19:死を呼ぶ暗雲
通常の戦闘において、基本的にはお互いに
相手の攻撃を避けることが出来る位置から始まる。
近づけば攻撃が命中し易くなるだろう。
しかし、それは相手も同じだ。
射程圏内に入れると言うことは
相手の射程圏内に入っているのと同じ意味を持つ。
こちらから出るか、向こうが来るのを待つか。
どのみち戦果を増やす為にはリスクを取るしかない。
逆に言えば撃墜されたくないのなら、
常に回避できる距離を保っていれば良い。
そうすれば時間切れで引き分けになる。
だが、和弘には勝つ選択しか許されていない。
相手が命を奪う手段を持っていなくとも、
ここで堕とされてしまえば、回収する者は誰もいない。
それはすなわち、自分の死に直結してしまう。
(問題はこちらの攻撃が通じるかどうかだけど確認する手間が惜しい。
それに向こうは相討ちを狙っている節がある)
撃ってくるエネルギーキャノンを避けて間合いを詰める。
実を言うと相手を黙らせる方法はあるにはある。
九条姫香にやられた時に考えてはいた、言わば『禁じ手』に当たる戦法。
ただ、これも通じるかは分からないうえに、外せば終わりだ。
(無事を確認したいところだけど……)
レーダーでアナザイムの反応があることを確認する。
すぐに無事かどうかを確認したかったが、
下手に回線を開いて相手に人質にでも取られる可能性もあった。
今は無事だと信じるしかない。
(とにかく色々考えたところで他に手段が無いなら……
覚悟を決めろ! 春日和弘!!)
既に退路は無く、躊躇ったところで不利になるだけという事実。
その事実を覚悟に変えて、敵の射程圏内へと進入する。
近づいて来た所を撃たれることは分かっていた。
撃たれることが分かっていれば避けられる。
そのまま相手を中心に円を描くように、
されど距離を詰めるように回り込む。
「大丈夫、やれるぞ!」
和弘は知っている。
今、対峙している敵よりも強い存在を。
その戦闘経験が敗北を許さない。
「九条姫香は……もっと速かった!」
和弘が求めた位置は敵と手の触れる程の近く。
かつて九条姫香とやりあった、それ以上に近い距離。
その場所まで和弘は容易に辿り着いた。
和弘のアートラエスは手にしたエネルギーガンを
敵のアートラエスの顔面に突き立てる。
「これでどうだ!」
躊躇なく引き金を引く。
顔面にめり込んだエネルギーガンの光は
コーティングバリアに干渉されずに後頭部へと突き抜けた。
エネルギーガンを引き抜いたと同時、
敵のアートラエスの頭部は爆発する。
首の無いアートラエスは手に持ったエネルギーガンを取り落とし、
痙攣するようにガクガクと揺れる。
だが想定していない使われ方をしたエネルギーガンも、
ただで済むはずがない。
「もう使えないか……」
エネルギーガンの先端はめくれ上がり、
とても使えるような状態ではなかった。
「それはそれで鈍器として使うまでだ!」
まだガクガクと揺れる敵に対して、
和弘は更に殴りかかるタイミングを伺っていた。
不意に――――
何事も無かったかのようにこちらに向き直った。
曇り空の下で佇む首無しの姿は、その陰影を色濃くし、
それが余計に不気味な印象を与える。
「っ……!」
その雰囲気に和弘は思わず引いてしまう。
瞬間。
殴りかかるタイミングを逸した隙を突くかの如く、
頭部の無いアートラエスは後方に飛びのいた。
距離が離れ、肩口のエネルギーキャノンの銃口が光る。
「しまった!」
虚を突かれた形になった分、反応が更に送れる。
反射的に構えてしまったエネルギーガンだったが、
それが悪手と気づいた時には既に遅い。
敵の放ったビームが構えたエネルギーガンごと
右腕を飲み込み、爆発して消える。
本来あり得ない損傷による衝撃が和弘を襲った。
「な、なんだ! エンジントラブル!?
違う!? 破損! なんで!?」
鳴り響くアラーム。
見た事の無い表示がモニターに映し出されている。
事ここに至って、和弘はようやく自分の置かれている状況に気が付いた。
唯一残された武器であるエネルギーキャノンは通じない。
距離は離され、近づいた所で武器は無い。
それ以前に一度きりの戦法が再度通じるとは考えにくい。
「あ……」
敵の肩口に再度、殺傷兵器の光が点る。
今まで漠然と感じていた死の予感が、
明確な死をもって和弘に叩きつけられる。
「ぁ……お……」
本能が根源的な恐怖を訴える。
死にたくないという怯えが頭の中を支配する。
死の危険が無くても常に戦ってきた。
勝敗が求められる今までの環境が、
和弘の闘争本能を育てていたのかもしれない。
だからだろうか。
その怯えと同じくらい、
殺してやるという殺意が生まれ出たのは。
「おおおおっ!!」
もう、何も考えていなかった。
否。考えてはいたかもしれない。
ただそれが形を取る前に機体の方を動かした。
敵の第二射を避けて、モニターを確認。
海面を移動、目的の物が見えたその時、
次いで撃たれる第三射を回避。
「ワイヤーフックを!」
移動しながらのワイヤーフックを海面に穿つ。
成功するかもわからない。
ただ、失敗するかなど考えていない。
ワイヤーフックは目的の物に上手く絡まり、引き上げた。
アートラエスの左手に収まるそれは、敵の持っていたエネルギーガン。
「うあああああっ!!」
第四射を回避後、一気に敵に近づいた。
敵が第五射を構えるものの、それを撃つより先に、
和弘の持つエネルギーガンが敵の胴体を捕えた。
一瞬の静寂。そして轟音。
敵のアートラエスは撃たれた胴体を中心に炎の花を咲かせる。
バラバラと鉄くずが海に降り注ぎ、
暗雲に暗く照らされた海は、飛沫を上げて飲み込んだ。
再び静寂の海に戻ると、
ようやく和弘は戦闘が終わったのだと分かった。
「……っは……はぁ……はぁ……」
知らないうちに息が上がっていた。
それに気が付くと急に苦しさを覚える。
体は汗で服が張り付いていて気持ち悪い。
冷や汗が止まらず吐き気を感じる。
「ち、違う。駄目だ。
まだ何もやってないじゃないか……」
そう、まだ何もしていない。
戦闘はただのトラブルであり、まだ通過点だ。
重くなった頭を必死に働かせる。
レーダーで今一度アナザイムの位置を確認する。
(随分、離れているが……)
巻き添えを食らわずに良かったと胸をなでおろす。
レーダーで周囲に敵の姿がいないことを確認すると、
今度こそアナザイムに向けて回線を開いた。
「麻由、俺だ。春日和弘だ。返事をしてくれ」
和弘にパイロットが誰か確認する余裕は無い。
疲労した頭は既に麻由が乗っていると決めて付けていた。
だが、返事は来ない。
「春日和弘だ。いるんだろ?
通信機の故障か?」
何度も通信を繰り返しながらアナザイムに近づいていく。
徐々に見えてくるアナザイムの様子に和弘は息を飲んだ。
左肩が削られていて、右足は丸ごと無くなっている。
どういう理屈か断面は塞がれており、
切れたコードやむき出しの中身、火花は見えていない。
和弘も自身の機体の右腕を映すも、同様に断面は塞がれていた。
3Dデータで塞いでいるのだろうかと和弘は思ったが、
しかし、すぐに嫌な想像が頭をよぎり、
そんなことを気にする余裕は無くなってしまった。
(麻由は無事なのか!?)
嫌な汗が頬を伝う。
逸る心を抑えて、まずアナザイムにワイヤーフックを掛ける。
ワイヤーフックを巻き取り、ギリギリまで自分の機体を近づける。
仰向けに浮かんでいるアナザイムのすぐ上に待機。
コックピットハッチを開こうとして、
慌てて手を階段状に置いた。
(格好つけて飛び降りても、
戻れないんじゃ意味無いもんな……)
改めてコックピットハッチを開くと、
肌寒い空気が入り込んでくるのを感じた。
潮風が肌を打ち付け、肌がヒリヒリする。
「もしかして、外に出たのは初めてか……」
和弘はようやく自分がこの世界に来て、
初めて外に出たのだと気がづいた。
どれだけの人間が真に外へ出たのだろう。
「晴れていたらもっと良かったんだけどな」
暗雲で日の光は遮られ、
更に自分の機体で影になったアナザイムは
海の暗さも相まって、余計に暗く映った。
意を決して、その暗闇に飛び込む。
機体の表面はいつも触ってはいるが、
滑りやすい印象を与えた。
「うわっ! ゆ、揺れる!」
海は想像以上に揺れた。
思わず四つん這いになる。
(しっかり掴んでいれば落ちることは無いはず。
大丈夫。大丈夫だ……)
自分の心に必死に言い聞かせるも、手に汗が滲む。
怖くて横を見ることが出来ない。
滑って海に落ちたら最後だ。
「コックピットハッチの開け方か。
調べてなければ分からなかったな……」
コックピットハッチを強制解放する方法は確認済みだった。
恐る恐るといった感じで這いながら、
強制解放レバーに手を伸ばす。
扉の時と言い、ハッチの強制解放といい、
普段は知らされる必要の無いとされるものだが、
あえて知りたいと、麻由と一緒にやったことだ。
(それがこんな所で役に立っているなんて、
なんだか変な話だ)
重い音がしてロックが外れたのを確認し、
手を使ってハッチを持ち上げる。
持ち上げるハッチはかなり重く、
踏ん張った足を滑らせないように気をつける必要があった。
「麻由!」
コックピットの中で麻由はいた。
うずくまっているせいか、小さい体が余計に小さく見える。
気を失っているのか、和弘に気づくどころか動く気配がない。
「お、おい! しっかりしろ!」
狭いコックピットに入り込み、
麻由を体を軽く揺さぶってみる。
しかし目を開く気配は無い。
ざっと全体を確認をする。
怪我らしい所は特になく、
また呼吸音もしっかり聞こえたことで、
ようやく安堵する。
そして、一気に気が抜けた。
すぐに駄目だと思い直すものの、
一度切れた緊張の糸は中々戻らない。
(麻由を担いで戻るのは無理か)
担ぐことは出来ても
足を滑らせたら元も子もない。
和弘の乗っているアートラエスもかなり消耗していた。
行って帰るだけならば足りている計算であったし、
それを見越して裕樹達も送り出してくれたのだろう。
しかし先の戦闘のせいで帰れなくなってしまった。
ついでに損傷のおまけ付きだ。
どんな影響があるか分からない。
結局あのアートラエスは何だったのだろうか。
麻由は知っているのだろうか?
(いやいや、考えが逸れてるぞ……)
頭を振って気持ちを切り替える。
まずは麻由を起こすことが先決だ。
(結局、麻由に頼るしかないんだよな)
足りない分のエネルギーをアナザイムから分けて貰うにしろ、
これから麻由が会おうとする人物に交渉するにしろ、
和弘一人では出来ないことだった。
「寝てるところ悪いんだが起きてくれ。
起きろよ、麻由! まーゆー!」
体を揺すり、頬を軽く叩く。
頬を引っ張ると意外と良く伸びた。
「……起きない、ぞ?」
流石に目覚めない麻由を前に、
和弘の気持ちも焦る。
今まで以上に強く揺らそうと両肩を掴む。
だが、いざ揺らそうとする前に、
今までにないほど強くコックピットが揺れた。
否。コックピットではなく、アナザイムごと。
「なんだ!? まさかまた……?
このタイミングでか!?」
コックピットから顔を出して外を見渡す。
相変わらずの曇り空。
和弘のアートラエスが宙に浮いているだけで、
他のテツビトの姿はどこにもない。
ただ、海だけが激しく波打っていた。
アナザイムに繋いだワイヤーフックのきしむ音が聞こえる。
(嵐でも来るのか?)
そう思ってはみたものの、風は強くない。
雲の流れも速くない。
ただ海が強く波打っていた。
揺れは段々と激しくなっていく。
そのうちアナザイムがひときわ大きく揺れて、
和弘は思わずハッチの淵にしがみついた。
そして、絶句した。
「なんだ、あれ……艦、か?」
和弘の目の前、飛沫を上げて巨大な何かが浮かび上がる。
最初は角の丸い長方形の物体が浮き上がってきたかと思った。
それはテツビトどころか和弘が乗っている艦よりも数倍は大きい。
しかし、和弘はそれを見た事があると思った。
その巨大な何かはこちらに向かって来る。
口を思わせるものが大きく開いた時に、
ようやくそれを和弘は思い出した。
「く、鯨……だ……!?」
その巨大なマッコウクジラの形をした何かは
和弘と麻由どころか彼らのいるテツビトを二機ごと一口で飲み込むと、
そのまま何事も無いかのように海中に沈んでいった。
それが去った後には何も残されていなかった。
和弘達も、乗ってきたテツビトも、
和弘が破壊したアートラエスの残骸も、
何一つ無くなっていた。
そうして海は元の静けさを取り戻す。
誰も数分前に居た者達の痕跡など感じることなど出来ないように。
曇天ということを除けば、ただの見慣れた風景でしかなかった。