第66話:わだかまりの氷解、そして新たな友
月曜日の朝。窓から差し込む陽光は穏やかだが、教室内の空気は昨日の休日で聞いていた通り少し、張り詰めているように感じた。
カイトが登校し、教室のドアを開けた瞬間、騒がしかった会話がピタリと止まる。すれ違うクラスメイトたちが、カイトの挙動を確認するかのように横目に見てくる。
その視線には「恐れ」が混じっているように思う。
(……佐藤が言ってた通りだな。やりづらくて仕方ない……)
カイトは内心で溜息をつきながら自分の席に座った。ホームルームが始まり、事務的な連絡が終わると、教壇に立つ教官がカイトに声をかけた。
「カイト、ホームルームが終わったら教官室に来い」
その言葉に、教室がわずかにざわめく。「また何かやらかしたのか?」「いや、今のカイトならむしろ表彰だろ」――そんな囁きを背に受けながら、カイトは教官室へと向かった。
教官室の奥、龍崎教官のデスク。そこには先に戻っていた相変わらず鋭い眼光を放つ龍崎が、数枚の書類を眺めていた。
「失礼します、教官」
「……来たか。座れ」
龍崎は顎で対面の椅子を指した。カイトが腰を下ろすと、彼は一枚の書面を差し出した。
「冒険者ギルドから、またお前に呼び出しがかかった。……例の件だ」
「例の件、というと……『複合上級職』のことですか?」
「そうだ。ギルド側は、この新職業の存在を公式に発表し、広く周知させる段階に入りたいと考えている。その際、第一発見者であり、かつ実戦での証明者であるお前の存在は無視できん。まずはメディアに対し、この職業の有用性を伝えるにあたって、お前の意向と、今後の協力体制について相談したいとのことだ」
龍崎の言葉に、カイトは少し身を乗り出した。複合上級職――自分が「魔騎士」や「調教師」として辿り着いた、未踏の領域。それが世に広まれば、さらにこの世界はダンジョンの攻略を進め、自分でも知らない単独ダンジョンのドロップなども出てくるかもしれない。
カイトにとって、自身が魔王を目指し、友人を沢山作るという目標に付随して、楽しみが増えることと同義であった。
「分かりました。僕にできることがあれば、協力します」
「いい返事だ。日取りは今日の午後の演習時間、ギルドの本部に直接向かう。学校側には既に話を通してある。演習扱いで欠席にはならん、ギルドには俺が送る」
「今日ですか……。了解しました」
「話は以上だ。戻っていいぞ」
龍崎はそれだけ言うと、再び書類に目を戻した。去り際、カイトはふと振り返ったが、教官の横顔にはどこか、教え子の急成長を眩しむような色が混じっていた気がした。
昼休み。
カイトは佐藤、田中、鈴木の三人とともに、購買で買ったパンを片手にだべっていた。昨日、あんなに豪華なBBQを楽しんだ後では、コンビニパンの味は少し物足りなく感じたが、気心の知れた友人との会話は何物にも代えがたかった。
「午後の演習、都営ギルド本部かよ。出世したなぁ、カイト」
佐藤がチョコパンを頬張りながら茶化す。
「出世っていうか、面倒事に巻き込まれてる感じもするけどね。あんた、変な契約書にサインさせられないように気をつけなさいよ」
田中の忠告に苦笑していると、不意に背後から凛とした声が響いた。
「――結城カイト君。少し、いいかしら?」
振り返ると、そこには九条院が立っていた。
学園の才女であり、常に毅然とした態度を崩さない彼女がいま話題の結城カイトに話しかけるという事態に、周囲の生徒たちの注目が集まる。佐藤たちが「……大丈夫か?」と少し心配を見せる中、カイトは立ち上がった。
「九条院さん。……いいよ、どこか場所を変える?」
「ええ、中庭のベンチでお願いできるかしら。二人で話したいの」
その「二人で」という言葉に周囲がさらにどよめくが、九条院は一切気にすることなく歩き出した。
校内の中庭。放課後になれば帰らずダンジョンの攻略などで相談しあっている生徒などで賑わう場所だが、昼休みの終わりが近いこの時間は人通りも少ない。
カイトと九条院は、木陰にあるベンチに腰を下ろした。
「……まず、謝らせてほしいの」
沈黙を破ったのは九条院だった。彼女はカイトの方を見ようとせず、自身の膝の上で固く握りしめた手を見つめていた。
「私は今まで、あなたのことを理解できないからという理由だけで、身勝手に見下し、失望していた。何度も転職を繰り返し、効率の悪い道を選んでいるように見えたあなたを、『努力の方向を間違えている愚か者』だと決めつけていたの」
彼女の声は微かに震えていた。
「それがどれほど傲慢なことだったか。三十層であなたの戦いを見て、そしてあなたに救われて……ようやく気付いた。あなたは、私には想像もできないほど遠い先を見据えて、誰よりも孤独に、誠実に積み上げていたのね。……本当に、ごめんなさい」
九条院はベンチから立ち上がり、カイトの正面に立ち目線を合わせてから、深く、深く頭を下げた。学園のトップを走り、プライドの高い彼女がこれほどまでに明確な謝罪を口にすることの重みを、カイトは静かに受け止めた。
「……謝罪は受け取るよ、九条院さん。顔を上げて。……それに、君にはお礼も言わなきゃいけないんだ」
「お礼……?」
不思議そうに顔を上げた彼女に、カイトは微笑んだ。
「三十層で僕が戦えたのは、君が時間を稼いでくれたからだ。あの時、君は自分が勝てないことが分かっていたはずなのに、僕を守るためにボスの前に立ち塞がってくれた。……正直、驚いたよ。僕には自分を護れる力があったから助けに入れたけど、君はそうじゃない状況で、他人のために命を懸けようとした。それは、実力以上の『尊敬』に値することだと思う。だから、本当にありがとう。助かったよ」
カイトが真っ直ぐに感謝を伝えると、九条院の瞳に驚きが走り、やがてそれは潤みを帯びた。
「……あなたって人は、本当に……すごい人なのね」
九条院は呆れたように、しかし清々しそうに息を吐いた。
謝罪とお礼。重いはずのやり取りが一周回って、二人の間に不思議なほど穏やかな空気が流れる。
ふと、どちらからともなく小さく笑い声が漏れた。
「くすっ……。なんだか、おかしな感じね。あんなにいがみ合っていたわけでもないのに、こうして向き合うまでずいぶん遠回りをしてしまった気がするわ」
「はは、そうだね。でも、今日話せてよかったよ」
九条院はカイトをしっかりと見つめ、少し照れくさそうに言葉を繋いだ。
「今更、と言われてしまうかもしれないけれど。……良かったら、私と『友達』になってくれるかしら?」
それは、学園の才女でも名家のお嬢様でもない、ただの一人の少女としての等身大の願いだった。
カイトは迷うことなく、右手を差し出した。
「もちろんだよ! 友達が増えるのは、いつでも歓迎だ」
差し出された手を、九条院がギュッと握り返す。
昨日までのカイトにはなかった、新たな「絆」。
学園中が自分を畏れ、噂の渦中に置く中で、この中庭にだけは、等身大の少年と少女の確かな友情が芽生えていた。
「……さて、それじゃあ実は今日、午後からはギルド本部行かないとなんだ」
「そうなの、やっぱり大変なのね。頑張ってね」
「ありがとう、頑張ってくるよ」
カイトは軽やかな足取りで中庭を後にした。
その背中を、新しくできた友人がいつまでも優しく見守っていた。
『現在のジョブ:調教師(Lv.21)』
『使役モンスター:イスト(Lv.11)、ティロフィ(Lv.7)』




