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退魔の英雄  作者: 明太子
外界之魔陰
78/81

64 快楽之殺人者

毎日投稿十日目。

大学の空いたコマで普通に小説書けますね。

今回から新章が始まるんで楽しんでください!!

 それが、いつ何時であったのかはもう覚えていない。

 道の程度も理屈も覚えていない。それでも五感に刻まれた不快さは雁字搦めに身体をしがらむ。


 ──────糞尿を垂れ流し、白目を向くそれ。

 ──────聴覚を麻痺させるような奇声。

 ──────刃を通して伝わる人の脆さ。

 ──────鼻腔を刺す血の匂い。

 ──────錆び付いた鉄のような味わい。

 あの瞬間。あれを感じた刹那の間。良い感触など一つとして無かった。いやあること自体が異形で異端なのだろう。事実彼女もそうであった。思い出す度に頭が割れ、耳には鳴り止むことの無い金切りの音が響く。

 だが相反するように身体は熱を帯びる。不快な痛みを全て上書きするような想像を絶する快い興奮。

 顔は火照り、胸は躍動を増し、陰部は烈々とした欲を求める。


「あぁぁ......慰め程度にはなったのかな?」

十三番街夜更けの某所。刃渡り十五センチの獲物を持った一人の女は、返り血を下で舐める。

 嫌悪としての味は次第と丸みを帯び、味わいが深まった。しかしながらそれでもかつての記憶には程遠い。

 直径二十センチほどの血だまりは月光に輝く彼女の愉悦の表情(かお)を良く写していた。

「やっぱり殺しは、ナイフに限る」

──────暗転。



 



 博士の研修室に居た祐は、心地よさを排除したソファーで寝そべっていた。煙の臭いが充満する空間は非喫煙者さえも癌の可能性を高める罠部屋である。

「なぁ博士。最近殺人事件が頻発してるらしいけど知ってっか?」

「知らん」

夏休みの前半戦終盤。京都から舞い戻った祐は、直近のニュースを話題とした。だが、こと研究中の彼女はそれを面白い程に一蹴する。

「昨日も二人が死亡した例の件ですか?」

普段であれば暫くの静寂が再び来襲するが、時雨がふとその題目に喰い付いた。

「そうそう。直近三日間でもう十一人被害が出てるってのに、犯人の消息は未だ不明と来た」

「魔陰関連の一件だと楽なのですが.......」

大太刀の手入れを施す時雨は眉を顰めそう口にする。

 魔を退ける事に長けた異能のモノ。それはあくまで異質なモノと相対することを得意とした者であり、探偵ではない。単なる殺人事件ともなれば一層に扱いが厳しくなるのが現実であった。

「まぁこの街の警備をそういつまでも突破し続けるのは、容易じゃないし。それに所詮は一般人。そこまで気にすることも無いでしょ」

祐の居ぬ間に取り替わった電灯は祐の網膜を痛めつける。遮光性の悪い前腕だが、視界を隠すには十分な広さがあった。

「とは言っても学校の皆に危害が加わるとなると少々面倒ですよ」

「そりゃ.......そうね」

祐はのそりと体を起こすと、映画冒頭のライオンのような咆哮じみた欠伸をする。

 背骨をのけ反らせ、肋骨を縦方向に開くのは電撃のような痛みが湧く。

「俺、明日土屋とちょっと出掛けるからもう帰るよ。時雨さんは暫くまたここに?」

「えぇ。魔術師の活動も活発化してきていますし、流石に葉加瀬を一人にするのは得策と言えません」

刀身を随所細かく見つめる時雨の顔は何時にも増して氷上とする。


 午後八時の学生街は当然に人の気配などが無い。この時間帯であれば若気の至りが乱立、いや乱座する。だが今日はそれさえも居ない。

 街の中、まるで自分だけが死んでいるかのような夜の幕。祐は雨脚が強まる中、ぴしゃりぴしゃりと水面を叩く。

「それにしても連続殺人か......今の俺みたいな状況が狙われたりするんだろうな」

湿った臭いはやけに祐の鼻を突いた。

 梅雨は存外に祐の好みであった。人気の無い夜の街に音を鳴らす奏者として祐を一人にしないからだ。

 

 桜通りに差し掛かった祐は不意に脚を止めた。いや止められたといった方が適切なのかもしれない。

「...........女子高生?」

桜通りの錆びだらけのフェンスに寄りかかり今にも倒れそうな一人の女子高生が己が身体を抱擁する。

 寒さに震えるほどの気温でもない。

 いや寒さに震えているのであればあのような悦に浸った妖艶な表情(かお)は見せない。

 服を着ているというのにそこらのアダルトなビデオより数段と魅惑的であった。

「.......どうか、しましたか?」

吐息交じりの声色は雨音を貫通し、祐の鼓膜をこれでもかと揺らす。

 そこで祐は気が付いた。自分が随分と長い事彼女を見つめていた事を。

「えっ....何でこんな所に一人で居るのかなって?」

嘘である。単純に見惚れていたからと言えず、尤もらしい嘘を吐いただけである。

「じゃあ君の方こそどうしてこんな時間に、ここに居るのかしら?」

「ちょっと散歩してて家に帰る道中なわけですよ」

またしても嘘である。いや今度な半ば意を射ているからこそ質の悪い半信半疑の嘘である。

「へぇぇ....この先に家があるんだ。良ければ一晩だけ泊めてくれないかしら?」

「──────。」

流れるような連結で彼女は祐との共存を提案する。ぴしゃりと頬を叩かれた様に魔性に取りつかれていた祐は冷静な思考を回しだす。

(流石に泊めるのはな......)

「あれ?それは駄目だったりする感じかな」

「──────まぁ良っか。あんたが悪い気しないなら一晩くらいは良いぜ」

冷静になった上で祐はその異界な提案を承諾した。

 流石に雨風に揺られた女子高生を放っておくのは、良心の呵責に傷を入れる。

 承諾を得た彼女は悦としていた笑みから、少女らしい微笑みへと昇華する。

 祐は人生で初めて傘の狭さを知った。


 

 部屋の明かりが晄と光るとやけに埃が舞っていた。久方の間部屋を留守にしていた弊害ではある。

「えぇっと......まずお名前は?」

「言ってなかったわね。私は上神淋(うえがみりん)。そう言う君のお名前は?」

「鬼川祐。天童高校の二年生だ.....上神さんは、その制服を見る感じ西女か?」

水を吸い一段回暗さを増した黒色のセーラー服。一点の映えとして魅せる為の赤のリボンもまた水の重みに負けていた。

「えぇそうね。けど私は三年生だから君より一つ上。俗に言うお姉さんって奴かしらね」

簡素に微笑む彼女のスカートからは一定のリズムで水が滴る。

 玄関先から洋室までの通路にその印が点在していた。

「ってかそれ以前に寒いでしょ。風呂入ってきな、廊下出て右手側の一番奥が風呂場だから。──────下着は、俺ので良いか?」

「構いませんよ。服も適当なジャージなどでも。それでは──────」

くいと頭を下げると上神は、湿り気の在る足音と共に暗闇に消えた。

「さてと、久々のお料理コーナー始まるよ」

祐自身理解に苦しむテンションのまま袖を捲る。

 作るモノなど一向に考えて居ない。機械的に冷蔵庫を開くと二枚の鶏ももが祐を歓迎した。

 骨組みさえなかった脳内に、光の速度で物体が構築される。

「良し。油淋鶏」

迷いなく作る手順はかつて登代子に教わったモノ。

 久しく作らなかったそれだが、やけに体に馴染んでいた。下処理から油で揚げるまでの工程に迷いはない。

 


 珍しい事は、人に未開の知識を譲渡する。

 ───二人で使えばあれ程広い傘も狭く感じる事。

 ───女の風呂と言うのは、果てしなく長いという事。

 ───しかしそれを待つ時間に嫌気を思わないという事。

 作り終えた一品のおかず。適当に和えただけの胡瓜の漬物。お湯で戻した味噌汁と、パックの白米。基本一人で食事をとる机には役不足な積載量。祐はテレビを付けてただ上神を待った。

『本日のニュースです。本日またしても刺殺体が発見され、四日合わせてこれで十三人目の被害に成りました』

湯気が立ち上る視界の先でテレビと言う箱に詰められたキャスターは、噛まず言葉を紡いだ。

「今度は二人ねぇ.....」

両腕をツッパリ棒のようにして体重を支える祐は、他人事であるように感想を吐露する。

「連続殺人ですか」

キャスターの声とは異なる方位からの声。肩を(すぼ)め左後ろを祐は首を旋回する。

 風呂上がりの上神は祐の学校指定のジャージを身に纏い立ち尽くしていた。

「何だ上神さんか.....びっくりした」

「驚かせるつもりはありませんでしたが、申し訳ありません。──────これは鬼川君が?」

ちゃぶ台に乱立する晩飯を一周するように見つめると狐に化かされたように目を丸くする。

「実際ちゃんと作ったのは、油淋鶏だけだから別に大した事じゃないよ。あっ!もしかしてアレルギーあったりする?」

「いえそういう訳では無いですけど。私より年下なのに凄いなと思いまして」

「一人暮らししてたらいつの間にか出来るようになってただけだよ。それじゃあ冷めないうちに食べちまおうぜ」

祐は向かいの席に指を伸ばすと上神は足音も無く滑るようにそこに座った。テレビ画面の中央が抉られた様に両端の情報しか祐の眼には映らない。


 

「そう言えばさ、上神さんって西女だから寮生だよね?」

まるで何かを思い出したように祐は洗い物をしながら隣にいる上神に問いかける。

「──────えぇ」

「最近物騒だし寮生の門限って結構厳しくなってるって聞いたぜ。西女とかなら尚更なんじゃねって思ってさ」

祐が皿を洗いそれを上神が布で拭うという一連の流れに数ミリの乱れが生じる。

「──────夏休み中は、基本的に外出許可を取る必要性が無いので何処かに泊まりに行くのも連絡さえしておけば問題ないんですよ」

「へぇそう。にしったてこんな辺境の地に来るって中々だぜ。知り合いに鬼川荘に見た目が好きって狂人が一人いるけど、上神さんはそういう質じゃないでしょ?」

祐の懐疑が具現化されるごとにその微小な差異は大きさを増していく。

「少々散歩をしていたんですが──────道に迷ってしまって。生憎私はスマホを学生寮に預けているので帰り方も分からずと言った具合です」

「なるほどねっ。けど気を付けた方が良いよ。今日もまた二人殺されてて、それに上神さんは女性だし狙われると危ないから」

最期の平皿を手渡した刹那。それは乱回転を繰り返し地面へと飛び堕ちる。

 矛盾とも取れる感性。しかしそれが最適の感覚であった。

 二人の手に触れることなくそれは地面と接触し、無惨にも四方八方と塵に分かれる。

 火蓋が斬られた音にしては、残響を残さない。鋭く幅が無い。

 視界の隅に移る上神の顔が愉悦と曇る。

「あっ──────怪我してない?」

足元に散ったそれに視線を下ろすと、爪幅程度の破片が上神の踵を刺し抉ってた。風呂により上がった体温、食事により上がった血圧の所為か流れる血は呼吸をしているようであった。

「大丈夫!?ちょっと救急箱持ってくるから動かないでね」

破片をひょいと飛び越すと祐は箪笥の一番下段を引き出す。だが何時ぞやに貰ったそれは奥底に眠っており表面からは確認が取れなかった。

「ありゃ?ここにぶち込んだはずなんだけどなぁ......えぇっとこれじゃなくて、これでも無くて.....あっこれだこれ!!」

劇場版で秘密道具を探し出すドラえもんのように辺りを散乱させた。赤の十字が印された埃だらけの木箱を取り出す。

 中に適切な処置用具が入っているかは定かではない。同時まともに怪我を負ったことの無い祐が適切な処置を行えるかも定かではない。

「一応それっぽいモノは持ってきたけど.........何してんの?」

どもるような声色であった。

 フローリングに腰を下ろした上神は、患部を口の前まで持ち上げていた。

 匂いを嗅いでいる訳には映らない。片足を口元まで持ち上げると、患部を舐め続けていた。上神は祐の声が聞こえていないかのようにひたすら無心であった。

「上神?」

「................」

やはり聞こえていなかった。頬を赤らめ、骨を抜かれた様に彼女の身体は地面に溶け込みそうである。

 やけに呼吸が荒く、やけに身体をビクつかせている。眼に入れるだけで十分に満足が行く光景。

「.......上神!?」

蕩けて思考と言う行動を止めんとする自我を振り払い祐は声を上げた。大して広くも無い鬼川荘の一室が皺を引き延ばした布地の様に張り詰める。窓ガラスに反射した声は一度の木霊を残してふつりと消えるわけだ。

 漸くに鬼川祐と言う人間が居る事を知ったのか、上神は舐めていた脚を下ろす。

「..........あぁ鬼川君。どうしたの?」

どうしたのこうしたもない祐は返答に詰まった。

 何せ、問うという行動を望んでいたのは鬼川祐の方であったからだ。

「いや救急箱持ってきたから、治してやろうと思ってさ。──────そ、それだけ」

「...........そう」

短な相槌はいやに祐を呪った。まるで睡眠を邪魔された限界社会人のように。黒に数滴の白を混ぜ込んだような灰色の眼に反射光は無い。それでも上神は、頬を赤らめ吐息交じりではあった。

「一応消毒位はしといて損は無いよ。ちょっと足見して」

祐は明らかな見て見ぬふりをを通し、一体十何年前のそれかと思わされる印字の薄れた消毒液を取り出す。絆創膏らしきものはあるが、機能性という面においてはやはり杞憂する面もあり祐は取り出すことを止めた。

「ほらっ。舐めりゃあ傷が治るなんて、淑女らしいとは言えねぇぞ」

「──────それじゃあお願いするね」

催促する祐の言葉に嫌気がさしたのかは定かではない。ただ乗り気ではない上神は唾液で光沢する患部を祐に差し出した。

「ちっと沁みるぞ」

順序も規定も知らない祐は、徐に消毒液を上から噴射する。刹那に肩を上に寄せ上げた上神の顔は、痛ましくも喜びを含んでいた。


 祐にとってお坊さんの修行など座禅を組む程度で終端を迎えている。

(こうも変な反応されるこっちの身にもなってくれ。──────ってかあんまり喘ぐな。気まずいだろ)


 はぁぁぁぁ.......

 

 看病イベントなど男女問わずに興奮させる一時だが、これはある種の修行であった。言葉を紡ぐことを放棄した祐は、やり場のない男としての反応を溜息と共に捨て去った。

「──────────はい。まぁ包帯で大げさに見えるけど、こういうのはちゃんとした方が良いからね」

よっこらせっと。としゃらくさい掛け声を出しながら祐は立ち上がったわけで。

「新聞紙なんか家にあったけかぁ?」

と頭を掻いて箪笥をひっさげだした。

 くたくたで皺に塗れた思い出の入院着。下着にインナー。数少ない祐の所持するズボン。と言った具合に出てくるものはやはり大して役に立ちそうもない布切ればかり。下手な泥棒に入られた様に燦爛とした部屋で祐は一人頭を悩ませる。

「あっそう言えば、クソの役にも立たない学校新聞があったはず。確か鞄にぶち込んだままだっけ?」

またしても奔走。お次の停車駅は夏休みが始まり一度として開いていない学校鞄。

 夏休みの宿題。置き勉していた教科用図書。そして学期ごとの配布物が一様に包まれたそれから四枚構成の新聞を取り出す。奇跡的な事に皺は入っていない。


 祐の探索中に台所から姿を消した上神は、テレビを呆と見つめていた。文字通り見つめていただけでそこから何かを吸収する素振りさえ見せない。

 大部分を新聞の上に乗せ残りはガムテープでピタピタと微細な破片を収集する。まるで宝石細工の職人の様に。

 流れてくるテレビの音は当然に連続殺人についてだけ。上神がチャンネルを変えようにも追跡してくる。


 ──────世間はかの一件に憑りつかれていた。


「鬼川君はこの事件。どう考える?」

「はい?」

新聞紙を雑に包み終えた祐は、台所からふと疑問詞を投げつける。

「技術も発展してないような国の一部とかじゃない。世界中が協力したところで辿り着くことは愚かその片鱗にさえ触れられないような神様みたいな力を持つ街が、たかが殺人事件を解明出来ない」

上神の言葉は金タワシのように祐の視界を細かに引き裂いた。

 忘れていたのではなく、思考の端に入れていなかったというのが適切なのだろう。

 神領域への侵犯ゴットバイオレーションという神様の一片を。

「どうしてなんだろうね?」

上神はテレビの電源を落とすと、そのまま祐のベットに横に倒れた。反発力の高いマットレスが、上神の頭部を五センチほど浮かす。

 振り返ればそれが不完全な命題だと祐にさえ知らしめる絶大な一声。

 古来より人類を脅かした怪事件。そんなモノより連続殺人は遥かに祐を惹いた。

 



 良く啼くとは言うが、上神は常軌を逸していた。見知らぬ女性と一夜を共にするだけで男は正気で居れなくなる。

 祐の寝床で横になる上神。そこから五十センチ下で床に寝そべる祐。不祥事がおこらぬよう努めた結果。現状、その要素は問題ではない。ただ唯一の失策と言えば、離れて寝なかった事だろう。

(五月蠅え........)

男を惑わす魅惑の声を上神は身体を震わせながらに口にする。だが至宝のそれも度が過ぎれば害音であった。被る布団など無い祐は、なけなしの手耳栓で事を過ごす。


 五分。十分。十五分。


 そこから先、祐は数えることを辞めた。堕ちることの無い自意識だけが体を秒単位で蝕む。そして同時、

 ──────何故、上神はこれ程啼くのかを問う良くに目覚める。

 背を向けていた祐は体を旋回させはした。暗闇に薄らぐ視界の先に上神は居る。何をしているのかは火を見るよりも明らかであった。

(いや、よそう。流石に気まずいとかの騒ぎじゃない)

無情に取り憑かれる無限の矛盾螺旋。

 反語。誰が眠ることが出来ようか、いや誰も出来ない。鬼川祐の知識として組み込まれたそれが、防衛本能のように螺旋を断ち切る。




 睡眠とは脳を休める唯一の方法である。どんな疲労回復を行おうが所詮は脳は休まらないただの気休めだと祐は知っていた。別に本を読んだわけでも、授業で習ったわけでも無い。ただテレビで流れた文字の情報として頭の隅に生存しているだけなのだ。

 フローリングに雁字搦めに体を固められた祐は、喉を咽鳴らす。百獣の咆哮じみた欠伸に、顎を外されそうになりながら祐は白髪のそれを掻き毟る。


 ある種一国家と化したその区域に対しては、帰国と称したほうが良いのだろう。

 国の中に存在したもう一つ国である、素数番街に戻り祐は学生らしくボウリングに行くことになった。

「あれ、土屋しか来てねぇのか?」

一見すれば分かるような、事実を祐は問う。無言に肯定すると、土屋は気だるげにスマホを指でなぞった。

「それがさぁ.....予定が入ったかどうとかで、ドタキャン。──────普通に罰金よ。罰金!!」

珍しく苛立つ優等生を宥めながら、祐は木陰のベンチに腰を下ろした。陽光が直射と当たらない癖に、その鉄製のそれは粗方の熱を帯びている。

「んじゃ今日は解散か?」

「そう云うわけにも行かんでしょうに........けど、実際キャンセルするしかないんかねぇ?」

中学時代の友人二人を合わせた、四人体制の予定は見事に狂いを見せる。相当と楽しみにしていたのか、土屋の顔は廃れていた。

 悪いと思いつつも、祐はこの状況に大方満足と言った様子である。

 何せ鬼川祐にとってその二人との思い出など無いに等しいからだ。ただ単に土屋と言う男と共に居た二人と言う、記憶以外に名前すら憶えていない始末なのだ。

「まぁせっかくだし、昼飯位喰って帰るとするか?」

「──────まぁそうするしかないんかねぇ」

祐の妥協案に土屋は、嫌々と首を折った。


 二人で何処ぞへと行くというのは、存外に珍しい。基本は運動神経に脳の全てを持っていかれた、八田弘明と言う音男がこの二人の間には居る。それが日常であり、それが当然の光景であったからだ。

「ここの店、結構美味いんだよ。特に海老天」

「へぇぇ」

この蕎麦屋が土屋の行きつけかどうか、祐は当然知らない。天童高校から北側へ上り、その果てに辿り着いた一件の蕎麦屋は並々ならない風情を持っていた。

 暖簾を分け。敷居の上の摺りガラスの扉を横に引く。

 がーーーーーー。と長年の経年劣化の為か音は随分と耳に障る。

「おじちゃん来たよ!」

まるで居酒屋に入る会社員のような、声は良く店内に響いた。

 なぜならそこは静謐とした、ある種の聖域であったからだ。あの戸を跨いだ先の、異空間はどこか清玄の家に似通る。加えて店主らしい白髪の爺さんが、新聞など持っているせいでもあるのだろう。

「何だ坊主か。その奥の.......嬢ちゃん?も一緒か?」

土屋から視線を横にずらした老父は、祐の顔を見て首を傾げる。いや初見としての反応であれば、一般的な反応と言える。

「ハハッ嬢ちゃんだってよ鬼ちゃん。爺さんこいつはこんな(なり)でも男だぜ」

アマゾンの奥地に居た新種の生命体を教えるよう、土屋は嬉々として祐の頭に手を乗せた。

「へぇそうかい.....さっき似たような嬢ちゃんが、入ってきたから姉妹か何かかと思ったわい」

よっこらせ。と店主は立ち上がると厨房に片足を踏み入れる。

「ん?さっき入ってきた嬢ちゃんって......まさかこんな僻地に人が来るってのか?」

「案外そうらしいぞ。贔屓にしてくれてるのかは知らねぇが、ここ二ヶ月結構な頻度で来るぜ──────注文はいつもの二つで良いな?」

「あ、あぁ」

しおらしく土屋が答えると店主は、厨房と言う男の聖域に姿を暗ました。

 二度目の静謐が訪れるた刹那の事。土屋は金色の様に輝く目を祐に突き付ける。それはラッピングされたプレゼントを、前にした子供の様そうに等しい。

「まさか、あの個室に入っていくのか?」

答えは否であると、分かっていながらに祐は問いかけていせる。

 だが、

「何を言っとるん鬼ちゃんは。こんな僻地の蕎麦屋に来る女性。──────しかも鬼ちゃんに似てるって事は、髪の毛が長いって事。つまり俺のタイプって事」

文の継目が空と等しい、土屋の言葉に祐は頭を抱える。

「まぁお前のタイプがあそこに居るかもってのは、随分魅力的に映るんだろうな。けど流石にあの個室に飛び込むのはまずい。訴えられたら俺ら勝てんぞ」

「またまた鬼ちゃんは。不法侵入が対象となるのは刑法130条で定められているんよ。正当な理由なく他人の管理する住居や建物に対いる事で成立する。具体的に、正当な理由が無い。人の看守する場所である。侵入行為である。の三項目が必要になってくるんよ。

 つーまーりー。正当な理由が在るこの俺に、その条件は引っ掛からないという訳」

淀みのない弁論に、一切の不明点は無かった。法律の穴を突いた合法行為であり、仮に訴えられても勝てる可能性しか感じられない。

 高校では習うことの無い知識を持つ土屋に、関心はしつつも。祐は何と頭の悪い人間だと、つくづくと感じさせられた。

「何でお前が、うちの三莫迦に数えられるのか再認識したわ」

「へへッ──────それでは、真理に手を伸ばすとするか」

未成年ながらにR-18の暖簾をくぐる背徳感が土屋に纏わりつく。忍び足で襖の前に近付くと土屋はごくりと大袈裟に唾をのむ。

 心配ながらに後ろを付けた祐は、個室の前に置かれた靴が目に入った。

 それは黒のハイカットブーツであった。

 当然祐は千里眼も、透視能力も持っていない。それでもこの靴が支給品だから履いているような人間だと容易に想像が付いた。

(まさか..........?)


「しっつれいしまーーーーす!!!」

一抹の想像に首を傾げる祐のことなど見向きもせず、土屋は襖をぴしゃりと開く。

 咄嗟に土屋は、ゴルゴーンに見られたように顔を固めた。

 石像と化した土屋の又の隙間から祐は顔をのぞかせる。



「土屋さんと祐じゃないですか」

麺つゆに蕎麦を纏わせる一歩手前の時雨が、二人を見つめた。



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