第95話:最後の2か月間
早朝の練習場の出来ごとから、一夜が明け次の日になる。
今日は1月4週目の金曜日。
ドイツ2部リーグの後半戦が、スタートする日だった。
今日から5月下旬まで、激闘のリーグ戦の日々が始まる。
だから後半の開幕戦のこの日は、かなり需要。各スタジアムのサポータたちは、興奮気味で盛り上がるのであった。
だがドイツ国内のスタジアムで、一か所だけ異様な空気の場所があった。
それはドイツ2部リーグの首位を走る、F.S.Vのホームスタジアム。
満員のスタジアムは、異様な空気に包まれていたのだ。
◇
(ふう……やっぱりF.S.Vスタジアムは、こんな感じになったか……)
もうすぐキックオフとなる。
オレはF.S.Vスタジアムのピッチの上から、異様な空気の観客席を眺めていた。
いつもなら試合前のこの時間帯は、は両リームのサポータ同士が、応援合戦をして騒がしい。
だが今日に限っては、観客席はザワいている。
こんなことはオレがドイツに来てから、初めての体験であった。
(これも仕方がないかな? 何しろ代表招集の辞退のことが、もう噂になっていたからね……)
一昨日、F.S.Vの選手数名が、各国の代表の招集を辞退した。
そのことは今朝のドイツ国内のニュースで、既に話題になっていた。
普通なら、それほど大きくなるニュースではない。
だが今回はF.S.Vから招集された選手たち全員が、辞退してしまったのだ。
これはドイツのクラブとしては初めての事件。だから観客席もザワついているのだ。
(スタジアムだけじゃなくて、クラブハウスも今朝は大変だったな……)
今朝のクラブハウスには、ドイツ国内のマスコミが取材のために詰め掛けていた。
またスイスやコンゴ共和国などの取材陣からも、電話による問い合わせが殺到。
まさに今日のF.S.Vクラブは、蜂の巣をつついたよう大騒ぎになっていたのだ。
(でも、エレナたちのお蔭で、オレたち選手は何とか大丈夫だったな……)
エレナとユリアンさんは昨日の出来ごとの後に、すぐに動いてくれた。
F.S.Vオーナーである彼らの祖父に、直談判してくれたのだ。
今回の代表辞退には大きな理由があった。
そしてF.S.Vは9連勝して、必ず1部リーグに昇格する。
だから力を貸して欲しいと、オーナーに頼みこんだのだ。
(エレナのお祖父ちゃんとF.S.V幹部の皆さんは、オレたち選手のことを信じてくれたな……本当に感謝しかないな)
F.S.Vの経営陣はエレナたちの頼みを受け入れてくれた。
そして彼らも昨日の内に早急に動く。
まずはオレたち選手を、外部からの雑音からシャットアウトする。
またドイツサッカー協会や、各国のサッカー協会へも根回しをしてくれた。
そのお陰でオレたち選手は、今日の試合に無事に望むことができたのだ。
(でも、スタジアムの観客たちは、当分の間はザワつきそうだな……)
何しろ代表チームからの招集を全員が断るなど、前代未聞の事件であった。
特にユリアンさんはドイツU-23の主将候補の一人。
F.S.Vのサポータの人は、同時にドイツ代表のファンでもある。
だから観客たちは何とも言えない心境で、今日は観に来ているのであろう。
「コータ君、大丈夫かい?」
「あっ、ユリアンさん!」
キックオフ直前、ユリアンさんが声をかけてきた。
この異様な空気のスタジアム。オレが飲まれてないか、心配してくれていたのであろう。
「はい、大丈夫です! この反応もボクは覚悟をしていましたから」
いつもは頼もしいサポータ団のいるホームゲーム戦。
だが今日に限って、オレたちは悪役に近い扱いかもしれない。
とにかく試合に集中するしかない。
「それに、ユリアンさん。昨日の朝の興奮が、まだボクの胸を熱くさせています。だから、大丈夫です!」
昨日の朝の出来ごと。
オレはチームメイトから沢山のモノを貰った。
だから彼らの想いに応えるためにも、こんな逆境に怯んでいる暇はない。全身全霊をかけて試合に臨むしかないのだ。
「なるほど。いつも以上にコータ君が頼もしく見えるのは、そのお蔭かな?」
「はい! 今日のボクはドイツ史上で、最高のコンディションとモチベーションです!」
オレがF.S.Vでサッカーが出来るのは、あと2ヶ月間しかない。
だから後悔はしたくなかった。
最後の1試合まで……最後の瞬間まで、全力でボールを追いかけていく覚悟だった。
よし。今日の試合は、いつも以上に頑張っていくぞ!
『そんな訳で、F.S.V皆さん。今日は今までよりも、何倍も凄いパスを出していきます! よろしくお願いします!』
周りでアップしていたチームメイトに、声を掛ける。
今日のオレはかつてない程に、身体と技がキレでいた。
だからいつもの試合よりも、更に上の次元でいくと伝えておく。
『シュートはオレたちに任せておきな、コータ!』
『ああ、そうだな。この足が折れるまで、オレたちも走ってやるぞ!』
『守備の方も任せておけ! お前は攻撃に専念しな、コータ!』
チームメイトから頼もしい声が返ってきた。
彼らも不敵な笑みで、集中力を高めている。
きっと昨日の朝のことで、皆の心も熱くなっているのであろう。
まさに全員の目標と想いが、一致団結している状況。今日から本気で9連勝を目指しているのだ。
(全員の気持ちが一つに……か)
全員が同じビジョンを見ていた。
ベンチの控えの選手を含めた20数名の1軍の選手。
監督やエレナたちスタッフ陣と、オーナーたち幹部陣。
そんなF.S.Vに携わる全ての人たちの想いは、一つの波となっていたのだ。
(よし。これなら……いけそうだな。いや。絶対にいってみせる!)
そんなF.S.Vの皆を見つめながら、オレは気合いを入れ直す。
誰かのためではなく、自分もためでもない。
全員の大きな一つの目標のために、全力で邁進していくのだ。
『ピピー!』
そして試合開始を告げる、キックオフの笛の音が鳴る。
ここからは、もう止まることが出来ない時間。
9連勝に向けて死力を尽くす、激動の2ヶ月がスタートするのであった。
◇
◇
それからの2ヶ月は、文字通り激闘の日々であった。
F.S.Vは後半戦の初戦を勝利で飾り、スタートダッシュに成功した。
だがドイツ2部リーグは、世界でも最高峰のハイレベルなセンカンド・ステージ。
2試合目以降は、ギリギリの戦いが続いていった。
『皆さん、最後まで諦めずに! 引き分けを狙うくらいなら、負けを覚悟で点を取りにいきましょう!』
そんな苦しい試合の中、オレは叫んでいく。
強豪クラブが相手の時は、なかなか点の取れない苦しい試合展開が多い。
いつもはこんな試合では、引き分けを狙う方が安全だった。
だが、オレたちは背水の陣で挑んでいる。
こんな苦しい時だからこそ、あえて攻めるべきだとオレは叫んだ。
『ちっ、簡単に言ってくれるぞ、コータの奴め!』
『だが、コータの言うことも一理あるぞ。危険を覚悟で攻めるぞ、みんな!』
『くそっ、いくぜぇ!』
そんなオレの言葉に、チームメイトは応えてくれた。
FW陣は疲労の溜まった足にムチを入れて、更に走ってくれた。
DF陣も必死で駆け上がり、攻撃をサポートしてくれる。
『コータ君、私も上がる。サポートを頼んだぞ!』
『はい、ユリアンさん! 任せてください!』
ユリアンさんはF.S.Vの守備の要である。
だが元々は3部リーグの得点王になるほどの、凄まじい攻撃力を兼ね備えていた。
『ユリアンさん、いきます!』
『ああ、任せてくれ、コータ君!』
苦しい試合展開の時、オレはそんな頼もしい天才と連携をしていく。
ここでカウンター攻撃を食らったら、逆に点を取られてしまう危険性はある。
だが今のオレたちにとって引き分けは、負けと同意義。
F.S.Vは勝つこと以外は見ない、野獣のような集団と化していった。
『今日の試合は、無事に勝てました。でも、次の相手は更に強敵です!』
2部リーグの試合は、基本的に1週間に1回しかない。
普通なら試合の翌日は休養日で、他の4日間は練習でコンディションを整えていく。
『みんなで一緒に対策を練って、今日も練習していきましょう!』
だが今は特別な期間。
身体は休ませながらでも、次の戦いに向けての準備はすることは出来る。
オレは試合直後のチームメイトに、声をかけていく。
『ちっ、せっかくの休養日に……だがコータのためだ、仕方ないな』
『そう言いながらも、お前が一番早くに来ているよな?』
『うるせえ! お前だって、2番乗りだろうが!』
何だかんだ言いながらも、チームメイトたちは毎日集まってくれた。
試合翌日の休養日も、クラブハウスに集まってくれた。
マッサージを受けながら、次の対戦相手への勉強会をしていく。
『コータ、これが再来週の対戦相手のデータよ!』
『ありがとう、エレナ!』
そんなオレたち選手を、エレナたち経営陣もサポートしてくれた。
今まで以上に、対戦相手の細かいデータを集めてくれた。
そのお陰でオレたちは試合だけに集中できたのだ。
『ここまで無事に4連勝してきました。でも油断はできません! まだ中間地点です。明日からも頑張っていきましょう、みなさん!』
いつの間にか3月に入っていた。
F.S.Vは開幕から4連勝を続けている。
かなりの苦しい試合が続いていたが、何とか勝ち続けていたのだ。
『まだ、半分か? オレは疲労で死にそうだぞ、コータ!』
『だがオレたちのコンディションは悪くないよな? こんなに身体の感覚が鋭いのは、サッカー人生で初めてだぜ、オレは』
『たしかに、そう言われてみれば……』
普通、アスリートは毎試合で全開を出すことは難しい。必ず不調の時もある。
だが今のF.S.Vの選手は、不思議な感覚の中にいた。
モチベーションがマックスのまま、サッカー漬けの毎日。
その影響で感覚が鋭くなりすぎて、身体が覚醒していったのだ。
『でも、みんな。調子に乗ったらダメよ。大怪我をした者は、来季の年棒をダウンしますわよ?』
『えー、それはキツイですよ、エレナお嬢様!』
『おい、特別アドバイザーに逆らうな。何しろ、お嬢様は地獄耳だからな……』
『聞こえていますよ、そこ!』
選手だけはなく、エレナの感覚が冴えていった。
彼女はオレたち選手を守りながらも、特別アドバイザーの仕事も務めていた。
おそらくこの1ヶ月間の睡眠時間は、更に激減しているであろう。
だが辛そうな顔は一度も見せていない。
逆にいつも以上に元気な姿で、オレたち選手を奮い立たせてくれていたのだ。
『さあ、エレナに負けないように、あと5連勝を目指していきましょう!』
『くそっ、こうなったらやけくそだ! 全員コータの後に続け!』
『やけくそだ! 4月からは一歩も走らないぞ、オレは!』
3月に入ってからも、激闘は続いていった。
だがF.S.Vの勢いが止まることはない。
ホーム戦であろうがアウェー戦であろうが、全ての選手は全身全霊でプレイしていった。
スタメン選手はもちろん、控えの選手も含めた20数名がフル稼働。一致団結して、残りの試合に臨んでいった。
こうなったらチーム内の年齢順や、レギュラー歴や国籍も関係ない。
F.S.Vの選手は全員が一つの意思として、戦っていく。
『よし! そこだ、いけ! F.S.V!』
『F.S.V! F.S.V!』
『最高だぜ、F.S.V!』
いつの間にか、サポートの熱い声援も戻ってきていた。
最初は異様な空気だったスタジアム。前以上に熱狂的なの応援で埋まっていったのだ。
『よし、今日も勝って7連勝を頼んだぞ! F.S.V!』
『突き進むんだ、F.S.Vの戦士たちよ!』
いつしかスタジアムは染まっていく。
傷だらけになりながらも、駆け続けるF.S.Vの選手。そんな勇敢な戦士たちを、応援する声援によって。
『よし! 今日も勝って8連勝を頼んだぞ!』
『オレたちもノドが破れるまで、声だしていくぞ!』
『腕が折れるまで、F.S.V旗を振っていくぞ!』
もはや代表招集の辞任の件を、口にする者は一人もいなくなっていた。
マスコミも同様。F.S.Vの歴史的な連勝記録に、連日のニュースで注目していく。
『もしや、このままでいけば……?』
『ああ。このゲーム差なら……だが、そんな……?』
そして誰もが気づき始めていた。
8連勝の大躍進を続けていたF.S.V。彼らが次の9試合目で、偉業を達成する可能性を。
『カップとメダルを、次の試合に用意しておけ!』
『すみません、今から急ぎます!』
『まさか3月末に、こんなことが起きるとは……』
そしてドイツサッカー協会のスタッフも走り回っていた。
まさかの奇跡を起こそうとしていたF.S.Vに、ドイツ中が注目していたのだ。
◇
そして、その瞬間は訪れた。
今日は3月4週目、場所はF.S.Vスタジアム。
現在、首位を独走するF.S.Vと、2位のクラブとの試合が繰り広げられていた。
試合は1対1の緊迫した展開のまま進んでいく。
両チームとも、この試合で絶対に負けられない状況。
「よし、チャンスだ!」
だが終了の間際で、試合が動く。
F.S.Vにラストチャンスがやってきたのだ。
相手の攻撃を刈り取ったユリアンさんから、カウンター攻撃が始まる。
『いくぞ、コータ君!』
『はい、ユリアンさん!』
オレは全力で駆けだす。
こうなったらポジションも役割も関係ない。
とにかく相手の守備陣の隙間に、全力で飛び込んでいくしかない。
『その、14番を潰せ!』
『そいつだけは危険だ! 絶対にボールを持たせるな!』
相手チームのDFが二人、こちらに向かってきた。
鬼のようが形相で、オレを潰そうとしてくる。
パワーやリーチでは絶対に勝てない相手。
そのためファール覚悟で、オレを止めようとしてくる。
「でも、このボールだけは奪わせない!」
ユリアンさんからの弾丸パスを、オレは“零式トラップ”で受け止める。
相手に一瞬だけ隙が生まれる。
その隙を狙って、オレはそのまま相手ゴールの突進していく。
『バカな⁉ 正面から来るだと⁉』
『油断するな! 全力で潰せ!』
巨人のような2人のDFが、すぐ目の前に迫ってきた。
逃げ道はどこにもない完璧な守備網。
だがオレはドリブルを緩めることはしない。
更に両足に力を込めて、大地を蹴り出す。
「いくぞぉおお!」
オレはトップスピードの限界を超えた、更に上のギアの高速ドリブルを仕掛ける。
身体を限界ギリギリまで低くして、F1カーの様に加速していく。狙うはDFの間のわずかなすき間。
『バ、バカな……』
『あそから更に加速を……だと?』
あっけにとられるDFの隙間を、無事に突破した。
残るは唖然とするゴールキーパーだけ。
「もちろん最後も、外す訳にはいかない!」
このボールには仲間たちの想いが込められていた。
この試合90分間の想いの集約。
そして2ヶ月間の最後の集大成。
『…………!? ゴォオオオル!』
次の瞬間。
オレのドイツでの最後のシュートが、ゴールネットを揺らしていた。
少し間をおき、実況者の絶叫が、スタジアムに響き渡る。
ピピー!
そして審判の笛の音が、終了を告げる
『F.S.Vの勝利! そして、この瞬間にF.S.Vの優勝が確定しましたぁあ!』
実況者は再び叫ぶ。
そう……9連勝したオレたちに、この予想外のことが起きたのだ。
今季の2部リーグの混戦状態になっていた。
リーグ戦を7試合も残しながらも、F.S.Vの優勝が確定したのだ。
「ふう……まさか優勝まで出来るなんて。これだけは予想外のだったな……」
自分がいる間にF.S.Vが優勝するなんて、夢にも思っていなかった。
だから観客も大興奮している。
試合が終わってもスタジアムは、まだ興奮の渦にあった。
そんな賑やかな光景を、オレは中心のピッチの上から眺めていく。
「それにしても優勝と1部昇格確定か……死ぬほど疲れた2ヶ月間だったな……」
スタミナ残量が0%になったオレは、天然芝のピッチの上に寝転ぶ。
「でも最高に楽しい毎日だったな……」
こうしてオレはドイツでの最後の目標を達成するのだった




