【第23話:Cランク】
「――合格だ。試験など時間の無駄だろう」
ギルドマスター室。 豪奢な執務机に足を投げ出したガーネットは、新しい金属プレート――青銀色に輝く『Cランク』の認識票を、トランプのように僕たちへ投げ渡した。
「いいんですか? 他の冒険者から不満が出ますよ」 「測定器を破壊し、古代遺跡の暴走を止めたガキに、スライム狩りの試験をさせて何になる? 文句がある奴がいれば、お前たちが黙らせればいい」
彼女は葉巻を吹かしながら、ニヤリと笑った。 豪快な論理だ。だが、今の僕にはありがたい。 手続きの時間を短縮できる。
「感謝します、マスター」 「礼には及ばん。……それとな、レイン。お前の故郷の方角だが」
ガーネットの目が、ふと鋭く細められた。 彼女は窓の外、北西の空を見上げている。
「最近、あのあたりの『地脈』が乱れている。魔導計器が妙なノイズを拾うんだ。……里帰りするなら、気をつけろ」 「地脈の乱れ……?」 「ああ。嵐の前触れかもしれん」
その言葉が、不吉な予言のように耳に残った。
***
宿に戻ると、予想もしなかったものが届いていた。 差出人は、母のマリア。 封蝋が少し歪んでいる。急いで封をした証拠だ。
「……嫌な予感がする」
僕はエリルが見守る中、手紙を開封した。 中身は短かった。母さんの震える筆跡が、事態の深刻さを物語っていた。
『レインへ。 急いで戻ってきて。 お父さんが倒れたわ。外傷はないけれど、意識が戻らないの。 村の様子もおかしい。森から音が消えて、空の色が……』
文字はそこで掠れていた。 父さんが倒れた? あのLv.46の、物理の化身のような父さんが? 病気か? いや、母さんは高レベルの魔導師だ。普通の病気なら治せるはずだ。それができないということは……。
「……レイン」 「帰るぞ、エリル。今すぐにだ」
僕は手紙を握りつぶし、立ち上がった。 昇格の余韻に浸っている場合じゃない。 僕たちはすぐに荷物をまとめ、ギルドで最高速の馬を二頭買い上げた。 セリアへの挨拶は、短い置き手紙だけで済ませた。彼女なら事情を察してくれるだろう(あるいは後で怒鳴り込んでくるだろうが)。
王都の門を抜け、街道を駆ける。 目指すは北西。故郷の村。 通常なら馬車で一週間の距離だが、馬で駆け通せば三日で着く。
だが。 王都を離れて半日もしないうちに、僕たちはガーネットが言っていた「異変」を肌で感じることになった。
「……静かすぎる」
手綱を握るエリルの呟きが、風に溶ける。 街道には、他の旅人や商人の姿が極端に少ない。 すれ違う馬車も、御者は青ざめた顔で、まるで何かに追われるように馬を鞭打っている。
それだけじゃない。 環境音が死んでいる。 鳥のさえずりも、虫の羽音も聞こえない。 聞こえるのは、馬の蹄の音と、乾いた風の音だけ。
「レイン、空……見て」
エリルが空を指差す。 夕暮れ時だった。 だが、その夕焼けは、いつもの鮮やかなオレンジ色ではなかった。 どす黒く、紫がかった赤。 まるで、古傷の淤血のような、不健康な空色が広がっていた。
『鑑定』。
僕は馬上でスキルを発動し、大気中のマナを視た。
【環境マナ】 状態:澱み、停滞、微弱な毒性
(なんだこれ……マナが腐っている?)
通常、マナは風のように循環している。 だが、今のこの場所のマナは、泥沼のように滞留し、ドロドロと渦巻いている。 吸い込みすぎると、精神が蝕まれそうな気配だ。 僕とエリルは高レベルだし、僕は【賢者の指輪】、エリルは【影蜘蛛のスーツ】で魔法耐性があるから平気だが、一般人なら体調を崩すレベルだ。
「父さんが倒れた原因は、これか……?」
未知のウイルスか、呪いか。 あるいは、黒竜王が通り過ぎた影響が、時間差で現れているのか。 いや、それにしては範囲が広すぎる。
「止まるな、エリル。夜通し走るぞ」 「ん。……でも、何かいる」
エリルの【危機察知】が反応する。 街道の脇、枯れ始めた森の暗がり。 そこから、複数の視線を感じる。 獣の気配ではない。もっと湿っぽく、粘着質な視線。
「構うな。襲ってくるなら轢き殺す」
僕は馬の腹を蹴った。 Cランク冒険者となり、古代の兵器の鍵を持ち、最強の装備を纏った僕たち。 けれど、この世界を覆い始めた「得体の知れない不安」は、数値や装備では拭い去れないものだった。
蹄の音が、不気味な静寂の荒野に響き渡る。 故郷まで、あと二日半。 その道程は、これまで経験したどんなダンジョンよりも、長く、暗く感じられた。




