魔眼
「――ということで、縛られて捕まっていたわけですよ。いやぁ、もう少しで干からびるところでしたよ~」
ステイルは、まるで他人事のようにへらへらと笑った。
その向かいで、マーカスは厳しい視線を送り続けている。
手には、いまだ熱を帯びたままの煙管。
マーカスは、その先端をゆっくりとステイルの鼻先へ突きつけた。
「お前が縛られていた事情は分かった」
「ええ。ひどい連中でしたよ、本当に」
「だが――肝心なところを隠しているな」
ステイルの笑みが、わずかに引きつった。
熱せられた煙管の先が、鼻先へさらに近づく。
「どうしてお前は、こんな場所にいた?」
マーカスの声は静かだった。
だが、その静けさには、逃げ道を一つずつ塞いでいくような圧があった。
「そして、なぜそこまで必死になって、ティアーノから逃げようとしている?」
「いやぁ、それはですねぇ……」
ステイルは愛想笑いを浮かべながら、何かうまい言い訳を探しているようだった。
しかし、マーカスの視線は微動だにしない。
スカイリア王国の完璧王子。
ましてや、人の嘘を見抜く力を持つマーカスを、ごまかせるはずもなかった。
やがてステイルの顔から血の気が引いていく。
「……やっぱり、ごまかせませんかぁ」
乾いた笑いを漏らしながら、ステイルは頭をかいた。
「さすがは殿下だ。言わなきゃ……駄目ですよねぇ?」
上目遣いでマーカスの様子をうかがう。
だが、返ってきたのは、さらに冷たい視線だけだった。
沈黙が落ちる。
やがて観念したように、ステイルは小さく息を吐いた。
「……魔眼を手に入れた奴がいるって」
その瞬間。
場の空気が凍りついた。
この世界は、剣と魔法が実在する世界である。
神も、魔物も、そして天使も悪魔も、決して空想の存在ではない。
天使と悪魔。
似たように人ならざる力を持つ存在ではあるが、その性質はまるで異なっていた。
天使は、どれだけ請い願おうとも、人の前へ姿を現すことはない。
彼らが姿を見せるのは、自らが気に入った者の前だけ。
すなわち――天国へ連れていく価値があると認めた者の前にしか、現れないのだ。
一方、悪魔は違う。
悪魔は、律儀な気まぐれ屋だった。
十分な供物さえ用意すれば、願いをかなえるかどうかはともかく、交渉の席には着く。
そして、差し出された命の質と量に応じて、人ならざる力を与える。
どれほど平凡な者であろうと、悪魔との契約一つで、たちまち英雄にも怪物にもなり得るのだ。
かつて魔王が絶大な力を手に入れたのも、悪魔と契約したからだと言われている。
ゆえに、この世界において悪魔召喚は、魔王崇拝にも等しい大罪だった。
悪魔召喚を阻止するためであれば、国同士が軍を動かし、戦争すら起こり得る。
それほどまでに危険な行為でありながら、それでもなお、悪魔を呼び出そうとする者は後を絶たない。
力を求める者にとって、悪魔が与える恩恵はあまりにも魅力的だからだ。
そして、悪魔がかつて魔王へ授けたとされる力の一つ。
それが――魔眼だった。
その瞳に捉えられた者は、たちまち心を奪われる。
理性も、忠誠も、愛情もねじ曲げられ、魔眼の持ち主の意のままに操られてしまうという。
「誰が……そんなものを」
マーカスの声が低くなる。
そして、何かに思い当たったように目を見開いた。
「まさか……」
ステイルは答えなかった。
ただ、深くうつむく。
「殿下……」
いつもの軽薄な声ではなかった。
「俺は、ここまでしか言えないです」
そう言うと、ステイルはその場に膝をつき、額を地面へつけた。
「これ以上しゃべったら、本当に殺される。逃げても、隠れても、たぶん駄目です」
マーカスは、黙ってステイルを見下ろしていた。
しばしの沈黙ののち、迷いなく紙と筆を取り出す。
その場で短い手紙をしたためると、封を施し、ステイルへ差し出した。
「ステイル」
「……はい」
「この手紙をスカイリアの宰相へ届けろ」
ステイルは恐る恐る顔を上げた。
「ですが、殿下は……」
「あとは俺が対処する」
マーカスはきっぱりと言い切った。
「お前は一刻も早く国へ戻れ。道中、誰にも捕まるな。余計な情報も漏らすな」
「殿下……」
「返事は?」
ステイルは手紙を強く握りしめる。
そして、今度ばかりはふざけることなく、深く頭を下げた。
「……必ず届けます」
その答えを聞き、マーカスは静かに立ち上がった。




