【第19話:孤独な闇】
地下2階層に降りた瞬間、空気が変わった。 カビ臭さは消え、代わりに張り詰めたような静寂と、鼻の奥がツンとするような高濃度のマナが漂っている。 床には幾何学模様のタイルが敷き詰められ、壁には意味深なレリーフが刻まれている。
「……レイン、床。おかしい」
エリルが足を止めた。 彼女の【危機察知】と、僕の【鑑定】が同時に警鐘を鳴らす。 だが、遅かった。 僕たちが踏み入れた空間そのものが、巨大な「転移術式」だったのだ。
『侵入者検知。防衛プロトコル・タイプβ(分散)を実行』
無機質なアナウンスと共に、視界が歪む。 床が発光し、僕とエリルの間の空間が引き裂かれた。
「レインッ!」 「エリル! 動くな、すぐに合流す――」
伸ばした手は空を切り、僕の意識は唐突な浮遊感に飲み込まれた。
***
ドサッ、と硬い床に投げ出された。 強烈な眩暈に襲われながら、僕は即座に身を起こし、周囲を警戒した。 暗い。 さっきの通路とは違う、閉鎖された区画だ。 壁からは冷気が染み出し、吐く息が白い。
「……くそっ、分断されたか」
最悪のパターンだ。 前衛のエリルと、後衛(兼・指揮官)の僕。二人が揃って初めて機能するパーティだ。 単独では脆い。特に、僕は近接戦闘が不得手で、エリルは魔法防御が低い。
(エリルなら大丈夫だ。あいつはしぶとい)
自分に言い聞かせ、僕は【魔力ランタン】を掲げた。 その光が照らし出したのは、通路を埋め尽くす「白い霧」……いや、違う。
『ウゥゥゥ……』
怨嗟の声。 霧が集まり、ねじれ、人の形を成していく。 半透明の身体に、虚ろな目。 悪霊だ。しかも、一体や二体じゃない。十体以上が僕を取り囲んでいる。
【怨嗟の集合体】 Lv. 19 特性:物理無効、精神汚染、生命力吸収
「物理無効……僕単独の時に限ってこれかよ」
剣は通じない。殴ってもすり抜けるだけだ。 【火弾】なら倒せるが、この狭い通路で連発すれば酸欠になる。それに、敵の数が多すぎてマナが持たない。 レイスたちが音もなく迫ってくる。 肌がビリビリと痛む。マナを吸われているのだ。
(落ち着け。視るんだ。幽霊なんて非科学的な存在じゃない。この世界における幽霊とは何だ?)
恐怖を【並列思考】で切り離し、僕は『鑑定』の焦点を極限まで絞った。 レイスの正体。それは「残留思念」を核にして集まった、汚れたマナの塊だ。 台風のようなものだ。核(目)があり、周囲のエネルギーを巻き込んでいるだけ。
「なら、解体できる」
僕は剣を捨て、両手を広げた。 攻撃魔法はいらない。使うのは**【魔力操作】**のみ。 レイスが僕の体に触れようとした瞬間、僕は自分自身のマナを波紋のように広げた。
「同調……逆位相……!」
敵のマナの波長を読み取り、それと正反対の波長をぶつける。 ノイズキャンセリングの原理だ。 頭が割れるように痛い。十体分の波長を同時に計算し、打ち消すなんて芸当、正気の沙汰じゃない。 だが、やる。
キィィィィン……!
空間が高周波で鳴動する。 僕のマナがレイスたちに干渉し、その結合を強制的に解いていく。
『ア、ガ……ァァ……』
レイスたちの輪郭がブレ、霧散していく。 魔法で焼き払うのではない。存在の定義そのものを否定し、ただのマナへと還す。 数秒後。 通路には、ただの静寂だけが残った。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
僕は膝をついた。 マナの消費は少ないが、脳の疲労が半端じゃない。 だが、勝った。 物理無効の敵を、魔法すら使わずに「解体」した。 これは大きな自信になる。
「エリル……!」
僕はふらつく足で立ち上がり、通路の奥へと走った。 マナの気配を探る。このフロアのどこかに、彼女もいるはずだ。
***
数分後。 僕は巨大な地下ホールの入り口にたどり着いた。 そこでは、壮絶な金属音が響き渡っていた。
「……ッ!」
広場の中央で、エリルが舞っていた。 対峙しているのは、全身が分厚い装甲板で覆われた、身長3メートルの巨人。 【ヘビー・ガーディアン】(Lv.21)。 物理防御特化のゴーレムだ。 僕の魔法なら内部破壊できるかもしれないが、エリルの短剣では装甲に傷一つつかない相性最悪の敵。
「加勢する!」 「――来ないで!」
僕が飛び出そうとした瞬間、エリルが鋭く叫んだ。 彼女は僕を見なかった。その目は、ガーディアンの一挙手一投足に釘付けになっている。 彼女の体は傷だらけだった。何度も吹き飛ばされたのだろう。 だが、その瞳は死んでいない。
「……こいつは、私がやる」
エリルが地を蹴る。 ガーディアンが巨大な戦槌を振り下ろす。 エリルはそれを紙一重で回避――いや、違う。 わざと、戦槌の側面に飛び乗った。
「ガガ……!?」
敵の攻撃の勢いを利用し、エリルは一気にガーディアンの肩口へと駆け上がる。 装甲は硬い。どこを刺しても無駄だ。 だが、動くものには必ず「可動部」がある。 そして、重装甲であればあるほど、関節への負担は大きい。
エリルは逆手に持ったミスリルの短剣を、ガーディアンの首の継ぎ目――装甲が重なる、わずか数ミリの隙間に突き立てた。
「そこっ!」
ただ刺すだけじゃない。 彼女は短剣の柄に全体重を乗せ、さらに足で柄を蹴り込んだ。 テコの原理と衝撃。 パキィン! という乾いた音が響く。 内部の重要なギアが砕ける音だ。
ガーディアンの動きが止まる。 エリルは空中で身を翻し、着地と同時に、今度は膝裏の隙間を切り裂いた。 自重を支えきれなくなった巨人が、轟音と共に崩れ落ちる。 動かなくなった鉄塊の上で、エリルは荒い息を吐きながら、短剣についた油を拭った。
「……ふぅ」
僕は呆然と見ていた。 魔法も使わず、力押しもせず。 純粋な「技術」と「観察眼」だけで、格上の重装甲を沈めたエリルの姿を。
「……お疲れ、エリル」
僕が歩み寄ると、エリルは振り返り、少しだけ誇らしげに鼻を鳴らした。
「遅い。……待ちくたびれた」 「悪かったよ。こっちもオバケ退治で忙しくてね」
僕はポケットから回復ポーションを取り出し、彼女に渡した。 エリルはそれを受け取ると、一気に飲み干し、ニヤリと笑った。
「レインがいなくても、これくらいできる」 「ああ。頼もしいよ、本当に」
お互いの無事を確認し、僕たちは拳を軽くぶつけ合った。 分断はピンチだったが、そのおかげで確信した。 個々でも戦える。ならば、二人が揃えば「無敵」だと。
「行こう、レイン。……この奥、空気が変わった」
エリルが鼻をひくつかせ、顔をしかめる。
「なんか、変な匂いがする。……鉄と、焦げたような、鼻にツンとくる嫌な匂い」
エリルの言葉に、僕も意識して嗅覚を研ぎ澄ませた。 湿ったカビの匂いの中に混じる、独特の刺激臭。 錆びた鉄。古い機械油。そして、微かなオゾン臭。
「……!」
僕の足が止まった。 この匂いを、僕は知っている。 この剣と魔法の世界には存在しないはずの匂い。 前世の記憶――工場の排気や、地下鉄のホーム、あるいは深夜のサーバールームで嗅いだことのある、無機質な「文明」の匂いだ。
「……レイン? どうしたの?」 「……いや。この匂い、知ってる気がしてな」
僕は胸の奥がざわつくのを抑え、奥の扉を見据えた。
「懐かしいな。……まさかこんな場所で、この匂いを嗅ぐとは」
「懐かしい? ……レインの故郷の匂い?」 「ああ。ずっと昔の、遠い故郷の匂いだ」
僕の言葉に、エリルは不思議そうに首を傾げたが、深くは追求しなかった。 間違いない。 この奥にあるのは、ただの遺跡じゃない。 僕が知っている「科学技術」に近い何かが、眠っている。
「……開けるぞ。この異常事態の核心だ」
僕たちは警戒レベルを最大に引き上げ、地下3階層への扉に手をかけた。 そこで待つものが、僕の「前世」と繋がっている予感を抱きながら。




