なぜ飼うことはあっても飼われることはないと思っていたのでしょうね
ブックマーク・評価・ご感想ありがとうございます!
例によっての変化球!今回は幼馴染ベースで書き始めました、どうしてこうなった!
「随分と搾り取ったのね」
結婚式から三ヶ月。
領地にある数少ない高級宿屋、その一室に足を踏み入れた私の第一声がこれだった。
「量は多いくせに質がイマイチで燃費が悪いから、つい〜☆」
夫の"最愛"の姿をした使い魔が、ぺろっと舌を出す。
ベッドには形ばかりの夫がぐったりと横たわっている。
見た目にはあまり変化がないが、精気がないことは明らかだった。
「……な、お前……」
薄目を開けるのもやっとといった様子の男が、私を見て眉間にシワを寄せた。
「誰、だ……?」
使い魔と二人で顔を見合わせる。
「えー、誰、って、君の奥さんじゃーん」
「は?だっ……て、あい……つは」
まともに話せない夫の言葉を聞き取りながら、はたと気が付いた。
「ああそうだ、この姿は一度も見せていなかったわ」
「あー、そういえば」
胸の高さで右手を上に向けて広げ、眼鏡を喚び出す。
「これなら、わかるかしら?」
眼鏡をかけると、男は驚いたように口を開いた。
「お前……!!」
「ここにいる時に眼鏡をかけていると、特に具合が悪くなるの」
すぐに外し、右手の上に載せて、魔法空間に返すと、親指と人差し指で鼻筋を押さえた。
少しの間だけでも、着けると見え方が狂う。
「これが私の本来の姿」
「……は……?」
「学園でこの見た目だと目立つし、余計なトラブルを招くから」
黒い髪も、紫の瞳も。
そう見えないように色を変え、それに加えて顔の印象をぼかして、よくわからないようにしていたから。
***
私と婚約者は、同じ学園に通っていた。
年齢は向こうが一つ上だが、卒業時の学年は同じ。婚約者は留年していた。
この婚約は三年前に伯爵家が国に提案し、王命で結んだもの。
我が家には何のメリットもない。機嫌を取るだけの婚約。
私も当然不本意だったが、婚約者は私以上に不満を隠さなかった。
学園にあるサロンを借りて隔週に一度お茶をする決まりも、当日すっぽかされることがほとんど。
来たとしても五分で出ていく。
『……婚約者って自覚、あるのかしら』
後ろ姿を見ながら呟くと、
『あるワケないっしょ〜』
侍女の格好をした使い魔が鼻で笑った。
ご機嫌伺いをしているのは我が家ではない。
伯爵家であり、王家だ。
そもそも、自分が売られる身だということを理解していないらしい。
そんなある日。
談話室の扉の前を通りかかると、婚約者の声が聞こえて足を止めた。
『まったく、あんな冴えない女と婚約させられるなんてとんだ外れくじだよ』
知っている。
それは散々面と向かって言われていることだ。
だけど、こちらも全く同じことを言ってやりたい。
『でも、結婚したら幼馴染を囲うんだろう?』
婚約者の友人が言った。
その幼馴染は幼い頃に患った熱病の影響で身体が弱く、ほとんど外出したことがないらしい。
学園にも通えない、可哀想な子なのだと。
優秀な自分が勉強を教えるのだと、週に何度か彼女の元に通っていた。
ずっと面倒を見てきた、というより、自分の所有物のように触れ回り、扱う。
見舞いを申し出た時に、婚約者に強く拒まれた。
婚約者の幼馴染なら、ご挨拶くらいしたいと思ったのだが。
『……』
しかし、その幼馴染は健康体になったのだろうか。
そもそも、囲う、とは。
『可愛いんだろう?見てみたいよなぁ』
『小動物みたいな感じでたまらないんだ。ペットみたいでさ。
それに引き換え、あの女は石みたいでなんの面白みもない』
『ハハ、なんだよ石みたいって』
『だって髪の毛の色が石みてえじゃん。黒ともグレーともいえない感じ。いっつも無表情だし』
後頭部の高い位置で結んだ自分の髪を手に取る。
その日は少し灰色に近かった。
『親父は「機嫌を取れ」ってうるさいけどさ、機嫌も何もねえわけ』
『表情変わんないんじゃあなぁ』
『眼鏡かけてるからなおさらそう見えるんじゃないか?』
『でもあれじゃね?結婚したら変わるんじゃね?』
『いやーあれは無理だろ。その気になれる気がしねえ』
『そうなるように躾けるんだよ。お前、魔力多いから力で押さえつけりゃどうにでもなるだろ』
『……は?』
思わず低い声が出てしまった。
幸い、談話室の中の男たちには聞こえておらず、下衆な会話は続いていく。
『躾ける?……躾ける、か。悪くねえな』
婚約者が、欲を滲ませながら鼻で笑ったのが聞こえた。
『躾がうまくいったら飼って可愛がってやりゃ良いじゃん』
『ははは!あの澄ました顔がどう変わるのか楽しみだな!』
『……』
そのまま足音を立てずに談話室を通り過ぎる。
私を躾ける?
私とあの男は学園を卒業した三ヶ月後に結婚することになっている。
婿入りするのだ。そう、婿。
私が嫁ぐんじゃない、あの男を我が家に迎え入れる。
『冗談じゃない』
少し下がった眼鏡の鼻あてを中指で押さえて直した。
どうしてお父上である伯爵が私の機嫌を取れと言ったのか、この男はまったくわかっていない。
家を継げない、いざという時の替えでもない三男坊。
その上で、家のためになる、貴族としての立場も守れる、考えられる中で最善の役割。
きちんと説明されたでしょうに。
本当に何もわかっていないのね。
卒業までの時間がどれくらいあったかを思い出す。
あと半年。準備期間としては十分でしょう。
迎えに来ていた馬車に乗り、扉が閉まったことを確認して。
眼鏡を外し、結わいていた髪を解いた。
『飼う価値もないから、搾れるだけ搾りましょうか』
小さな声でつぶやくと、御者席から能天気な返事が聞こえた。
『はーい☆』
***
そして。
『お前を愛することはない』
結婚式が終わり、宴が終わり。
宴と同じ服装のまま寝室に入ってきた男は、開口一番こう言った。
『……そうですか』
『はっ、そういう可愛げがないところが悪いんだ』
この日、形ばかりの夫になった男はそう吐き捨てると、口の端を上げた。
『こんな穢れた場所に来て、結婚してやっただけありがたいと思うんだな』
そう言って、入ってきたばかりの寝室の扉に手をかける。
『どこへ行くんですか』
『セディのところだ!こんなところに連れてこなければならなかったのは心苦しいが、それでも良いと言ってくれたから来てやったんだ!』
『……』
冷ややかな目を向けている私に気付くと、夫はこちらを睨んで声を荒げた。
『そういうところだ!いじらしく縋ってくればまだ可愛がる気にもなれるが、お前はそんな様子をまるで見せない!
愛想も振りまけないお前なんて、とんだはずれくじだ!
領地の仕事なんてさせるなよ!結婚できただけありがたいと思え!』
そして、男が乱暴に扉を閉めて出ていくと、寝室に静寂が訪れた。
『……婿入りしてきた立場だってこと、わかってるのかしら』
眼鏡を外しながらため息をつく。
『わかってないんじゃな〜い?』
天井からぬっと頭を出した使い魔が、軽やかな音を立てて着地した。
『まったく、愚かね』
頭の低いところで結んでいた髪紐を解くと、くすんだグレーだった髪色が黒に戻る。
『……はあ、外はともかく、領地でこれを使うと疲れるわ』
ぐるりと首を回す。指先に血の巡りを感じ、身体に力が戻ってきたことを実感した。
『で、どうする〜?』
『予定通り。私はあれ、好みじゃないから。好きにして』
『はいはーい、お任せあれ〜☆』
ひらひらと私に手を振って、使い魔は一瞬で寝室から消えた。
『……本当に、愚かね』
自分がどういう立場でここにやってきたかも、まるで理解していないのだから。
***
ここで、私がゆくゆくは治めることになる、この土地の話をしよう。
我が子爵領は魔獣が多い。
”魔素だまり”や”澱み”と呼ばれる、魔素が停滞する、領民以外は立入禁止となっている箇所がいくつもある。
かつては魔素だまりはこの十倍以上も存在し、魔獣が大量に発生していたという。
そして、かつて魔王を封印したと言われる火山をぐるりと囲むように領地が存在している。
この火山はひっきりなしに噴火し、魔素を含んだ灰を降らせている。
人間が住む環境としては、劣悪どころか最悪。
領民たちは、この火山を取り囲むように、他の領地との境界に近い場所に家をつくり、暮らす。
魔獣は発生量も多ければ、死ぬ量も多い。
攻撃性の高い魔獣は互いを食糧とみて襲い合い、喰らい合うのだ。
敗れた数多の魔獣の死骸は、毎日のように降る火山灰の下に埋もれていく。
火山灰に水分を吸収された魔獣の死骸は、腐ることなく灰とともに石と化す……。
こうして時間をかけて出来上がった鉱山を擁しているのが、我が子爵領。
世界的にも珍しく、この大陸で現在確認されているのはここだけである。
採掘される鉱石は、生きた魔獣から採れる魔石ほど魔素の純度は高くない。
しかし、加工が非常にしやすく、しかも魔素の含有濃度も高いため、効率の良い資源として売れる。
この鉱石の採掘と加工は、子爵領の主要産業だ。
本来なら人に悪影響をもたらす魔素。
そんな魔素に溢れた土地に、なぜ代々人が住み続けられるのか。
なぜ、我が一族が治め続けていられるのか。
答えは単純。身体が適応し、耐性がついたから。
側から見れば劣悪な環境の統治を押し付けられているように見えるが、実際には我々しか生活も統治もできないのである。
しかし適応した結果、子爵家の直系は、夜の闇よりも暗い漆黒の髪と夕暮れの空よりも深い紫の瞳を持つようになった。
――これは、魔界に住む魔族と呼ばれる存在と同じ組み合わせ。
世界的にも珍しいため、黒髪と紫の瞳の持ち主は大変に目立つ。
高濃度の魔素に適応する肉体を持ったことによって、 人間でありながら魔族に近い性質になってしまったのだ。
よく言われる魔族の特徴と同じく、見目が大変に整っている。
自分で言うのも気持ち悪いが、祖先はみな美男美女。そして不老で長命。
父と私はよく兄妹に間違えられる。
まあ、我が家に限らず、うちの領地には贔屓目なしに見ても美男美女が多い。
ちなみに領民たちは髪か瞳、もしくはその両方が黒。
この程度ならあまり珍しくはないので、私や父ほど目立たない。
そして、魔族に近い一番の特徴が”魅了”。
これが本当に厄介なのだ。
何も対策を講じなければ、こちらの意思に関係なく片っ端から老若男女問わず惹きつけてしまうのである。
言いなりにできる?とんでもない。
やりたいように愛してくるから面倒なのだ。
思い通りに操るよりも、力で黙らせた方が早い……が、力を振るうと命を奪ってしまう。
そのため、印象をぼやけさせる認識阻害の魔道具が欠かせない。
私は手には装飾品をつけないので、眼鏡型を使っている。
もうひとつの道具である髪紐は、魔獣の毛を撚り合わせた糸を使って編まれた、我が家で代々作り方が受け継がれる呪具。
髪に溜まった魔力を吸収することができる。魔力が溜まれば溜まるほど黒くなるこの髪は、髪紐で結うことによって色も変わる。
これは消耗品なので、ダメになったら次を作る。
領民たちは常に一定量の魔素が空気中に存在する環境に適応しているので、私が素顔で接しても問題はない。
領地から遠ざかれば遠ざかるほど空気中の魔素は薄くなり、耐性もなくなるのだ。
補足しておくと、魔力量も王城の魔導士たちより遥かに多い。
領内の魔獣の討伐や対応は、自分たちだけで完結できるくらいには強い。
国内で発生する大型魔獣の討伐案件に駆り出されることもある。
王国軍に匹敵する対魔獣戦力と、国の貴重な外貨獲得源である魔鉱石の産地を持つ。
それが、我が子爵領である。
子爵位に留まっているのは、国として独立する意思がないことを暗に示すのも理由の一つ。
……別に、独立したっていいと思うのだけれど。ただ、それをしてしまうと、世界と戦争になってしまう。
私はそこまで好戦的ではないつもり。
しかし、周りがどう思っているかは別の話なのだ。
特に今の国王は、過剰に私たちを恐れている。
理由は、私と魔族の距離にある。
魔獣を手懐けることは珍しいことじゃない。
一方、私のような使い魔の侍らせ方は、極めて稀なのだ。
***
「ねぇ〜ファナさぁ、こいつもう残りかすしか出ないと思う〜」
使い魔がうーんと伸びをした。
「……搾り取りすぎたんじゃないの?ルシー」
「……ルシー……?」
形ばかりの夫が、最愛の形をした使い魔に目を向ける。
「セディ、じゃ、ないのか?」
セディ嬢の姿をした私の使い魔が、令嬢らしからぬ大口を開け、声を上げて笑った。
「あはは、入れ替わったのに全然気付かないの、バカだよねぇ〜。
君の最愛ちゃんは、こんなにふしだらだったのぉ?」
「はっ、ふっ!?」
夫が目を白黒させている姿を見て、ひいひいと笑っている。
「もう良いわよルシー。元の姿に戻っても」
「は〜い☆」
ボンッという音、そして煙とともに、 ルシーが自身の姿を現した。
ピンクの髪と紫の目を持つ、魔物。
サキュバスでありながら露出の少ない服装を好むところを、私は気に入っている。
「どういう……こと、だ……」
「ふふふ」
侍女の格好をしたルシーが運んできた椅子に腰掛け、足を組んだ。
起き上がる気力もなくベッドに横になったままの夫に、そろそろ種明かしをしましょうか。
「セディ嬢には卒業前に意向を確認しました。
こちらに来てあなたに囲われる意思があるのかを。
答えは否。病弱だったセディ嬢がこの土地に耐えられる可能性はゼロに近いですからね」
そう、セディには躾発言を聞いてすぐに会いに行った。
公式にではない。夜中に、ひっそりと。
「……は……?」
「彼女は逃げたいと答えたから、私の伝手を紹介したの。
あの子はこの国どころか大陸を離れて、新しい生活を送っているわ」
――彼女との邂逅を思い返す。
セディ嬢は思っていたよりも、ずっとずっと聡明な娘だった。
***
『こんばんは』
バルコニーの椅子に座って静かに外を眺めていたセディに、屋根の上から声をかける。
『……ようこそお越しくださいました、ファナ=マレイン様』
おや。気がついていたのか。
静かにバルコニーに降りると、セディはゆっくりとこちらを振り返る。
ふわふわとうねった榛色の髪とくりっと丸い焦茶の瞳。確かに小動物のように愛らしい。
こんな子が使い魔にいたら毎日が楽しそうだなと思った。
『申し訳ありません。あまり体調が芳しくなく、座ったままでご挨拶することをお許しください』
『もちろん。ごめんなさいね、先触れもなしに』
『可愛い黒猫やカラスが時折様子を見にきてくれていましたので、いずれはと思っておりました』
おや。
『気付いていたのね』
『動物にしては、聞き分けが良い子たちでしたので』
ルシーや小型の魔獣に、何度か様子を見に来させていたのだが、気付かれていたらしい。
『ゲロルフ様が、申し訳ありません』
そうだ、婚約者はゲロルフという名前だった。
とある国ではカエルの鳴き声をゲロゲロと表現するらしい。不要になればカエルに変えてやるのも悪くないなと考える。
『あなたが悪いのではないわ。あのカエルがクズなだけでしょう』
『カエル?』
ああ、カエルにすることを考えていたからそのまま口に出てしまったようだ。
『こちらの話』
セディ嬢の正面に回り込むと、腰を落としてセディの細い手を取った。
『!!』
『いきなりごめんなさいね。どこが悪いのか、診せて』
手を取ったまま、目を閉じて意識を集中させる。
程よいところで手を離し、セディの顔を見ると、目をぱちぱちと瞬かせていた。
『何を、なさったのですか?』
『わたしの魔力を流したの。
ねえ、これ、いつも似た症状?』
『……はい』
魔力回路ではない、体液の回路が悪そうだ。
『具合が悪くなるのは、いつも夜?』
『はい』
生活環境もあるのかしら、それとも。
『薬は何か飲んでいる?』
『ゲロルフ様が、持ってきてくださったものを』
つい、眉をひそめてしまった。
『あの男が?』
『高価な薬だと言われて。我が家では高価な薬を買うことはできませんので』
『それ、今あるかしら』
『申し訳ありません、週に一度いらした時に、ゲロルフ様の目の前で飲まされるのです』
『……目の前で』
『ちゃんと飲んだか、確認すると言われます』
――躾。
学園で聞いた言葉が頭をよぎる。
あの男は、躾という言葉を認識した日よりも前から、それに近いことをしていたらしい。
『……それを飲んでいること、お医者様には?』
『伝えましたが、問題ないだろうと』
その医者が愚鈍なのか、金でも握らされているのか。
『その薬、飲んだふりをして吐き出すことはできそう?布に染み込ませるの』
『……やります』
『薬が変質しないうちに回収したいから、布はこちらで用意するわ。
薬の入手経路も探らせる。もう絶対に飲んではダメ。良いわね?』
『はい』
布は水を吸った後に反応してすぐ転送される魔法陣入りのものを調達しよう。
届けるのはルシーに任せれば良い。
……それにしてもこの子、あの男に好意がある感じが、まるでしない。
『あなた、好いた人は?』
『!!』
会ったばかりだけれど、一番可愛い表情を見せた。
本当にうちの使い魔に欲しいわ、こういう子。愛でて愛でて、愛で倒したい。
『気持ちは通い合っていて?』
『……庭師見習い、なので……』
ああ、身分というのは、本当に厄介だ。
『もし、お互いが同じ思いで、逃げる意思があるのなら、手を貸すわ』
はっとセディ嬢が顔を上げた。
『もっとも、片思いでもあなただけを逃がす用意はある』
『!!』
『聞かせて、セディ。
あなたはあのクズの言いなりになって、マレイン領へ来たい?
それとも、新しい場所で、全く新しい人生を歩みたい?』
***
「身長を伸ばさずに女性らしい身体つきにする薬だなんて、よく見つけてきたわね」
そういうと、形ばかりの夫は小さくその身を強張らせた。
「そんな怪しい薬を使って何もないわけがない。
実際、セディは飲み始める前よりも衰弱していたというじゃない。
それが狙いだったのでしょう?小賢しい男」
はっはっ……と夫の呼吸が浅くなり始めた。
「ちょっとルシー、精気だけじゃなくて生気までなくなってきてるじゃないの」
「ええ〜?それはボク悪くないもん、勝手にそいつが追い詰められてるだけ☆」
自らのツインテールをくるくると指で弄びながら、ルシーがふふっと笑う。
「あーんな可愛くて賢いセディちゃんが、ここに来ていきなり積極的にお誘いするわけないじゃーん。バカだねえ」
「第一、あなたがやっていたのは単なる欲の発散。愛ではない」
「ちが……」
「違わない」
男の目に不快感いっぱいの視線を突き立てる。
しかし。
「……」
男の目が蕩け始めた。
ああそうだ、今の私は素顔なのだった。
男の身体が欲を孕んでくる様子が手に取るようにわかってしまう。
「……最っ低」
この目は便利なようで面倒であることの方が多い。
特にこういう人の形をした欲の塊を、わかりやすく反応させてしまうから。
「ルシー、もう残りかすしか出ないのではなかったの?」
「……質は悪いし巧くもないくせに生産力はあるんだよぉ……」
ルシーがぼやいた。
まあ良い。
どうせ何もできないのだし、話は進めてしまいましょう。
「セディ嬢はもうこの大陸にはいません。
彼女と想いを交わしていた男性と、新しい土地で新しい生活を始めています」
「な……!」
「あなたの生家が援助をしていたから、かの男爵家もあなたを無碍にできなかったのでしょう。
主治医には研究の名目で非合法な薬草を握らせて、セディ嬢に違法薬を飲ませることについては黙認させていたそうね」
本当に、悪知恵は働くようだ。
「毒を以て毒を制する、悪を以て悪を制する。
そのつもりであなたの生家は私にあなたを押し付けたようだけれど、私たちマレイン家は魔の要素が強くても悪ではないのよ?もっとも、私たちの正義があることは否定しないわ」
はくはくと口を動かす男を一瞥する。
「そもそも、私とあなたは式こそ挙げたけれど届出はしていない。
文字通り、形だけの夫なのよ」
「……ぁ?」
掠れた息のような声が聞こえた。
「便宜上婿入りと言ってはいたけれど、あなたの家は、あなたを供物として差し出してきたの。これをやるからうちで採れる魔鉱石の流通量を増やして欲しいって。
私の機嫌を取れと口酸っぱく言われてきたのでしょう?それが、一秒でも長く人として生きるための戦略だからよ」
可愛いルシーが後ろから私の首に抱きついてきた。
頭を撫でてやる。よしよし。
「もう少し愛想良く振る舞えば、私もあなたを可愛がってあげても良かったのだけれど……私を愛することはないと初めての夜に言われては、ね?
多少は良くしてやろうと思っていたのに、お前を愛玩する気なんてこれっぽっちも無くなってしまったわ。だからこの子にあげたの」
「あげ……?」
何を言っているのかわからない、そんな顔をしているわね。
別にわかってもらわなくても結構。
「この子は私の可愛い使い魔であり愛玩。たくさんお前の欲を満たしてくれたでしょう?」
「おいしくなかったけどねぇ〜」
ルシーのぼやきに虚しさが滲んだ。
粗悪品で腹を満たしても心は満たされないわよね。後でたくさん良いものをあげなくては。
「ただまあ、粗方吸い尽くしたようだから、払い下げましょうか。
次はどうしようかし……ああ、そうだ」
パン、と手を叩く。
ベッドから夫だったものが消えた。
そう、その気になれば処理など実に呆気ないものなのだ。
「れれれ?どこにいっちゃったの〜?」
ルシーがキョロキョロと部屋の中を見回す。
「これよ」
立ち上がると、ベッドの中から茶色い生き物を摘み上げた。
こぶし大のカエル。
ゲロゲロと喉が潰れたような声で鳴いている。
きゃぁとルシーがわざとらしく悲鳴を上げた。
「うげぇ、きったねえカエル!」
「ルシー、悲鳴と言葉が噛み合っていないわ」
カエルは粘液をだらだらと垂らしながら必死に体を捩らせた。
「このカエルどうするの〜?」
「カエルの故郷に返してあげてもいいのだけれど……」
返すと魔素で土壌に影響が出てしまう。
汚物を押し付けられたお礼として送り返しても良いが、すぐに足がつくし後々面倒だ。
「五合目あたりに放っておきましょうか。
供物として捧げられたのだから、役目を果たしてもらうのが一番ね」
「ボク捨ててくる〜」
「じゃあお願い」
乱暴にカエルを投げると、ルシーはゴミ箱でキャッチした。
そしてゴミ箱にかけられた袋を掴み上げる。
素手で触りたくないらしい。
「いってきまーす☆」
「よろしくね」
ボフンと音を立てて、煙とともにルシーが消えた。
***
ルシーとカエルが消え、私一人になった宿屋の客室。
こんな狭い部屋をあの子の終の場にせずに済んで良かった。
セディは違法薬をやめ、こちらで準備した薬を飲み始めるとすぐに回復を見せた。
幼少の頃に高熱を出して以来、体液の回路が詰まりやすくなってしまったらしい。
『……ファナ様は医療の心得もあるのですね』
ある日、両手に触れて魔力を流す何度目かの治療をしていると、セディがつぶやいた。
『ええ。うちは領民も体質がこちらの人間と違うから、診られる医師が少なくて。
マレインに住めるだけの耐性がある人も、やっぱり体調を崩してしまうことが多いのよ。
私は適性があったから、医療も多少学んだの』
『そうなのですね。おかげでかなり身体が楽になりました。ありがとう存じます』
『なんてことはないわ、気にしないで。
第一、治療してもあなたはマレインの土地には長く耐えられないし』
耐えられる子だったら、うちに連れてきて私が可愛がったのに。
本当に残念だ。
『……それは、私に限ったことではありませんよね?』
『まあね』
治療が終わり、手を離そうとすると、私の手をセディが強く握った。
『……どうしたの?』
『本当に、よろしいのでしょうか。私と彼を、逃がしていただくなど』
──あの日の私の問いに対するセディの答えは、恋人と一緒に逃げることだった。
『問題ないわ。だって、ご両親はあなたが訴えても耐えろと言われたのでしょう?
つまり、耐えて、死ねと』
『……はい。私の治療のために財政は長らく芳しくないのです。
弟妹もおりますし、もう、限界なのだと思います』
『仕方ないのかもしれないけれど、そんな家、こちらから見限って仕舞えば良いのよ。
あなたはマレインへひっそりと旅立つ。その先のことはご両親も見て見ぬふり。死んだのだと心を整理するでしょうね』
『はい』
そんなものだろう。
実際、ここまでギリギリの金銭があったから、なんとか生き永らえられたはずだ。
『あなたは新しい人生を生きなさい。今までよりはずっともっと楽しい毎日が待っているわ。
私も時々、顔を見に行くわね』
そう微笑むと、セディはキョトンと呆けた顔をした。
『え、だって、私はこの大陸から離れる、って……』
『それくらい転移するわよ。訳もないわ。
せっかく仲良く?なれたんだもの。迷惑なら行かないけれど』
『是非!是非来てください!!』
私の手を握る力が、さらに強くなった。
『たくさんお話、聞かせてください!』
『……これだけ握力がついてきたなら、たぶん大丈夫ね』
くすっと微笑むと、セディも微笑みを返してきた。
『全てファナ様のおかげです、本当にありがとうございます』
『たくさん見聞きして知見を得てちょうだい。手紙も書いてね』
『もちろんです』
そして、あの夜。
形ばかりの夫が意気揚々と出て行った部屋へ、夫と同じ馬車に乗ってマレインに連れてこられたセディを転移させた。
『……酷い格好ね』
『初夜のための夜着にしてはセンスが悪すぎると私も思う』
初めて会ってからの九ヶ月で、私とセディはかなり親しくなっていた。
服を着替えさせ、下品な夜着を宿屋に転移したルシーの元に送ると、パンパンと手を払う。
『……ほんと、趣味悪』
『本当に』
顔を見合わせてふふっと笑い合うと、その手に袋を握らせた。
『餞別よ、受け取って』
その大きさと重さから中身を察したのだろう、セディが驚きに目を見開いた。
『だめよ!こんなにもらえない!』
『中身は二つあるの。半分はあの島国の王家へ。
悪いようにはならないはずよ、あそこは宗教的に魔族への畏怖や信仰が厚いから。我が家みたいな似非魔族のものでも喜んで受け取るはず』
『……』
しばらくセディと見つめ合う時間が続いた。
セディの目が次第に潤んで、一筋、涙が流れる。
『そろそろ行きなさい、彼を待たせ過ぎてもいけないわ』
『……わかった。ありがとうファナ。絶対に手紙を書くわね』
『ええ。ただ私、手紙は待てない気がするの。
通信魔道具も入れたから、眠れない夜には話しましょ』
そう言うと、セディが少しの間、呆けた顔をした。
この子、心底驚くとこの顔をするのよね。
ちょっと口の開き方がだらしないけれど、それがまた可愛い。
『……ふふ、ファナらしい。
じゃあ遠慮なく、着いたら真っ先に連絡させて』
『待っているわ。
じゃあねセディ、どうぞ幸せに』
手を離すと、セディの足元に転移陣を発現させる。
『ありがとう。ファナも幸せにね!』
『私は十分幸せよ』
シュンと音を立てて、セディの姿が消えた。
恋人が待っている、港町に転移しただろう。
『そう、私は十分幸せ』
魔獣を屠り、時には手懐け、周囲を怯えさせながらこんなに愉快な毎日を送れているのだから。
***
その後、セディからは無事に目的地に着いたと連絡があった。
今は週に一度、通信魔道具で話す仲だ。
環境は合っていたらしく、出国前よりも元気だと笑っていた。
彼とはケンカをしながらも、今のところは楽しく暮らせているという。
二人が一生を添い遂げられるかはわからない。
別れることだって悪ではないし。なるようになるでしょう。
「やっと片付いたわね……」
あらためて、客室をぐるりと見回した。
三ヶ月籠っていた割には部屋は綺麗。でも欲の淀みと匂いが残っているかしら。
掃除をしてしっかり空気を入れ替えれば問題ないとは思うけれど、チップはうんと弾もう。
「……さてと、あれを押し付けてきた奴らにどう嫌がらせをするか考えましょ」
どうせろくな養分にもなりやしない。
粗悪な供物で大きな顔をしている伯爵家と王家を、たっぷりゆすらなくちゃ。
それにしても、なぜ飼うことはあっても飼われることはないと思っていたのでしょうね。
「手懐けるのも飼うのも、マレインに敵うわけないって、わからないのかしら」




