第75話 禁欲宣言
「もちろんそれだけではございません」
「ほう」
現状だと単純にからかわれているだけにしか思えないからな。
理由があるなら聞かせてもらおうじゃないか。
「イロウさまの、面倒な異性に好かれそうなフェロモン的なサムシングにあてられたようなものと言いましょうか」
「なんだよその怪しいフェロモン」
「少なくともそれにあてられた実例がここに一人」
それ自分が「面倒な異性」って認めたようなものでは?
自分の顔が引きつるのを感じると、アナは「フフッ」と小さく噴き出した。
「やっぱり。イロウさまならわたしの全てを受け入れてくれると思いました」
「受け入れるって……そりゃ、他人のアレコレに文句を付けられるほど俺はできた人間というわけでもないからな」
今日だけで個性的な面々はたくさん見てきたけど。
というか、これは俺がアナを「受け入れた」に入るのだろうか?
「……婚姻届けは勝手に出すなよ?」
「もちろんです。身体だけの関係でも構いません」
それは構ってくれ……
俺の肩にぴったりとくっつきながら、アナはゆっくりと続ける。
「……わたしはメイドです。メイドとしてお仕えするご主人さまはただお一人ですが、一人の女として合体したいお相手は別でもいいと考えております」
「がったい……」
「あ、よく考えたらイロウさまがご主人さまとくっつけば自動的にわたしもおまけで」
「お前の欲望にラッカリカを巻き込んでやるな」
あと、自分をおまけとかカウントするもんじゃありません。
たしなめるように俺が言うと、アナは「まあ将来のお話はおいおい」と嘆息してから話を元へ戻した。いやおいおいも何もしませんけど――
「イロウさまって、わたしのような自分本位で相手を押し倒すような女性はお嫌いですよね?」
ぴったりくっつけていた肩を離してアナが俺の目を見てくる。
反論しようとした俺は、それ以上の反撃を食らって言葉を返せなかった。
「誤解はなさらないでください。別にわたしは怒ったりショックを受けたりしたわけではございません。むしろイロウさまのような殿方は外堀を埋めてしま――げふんげふん。ただの確認にございます」
「おい今なんて言った?」
外堀を埋められた程度で折れていたら今頃俺は久良音の尻に敷かれている。
ジト目をする俺の視線からササっと逃れるように前へ出て、アナはこちらへと振り返った。
「なので、方針転換をすることにしました」
「方針転換……?」
はい、とアナは頷く。
「推してダメなら引いてみろ、というモノです。これからわたしは、イロウさまがガマンできなくってご自分から手を出してくださるまで、わたしからイロウさまを押し倒したりなど直接的な行動は慎むことにしました」
「…………」
な、なんて……
なんて、当たり前のことを言ってるんですか……?
「言ってしまえば禁欲宣言ですね。あ、もちろんイロウさまにその気になってもらえるようあの子この手で誘惑したりはしますのであしからず」
「俺の精神衛生上、それをやめてほしいんですが」
「ではイロウさまはわたしが欲求不満で暴発してもいいと?」
自分で言うな自分で。
たまらず俺は大きな嘆息を吐き出す。
……なにシリアスな感じで禁欲宣言なんてしてくるんですかねぇ。
こっちの気も知らないで、まったく……
俺は普通の人間である。
人間の三大欲求なんて言われる性欲だってもちろんあるし、アナはとても魅力的である。
それ以前にラッカリカをはじめ、ウチの事務所の面々は揃いも揃って美人美少女ばかり。
え、この上で俺はアナに生殺しをされるの……?
……大丈夫なの、俺?
万が一にでも、我慢できなくなって問題を起こしたりなんてしないよう気を付けないとな……
…………現代で切腹ってどういう手続きすればいいんだろ?




