第5話「日常業務」
第6章第5話「日常業務」
…………
「つまり、思考誘導がされていたと?」
「はい。右の4つが作戦前の月例定期診断のデータ。左の物が臨時の精神鑑定依頼により計測されたデータです。N値とT値が上昇し、B値が減少しています。これは、広域条件発動型の思考誘導魔法によくみられる所見です。作戦行動記録と照らし合わせると短絡的な行動をするように誘導されたと考えるのが自然ではないでしょうか」
俺は予備課程に参加する兵士たちに訓示をした後、第1軍集団司令部に戻り、野戦服から通常勤務服に着替えた後、衛生幕僚部の事務所に来ていた。衛生幕僚部の任務は『司令官に対して公衆衛生、野戦救護、戦闘医療、薬剤、歯科、獣医学などの面から助言を行い、式などの任務支援を行う』としている。人事、作戦、情報、後方、計画などの参謀部門と違い、特別幕僚部門であるから医療専門家である必要はあるが参謀将校である必要はない。そのため、軍事施設と言うよりも病院の事務室のような印象を受ける。そんな衛生幕僚部に対して、どのような用件で足を運んだかだが、上の主要任務ではなく副次任務である、『所属している将兵の健康管理』の方だ。その健康管理の中の精神分野、カウンセリングと精神鑑定の結果を聞きに来た。正直言って、主要任務よりも副次任務の方が一般将兵にはなじみ深いのではないだろうか。俺は全然そんなことないが。
『なぜ、グミは隠密作戦をかなぐり捨てて、派手にやらかしたのか?』と言う疑問の回答としていくつか上がった仮設の内『何らかの手段で思考が誘導されていたのではないか』が正しいかどうか確かめるべく、隷下部隊に対する医療衛生のすべてを統括する衛生幕僚部に対して調査依頼を出していた。それの結果報告を聞いたわけだが、一発目で辺りを引くとは……
——精神魔法。魔法や魔術、魔導、呪術、エトセトラエトセトラ。そう言った非科学的なものとカテゴライズされるものにおいて、精神に関するものは大抵ある。どの世界においても。考えて見れば当然である。魔術と言うものが『この世に存在するあらゆる定義を書き換えることで、そう言うものであると誤認させ物理法則に介入し、望みうる結果を引き出す』技術である以上、直接的に物理法則の力を借り、騙す必要のない科学よりも非効率であることは論じるまでもない。だから地球の魔術は井戸や火打石、小銃、建築術、天文学等の体系化された普遍的な技術体系……つまり科学にその役割を次々と代替されていった。
その中で、精神と言うものは長らく魔術の独占分野だった。最近はヴァーチャルリアリティや戦闘管理用のナノマシンが存在するが、そう言ったものは例外だ。何故なら、2036年の科学技術をもってしても人間の脳や心と言うものはブラックボックスだからだ。科学とは魔術よりも効率的だ。だがしかし、0と1だけで表せるまでに分析が進まなければ魔術よりも効率的になることはめったにない。だから、除霊とか交霊とか洗脳とかの精神に作用する術法は最後の砦として、多くの魔術師たちがすがった。
だからこそ、全世界300万以上存在するというメジャーな流派のほぼすべてにおいて“精神”に関する何らかの術法を有しているという。当然、地球の物だけではなく、現地産の物、ユニークスキルやブレイバーズクラスによる物なども可能性がある。
だが、地球だけでも15万以上の候補がある。例え同盟国相手もステルス戦闘機や潜水艦、火器統制システム、アクティブフェイズドアレイレーダーなどの最新兵器情報を秘匿していることからもわかるように魔術も他の流派の者にソースコードにあたる魔術式の公開を行うものはいないし、それを暴こうとするスパイへの警戒も半端ない。ロシアの情報管理体制が障子紙に思えるほどだ。だから、概要レベルであっても知っているのは20件程度しかない(当然だが照会できるほどの詳細なデータはない)し、ユニークスキルによるものは文字通りユニークであるため情報収集そのものが困難でありデータがそろっていない。唯一の例外として、この世界で開発された精神系魔法のデータは大規模な情報資料保管施設にため込まれている。
しかし、如何に高度な情報収集/分析能力を持っていようがそのすべてを残らず平らげることは不可能だ。だから恐らく照合結果は“該当なし”になる。王国軍の情報資料保管施設は警察庁の前科者指紋リストではないし、ましてやNシステム用のナンバープレート照会用データベースでもない。膨大な情報資料を完全に人の手だけで照合することになるから大量のマンパワーを必要とする。だから恐らく“該当なし”となるであろう照合作業には長い時間を必要とする。
「……わかった。恐らく、“該当なし”となるだろうが情報資料との照合を頼む。詳細な術式情報の解析と対抗手段の模索を衛生幕僚部が中心となって行ってくれ。あとで書類を回す」
「了解しました」
………数分後。
「結果が出たぞ。思考誘導魔法だ。現在、衛生幕僚部が中心となって対抗手段を研究している」
「……それは、私が未熟だったということ?」
兵士とはいついかなる時でも——例え、目の前で戦友が敵の凶弾に倒れたとしても——冷静でいることが求められる。だから、思考誘導魔法なる訳の分からないものにその冷静をかき乱されたことは未熟である。という短絡的な思考に陥ってしまうのはよくわかる。
「いや、思考誘導という回りくどい手段は俺にとっても予想外だった。状況を整える側だったのにそう言った事態を想定していなかった俺の責任だ。現時点で物的損が居こそ出たものの人的損害は出ていない。どうせ装備は消耗品だ。オペレーターが無事なら問題ない」
書類棚からA4サイズの紙がすっぽり収まるファイルを取り出し、グミに差し出す。
「雑談は置いておいて本題に行こう。第1軍集団司令官直轄の特殊作戦中隊……早い話、CIFだな。これを編成することとなった。その初代隊長に任命する。中隊長の裁量で編成してよい。質問は?」
「人員規模は?」
「24名までなら自由に引き抜いていい」
「錬成時間と予算は?」
「錬成時間は早ければ早いほどいいが3カ月以内とする。予算は5万ディナール。スキルのポイントは最優先で回す。好きなだけ言え」
「用意してほしい装備がある。後でリストを持ってくる」
「分かった。臨時に第2会議室を編成オフィスとして置いた。可能な限り早くちゃんとしたものを用意するからまずはそこでやってくれ」
「了解!」
まぁ、何だ……人間やることがたくさんあって忙しい方が色々考えなくて済むだろう。