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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第12章 中島弥生3
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第80話 誰かと一緒に来たのは今日がはじめて。

 ボートを返却し再び遊歩道を歩きだしたふたりの頭上で、太陽はまだ高い場所から強烈な光を放っていた。


「暑いね。早いとこ買い物に行ってうちに帰ろうか?」


 そう尋ねる逸郎に、弥生はいやいやをする。


「まだボートに乗っただけじゃない。弥生はぜんぜん納得できてないよ。もっとお兄ちゃんとお散歩してたい!」


――たしかに。部屋を出てからすぐにボート借りたから、実質一時間くらいしか遊んでない。そりゃ太陽も高いはずだ。


 しばし黙考した逸郎は、昨年まだ寮にいたころにあちこち探検していたことを思い出した。


「よし。そういやこの先から入る山道で、いい感じの散歩道があったはず。ちょっと歩くけど行ってみる?」


 もちろん、という顔で弥生は大きく頷いてきた。


          *


 反時計回りに半周回った向こう側、池の東岸にこじんまりとしたバラ園があって、その奥から獣道(けものみち)に毛が生えたような上り坂の山道が伸びている。去年の秋にひとりで歩いたときは、小一時間誰ともすれ違わなかった道。


「はっきりいって、こっから先は穴場なんだ。たぶんこの街に住んでる人のほとんどはこの道の存在を知らない。でも、すっごく良い景色があるんだよ。今日は特別に、弥生にその風景を見せてあげよう」


「めちゃくちゃ楽しみなんだけど」


「あんまり期待し過ぎないでね。俺も一回しか行ったことないんだから。それと、舗装道じゃないからちょっときついよ。運動不足の弥生じゃ音を上げちゃうかもね」


 揶揄(からか)う逸郎に、弥生は膨れ顔で応じた。


「弥生、平気だもん。走るのとか、絶対お兄ちゃんより速いし」


 じゃ、行くぞ。そう言って逸郎は、登りの山道を小走りに駆けあがっていった。


「あ、ずるい。ちょっと待ってよ、お兄ちゃん!」


 弥生も負けじと走り出した。



 林の中を渡る風は涼しく心地良い。さっき走った際に滲んだ汗もすぐ冷えて、池の上で蒸し焼きになっていた身体を気持ちよく回復させてくれる。

 追いついた弥生が膝に手をついて息を整えていた。

 いきなり走り出すなんて酷い。鬼のお兄ちゃんだ。そう悪態をつく弥生の目の前に、逸郎は手を差し出した。自分でも意識せず、ただ自然に。幼いころからの当然の流れのように、弥生はその手を握る。そうしてふたりは誰もいない土の道を、()()()()()()()()()()手を繋いで歩いた。


          *


「うわぁ」


 灌木が生い茂る暗い林を抜けたゆるくカーブする山道の先で、弥生は歓声を上げた。眼前が急に開けて明るくなり、右手には緩やかな斜面が広がっている。見た目は小学校の校庭くらいだが、見下ろした奥行きはかなりありそう。頭頂部を青々と光らせる樹木が群衆のように立ち並ぶ遥か先に、杜陸(もりおか)の市街地が見えた。


「なにこれ。すごい気持ちいい景色」


「な。すごいだろ」


 そう応える逸郎は、ここを見つけたときに自身も同じ感想をもったことを思い出していた。偶然見つけたこの得難い景色を、誰か大事なひとと一緒に見てみたい。そう心に決めたそのときには、まだ()()はいなかった。けれど今、弥生と並んでここにいるのはとても正しい気がする。逸郎は素直にそう感じていた。


――いや。すみれにだって見せてやりたい。


 その訂正は、一拍ほど遅れていた。



「ここ、果樹園なのね」


「うん。そうみたいだ。ここ見つけたのは去年の秋。そのときはりんごの匂いも凄かったよ」


「……恋人さんとも、来たの?」


 逸郎の胸が鋭く痛む。


「さっき言ったろ。俺だってまだ二回目だよ。誰かと一緒に来たのは今日がはじめて」


 弥生の顔が、ぱぁっという擬音が見えるくらい明るくなった。それから、恐る恐る腕を掻き抱いてくる。逸郎はそれを拒むことができなかった。


          *


 南部藩主代々の墳墓が無作為に散らばる林を抜け、街道を目指して土の道を下りていると、いきなり山荘のような建物が現れた。入口あたりに『かじやまCafe』と書いた札が立っている。


――こんな山道にカフェ? 商売になるのか?


 そういぶかしむ逸郎を尻目に弥生は駆け出して行った。


「やってるみたいだよ、お兄ちゃん。弥生、お腹空いたよ。のど乾いたよ」


 ――なんだよ。この従妹は我儘放題の設定か。ま、いいけど。


 逸郎も弥生の呼ぶ方に足を進めた。



 かじやまCafeのマスターは学部の同窓生だった。といっても三回り以上年上で、学部開設初期の卒業生らしい。数年前に脱サラしてこの店を始めたという。気さくなおじさんで、弥生とも仲良く話をしている。弥生はどうやら役になり切っているようだった。


「お兄ちゃんが高松の池に住んでるんで、私はそこに泊まってるの」


「お兄さん、フツーの人に見えるけど、実は河童なの?」


「違うよぉ。池の中に棲んでるんじゃないよぉ」


――うーむ。まるで女子高生の会話みたいだ。だがコーヒーは美味い。


 オーブンサンドを摘まみながら、逸郎も午後の和んだ空気を楽しんでいた。

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