第22話 佐藤と狭間
しかし残念ながら……佐藤にとっても残念ながら、まだ聞くべきことがあった。
「それから渡部由佳理という女性を知りませんか」
「渡部由佳理ねェ……客にゃいなかったはずだが」
この感じは知っているに違いない。これまでの勘で佐藤はそう感じた。
「先日、警察が保護した他県の一般人です」
「へェ、なんでまた」
「そこの表通りでへたり込んでいたのを助けた一般市民がいまして。そのひとが警察まで連れて行ったんです。楠木がいうには、表の人間だが裏にふれてしまったのだろう。ということです」
「そりゃァお気の毒だ」
楠木藍子は佐藤の妹弟子だ。警察で事務仕事をしている。警察関係の裏仕事は佐藤ではなく、楠木担当だ。
その楠木から、ちょっと気になると連絡を受けたのが、渡部由佳理だった。渡部が座り込んでいたところは、ちょうど脇道通りから大通りへ出たところだ。狭間の店のすぐ近くである。
狭間が回答をはぐらかすのは、いつものことだ。嘘を言うことは少ないが、本当のことも言わない。それが狭間に対する佐藤の評価だった。
先ほどの「客にはいなかった」という回答も言い換えれば「客にはいなかったが知っている」ということではないのか。限りなく真実に近い推測をしながら、佐藤は狭間をにらんだ。
相変わらず手に本を持ったままの狭間は、佐藤の反応を楽しむように、口元をゆがめている。狭間の見た目は二十代にも三十代にも見え、佐藤より若い。そのため生意気に感じてしまう。
だから苦手なんだ。佐藤は心の内だけでぼやくと、見なくてすむように狭間から目を逸らした。
至るところに術や結界の仕掛けがほどこされた店内だ。奥側はよほど目のいい者か、道具がないと見られないようになっている。表の人間では、見られないことにすら気づかないだろう。
手前にあるアオガネがひそんでいる衝立も、存在を薄れさせる術がかかっていた。こちらはよく見れば気づくが、注意していないと素通りしてしまう。今日はどうやら、きみの悪い男は不在らしい。佐藤はそれを見てとると、改めて口を開いた。
「それで、本当に知らないんですか?」
念のため、渡部の外見的特徴を述べていく。身長に髪の色や長さ、そのときの服装など。だが予想どおり、
「来たやつの見た目なんざ、そう覚えちゃいねェな」
そんな言葉が返ってくる。覚えていないというのは本当だと思われた。しかし渡部が来たとわかっていて、はぐらかしているようにしか見えない。
「表の人間に被害を出さないでほしいと、あれほど言ったはずですが」
「ここへ来た客は、丁重にもてなしてるつもりだヨ」
「あなたのいう丁重は信用なりません。いったいなにをしたと言うんです?」
「やけに引き下がるねェ」
「彼女は裏に半分入りかけていて、とても危険な状態です。少しでも情報がほしいんですが」
中途半端な状態というのは、たいていにおいて不安定だ。たとえば渡部のように、裏に来る準備は整っているにもかかわらず、本人が自覚していない場合。
佐藤は渡部の力がどんな能力に向いているのか、才能があるのか、そういったことはわからない。だが明らかに、なにかの力が漏れている。
力の呼びかたは多い。妖精や精霊を使役するものは魔力と呼ぶ。幽霊やオバケを見るたぐいのひとは霊力と呼ぶ。妖怪を退治し呪いの力を使うひとは妖力や呪力と呼ぶ。
華南のような結界師は法力と呼ぶ。佐藤や狭間ように一言で言い表しにくい能力の場合、単に力と呼ぶ。どんな力なのか明言したくない・できない場合も、力とだけ呼ぶ。渡部はこれに当てはまる。
力の方向性によって呼び名は変わるが、とにかく漏れ出す力はよくないモノを引き寄せるのだ。いたずらする妖精や、そこにただいるだけで害のない妖怪なら、まだいい。悪霊と呼ばれるようなものや、凶暴な怪物じみたものまで来たときが困る。
本来そういった存在は、基本的に表へ干渉することができない。だから完全に表にいる人間は安全だ。
裏の人間は多かれ少なかれ自衛手段を持つ。戦闘力がほぼ皆無な佐藤でさえ、いくつも準備していた。そのひとつが、力を外部に出さないことだ。そうすれば表の人間に擬態できる。
狭間の店のように結界で守ることも有効だ。悪いものを避ける道具もある。または自分の力で対応してもいい。守護霊に護衛を頼んだり、使役する動物に守ってもらったり。
渡部はそういった自衛手段がない。だからなにかあったとき、身を守れないのだ。
「狭間さん、知ってるんでしょう。わかってるんですからね」
佐藤は逸らしていた視線を狭間へもどすと、本を読む姿を見おろした。
「やれやれ……言っておくが、こいつはタダじゃァやれねェぞ?」
「いくらですか」
「そうさなァ……あんたの禁煙に成功した記憶をちょィとばかし」
「現金でお願いしますっ!」
「ちッ」
思わず語気も荒く言い返したら、本気で舌打ちをされた。必要な記憶を渡すなんて、とんでもない。佐藤は禁煙の記憶もそれ以外も、手放すつもりはさらさらないのだ。
「そんじゃァ直せと言ってた道路を直してくれれば、それでチャラ。ってのはどうだィ?」
「……。……いいでしょう、それで手を打ちます」
「道のひび割れを作ったのは、渡部由美香って女だ」
「なるほど、渡部由佳理は家族の安否を確認するために来たと。それでここまでたどり着いたんですか? 素質がありますね」
狭間は敵対してくる者に容赦しない。渡部由美香はおそらくウワサになっていた大量入荷の材料だろう。そして名前からして渡部由美香は渡部由佳理の親族だ。
すぐに背景を把握して佐藤はうなずく。
「そンで、詰め寄ってきたのサ。妹はどこにいるのか教えろと」
「あなたに? それはすごい」
「だろゥ? だから代価を提示して答えた」
「……彼女に代価が払えるとは思えませんが」
「いィや、今払ってるところだヨ」
「もしかして……」
「ご明察」
つまり狭間は渡部の危険を代価にしたのだ。渡部がうっかり死んでも死体を回収して材料にすればいい。どうにか生き延びて裏に馴染むことができた場合は、正式に客としてあつかえばいいのだ。
または裏に入ったことで渡部は由美香の死の真相を知るかもしれない。恨みから狭間に攻撃する可能性もある。そうすれば狭間は悩むことなく彼女を材料にするだろう。
仮に客にならず材料にできなかったとしても、渡部は由美香の死を教えただけだ。どうやっても狭間に損はない。
「……はぁ、だからあなたなんて嫌いです」
「お褒めに預かり光栄だねェ」
「褒めてません!」
「禁煙の記憶を売りたくなったら、また来な」
「売りませんっ!!」
★★★
イライラしながら帰っていった佐藤を見送ると、狭間は立ってそば茶を淹れた。アオガネがいれば頼むのだが、残念ながら今は不在だ。
狭間は渡部という女にさほど興味がなかった。まだ生きていたのか、と驚いたくらいだ。かといって早く死ねばいいとも思わない。敵対されたらめんどうだ、と感じるが対策を取るほどでもなかった。
佐藤の禁煙の記憶は、便利で高く売れる。どうやったら売ってもらえるのかと打算をめぐらせたが、うまくいかなかった。そのことだけが狭間は残念だ。
熱いそば茶を立ったまますすりながら、店の扉をながめる。少しからかいすぎただろうか。佐藤のように真面目で頭の硬い相手だと、楽しくてついやりすぎてしまう。
まぁそれでも問題ない、どうにでもなる。佐藤にとってはとんでもない結論を出すと、マグカップを置いて狭間は大きく伸びをした。そろそろアオガネが帰ってくるはずだ。
そば茶を飲みながら、テーブルの上をかんたんに片づける。今日はあっち側……一般の客が来たので、少し散らかっていた。宝石が見たいというので、あたりさわりのないものを出していたのだ。
そうこうしていると、扉の横にある窓がするりと開いた。とはいえ、衝立でほとんど見えないが、狭間にはわかる。
そして灰色の猫……アオガネがぬるりと窓から入ってきた。はかったように窓が閉まる。そのあと、ぬっと衝立の向こうで男が立ち上がった。
「もどった」
「おかえり、報告はあとで聞くヨ」
「出かけるのか」
「あァ、人間ってのは飯が必要なのサ」
「もう太福屋はしまっているぞ」
「まんじゅうしか食わねェと思われてンのか……まんじゅう以外の食いものを知らねェのか……調整が必要だな」
狭間は苦い顔でつぶやくと、留守番を頼んで外へ出た。
「わかった」
店内には、わかっていない顔のアオガネが残された。




