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マレインの弔い

掲載日:2026/08/31

前作「なぜ飼うことはあっても飼われることはないと思っていたのでしょうね」の関連作です。毛色が違いすぎる……単体でも読めます。

ブックマーク・評価・ご感想ありがとうございます!(感謝前払い)

「……へえ、奥方を、ここで弔いたい、と」

 領主代理を名乗る女性は、執務机に肘をつき、興味深そうにこちらを見た。


 眼鏡の向こうで妖しげにゆらめく、アメジストの瞳。

 高濃度の魔素に適応したマレインの一族は、その眼に魔族と同様、魅了の異能を宿している。

 眼鏡は魅了を封じる魔道具なのだと、部屋に入り挨拶をした時点でわかった。


「仰るとおりです、ミス・マレイン」

「……ご遺体は?」

「空間魔法で、いつでも取り出すことが可能です」


 淡々と答えると、ふぅん、とファナ=マレイン嬢は書類に目を落とす。


「マレイン以外の者でも、マレイン火山の火口から亡骸を捧げることについては、特段問題ないはずです」

「……それ自体はね。ただ、山頂にまで同行したいと言われれば、話は別」

「マレイン子爵領には湯治や調査で述べ一年ほど滞在歴があります。体調も崩したことはありませんので、耐性の面では問題ないと思うのですが」


「五合目より先は領民以外立入禁止。

 七合目からは耐性検査で一定水準を満たさなければ立入禁止。

 ()()()()()()()()()()()()()()


 一息にそう言うと、マレイン嬢がギロリとこちらを睨んだ。

「知らないわけがないでしょうに」


「もちろん承知しています。それでも、お願いしたいのです」

「却下します。ルシー、お引き取りいただいて」

「はぁい。ささ、帰りましょ〜」


 使用人服を着たピンク髪の女性に背中を押される。

「いや、まだ」

 話は終わっていない。抵抗しようとすると、女主人はこちらを一瞥した。


「ルシー」

「はいはーい」


 ルシーと呼ばれた女性にひょい、と肩に担がれ、そのまま玄関まで出されてしまった。


「奥様だけならいつでも火口にお連れしますので〜☆」

 そう言われてパタンと扉が閉じられた。


 マレイン火山の三合目に位置する子爵邸は、街に比べると空気中の魔素の濃度が数倍濃くなる。

 玄関周りに生えた草花も、隣領はおろかマレインの街とも違う、赤と紫の生々しい色合いをしていた。


 やはり一筋縄では行かないか。

 放り出された荷物を抱え、待たせていた馬車に歩を進める。

 乗り込む間際に建物を振り返ると、執務室の窓からマレイン嬢がこちらを見下ろしていた。



 ***



 翌日、改めて子爵邸を訪れた。

 門前払い。

 その翌日も、翌々日も、門前払い。


 一週間ほど通い詰め、ようやく通されたのは、応接間だった。


「却下したはずだけれど?」

 半刻ほど待たされて、ようやく降りてきたマレイン嬢は、冷ややかな目をこちらに向ける。

 紅茶は当然、すっかり冷めていた。


「ご多忙のところ申し訳ありません、ミス・マレイン。

 しかし、妻が話していた弔いの様子を、どうしてもこの目で見てみたいのです」


 マレイン嬢が口にしていた紅茶のカップを置き、ひとつ息を吐いた。

「……聞きましょうか」


「私の妻は魔族でした。

 隣国で魔獣の調査をしていた時、シロクロオオカミの群れに囲まれまして。そこで助けてくれたのが妻だったのです」


「……魔族が人を助けるのは珍しいと思うのだけれど」

「顔が好みだとはっきり言われました」

「でしょうね。好かれそうな顔をしてるわ」


 おいしそうですよね〜☆と壁際に控えていた侍女がうなずいた。

 あのピンクの髪は、先日使用人服を着ていたのと同一人物だろう。


「その妻が、生前に話していたのです。

 マレインの火口から仲間を弔ったことがあると。

 火山の中に消えた後、初めて降る灰を浴びると、その者の言葉が聞こえることがあると」


「聞こえないことも多いわよ」

 マレイン嬢がフィナンシェをつまみながら答えた。

「それも、知っています」


「第一、奥方の言葉が聞きたいのなら山頂に来る必要はないわよね?なぜこだわるのかしら」


「欲です」

「欲」


「研究者としての探究欲です。

 滞在したことはありますが、あいにくマレインに直接的な知り合いはおりません。

 妻との最後の思い出にかこつけて、この目で見てみたいのです。魔界と人間界の()()()だという、山頂から見た景色と、火口に還るその最後を」


「……奥方への愛とか、そういうのが理由じゃないの?」

 マレイン嬢の目が、心なしかキラリと好奇を帯びたように見えた。


「全くないわけではないのですが、理由にするほどではないなと。

 ご存知かと思いますが、魔族の差別は根強い。

 人と同じように暮らした者であっても、埋葬できる墓地はまずありません」

「そうね」


 骨も残らぬほどの炎で焼き尽くし、かろうじて遺灰が残ったとしても魔法で亜空間に廃棄するのが一般的だ。

 ごく稀に、伝手を通じて魔界に帰してもらうこともなくはないが、限りなく少ない。


「彼女はそれで構わないと言ってはいました。

 ただ、闘病中にはこちらへ湯治に来た縁もあります。

 何より、彼女自身が仲間を実際に弔ったことがあるという、この地で終わらせてあげることが、せめて私にできることだと思ったのです」


「……それは十分愛と呼べるものなのではなくて?」

 マレイン嬢が独りごちた。

 愛かもしれないが、愛だと言い切るには私の中ではまだ弱い。


「しかし闘病……というと」

「魔族特有の肺病です」


 魔素のない空気は、魔族が生きるには厳しい。

 それは、マレインの土地に適応できない人がいるのと同じだ。


「魔界に帰るという選択を、奥方はなさらなかったのね」

「はい。娘がおります。人寄りの身体をもって生まれたので、魔界の環境には不適合です」

「……お嬢さん?今日は一緒じゃないの?」


「まだ七つなので、魔素の耐性がついてマレインに来られるようになるにはあと五年は必要だと思います。

 今は研究所の仲間が、見てくれています」


 マレイン嬢があからさまに訝しげな顔をした。


「……そういうことは早く言いなさいよ」

「話す前に追い出されましたので」

「先触れがあればちゃんと読みました」


 確かに、私も気がはやってしまったところはあったなと思い直す。

「それは、失礼いたしました」


「肺病ならご遺体の傷みも早いでしょう。いくら空間魔法を使って腐敗を遅らせられるとはいえ急いだほうが良いわ。

 ……ただ、問題はあなた。山頂の魔素は魔界並みよ?耐えられるの?魔界、行ったことある?」


「あります。半日ほど」


 マレイン嬢がその目を大きく見開いた。


「……っ、それを早く言いなさい!」


 そして眼鏡を外し乱暴に放り投げる。侍女が眼鏡をすかさずキャッチした。



 マレイン嬢はしばし目を閉じ、ふうと長く息を吐くと、組んでいた足を正して私を向き直った。

 美しい紫の瞳が、真っ直ぐに私を捉える。


「……はあ、なるほど。

 あれをかけていると細かいところが見えなくてダメね……」


「……ふむ、なるほど。

 魅了の瞳、本当に美しいですね……」



「言ってることがバラバラだねー☆」

 侍女がケタケタと声をあげて笑った。


「口外しないように誓約魔法をかけるわよ」

「当然です」

「具合悪くなっても置いて行くわよ」

「覚悟の上です」


 しばし俯いた後、はああと一際大きなため息をついて、マレイン嬢は顔を上げた。


「……ルシー、支度を。すぐに出るわ」

「はーい☆」


「すぐに、ですか」

 どんなに早くても明日になるかと思っていた。

「亡くなって日数が経ってるでしょう。 言葉を受け取れるかは鮮度も大事なのよ。

 ああ、あとひとつ確認だけど」

「はい」


「あなた、台車は引けて?」




 渡された葬送用の黒い装束に着替えて外に出た頃には、すっかり日が落ちていた。

 マレイン嬢とルシーと呼ばれていた使用人も、私と同じ格好で外にいる。


 そして、馬に繋がれた、小さな荷台とも呼べる大きさの台車。

「まずは奥方を載せるわ。布か何かで包んである?」

「はい、麻布で」

「ではそのまま出して」


 妻を保存していた魔道具を取り出し、台車の真ん中に置く。解除の釦を押すと、そこに布に包まれた妻の遺骸が現れた。

 ……少し、腐敗臭がする。


「乗って」

 マレイン嬢の言葉に従って枕元のスペースに座ると、反対側の枕元にマレイン嬢が座った。


「ルシー、()()()()()()

「りょうかーい☆」


 ルシー嬢が馬に跨り、静かに馬を歩かせ始めた。


「今回は行けるところまで馬で行くわ。その先は人だけで運びます」

 本来は全て人だけでするのだけれど、急だし、公にできないから、とマレイン嬢が呟いた。


「人、だけで」

「そう。ここは本来魔獣の棲家。私たちは棲まわせていただいている立場」

「……妻は、転移で火口に行ったと」


「それは魔族としてでしょう?」

 マレイン嬢が静かに答えた。

()()()()弔います。そうしたいから、わざわざうちに来たのではなくて?」


「……!その通りです」

「登頂には危険が伴うわ。かなり体力を使うけれど、台車は引けると言ったものね」

「はい」


 私の返事を聞き、マレイン嬢が一瞬ふっと口元を緩める。

「気張りなさい。今日は、ひときわ魔獣が多いわ」


 匂いに釣られたかしら。

 そんな小さな呟きに、ゴクリと唾を飲み込んだ。



 ***



 中腹まできた頃には、夜も更けて、月が高い位置に登っていた。


「……来る」

 マレイン嬢が静かに腰の剣を抜く。


「ルシー、全速力!馬の限界まで行ったら二人で奥方を抱えて走りなさい」

「はーい☆」


 ルシー嬢の返事を聞いて、マレイン嬢が私に笑いかけた。

「奥方を落とさないようにしっかり押さえておきなさい。

 良かったわね、台車を引く余裕もなさそうよ!」


 マレイン嬢はそう言うや否や、台車から跳び上がった。

「……!!」


「お兄さんしっかり捕まっててね〜!」

 ルシー嬢が手綱を思い切り振り、馬が一気に速度を上げた。

「わっ!」


 急勾配に備えて縄で固定した妻の身体が激しく動く。

 その度に、柔らかい肉が潰れ、匂いがたちのぼった。


「うーん、だいぶ熟成してるぅ!」

 ルシー嬢の声が弾んでいる。

「急ぐよー!」


 さらに、馬の速度が上がった。


 マレイン嬢に目を向けると、一度に何頭もの魔獣を相手にしながら、少しずつ山を登っていた。


「……とどめを、刺していない」


 器用に足や翼を切り付け、動きを無効化していた。


「お騒がせしてるのはボクたちだからね」

 小さな私の呟きを、ルシー嬢が拾っていた。

「人里まで降りてきちゃったら仕留めるけど、ここではなるだけ殺さない。

 殺しすぎると、()が落ちるんだってファナが言ってた」


 質とは、魔鉱石の質だろうか。

 そう尋ねようとしたところで、ガタンと大きく台車が揺れた。


「うひゃー!ジュリセンワシだ!!ひっさしぶり〜」

 空を見上げると、鮮やかな扇のような羽を広げた鳥の影があった。


 フウウウウー!!


 ジュリセンワシは乱獲が多く絶滅危惧種に指定されている。

 乱獲の理由の一つはこのやかましい鳴き声。


 実際に聞くのは初めてだが、確かにこれは殺してでも黙らせたくなるボリュームだ。


「ちょーっと静かにねー☆」

 ルシー嬢が空に向かって片目を瞑ると、ジュリセンワシは体を硬直させ、フラフラと高度を落としていった。


「また遊んでねー!」

 ルシー嬢が投げキッスをする。

 ……あれが効いているのだとしたら、いったいどんな魔法なのだろうか。




 山頂が目視できるようになってきたところで、馬が急激に速度を落とした。

 ルシー嬢が馬に声をかける。


「うんうん、ごめんねー。頑張ってくれてありがと!

 お兄さん!もう少し載せたままいけそうだから、奥様が傷まないように押していこ!」


 馬を止めると、ルシー嬢が慣れた手つきで馬と台車を切り離し、馬の耳に何か小さな飾りを着けた。


「ここで待っててね〜。

 お兄さん、ボクが押すから頑張って引いてね!」


「わかった」


 八合目を半分きたくらいだろうか。

 大型の魔獣はいなくなり、虫型や小動物型の魔獣が増えていた。


 山頂を目指して、台車を引いていく。

 普段これよりも大きい台車を引くこともあるはずなのに、やけに重い。


「雑念入ると噛み付いてくるやつもいるから、無心でいこー!」


 後ろからルシー嬢の底抜けに明るい声が聞こえる。


「……っ、は……っ」

 標高が高くなるにつれて気温は下がるはずなのに、火山だからかどんどん体感温度が上がっていく。


 息が苦しい。足が重い。


 なぜ私はマレイン火山に妻を弔いたいと思ってしまったのだろう。妻は普通に人間界での魔族の葬り方をすれば良いと言ってくれたのに。


 娘を預けて半月。元気にしているだろうか。

 ろくに連絡もしていなかった。寂しがっているに違いない。


 ……ギギッ

 足元で鳴き声がして、見ると蜘蛛型の魔獣が足を登ろうとしていた。

「ひっ」



「無心で、と言われたでしょう」


 後ろから声がする。

 小さく振り返ると、マレイン嬢がルシー嬢の隣で台車を押していた。


「あと少し。頑張って」

「……はい」


 いつの間にか、空が白み始めていた。


 あと数十メートルで山頂、というところで、勾配が一気に急になった。

「台車はここで終わり。頂上までは背負います」


 台車を止めると、ルシー嬢が座椅子を紐にくくりつけたような道具を取り出した。

 邪魔にならないように台車に沿わせる形で取り付けていたようだ。


「あなたが背負いなさい。

 ルシー、葬座(そうざ)を固定してあげて」

「はーい。お兄さん、ちょっとしつれーい」


 ルシー嬢が私の背後に周り、背中に背もたれを当てた。

「その紐、しっかり引っ張っててねー」

「わかった」


 肩から前に下げられた紐を引く。

 背面の位置を調整し、前に来たルシー嬢は手際よく肩紐を腰紐とともに部品に絡めてがっちりと結んだ。


「ファナ、できたー」

「夜明けが近いわ、急いで」


 マレイン嬢とルシー嬢が二人で台車から妻を抱え上げると、遺体から出た液体が麻布に大きなシミを作った。同時に、ガスが吹き出し匂いがたちこめる。

「……っ!!」


「匂いが染み付いても洗えばちゃんと取れるわ。けれど、崩れてしまった亡骸は二度と戻せない。

 覚悟を決めなさい」


 そうだ、私はこのためにやって来たのだ。

 目的まであと一歩。ここで辞めるわけにはいかない。


「はい」

 うなずいた私を見て、マレイン嬢が力強くうなずきを返した。


「載せるからしゃがんでちょうだい」

 言われた通りにしゃがむと、布に包まれた妻を葬座と呼ばれた器具に座らせたのだろう。

 さらに紐で固定しているのが背中越しに伝わって来た。


「合図で立って。はい、一、二、三!」


 声に合わせて立ち上がると、重さが身体にのしかかると同時に強烈な匂いが鼻をつく。


「……っ」


 思わずよろめいたところを、背後から四つの手が支えてくれたのがわかった。


「あと一踏ん張りよ。頑張って」

「……はい」


「それじゃあルシー、後の支度を」

「はーい」

 返事とともに一人分の支えがなくなり、サクサクとした足音の後、ガラガラと台車を引いていく音が聞こえた。


「ミス・マレイン、ルシー嬢(かのじょ)は行かないのですか」

「弔いのために山頂に行けるのはマレイン家の者だけ。使用人も立ち入らせない」


 はああ、とマレイン嬢が大きなため息をついた。

「だから、今回は出血大盤振る舞いなのよ」



 ***



 一歩、一歩。

 草木も生えていない荒れた斜面を登っていく。山頂から吹き下ろす風がどんどん強くなる。

 後ろからマレイン嬢が押してくれているから、幾分楽ではあるものの、やはり、重い。


 ふうふうと息を吐きながら登っていると、「きついでしょう」と後ろから声がかかった。

「……っ、はい」


「今はほとんどの道具が魔道具だから。

 魔道具に見えないものも、動きを良くしたり重さが軽くなるように何らかの魔術が付与されていることが多いの。

 マレインの弔いに魔道具は一切使わない。台車も重かったでしょう?」


 なるほど、そういうことか。

「はい」


「あと少しだから、気張りなさい」

「はい」


 とはいえマレインでそれが成立するのは、ここの人々が魔素に耐性を持ち、基礎体力も魔力も高いということもあるのだろう。


 誰かとこの考察をもって討論したい。

 しかし口外しないと約束しているし……と考えながら斜面を登っていくと、不意に高濃度の魔素を大量に吸い込んでしまった。


「……っ!!」

「気をつけなさい。肺に溜まると奥方の後を追うことになるわよ」

「……はい」


 そうだ。これは妻を送ってから、いくらでも考えれば良い。

 まずは妻を送り、そして娘のもとに帰らなくては。



 こうして、時間をかけてようやく山頂に辿り着いた時には、東の空が白み始めていた。


「時間がないわ。下ろすからしゃがんで」


 マレイン嬢に言われるまま腰を下ろすと、背後でパチンと音がした。

 紐を切断したらしい。身体にずしりと重みがのしかかったが、すぐにそれがなくなった。


 振り返ると、マレイン嬢が妻を両腕で横抱きにして立ち上がるところだった。

 長い黒髪が、山頂の強風に弄ばれ、なびいている。


「ここからはマレインの仕事。この先は魔素がもっと濃くなるから絶対に近付いてはだめよ。

 ……別れの前に伝えることは?」


 亡骸を包んだ布は滲出液でびたびたに濡れている。

 おそらく、顔も原型を留めていないだろう。


「……ありません。生きているうちに、全て伝えたつもりです」


 そう答えると、マレイン嬢が柔らかく微笑んだ。

 まるで、聖女のように。


「その目にしっかり焼きつけなさい。マレインの弔いを直に見るのは、おそらくあなたが最初で最後よ」



 マレイン嬢が妻の額あたりに唇を落とし、耳元で何かを囁いた。

「…………」


 はっきりとは聞き取れなかったが、口の動きと響きに覚えがある。

 あれは、魔界の言葉だ。


 そしてそのまま、マレイン嬢が火口へ向かい歩いていく。

 崖のように切り立ったところで立ち止まると、腕を伸ばし、妻を火口の真上にさらした。



 ……服を力強く叩いていた風が、止んだ。


 マレイン嬢の向こうに見える地平線が、徐々に明るくなる。

 キラキラと空気中に反射しているのは、魔素の結晶だろうか。


 そして、太陽の姿が見え始めた時。

 マレイン嬢は、妻の身体を支えていた腕を抜いた。


「あっ」


 反射的に声が出てしまった。

 しかし、妻の身体はまだそこに浮かんでいる。


「……」


 キラキラと輝く光たちが妻の身体に集まる。

 それらは眩しく輝き出し、突然、強烈な光と風が起こった。


「!!」


 見てしまったら目が焼ける。

 本能的にそう察し、慌てて目を閉じた。


「……」


 太陽を至近距離で見ているように思えるほど輝いていた光が、まぶた越しに少しずつ収まっていくのがわかり恐る恐る目を開ける。


 風になびくマレイン嬢の髪が、真っ先に目に入った。

 真紅に見えるのは、朝陽のせいだろうか。


 そして、妻の亡骸は、もうどこにもなかった。


「…………」


 風がおさまると、マレイン嬢がこちらを振り返った。


「終わったわ。よく見えた?」

「……眩しすぎて、見られませんでした……」

「あの光は目が煮えるから、見なくて正解」


 煮える。目が。

 この悍ましい言葉は、聞かなかったことにしようと誓った。


「下りましょう。魔獣がいるけど、帰りは大丈夫」


「いや、でも」

 こんなに匂いがついているのに?


「下ればわかるわ」

 うーん、とマレイン嬢が伸びをした。

 下ればわかる?何がだろうか。


「行くわよ」


 葬座を手にしてスタスタと行ってしまうマレイン嬢を慌てて追いかけて山を下って行くと、ルシー嬢が台車と馬を繋いで待っていた。


「おかえりなさーい☆」

「ありがとう、ルシー」

 ルシー嬢の頭を撫でると、マレイン嬢は続いて馬に話しかけた。


「あなたも怖かったでしょう、あともう少し、よろしくね」

 馬がフンと短く鳴いて応える。


「乗って。帰ったらまずはお風呂よ」



 ***



 下りの道中、魔獣はこちらに見向きもしなかった。

 何故かとマレイン嬢に尋ねると、よくわからないけれど、という前置きの後、こう返ってきた。


「あの強い光を浴びた後はね、いつもああなの」

「光の正体は何なんでしょうか」

「魔素もあるけど……それ以外の何かもあるのよね。それこそ魂のようなものではないかしら」

「魂、ですか」


「そう。今回ならあなたの奥方。

 そうじゃないとこんな気楽に下山できる理由に説明がつかないでしょ?」



 子爵邸に着くと、まず真っ先に門のそばにある小さな小屋に連れてこられた。


「はい、全部脱いで」

 言われるがままに服を脱ぎ、顔を上げると、マレイン嬢とルシー嬢も一糸纏わぬ姿になっていた。


「!!!???」


「ひと仕事の後のお風呂は最高よね」

 岩でできた大きな浴槽に、妙齢の女性二人がなんの恥じらいもなく入って行く。


 いや、私、娘がいるとはいえまだまだ働き盛りの男なんですが!?

 というか女やもめですし!?


 混乱している私を見て、マレイン嬢がフンと鼻で笑った。


「入りなさい。いつも弔いの後は、領主も領民も男も女も関係なく、一緒にこの湯船に入るの」


「は、はい」


 恐る恐る湯船に近づき、岩風呂に入る。

 肩まで浸かり目を閉じた瞬間、腹の底から深い息が吐き出された。


 ……生き返る。


 魔獣たちの襲撃を抜けて、亡骸を背負って頂に登り、妻の肉体の旅立ちを見届けたのだ。


 無事に終わったという安堵感。

 何より今、自分が生きているというこの上ない実感。


 疲れが、全て温泉に溶けていく。


「……はああ」

 湯船の淵に頭を乗せかけて、はたと身体を起こす。


「ミス・マレイン、この浴槽は、溶岩ですか?」


 私の問いに、マレイン嬢は呆れを隠さず答えた。

「……そうだけど……それ、今聞くこと?」


「魔鉱石とは濡れた状態の質感が違うなと思ったので」

「魔鉱石は浴槽には使えないわ。これは五百年くらい前にあった大噴火の時の溶岩が冷え固まったものを切り出して作ったそうよ」

「……ほう」


 浴槽を何度も撫でていると、視線を感じた。

 その主であるルシー嬢は、視線を逸らすと泳ぐようにマレイン嬢に近付き、期待に満ちた目でマレイン嬢を見つめる。


「はいはい」

 マレイン嬢がルシー嬢の頭を撫でると、ルシー嬢は嬉しそうに目を細めてマレイン嬢に抱きついた。


「そういえば、ルシー嬢はミス・マレインの使用人、で、合っているんですよね?」

 二人のこの距離は、主人と使用人というよりも友人同士に近い。


「ルシーは使い魔よ」

「サキュバスでっす☆」

「え!?」


「ボクのファナだからね〜」

 ルシー嬢がマレイン嬢を強く抱きしめて、こちらをふふんと見遣る。

「あげないよ〜」


 マレイン嬢は半年ほど前に内縁のご夫君と別れたという噂を聞いていたが、待て、そもそもサキュバスは精を搾取した後に……


「…………」


 いや、考えるのはやめよう。

 世界には追究すべきこと以上に、追究してはいけないことがある。




 かぶりを振った私を小さく笑った後、マレイン嬢がいきなり湯船に潜った。

「!?」

 それを追ってルシー嬢も頭まで湯船に浸かる。


 しばらく見ていると、ぶくぶくと気泡が上がってきた後、二人がぶはぁと頭を出した。

 まるで海にいる魔獣だ。湯船に二人の長い髪が海藻のように広がった。


 呆気に取られた私の顔を見て、マレイン嬢が自分の頭を軽く揉んでみせる。


「行儀が悪いと思うだろうけれど、しっかり頭まで潜ってちょうだい。髪に染みついた匂いは洗い流すだけでは足りないの。お湯に溶けるから気にならないくらいにはなるはずよ」

「はい」


 二人を真似て、目を閉じざぶんと頭まで温泉に浸かる。

 毛穴に詰まった何かが溶けて行くような気がした。

 気のせいかもしれないが、何だか頭から何かが抜けて行くような気もする。

 そうだ、さっき頭をよぎってしまった疑念もこのまま溶かしてしまおう……。


 お湯の中で頭を揉むと、温泉の成分が直接入ってとても気持ちがいい。

 息が苦しくなるまで頭を揉むと、お湯から頭を出した。


「……どう?」

「とても良いです」

「気が済むまで潜れば良いわ。私たちはもう上がるから、ごゆっくり。

 二階にベッドがあるからそのまま休みなさい。目が覚めたら呼び鈴を鳴らして」


「いや、そこまでしていただかなくても、宿は自分で取っていますし」

 そんなに面倒を見てもらう理由がない。

 そう思って断ろうとしたが、マレイン嬢は静かに首を横に振った。


「体調に問題がないと私が判断するまで、ここから出さないわよ」

「確かに疲労はありますが、しっかり睡眠を取れば問題ありませ」


「あれだけの量の魔素を浴びたのだから、何が起こるかわからないでしょう?」

 反論を一刀両断されて、ああそうか、と腑に落ちる。


「数日経って影響が出ることもあります。

 これだけは譲らないわよ。抵抗するなら監禁するわ」


 有無を言わさぬ言葉の圧に、これは従う他にないと心の中で白旗をあげた。

「わかりました。それではお言葉に甘えて、お世話になります」




 その後、風呂から上がり、言われるままにベッドに横になると、瞬く間に眠りに落ちて。

 目が覚めると、外は真っ暗になっていた。


 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。


「……そうだ、マレインにいるんだった」


 マレイン嬢に言われた通り、部屋に置かれた呼び鈴を鳴らすと、すぐにルシー嬢がやって来た。


「おっはようございまーす☆たっぷり眠れましたかぁ?」

「はい。ありがとうございます」


「マレイン滞在中はこのままこちらにどうぞ、だそうでーす」

「えっ」

「宿屋からお荷物回収して来ちゃいましたー」


 初対面の時から思ってはいたが、マレイン嬢、少々強引すぎないだろうか。


「あ、夕食の準備もできてるんで、着替えたら本邸行きましょ〜」



 ***



「お待たせしました」

 食堂に入ると、既にマレイン嬢が席に着いて待っていた。

 そして、もう一人。漆黒の髪と紫の瞳を持つ男性がそこにいた。


「ようこそマレインへ。僕はフィオ=マレイン。娘が強引に引き止めてしまったようで申し訳ない。

 魔獣の討伐に辺境へ駆り出されていて、先ほど戻ったんだ」


 ……この父にしてこの娘あり、というべきか。恐ろしく美男。

 魔獣の討伐に行っていたという言葉を疑いたくなる外見をしている上に、マレイン嬢の兄だと言われても通用する。

 マレインの直系は不老らしいと聞いていたが、どうやらそれは事実のようだ。


「こちらこそお世話になってしまい申し訳ありません。

 クレイグ=アボットと申します。王都の大学で研究職をしております。専門は地理です」


「……名前、初めて聞いたわ」

 ぽつりとマレイン嬢がつぶやいた。

「名乗る機会もいただけませんでしたからね」


「またファナは……いきなりぶった斬ったんだろう」

「だって弔いを山頂で見たいなんていきなり言ってくるのよ?」

「それでも名前は聞きなさい。……まあ、ぶった斬りたくなる気持ちはわかる」

「……その節は無理を申しました……」



「マレインには以前もいらしたことがあると聞いているが、魔獣は食べられるだろうか?

 せっかく仕留めたのに、向こうじゃ大型魔獣は食べないというからもらって帰ってきたんだよ」


 大型の魔獣は小型に比べて魔素の量が多いため、魔素を抜く処置をしても強いクセが残ると言われている。

「ありがとうございます。大丈夫です」


「良かった。焼いてもらうように厨房に伝えて」

「かしこまりました」

 壁際に控えていた男性の使用人が、軽く頭を下げて食堂から出て行った。



 そして供された夕食は、今まで食べたことがないくらいに美味しいものばかりだった。

 王都でもこれほどの料理は食べたことがない。


 黙々と食べ続ける私を見て、マレイン子爵が口元を緩めた。

「気に入っていただけたようで何よりだ」

「ええ、とても。あまりに美味しくて驚いています」


 そう答えると、子爵が苦笑いしながらマレイン嬢に視線を向けた。

「うちはファナがとにかく食べる物にうるさくてねえ」

「食は重要だもの」

 涼しい顔をしてマレイン嬢がワインを呷る。


「過去にマレインに滞在した時にも、妻は食べ物が美味しいと感激していました」

「そう……魔族だったんだってね、ご夫人は」

「はい。妻が発症してから数度、湯治で滞在させていただきました」


 その時に、マレイン火山に亡骸を葬る話を聞いたのだ。

「マレイン領に墓地がない理由を、その時に初めて知りました」


「実際に見てみて、どうだったかな」

「大変に荘厳であり、非常に過酷でした……何度か登頂したいとお願いしたことを後悔しました」

「ははは!正直で結構」


「だから却下したのよ」

 マレイン嬢の口が拗ねている。娘にそっくりだ。

 そうだ、娘にも無事に見送れたことを報告しなくては。


「しかし大変貴重な体験をさせていただきました。本当にありがとうございました。

 ああ、同行するにあたって、口外しない誓約魔法をかけていただくことになっていたのですが、それはいつ……」



「その話だけれどね、アボットさん」

 マレイン子爵が私の話を遮った。


「記録を残してもらえないだろうか。形式は論文でも手記でも構わない。無論、報酬は払う」


「え?」


「初めからお願いできていたら良かったのだけれど、僕が家をあけていたからね。

 前々から考えてはいたんだ。ファナに話していなかったのは失敗だったな」


「え……?」


 思わずマレイン嬢を見る。

 大変不機嫌そうな顔でテーブルに頬杖をついていた。

「……お父様から聞いていたら、もっと良い状態で送ってあげられたのに……」


「近々話そうと思っていたところに討伐依頼が入ってしまったんだよ」

 申し訳なさそうにマレイン嬢に語りかけた後、子爵がこちらを向き直った。


「記録することはむしろこちらからお願いしたいくらいですが……。

 しかし、何故でしょう?ずっと秘匿とされていたのに」


「領外でのマレイン出身者差別がひどくなっていてね。

 対外的なアピールも目的ではあるが、みんなにマレインの民である誇りを持ってもらいたいという気持ちが一番かな」


「差別して来るところは魔鉱石の出荷を止めてやれば良いのよ」

「気持ちはわかるがそうもいかないだろう、ファナ」


 子爵と話しているマレイン嬢の姿は、年頃のご令嬢だなと感じる。

 統治者然とした威厳はどう見ても虚勢ではないが(あれは気質というか性分だろう)、可愛らしいところもあるのだなと微笑ましく……なったところでマレイン嬢にキッと睨まれてしまった。



「身体に異常がないことを確認できたら、早めにお嬢さんのところに戻ると良い。

 少しずつ濃度を上げて、魔素に耐性をつけられる魔道具を持って帰ってもらおうかな。

 すぐにとはいかないが、混血であれば数ヶ月あればこの邸くらいまでは来られるようになるだろうから、お嬢さんを連れて遊びに来るというのはどうだろう。

 その時に改めて、調査のために山頂の手前まで同行することを許可しよう」


「……!!ありがとうございます!!」


 興奮気味にお礼をすると、はははと子爵が声をあげて笑った。

「今日はゆっくり休むと良い。また改めて、昨日の感想を聞かせて欲しい」



 ***



 そこから三日ほど、マレイン家のお世話になった。

 もう大丈夫では?と何度かマレイン嬢に尋ねたが、魔界への渡航歴があったとはいえ、火口近くまで生身の人間が来たことが初めてだったらしく、なかなか首を縦に振ってもらえなかった。

 終いには、体調に異変を感じたら必ず連絡することを条件に戻って良い、と、子爵がマレイン嬢を説得してくださった。


 灰を浴びる機会は、二日目に訪れた。

 頻繁には降るが、気まぐれに空くこともあるらしく、早くその灰を浴びることができて幸運だった。

 ……しかし、あれは毎日だと掃除が大変そうだ。実際、ルシー嬢は『今日は多すぎ〜!』と悲鳴を上げながら箒で掃いていた。



 マレイン子爵邸からお暇する日。

 手配してもらった馬車に荷物を積み込み終えたことを確認して振り返ると、マレイン嬢が立っていた。

 先ほど出立のご挨拶はしたはずなのだが。


「……本当に大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。もしも具合が悪くなったら、連絡します」

「必ずよ」

「はい、必ず」


 不機嫌そうに顔をそらしたマレイン嬢が、視線だけをこちらに向けた。

「……悪かったわ」


 思わぬ謝罪に、きょとんと呆けてしまった。

「良くしていただきましたよ?悪いことなど、何も」


「……ちゃんと初めから話を聞いていれば、灰に言葉が乗ったかもしれない。

 それに、最後に奥方のお顔は見せてあげられたはず」


 ──ああ。

 この貴いご令嬢は、ずっとそれを気に病んでいらしたのか。


「ファナ=マレイン様」

 マレイン嬢が、ハッと目を見開いた。


「突然の無謀なお願いに、これ以上ないほどの厚遇をしていただきました」

「……」


 一歩マレイン嬢に歩み寄り、その右手を私の両手で包み込む。


「この御恩は、一生忘れません。

 本当に……本当に、ありがとうございました……っ」


 深く頭を下げると、地面に数滴、涙が跡を作った。



「……また、来るんでしょう?」

 しばらくの沈黙の後、ぶっきらぼうにマレイン嬢がわかりきったことを尋ねてきた。


「もっとすごい恩を着せてあげるから、楽しみにしていなさい」


「はい。楽しみにしています。

 お元気で、ミス・マレイン」

「ええ、待っているわ。アボット()()



 ***



 こうして、妻をマレイン火山で弔う旅は終わりを告げた。


 この後に数回の調査を経て、三年をかけて完成させた手記は、各地の図書館に置かれることになる。

 あまりに訪問しすぎて、終いには娘ともどもマレインに移住することになり、大人になった娘がマレイン嬢の伝記を自費出版し、後々ベストセラーになってしまうのだけれど、それはまた、別の話。

お読みくださりありがとうございました!前作「なぜ飼う(略)」を書いていて、「……魔獣の骸が積み重なって鉱石になるのなら、亡くなった人のことはどうしてるんだろう?」と疑問に思ったところから一気に書き上げました。

*本作内では説明を省いていますが、マレインは魔獣が大変多く、マレイン火山周辺で殺し合った魔獣の死体に火山灰が降り、それが長い時間を経て魔鉱石になります(アイデア元は化石燃料ですが、創作用にアレンジしています)


本作では前作よりもファナの人間らしさが見えると思います。

前作も合わせて読んでいただけると嬉しいです。


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