↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/36

第23話 谷口と佐倉

 隙間町にある漢方薬局に客が訪れていた。場所がら、ふつうの薬局でないことはお察しである。そして客もふつうではなかった。

 貧相な身なりの男だ。おどおどと周囲をうかがいながら、薬局へ入ってくる。そしていらっしゃいませ、と受付の女性に声をかけられ、びくりと立ち止まった。


「本日はどのようなご用件でしょう? ご予約はされていますか?」

「い、いや……予約はない。でも紹介状ならある」


 差し出された封筒は、ここから一番近い大学病院のものだった。受付の女性は封を開けて中を確かめると、わかりましたとうなずく。


「そちらにおかけになってお待ちください」

「わかった」


 どうやら受け付けてもらえるらしい。それを見て男はホッとすると受付前に並べてあるいくつかの椅子のうち、端に腰かけた。


「丸くーん、局長呼んできてー」

「局長っすか? なんでまた」

「隙間の客って言えばわかるからー、よろしくねー」


 奥で棚を整理していた男性は、間延びした声の受付の女性に言われて奥へ入っていく。局長というからには、この薬局で一番偉い者だ。どうやら紹介状には効果があったらしいと、客の男は息をついた。

 客は谷口宏という。かつて狭間の店で記憶を売った男だ。隙間の客というのはつまり、表の人間だが裏に関わってしまった客、という意味である。

 しばらく待たされてから、谷口は小さく区切られた相談ブースへ案内された。漢方は西洋医学と違い、細かいカウンセリングが必要になる。そのため相談員と客が一対一で相談するためのスペースがあるのだ。


「あんたが谷口?」


 小さなカウンターごしに声をかけてきたのは、けぶるような美女だった。長い黒髪を背中へ流しており、白衣を着ていなかったら水商売の女かと勘違いしたくなるような妖艶さだ。


「あ、あぁ、そうだが……」

「あんた、バカなことしたねぇ」

「なっ、なんだと?!」


 艶っぽい女だが、口が悪すぎた。客相手とは思えない暴言を吐かれ、谷口はカッと頭に血がのぼる。だが、


「記憶を売るなんざ、バカのすることさ。そうだろ?」


 続くセリフに、その勢いがそがれた。


「記憶を売ったなんて、あり得ない話を信じてくれるのか……?」

「もちろんだ。あぁ、言っておくが記憶をもどすことはできない。だが、あんたが抱えてる記憶の穴を修復する助けはできる」


 男はかつて、記憶を買い取ってくれるという質屋で、記憶を売った。どんな記憶かは覚えていない。ただ、売ったことだけを覚えている。

 売った直後はよかったのだ。ふわふわと身体が軽くて、いい気分だった。だが、帰宅したらどうだ。知らない女が家でくつろいでいるではないか。

 女は当たり前のように谷口へ文句を言いながら台所へ立った。しかし谷口は女を知らない。


「お前はだれだ! 出て行け!」

「はぁ? なに言ってんだい」

「なんで知らないやつが俺の家に居座ってるんだ?!」

「知らないわけないだろ、あんたの妻だろうが! あんた、頭がおかしくなったんじゃないだろうね!?」


 そこからはたいへんだった。谷口の妻と主張する女と怒鳴り合い、腕力にうったえて叩き出そうとしたが、負けたのは谷口のほうである。アルバムを見せられて谷口はだまるしかなかった。

 アルバムの写真にはたしかに、谷口と女が並んで写っていたのだから。翌日には戸籍を確認しに役所へ行かされた。それらの事実は谷口がたしかに女と結婚していたことをつきつけてくる。

 なのに、まったく思い出せない。結婚したことも、女のことも、なにもかも。

 やがて女は離婚を提案してきた。谷口がそれに応じたので、女は出て行ってそれきりだ。以来、谷口はよくわからない空虚さを抱えて生きている。


 女に連れて行かれたのは精神科だったが、そこから脳神経科に行けと言われた。精神に問題はないと判断されたためである。

 そして大学の脳神経科で、脳に異常はないといわれた。その脳神経科医に、いい薬があると紹介されたのが、この薬局である。脳神経科医も、記憶を売ったという谷口の言葉を信じてくれた。そういうこともあるだろう、と。

 目の前の局長らしき女もそうだ。それどころか、バカなことをしたとなじられた。やはり記憶を売ったというのは本当なのだ。自分の記憶が信じられなくなっていた谷口は、それだけで安心した。



★★★



 まこん漢方薬局、というのが正式な店の名前だ。本当は馬聡という漢字があるのだが、正しく読んでもらえないため、ひらがなになった経緯がある。

 まこん漢方薬局は局長である佐倉《さくら》凛(りん)だけが、隙間町の住民だ。それ以外の薬剤師や中国医は、ふつうの人間である。受付の女性も、特定の客が来たときは局長を呼ぶものの、裏のことはなにも知らない。

 ここから一番近い大学病院の脳神経科医からの紹介状は、局長案件である。紹介状を持ってくる客の様子も、たいてい少しおかしい。しかし客は客だ。

 女性は相談ブースへ客を案内して局長に引き継ぐと、それきり男のことを意識から追い出してしまった。


 そんな割り切りのいい女性だからこそ、佐倉は彼女を雇っている。薬剤師に呼ばれた佐倉は指定の相談ブースへ入った。そこには男の客がひとり。

 脳神経科医からの紹介は、大半が狭間の客だ。つまり男は記憶を売った間抜けである。


「あんたが谷口?」

「あ、あぁ、そうだが……」

「あんた、バカなことしたねぇ」

「なっ、なんだと?!」

「記憶を売るなんざ、バカのすることさ。そうだろ?」

「記憶を売ったなんて、あり得ない話を信じてくれるのか……?」


 怒りかけた男……谷口は、すぐにしおしおと小さくなった。どうやら記憶を売ったことを後悔しているらしい。ここへ来る狭間の客はたいていそうだ。

 後悔するなら、売らなければいいのに。記憶を売るということがどういうことなのか、よく考えずに売るから、こんなことになるのである。そう考えている佐倉は、ただ憐れむだけだ。

 佐倉ふくむ隙間町の住民は、売るどころか、狭間に頭を覗かれたくない。幸い結界などで防げることがわかっているため、佐倉は狭間に会うとき、頭を徹底的に防御する。おそらく狭間とつき合いのある者は、にたようなものだろう。

 たとえ防げたとしても、好きこのんで近づきたくない。それが佐倉の本音だ。


「もちろんだ。あぁ、言っておくが記憶をもどすことはできない。だが、あんたが抱えてる記憶の穴を修復する助けはできる」

「記憶の穴……たしかに、そんな感じだ。なんだか、こう……なにかが足りねえっつうか……」


 ボリボリと頭をかきながら谷口がうめく。無理やり思い出そうとするが、覚えていないものは思い出しようがない。佐倉は何人も同じような人間を見てきた。

 それでも佐倉は患者を憐れみこそすれ、狭間に文句はない。あの男のことだから、きっちり説明は行っているだろうし、何度も釘を刺しているはずだ。それを無視して短絡的な取引をした谷口が悪い。そういう判断である。


「しかし、わたしの処方は高いよ。あんた払えるんだろうね? 漢方は長く続ける必要がある。最低でも二ヶ月は続けられないと、意味がない。保険はきかないから、そのつもりで考えな」

「高い……ちなみにいくらくらいなんだ?」

「そうだな……おそらく一日二千から三千円ってところだろう」

「いちにち? にせん、だと?」


 つまり二ヶ月で約六万から八万ということだ。一ヶ月ぶんだけなら払えない額ではないだろうけれど、市販の漢方と比べたらかなり高額だ。もっとも佐倉としてはこれでも最大限、一般人に譲歩している。

 佐倉は自分の力を安売りするつもりはない。漢方に自らの力を混ぜ込み、特殊な効果を得る。それは文字で説明するのはかんたんだが、技術と手間が必要だ。


「それにきちんと指定した手順で煎じて、毎日きっちり飲み続ける必要がある。あんたにそれができるか?」

「煎じる?」

「やりかたは教えてやる。といっても難しくない。決められた量の水といっしょに瓶へ入れて、弱火で小一時間ほど煮込むだけだ」

「一時間を毎日……」

「飲むタイミングも重要だ。食事と食事の間、食べ終わって二時間後、食べる二時間前がベストだな。煎じたやつを温めて飲む」


 薬局で用意されている『漢方の煎じ方・飲み方』というプリントを引っ張り出し、佐倉はカウンターの上へ置いた。慣れればそう難しい作業ではないが、いかんせんめんどうではある。生薬の漢方がはやらない理由のひとつだ。

 粉薬にしたものもあるが、残念ながら佐倉が力を使う場合、粉薬では都合が悪い。ちなみに薬に力を使わず、人間に直接力を使うことも可能なのだ。しかし隙間町の住民以外にそれをやったら、治ったことの説明がつかない。それに、ふつうの人間に直接力を使うと、衝撃が大きく、副作用も大きくなってしまう。

 そんなわけで、金にはならないし手間ではあるのだが、漢方薬として売るのが一番いい。


「むむむ……」


 プリントを睨みつけ、谷口が悩んでいる。金も手間もかかるが、それでも治療を求めるのか、決めかねているのだろう。


「決まったら呼びな」


 佐倉がカウンターを離れようとすると、谷口から待ったの声がかかった。


「あんた、たぶんこれまでにも同じようなやつを治してきたんだよな?」

「ああ」

「ほかのやつは本当に治ったのか?」

「ちゃんと薬を飲み続ければ治る。平均すると三ヶ月から半年ってところか。まずは二ヶ月試して様子を見るっていう手もあるね」

「……ううむ……」


 お試しで何万円もかかる、というのは手を出しにくい。それはわかっているので佐倉は奥へ引っ込んだ。どうしても、という気概が谷口にあれば呼ばれるだろう。

 けれど薬局の奥にある部屋に入りながら、呼ばれる可能性は低そうだ、とも考えていた。そしてその結果、谷口がたどるであろう未来が想像できる。

 そのうち職を失い、住むところを追われ……楽に死ねたらいいほうかもしれない。素質はなさそうだから、隙間町の住民になる線はなしだ。住民になる前に死ぬ。


 もし谷口が記憶を売らなかったなら、きっとこんなことにはなっていない。人生というのはひとつ間違えると、玉突き式に悪いほうへ転がることがある。谷口には申し訳ないが、そのいい見本だと佐倉は思う。

 そして佐倉は呼ばれることなく、谷口のことを記憶から追い出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。