを浴びてから化粧してるかどうかもわからないんだが……。
「どうしたの?」
「いや、まぁいいか」
不思議そうにしながらもそのまま顔を洗い始める愛沙。気にしてないならいいだろう。
俺も歯を磨き始めようと動き出したところで再び筋肉痛が襲ってきた。
「歯磨きはダメなのか……」
ここまで色々作業をしてきたが腕に来る基準はわからなかった。何かを押したり引いたりは意外と出来るんだが、ものを持とうとするときつい。
晩飯がカレーで助かったと思う。箸を使えたかと言われたら怪しい……。少し落ち着いたが飲み物すら持つのがしんどかったくらいだ。
「康貴……もしかして……」
「多分愛沙もなるぞ」
俺より被害がひどいのは愛沙だ。絶望的な顔を浮かべる。
「んー? んーんんんー?」
まなみが歯磨きを口に突っ込んだままどうしたの? と聞いてくる。
「いや、筋肉痛でな。多分愛沙、歯磨きめっちゃ時間かかるぞ」
「んー!」
「一回口ゆすいできたらどうだ……?」
まなみが何か喋ろうと必死になっている。促すとすぐに口をゆすいで戻ってきた。
「康にぃが歯磨きしてあげたら良いんじゃない?」
何を言い出すんだ……。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
呆れているとまなみが愛沙を引っ張って何か耳打ちしている。
愛沙から小声で「ほんとに……?」とか聞こえている。良からぬことを吹き込まれてるのは間違いない。
「愛沙、何言われたかわからないけど」
「康貴、ちょっとお願いしようかなと思うのだけど……」
まじか……。
「……いや?」
その聞き方はずるいと思う。
「やっぱりちゃんと歯は磨いたほうがいいから」
「まぁ、それはそうか……」
口を開けて上目遣いの愛沙にドキドキする。
「はい。康にぃ」
「あぁ……」
歯磨き粉のついた歯ブラシをまなみに渡される。
人に歯磨きなんかしたことないぞ……どうすればいいんだ……。
「ほらほら! はやくはやくー!」
「わかったよ」
不安そうな愛沙の表情とまなみの声に急かされ歯ブラシを口に入れる。
「んっ」
「痛かったか?」
「んーん」
大丈夫だと目で訴える愛沙。奥歯から少しずつ、磨いていく。なんだこれ……緊張する。
「大丈夫か?」
「んっ」
喋れない愛沙は妙に子どもっぽいなと思っていたが、徐々に頬が赤らんできて涙目になってきて変な色気がある。
顎に手を添えてるせいで距離も近いし色々やばい……。
「はいっ! 終わり!」
「んんんんー!」
「お礼はいいから早く口をゆすいでこい」
なんで歯磨きだけでこんなドキドキするんだ……。
愛沙が離れてホッとしているとまなみが近づいてきて耳元に顔を寄せてくる。
「ね。良かったでしょ?」
何も答えられず黙り込むしかなかった。




