第36話:静寂の森、潜む敵影
転移門をくぐり、カイトが降り立ったのは、これまでとは全く異質な世界だった。
「……これが、二十一層か」
見上げるほどの巨木が幾重にも重なり、空を覆い隠している。木漏れ日さえも届かない森の中は、昼間だというのに薄暗い。湿った土の匂いと、どこか鼻を突く腐敗した植物の香りが混じり合い、肌にまとわりつく。
何より異様なのは、その「静寂」だった。鳥の声も、風の音も、自らの足音さえも吸い込まれていくような不気味な沈黙。
カイトは【翡翠の杖】を構え、慎重に一歩を踏み出した。
――その瞬間だった。
シュッ、と空気を切り裂くような無機質な音が、真上から降ってきた。
「っ……!?」
見上げる余裕さえない。カイトは反射的に左手を突き出し、脳内にある「かつての記憶」を呼び覚ます。
指に嵌められた【追憶の指輪】が、カイトの意志に応えて淡く輝いた。
「シッ!」
本来、魔法使いには存在しないはずの防御体勢。盾士時代の経験が、雷狼の盾へ瞬時に魔力を行き渡らせる。
直後、キィィィン! と火花を散らすような衝撃がカイトの腕を襲った。
そこにいたのは、全長一メートルを超える巨大な蜂、キラービーだった。
無音の急降下。もし反応がコンマ一秒遅れていれば、麻痺毒を帯びた巨大な針がカイトの首筋を貫いていただろう。
「……教官の言った通りだな。索敵を怠れば、魔法使いは一瞬で詰む」
カイトはガードを維持したまま、杖を至近距離で固定する。
「【魔力矢Ⅱ】」
魔力の矢が、至近距離にいたキラービーの羽をズタズタに引き裂く。機動力を失い地面に落ちた蜂の頭部に、カイトは無慈悲に追撃の魔法を叩き込んだ。
二十一層の難易度は、これまでの草原エリアとは文字通り次元が違った。
数分歩けば、どこからともなく敵が現れる。
茂みが不自然に揺れたかと思えば、木の葉に完璧に擬態したフォレスト・ウルフが三方向から同時に飛びかかってくる。
カイトは魔法使いでありながら、前衛職のような身のこなしでそれを受け流し、時には盾で衝撃を殺しながら、冷静に火球を撃ち込んでいく。
「はぁ、はぁ……。流石にこの密度は骨が折れるな」
カイトの額に汗が滲む。ゲーマー時代の戦術眼、盾士時代の身のこなしがあるからこそ致命傷は避けているが、魔法使いの貧弱な体力では、かすり傷一つが命取りになりかねない。一対一なら敵ではないが、森の死角を利用した波状攻撃は、精神を極限まで削り取ってくる。
さらに足元からは、地面に擬態していたマンイーターが巨大な口を開けて迫り、頭上からはグリーン・スライムが酸の粘液を滴らせながら降ってくる。
「……くそっ、キリがない。だが、これこそが求めていた環境だ」
カイトは【ガードスタンス】を解くと同時に、後方へと跳躍した。
暗闇から「睡眠」の魔弾を放とうとしていたオウル・メイジの気配を察知し、着地と同時に【風刃】を放つ。殺気だけを頼りに放たれた風の刃は、梟の魔物の首を正確に刈り取った。
一息つく暇もなく、カイトは周囲の安全を確認すると、討伐した魔物から得た戦利品を回収し始めた。
手慣れた手つきで魔石を拾い上げ、さらに運良くドロップした【麻痺毒の針】を手に取る。
「ドロップ率は一パーセント程度だったか……。けど、棚牡丹的に獲得出来たらありがたいな」
カイトは虚空に手をかざし、個人スキルである【宝物庫】を開いた。
そこには、これまで集めてきた大量の魔石や、素材、ポーションなどのアイテムが整理されて収められている。拾ったばかりの素材を投げ入れると、カイトは再び杖を構え直した。
「今の実力で二十二層へ行くのは、流石に無謀だ。……まずは、ここで『仕上げる』」
それからの数時間は、まさに地獄のような乱獲作業だった。
カイトは一箇所に留まらず、広大な二十一層を人のいない方向へ縦横無尽に駆け回った。
『中級経験値ブースト』の効果は凄まじかった。
魔物を十体、二十体と狩るたびに、体内の魔力回路が熱を帯び、強固になっていくのがわかる。一戦ごとに、魔法の威力が増し、詠唱の安定感が高まっていく。
そして。
カイトの脳内に、システムウィンドウが浮かび上がった。
『レベルアップ:9→10』
『スキル習得:【クアッド・バースト】が解放されました』
カイトは足を止め、深く息を吐いた。
全身を巡る魔力が、これまでの数倍に膨れ上がっている。
「……よし。試し撃ちといこうか」
カイトはあえて足を止め、炎弾を上空に放ち魔物たちを誘った。
すぐに反応があった。
上空からは十体ほどのキラービーの群れ。
左右の茂みからは、五頭のフォレスト・ウルフ。
さらには、前方の影から二体のオウル・メイジが姿を現す。
カイトを「確実に殺せる」と判断した魔物たちの、完璧な包囲網。
だが、カイトの唇は吊り上がっていた。
「……ちょうどいい数だ」
【翡翠の杖】を高く掲げる。
カイトは意識を集中し、体内の魔力を属性ごとに振り分けた。
火、氷、雷、風。
大魔法使いが操る四つの理が、カイトの周囲に渦巻く。
「【クアッド・バースト】」
発動。
瞬間、カイトを中心として四色の魔弾が放射状に放たれた。
上空のキラービーには、追尾性能を持った『氷』の魔弾が突き刺さり、一瞬で凍土の塊へと変える。
左右から迫るフォレスト・ウルフには、連鎖する『雷』と爆発する『火』が襲いかかり、断末魔を上げる暇さえ与えずに炭化させた。
そして、影に潜んでいたオウル・メイジには、真空の刃となった『風』が螺旋を描いて襲い、その魔力障壁ごと切り刻んだ。
ドォォォォォン!!
四つの属性が混ざり合い、激しい衝撃波が森を揺らす。
土煙が晴れた後には、カイトの周囲に立っている魔物は一体もいなかった。
「……なるほど。これが『広域破壊職』の真骨頂か」
【クアッド・バースト】の使用感は、想像以上だった。
個別の魔法を四回放つのとは違う。四つの術式が互いに干渉し、威力を底上げしているのだ。さらに、カイトの持つ『複製魔法陣』を併用すれば、この何倍もの殲滅力を発揮できるだろう。
「この威力、この効率……。そしてブーストがあれば、『あそこ』にさえ行けば七十レベルまでは文字通り一瞬か」
カイトは、宝物庫に次々と吸い込まれていく魔石の山を眺めながら、確かな手応えを感じていた。
クラスメイトたちが、必死にパーティーを組んで二十一層の恐怖と戦っている間に、自分はこの孤独な環境で、化け物じみた速度で進化していく。
罪悪感はない。
あるのは、自分の目指す場所への道が、明確に見えたことによる歓喜の感情だった。
「……さて、まだ安全に色々と稼がせてもらおうか」
カイトは【翡翠の杖】に付着した汚れを軽く払い、深い森の奥へと視線を向けた。
『現在のジョブ:大魔法使い』
『現在のレベル:10』




