270.澱んだ町
その男は自室の中を落ち着きなく歩き回り、その顔には苛立ちを露わにしていた。
イバルグ・ナロムロック。オロンテトの中でも辺境に位置し、治安が悪い小さな町の貴族家の当主である。
彼がなぜ苛ついているのかというと、飼っていた竜類が逃げ出して帰ってこないためである。
この町では違法な取引が横行している。領主である貴族もまたそれに手を出しているため、殆ど取り締まりなどもない。
金と頭だけは回るため、都合が悪ければ金で口止めをし、他所から来た者には言葉巧みに嘘を話して信じさせる。閉鎖的で澱んだ町であった。
そんな町の貴族たちの間では、竜類を飼うというのは一つのステータスであった。希少で美しい竜類はまさに競い合うのに最適であり、物の取引にもその爪や鱗を使用することが間々あった。
保護対象である竜類を新たに飼うことは国の法で禁止されている。だが、保護対象と指定される以前から飼っているものに対しては適応されない。
そのため、例え新たに飼ってそれが外部に漏れたとして、入手経路さえ隠してしまえばもともと飼っていた、飼っていた竜類の子孫だ、などと誤魔化せてしまうのである。町全体がグルである以上、隠すのも難しくはない。
イバルグもまた、最近新たに竜類を買った一人である。繁殖方法や生息地など、詳しい生態が不明の竜類は中々仕入れなどもなく、イバルグは運よく懇意にしている商人から仕入れの話を聞きつけ、多額の金で買い上げたばかりだったのだ。
親からはぐれたのであろう所を捕獲された、小さく体の弱い幼い竜類を、イバルグは乱暴に扱った。食物や住み家は上質なものを与えていたが、まだ成熟していない鱗を幾度も抜き取り、命にかかわる危険な芸を無理やり仕込ませた。
その結果、体の成長はすぐに止まり、目に怪我を負い視力が著しく弱まってしまった。
そしてある日、その竜類は訓練中に縄を噛み千切り逃げ出したのである。
高い金をかけてきたため、当然イバルグは怒り狂った。そして使えるものはすべて使って周辺を捜索させた。
それから数週間が経っても未だに発見に至らないため、彼はこうして憤っているわけである。
そんな彼のいる部屋の扉が、不意にノックされた。
「誰だっ!!」
怒りに任せた大声で反応すると、扉の向こうから怯えた声で返事が返ってくる。
「し、失礼します、ご主人様……。 近隣の町へ捜索に向かっていた者から、竜類についての情報が手に入ったと連絡を受けまして、そのご報告に参りました……」
「なんだと!? 早く話せ!!」
そう言ってイバルグはズカズカと扉に向かって歩き、乱暴にその扉を開けた。扉の前にいた使用人は自分で開こうと取っ手に手を伸ばしていたため、急に空いたことに対して「ひっ」と短い悲鳴を上げたが、すぐに「失礼いたします」と畏まって深々とお辞儀をしてから話し始めた。
「その者の話によりますと、ネモンの町を活動拠点にしているエルトネから、数日前に白衣を着て籠を持った人物が首都へ向かうフコアックに乗り込んでいるのを見た、その際に籠の中身が動いて見えた、という話を聞いたそうです。
そのことから、おそらく首都の研究機関に連れていかれたのではないか、と……」
それを聞いたイバルグは、少し考えるしぐさを見せた後その使用人にこう言った。
「レシンを呼んでこい!」
「は、はい!」
言われた使用人は慌ててお辞儀をして部屋を出ていこうとした。その直後、
「お呼びですか、ご主人様……」
という声とともに、いつの間にか一人の少年が姿を現した。無地の一見質素に見える、しかしよく見れば布擦れの音がし難い上質な衣服に身を包んだ、無表情の少年である。
淡々とした口調に暗く沈んだ瞳からは意思が読み取れず、その様子はまるで作り物のようであった。
「首都の研究機関から儂のペットを連れ戻してこい。 無事に戻ってきたなら、そうだな……久しぶりに旨いものでも食わせてやろう」
「……承知しました」
イバルグの言葉に少年、レシンはグッと拳を握り締めて頭を下げて膝まづく。そして立ち上がると、素早い身のこなしでその場からあっという間に姿を消した。
彼が去った後を見て、
「赤子のころから調教した甲斐があったな」
と、イバルグは満足げに言った。それから、すぐそばで腰を抜かしていた使用人を見ると、
「何をしている、さっさとどっかへ行け!!」
と声を荒げた。使用人はびくりと体を震わせてから、「は、はいっ!」と裏返った声で返事をして、床を這うようにして立ち上がり慌ててその場から離れていった。
去っていく背を見届けてから「フンッ」と一つ鼻を鳴らすと、イバルグは部屋の中に戻ってソファにどっかりと腰掛け、手近なところに置いてあった酒を瓶ごと呷った。




