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皇国の精霊姫  作者: 雨野
訣別編
84/102

グラスの決意


 揺蕩う意識の中…僕を呼ぶ声がする。



『セレス…』



 ……ミコト?どうしてそんな、切ない声をしているの。

 君に触れたい。そう思って腕を伸ばそうとしても空を切るばかり。


 ああ……上も下も分からない。どこか…水中を漂ってるようだ…

 もうずっとこんな状態、な気がする。時折視界が開けるのだけど、すぐに暗闇に戻ってしまう。前回はランディ兄様が見えたような?


 あ、今一瞬…何か見えた。部屋は薄暗いけどこの髪、瞳、肌の色…ミコトだ。




「み、こ、と…」


「…っセレス!!?」



 あー……駄目、もう意識が…


 彼の表情が気になる。まるであの日のよう…

 君が僕を…*そうとした夜。何かに怯えて、必死に助けを求めていた君。

 次の日は、捨てられた子犬のような目で僕を見下ろしていたね。今とおんなじ…



「ぼくは、ここに…いゆ…」


「あ、ああぁ…!セレス、セレス…!」



 痛いよ…ミコト…

 にしても、上手く発音できないなあ…


 ……も、だめ。波のように押し寄せて来る眠気に耐えられない。

 ミコト…必ず起きるから。君を抱き締めて、キスをして…



 大好き。愛してる…何度でもそう伝えるから。ちょっとだけ、おやすみ──…




「セレス!?……ぅ…ううう…!」



 グラスは声を押し殺して泣く。その大粒の涙は、眠るセレスタンの顔に伝い落ちて…




 ※※※※※




「ふむふむ。なゆほどー」


 夏期休暇も終了間近の、残暑が厳しい部屋の中。セレスタンは刀を膝に乗せて、先程から独り言を呟いている。


「姫はどうしたんです…?まさかホラーな感じでは…」


 タオフィは顔を青くする。ジェルマンが「違う違う」と顔の前で手を振って否定した。


「あれ、刀っつー武器なんだけど。自我があるらしくて…セレスにだけ声が聞こえるんだと」


 そうなんですか!?とタオフィびっくり。目を凝らして観察するも、魔力は感じない。

 お願いして持たせてもらったが、聞いた通り重過ぎて落とす寸前。だが2歳児はブンブン振り回す。

 不思議ですねえ、とそれ以上は言及しなかった。彼の興味は魔術と精霊以外にはあまり向かないようだ。


 そこへオーバンがやって来た。セレスタンは…じいっと上目遣いで彼を見つめる。顎の下で両手を握り、きゃるん☆と目を輝かせる。


「ぱぱ、おといよぉ〜。てー、まってたのにぃ」


「えっ!?ごめんな、やっぱ一緒に住むか…!?」


「ぶー」


 セレスタンはやや不機嫌気味?嫌われたくないオーバンは抱っこしたりと必死だ。


「けーきくえたや、ゆうちてあげゆ」きゃぴ☆


「任せろ!!」


 パパはいい笑顔で来た道を引き返す。ジェルマンは…「今のなんだ?」と聞いてみた。


「みっちゃん(※魅禍槌丸のこと)がいってた。こうちゅゆとかわいいって」


 お前が元凶か…とタオフィと一緒になって魅禍槌丸を見下ろす。心なしか、動揺している気がする。


「ちょっとわがままで、きがちゅよいほうがいい?ちゅなおになえない、なまいきなおなごがよい?でも()()()()は、はんいがい。あと、むねよいおちいが」(※頑張って読んでください)


「へし折るぞお前!!!」


【何故だ!?女子は尻が良いとしか言っておらぬ!!】


「聞こえないけど弁解してる気がしますね〜」


 ぎゃーぎゃー大騒ぎしているうちに、沢山のケーキを購入してきたオーバンが再登場。皆でティータイムを過ごすのであった。




「なんだ、楽しげだな」

 

 そこへルシアン登場。セレスタンはオーバンの膝の上、夢中でショートケーキを頬張っている。


「もぐもぐ…うちあん、いっちょにたべゆ?」


「いただこう」


 ルシアンは彼らの隣に腰掛けた。その時…セレスタンの皿に、苺が残っているのが目に留まる。

 好きな物は残すタイプか?と思い、彼はチーズケーキに手を出した。だが…セレスタンは最後まで、苺を食べなかった。


「ん?スタン苺食べねえの?俺が貰っちゃおうかな〜」


「んめっっっ!!!」


「お、おう…ごめんな…?」


 ハーヴェイが冗談混じりで手を伸ばせば、皿を抱え込んで怒られた。皆行動の意味が分からず首を傾げる。


「……こえは、おってぃにあげゆの」


 まさかの理由に、全員息を呑む。

 彼女はもうずっと、妹や乳母を求める事はしなかった。だから皆、忘れてしまったのだとばかり思っていた。

 忘れた訳ではなかったのだ。ただ大人達が悲しそうな顔をするから…言えなかっただけなのだ。


「おってぃ、いちごちゅきだかや。だかや…こんどあったときに、あげゆの。ちょえまでとっとくの…」


 駄目だとも言えず、沈黙するばかり。暫くしてメイドが片付けるも、セレスタンの皿だけはいつまでも残された。

 その様子にタオフィは…ゆっくりと顔を上げる。



 セレスタンには聞かせたくない話があるようで、ジェルマンが彼女を連れて外に出る。


「シャルロット嬢を連れて来ましょう。あの方はこれ以上逃げてはいけない」


「でも…セレスが傷付くんじゃ…」


 オーバンの言葉に、ルシアンとハーヴェイも頷く。だがタオフィは譲らない。


「もしも令嬢が、今のセレスタンさんを見て…何も思わなければもうお終いです」


「…どういう意味だ?」


 ハーヴェイが眉間に皺を寄せて問う。それには「そのままです」と返した。彼には何か考えがあるようで、渋々オーバンが伯爵邸に使者を送る。数日中に来るよう伝えれば、明後日お伺いしますと返事が。



「それと…グラス君も危ういですね。彼は現状を望んでいる節があります」


「グラさんが?いやいや、あいつはスタンにベタ惚れだぜ?」


「………神殿に行ってくる」


「え…

 ……はい、お供します」


 ルシアンの雰囲気がいつもと違う。まるで…家族と打ち解ける前の、周囲が皆敵だと認識していた時に近い。

 皆いなくなり、タオフィとカリエが残された。


「魔術師殿。糸は現在どうなっておりますかな?」


「…変わりません。いつ消えてもおかしくない」


「左様ですか」


 老人はそう言い残し、音も無く消えた。タオフィはそれを気にする余裕もなく、窓を開けて下を眺める。




「ていやーーー!!!」


「ぐわあーーー」(棒読み)


「まどのてちためー!!えいえい!!」


「ぎゃーーー。…いや待って痛い痛い!」


 そこには…魅禍槌丸を振り回してデニスを叩きまくるセレスタン。鞘に収まってはいるものの、硬い棒で殴られ本気で逃げ始めた。


「我が君、どうぞお乗りください」


「よち。いっけー!はんたー!!」


「はっ!!」


「ぐえええっ!!ケンタウロスは勘弁!!」


「自業自得だバーカ」


 馬より大きいハンターが、セレスタンを背に乗せて棍棒を振り回す。彼の一振りで地面は抉れて、衝撃波だけで木が折れる。デニスは命の危機を感じた。

 ジェルマンは野次を飛ばしてはいるが、ハンターが本気でないと理解しているからだろう。


 すると騒ぎを聞きつけた近衛騎士が集まり…ハンターに羨望の眼差しを向けて。

「手合わせ願います!!」と頭を下げて。セレスタンに良いところを見せたいハンターも「いいだろう」と了承。


 ハンターが次々と騎士の練習用剣をへし折って…ギュスターヴが「予算がーーー!!」と絶叫しながら駆け付けて騒動が収まった。

 セレスタンはその間ハンターの背中で魅禍槌丸を振り回しており、「かったー!!」と大喜び。なんとも平和(?)な日常のひとコマだった。



 だが…


「ひゃああああっ!!?」


「え?ありゃ」


 突然悲鳴が響き、騎士達は警戒した。

 その高い声の正体はセレスタンで…頭から血を流すデニスに驚いたらしい。

 ハンターから飛び降りてバラキエルにキャッチされ、泣きながらデニスの元に向かう。


「大丈夫だ、掠っただけ。このくらいの怪我なら日常茶飯事で…」


「うわああぁぁん!!いたいのとんでけー!!どっかいけー!!」


 泣きじゃくりながら、デニスの頭をぎゅっと抱き締めた。ギュスターヴがあやそうとしても拒絶、デニスから離れない。

 すると…傷が癒えた。デニスは驚き目を丸くするが、セレスタンは気付いていない。そこへ騎士が救急セットを持って来て差し出す。

 セレスタンはガチャガチャと箱を漁り、目当ての物を見つけた。


「うっぷ!待っ、待って…」


「えっく…ひく…ふえぇ…てちた、ちんでゃだめぇ〜…」


 彼女はデニスの顔面に包帯を巻き始めたのだ。若干患部とズレているが構わない、せめて呼吸の確保をしようとデニスは必死だ。


 結果ミイラ男が完成し、やっと泣き止んだ。ただ包帯を取ろうとしては泣きそうに顔を歪めるので、そのまま過ごす事になった。




「2歳って…死とか、理解してるものだろうか?」


「いや、ジスランはそんなじゃなかったし。やっぱ…根底には『セレスタン』が残ってんだろうな」


 ブラジリエ兄弟の視線の先には、デニスの手を握って離さないセレスタン。彼は屈みながら連れ回される。


「前が見えねえ」


「がまんちて!」


「うい」


 ミイラ男はその日から、人間イルミネーションと並んで騎士団に語り継がれることとなる。




 ※※※




 数十分後セレスタンに客人が。ルネだった。


「皇后陛下のお茶会に母と呼ばれましたの。それで…セレスさんにお会いしたくて…」


 彼女は何度も面会に来ようとしたが、覚悟が出来ていなかった。今日こそは意を決して訪ねたようだ。



 美しいドレスに身を包んだルネを見て…セレスタンは目を輝かせる。


「おひめたま…!?うねちゃん、かあい〜!!」


「え…覚えていて、くださいましたの…?」


 一度会っただけなのに…と目頭が熱くなる。しかも前回は制服姿、今日はメイクをして髪も服も整っている…なのに。


「…ふふっ、セーちゃんのお洋服も素敵ですわ」


「むぅ…」


 涙を堪えて微笑む。だが直後「失言だったかしら…?」と焦った。

 セレスタンは今、男の子用の服を着ている。基本的にドレスは、皇族との食事(バレてから)と部屋にいる間のみ着用するのだ。

 ルネの綺麗なドレス姿に「自分もドレス着る!」と言うと思ったが…


「てーも、こえきたい」


 彼女がそう言いながら引っ張ったのは…デニスの足。


「え…騎士の制服ですの?」


「おひめたまにはきち!」


 彼女は最近、お姫様と騎士の童話を読んだ。魔女が出て来るヤツである。なので自分も騎士になって悪いドラゴンと戦う気らしい。


 そこはお姫様じゃないのか…と全員思ったが黙る。



「お任せを!!この時の為に用意してございますっ!!」


 タイミングを図ったかのように、眼鏡を曇らせたプリスカが乱入してきた。彼女はセレスタンとメイド以外部屋から追い出し、十数分後。



「か…かわいい〜〜〜!!!」


「ふんむー」


 ふんすと胸を張るセレスタン。彼女は…凛々しい隊服姿だった。もちろんサイズの合ったマントも羽織り、腰には精巧なおもちゃの剣が。

 ルネは頬を紅潮させて悶えて、男達も感心する。おむつの所為でお尻周りが膨らんでいるのも、可愛らしさを助長させた。


「格好いいな、セレスタン卿」


「んへへっ」


 ジェルマンを始め、口々に可愛いや格好いいという言葉が飛び交う。写真撮らなきゃ!!とプリスカがカメラマンを皇宮に呼び、撮影会開始。

 騎士達と並んだり。お姫様役のルネや、プリスカやメイドと撮ったり。オーバンも、タオフィも、カリエも皆褒めてくれた。


 ルキウスにも見せに行くと、彼は目尻を下げて笑った。ルクトルに自慢してやろう、と写真を撮りまくる。これまでの合計で何百枚撮ったのやら。

 雑談をしていたら、ふとルシアンはいないのか?と訊ねる。


「殿下は神殿に向かっております」


 なんで…と続ける間もなく、ルシアンとハーヴェイが帰ってきた。

 彼らはセレスタンの可愛らしい姿に頬を緩めるも、すぐに締めてルキウスの元へ向かう。


「すまない、全員席を外してくれ」


 ルシアンが神妙な面持ちで言うものだから、皆素直に言われた通りに。執務室にはルキウス、ルシアン、ハーヴェイ、ランドールが残される。


「うちあん…?」


「…後でな、セレス」


 彼が怒っているのでは…とセレスタンは慄いた。それを察してか、ルシアンは優しく頭を撫でて額にキスをして送り出す。



「で…何かあったのか?」


「兄上…」


 ルシアンは背筋を伸ばして、椅子に座るルキウスの前に立つ。


「ルシアン・グランツとセレスティーヌ・ゲルシェの婚約を認めていただきたい」


「「はあっ!!?」」


 ルキウスは思わず立ち上がり、隣に控えているランドールと共に叫んだ。

 彼らはルシアンの気持ちを知っている。セレスタンに懸想しグラスに喧嘩を売るも、本気で引き裂こうとは考えていない事まで。

 だが今の彼は冗談を言っている風ではない。ルキウスは座り直してこめかみを押さえた。


「……父上は喜ぶだろう。皇弟の娘と平民では釣り合わないのも分かる。だが…」


「グラスも了承済みです」


「「…………」」


 ルキウス達は、今度は言葉も無かった。代わりにあれ程までにセレスタンに執着していた男が、本当に?と疑問が顔に出ていたのだろう。ルシアンは唇を噛んだ。


「あの男がここで腐るようなら…所詮そこまでだったのでしょう。セレスタンは私が幸せにします」


 その時ランドールが、ルシアンが右手を負傷していると気付く。指摘すれば彼は左手でさすって…悲しそうに笑った。


「生まれて初めて、本気で人を殴りましたが…

 あまり、気分の良いものではありませんね」


 彼は目を伏せて神殿でのやり取りを語り始めた。




 ※※※※※




 ルシアンは並み居る令嬢を権力で押し退け、多額の金貨を払ってグラスと対面した。

 部屋に通されるも座りはせず、腕を組んで顔を険しくさせる。


「単刀直入に聞く。お前はセレスタンに、大人に戻って欲しくないと考えているのか?」


「…………」


 グラスは答えず…ルシアンに虚な目を向けた。ルシアンとハーヴェイはやや恐れを覚えながらも逃げようとはしなかった。


「………だったら、何か?」


「はあ!?おい、グラ…っ」


 激昂寸前のハーヴェイをルシアンが手で制する。ハーヴェイは歯軋りをしながら下がり、以降は口を噤む。


「お前はセレスタンを愛しているのだろう?」


「はい」


「ならば、何故?」


「……彼女がおれを忘れても。おれは全部覚えています…それでいいんです」


 ルシアンは務めて冷静に話を…と考えていたのに。グラスの胸ぐらを掴む。


「ふざけるな!!彼女の感情を無視していいと思っているのか!!?」


 グラスは抵抗こそしないが、鋭い視線でルシアンを睨む。


「セレスが本当は左利きだって、知ってますか?」


「は…?」


 脈絡の無い話にルシアンは眉間に皺を寄せた。だがセレスタンは右利きだったと記憶している、そう答えた。



「……セレスが6歳の時。絵を描いたそうです。シャルロット様と、互いの似顔絵を」


 それは以前セレスタンから聞いた辛い思い出。アイシャと別れ、バジルが屋敷に来たばかりの頃。





 シャルロットは覚えは早かったが、雑なところがあった。

 例えば文字。シャルロットは4歳で読み書きを習得したが、暫く下手くそだった。セレスタンは5歳で文字が書けるようになったが…同時期では、セレスタンのほうが綺麗に書けていた。

 そして6歳。似顔絵を見せっこしたのだが。



「わ、お兄さまじょうず!」


「えへへ。ロッティのもかわいいよ!」


 セレスタンの絵は子供らしく、ふんわりドレスでにこにこ笑ったシャルロットが。

 シャルロットの絵は…これ人間か?と言いたくなるものだった。何故かセレスタンは足が5本あり、肌が紫色。



 それを見た伯爵は…セレスタンを叩いた。床に座り込む彼女は、痛む頬を押さえながら「なんで…」と呟く。


「お前は左手で描いたそうだな。それは反則だ、愚かしい行為だ」


 セレスタンは衝撃を受けた。もちろんそれはおかしい。

 伯爵は何か1つでもシャルロットが、セレスタンに劣っていてはいけないと歪んだ思考をしていたのだ。


 左利きの人は、基本的に食事だけは右手でとれるよう矯正する。だがそれ以外は、左だろうと問題はない。

 だがこの頃のセレスタンは父親の言う事は絶対だったので…左利きは卑怯で恥ずべきこと、醜いと信じた。



 その日からセレスタンは、徹底的に右手に矯正した。当然文字も上手く書けず…


「まあ、なんですかこのミミズが這ったような文字は?」


「い…っ!」


 教師はその小さな手を教鞭で容赦なく打った。字も書けないようじゃ勉強なんて出来ない、と授業もしてくれなかった。

 セレスタンは泣きながらペンを取る。震える右手が疎ましく、何度も自分で机に叩き付けて傷付けて…疲れ果てて気絶するように眠る日々。






「…それは勉強が遅れた理由の一端でもあるでしょう。アカデミーに入学して、左利きの生徒を見掛けて驚いたそうです。

 そんな理不尽な思いを…彼女はずっとしてきたんです」


 ルシアンはグラスのローブから手を離し、暫し呆然とした。そして…グラスが何を言いたいのか、少しずつ理解した。


「今のセレスなら…優しい父がいて、本当の妹のように可愛がってくださる人々がいて、絶対の味方である精霊もいて。誰も彼女を傷付けません。

 これからは沢山の愛を貰って、ただただ笑顔でいて欲しいだけなんです…!」



 グラスの声は少しずつ荒れ始める。

 次第に目に涙を溜め、それを流しながらルシアンに詰め寄った。



「あんたは…!知ってるんですか!?死にたい、逃げたい、消えたいと泣きながら呟くセレスを!!」


「………!」


「世間の悪意に傷付けられて、最愛の妹すら憎くて仕方がない!それ程までに追い詰められたセレスが!!!おれは…見てられない!!」


 ルシアンもハーヴェイも口を閉ざす。


「だったらもうセレスタン・ラサーニュは消して…セレスティーヌ・ゲルシェとして新たな人生を歩んでもいいじゃないか!!彼女は忘れてしまっても、おれ達は覚えているだろうが!!」


「……それは、違うだろう!お前が愛したのはセレスティーヌではなくセレスタンだろう!?」


「ああそうだ!!だから…もう一度、最初から始めるんだ」



 砂の城のように…納得出来るまで、何度でも壊して作り直す子供のように。



「おれは…これ以上…セレスが苦しむ姿を見たくない…

 これはチャンスだ。そう…おれ達にとって…」


 グラスは両手で顔を覆い、口角を上げて呟く。

 数分後、ゆっくりと手を下ろしてついに打ち明ける。今までセレスタンとバジルしか知らなかった事実を。



「おれは以前…セレスを殺そうとした」


「「…………!!?」」


 その告白に、ルシアンとハーヴェイは顔を青くさせた。


「おれの仲間を殺した伯爵が憎くて…その子であるセレスに悪意を向けた。

 無抵抗なセレスの服を引き裂き、穢してやるという考えに支配された」



 ルシアンは気が遠くなり、次の瞬間。渾身の力でグラスの左頬を殴り飛ばした。


「殿下!!!」


「お前…!!なんて事を、なんでっ!!?ふざけるな!!!よくも…!」


 ハーヴェイも憤りつつ、暴れるルシアンを後ろから抑える。グラスは無抵抗だった為床に叩き付けられた。流れる鼻血を拭いながら、ソファーを支えにヨロヨロと立ち上がる。


「……あんたに、分かるのか…?

 家族や親しい者達を皆殺しにされて!!その犯人の子供が憎くないと断言出来るのか!!?ああ皇族のあんたには分かるまい。その場合は赤子まで一族郎党処刑されるだろうからな!!」



 ルシアンは一瞬動きを止めた。

 自分に当てはめて…憎しみを抱かずにいられるのか?と…



 ギリリ…と歯軋りをする。後ろからも同じような音が聞こえてくる。



「セレスはそんなおれを…諦めだろうが、受け入れてくれた。

 おれは深く後悔したし、反省した。口ではなんとでも言えるが…

 そしていつしか恋心を抱いた。彼女もそれに応えてくれて…嬉しかった。おれみたいな屑野郎を、好きだと言ってくれた…」


「……お前は、自分の罪を消したいだけじゃないのか…!?」


「違う…と言っても信じないだろうな。どちらにせよ…おれが与えた恐怖を消したい、という思いはある」


 信じるさ、とルシアンは思った。彼の態度からひしひしと伝わってくるから。



「……それでも…お前は間違っている。お前にセレスタンは任せられない。

 セレスティーヌは私と婚約する」


「はあっ!!?」


「セレスティーヌは最早皇女の地位にいる。

 ただの平民の神官。片や大国の皇子。どちらが皇女に相応しいか…説明が必要か?」


 グラスはルシアンの襟を掴み、反射的に殴ろうとした。だが…思い止まる。代わりに精一杯睨んだ。

 ルシアンはフッと鼻で笑って…グラスをもう一度殴った。倒れはしなかったが口の中を切り、一筋の血が流れた。



「よかったな、私を殴っていたらお前は処刑されていた」


「……はっ。あんたは権力を笠に着るタイプじゃないと思っていたがな…」


「言ってろ負け犬が」


 ルシアンは腕を伸ばして、グラスの髪を強く掴んだ。


「私が望めば、婚約などすぐに決まるだろう。お前は指を咥えて眺めていろ」


「…!!ふざけ、んな…!」


 その手を離して背を向ける。グラスがなんと言おうとも、ルシアンの言葉は正しい。



「堂々と皇子を殴れる地位まで登り詰めろ」


「は…?」


「期限はセレスティーヌが成人するまで、来年の12月だ。

 それまでに私から彼女を奪えなければお前はそこまでだ」


「………あんたは、セレスが元に戻ると思ってんのか…?」


「無論だ」


 ルシアンは歩き出す。ハーヴェイが扉を開けて…部屋を出る直前。最後にもう一度、グラスに目を向けた。その表情は兄に似て、威厳に満ち溢れていた。



「私は権力だろうがこの顔面だろうが、使える武器全てを駆使して彼女を守る。誰に非難されようと、セレスティーヌに嫌われようとも…

 お前はそこで腐ろうが立ち上がろうが私には関係無い。精々無駄な足掻きをしてろ」


「………」


 グラスは無言でただ俯くのみ。その様子に苛つきながら、ルシアンは部屋を出た。

 ハーヴェイはグラス…の隣にいるラファエルに声を掛けた。


「……一緒に行くか?」


「いいえ、僕はグラスの側にいます。我が君の願いでもあるし…」


 ラファエルはグラスの肩に止まり、横顔を眺める。

 グラスの目は…濁りが消えて、深く澄んだ色をしていた。それはきっぱり諦められた解放感からくるものか、それとも。強い決意からくるものなのか…本人にしか分からないだろう。



「…それに。まだまだ終わりではありませんよ」


 ラファエルはにっこり笑って言い切った。


「……そっか。グラス」


「………はい」


「…頑張れよ」


「……はい…!!」


 グラスは血と涙を流し続けて、弱かった自分と訣別した。



その頃のセレスタン

【だから女子はだな。本当は心優しいが我が儘で、素直になれないところが愛らしいのだ。だがつんでれは好かぬ。どのような場面でも、感謝と謝罪の気持ちだけは捨ててはならぬ。そして胸より尻。そこからすらりと伸びる脚が良い】

「むー?なにいってゆの、みっちゃん」


魅禍槌丸好みに教育されていた。

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