亜細亜座2
本日の目玉は下手噺の鈴であろう。彼女が出てくると、ワァッと歓声が上がり空気が震える。
そして彼女が座ると同時に観客は口を噤み、手を腿の上に乗せ静かに語り出しを待つ。すると、空気は一気にはりつめる。
「えぇ…最近では創作的に新しいことにチャレンジしよう、団員が増えまして。まぁ温故知新、古きを吸収し新しきを確立せんとしているわけですが。私もこのままではいけないと思いましてね、先日より"下手噺"なんてのをやってみてるんです。」
端の方にいた女達が感嘆のため息をもらす。彼女達は熱狂的な鈴のおっかけだ。
「まぁ形は落語と似ているんですけども、もっと下賤なもの…といいますか、服装も持ち物も、そいでもちろん噺も適当。だから本当は私の方が前座でやらなくちゃならなかった訳なんですが。」
困ったように笑いながら鈴が言うと、劇場のあちこちでもクスクスと笑いが聞こえてくる。
「最近、みなさんは身の回りで苛立つことなんて無いですか?私はね、まぁとにかくたくさん苛立つことに出会いますし、愚痴なんてのもよく聞くんですよ。」
まるで洗脳だな。
客席から鈴の姿をじっと見ていたケイトはつくづくそう思ってしまう。普段のジェスターからは想像ができない程、クルクルと表情や声色を変えて客を飲み込んでいく。
それでいて、何人も不可侵の領域を彼女自身持っていて、それが余計に人を惹きつけるのだ。
「この噺も、随分よくできているよねぇ。」
彼女の作る法螺話は見ようによっては、政治政党の演説のようにすら聞こえてくる。ある人にとってはその音は延々に消えない、音となって記憶にのこる。
彼女が話すと、どんなことも納得がいってしまう。それが本当の納得でないとしても。
さらに彼女は公演を行う劇場によっても、うまく噺や演舞の内容なんかを変えてくる。今日のようにトラストルノ出生者がほとんどの一般市民が多く訪れる劇場では、"組織"というものへの皮肉など、いわゆるトラストルノ理論へ関連付けたものや、派手な見世物を多演する。
が、外からの移住者やビジネスで訪れているような人の多い劇場では、トラストルノ理論への皮肉などは言っても通じない。さらに噺の節々にある言い回しも変えなくては、トラストルノの常識では客が理解できなくなる。そして伝統を重んじた型崩れのない見世物を中心に行うのだ。
演者としては当然なのかもしれないが、あの忙しい中でコロコロといくつもの表情や噺を作り変えていくのは相当に骨が折れることだろう。
「ご苦労様だなー…」
ケイトはこんな大変な商売で生計を立てようとは思わない。そもそも彼女のおかげで亜細亜座を隠れ蓑に出来ているのだが、だからといって自分もここで、とは思えない。
ケイトは鈴の噺を最後まで聴き終えると、そのまま足早に楽屋に向かう。