第94話:F.S.V魂
ドイツでの最大の危機に直面していた。
大事なシーズンの途中で、オレに対して強制帰国の命令が出てしまったのだ。
昨日、ロッカールームでエレナが、そのことを教えてくれた。
あの時に混乱して彼女も、その後は何とか落ち着きを取り戻した。
またロッカールームにいたチームメイトには、オレは正直に話をした。
自分は3月31日でドイツから……そしてF.S.Vから離脱すると。
その後のロッカールームは、微妙な空気のまま解散となった。
◇
「さて、どうしたものかな……」
翌日の朝になる。
オレはいつものように早朝のクラブの練習場にいた。
一人でリフティングしながら、昨日のことを頭の中でまとめていく。
「ボクに対する強制帰国の命令は、やっぱり正式なものだったな……」
昨日、あの後にエレナとF.S.Vの幹部が動いてくれた。
強制帰国の命令を出したドイツの機関に行って、今回の事情を確認してくれたのだ。
もしかしたら何かの間違いではないかと?
当人であるオレも同行して、そのことを確認してきた。
だが強制帰国の命令は間違いなかった。
国の機関は今回の件について、ちゃんと説明してくれた。
「たしかに勉強に来た中学3年生の日本人が、ドイツの2部リーグでプレイしていたらおかしいよな?」
強制帰国の命令が発動された一番の原因は、それだった。
簡単に言うと最近のオレが、2部リーグで活躍しすぎたことだったのだ。
この時代のドイツの2部は平均年棒5,500万円クラスで、世界でもトップクラスの2部リーグである。
また今シーズンのオレは絶好調の成績を残していた。
そのことがドイツの機関に目を付けられた原因なのであろう。
「機関の審査委員の人の話では、再度帰国して正式なプロとしてなら大歓迎だということだったな……」
サッカー大国であるドイツの審査委員も、鬼ではなかった。
そこで昨日、オレに対して出された条件は次の通りだった。
・コータ・ノーロは3月31日まで日本に帰国する。
・その後、F.S.Vと正式なプロ契約するなら再度入国はOK
・だが試合に出られるのは8月の来季シーズンからとする。
大まかな条件はこの3点であった。
「審査委員の人に許してもらったのは、嬉しいけど、この条件は厳しいな……」
オレはF.S.Vと正式なプロ契約をするか悩んでいた。
現時点では日本の故郷のクラブへの想いの方が強い。
だからここでF.S.Vとプロ契約を結んでしまうのは難しい。
「だとしたらボクは3月末ギリギリまで残って、2部リーグで戦うか? でも、4月からのF.S.Vは危険だな……」
現在の順位は2部リーグで単独首位である。
だが2月と3月はF.S.Vから、主力選手の離脱が多くなってしまうスケジュールだった。
今年は運悪く、国際試合が多くなる期間。
F.S.Vの主力である外国人選手たちが、母国の代表として一次離脱してしまうのだ。
「特にユリアンさんの3月からの一時離脱は、大打撃だよな……」
F.S.Vの守備の要であるユリアンさんも、ドイツU―23代表として離脱してしまう。
特に今期の彼は、ドイツのU-23の中心人物あり、なんと主将候補でもあったのだ。
「クラブにとって主力選手の一時離脱はキツイけど、これもサッカー界では仕方がないよな……」
各国でトップクラスの選手はクラブと、母国の代表を年間で兼任している場合が多い。
こうして大事な試合のスケジュールが、被ってしまう時期が必ずあるのだ。
だからクラブの戦力ダウンは、仕方がない事情ともいえる。
そうした時は控えや若手の選手が、リーグ戦でクラブを支えてしかないのだ。
「でも2月、3月は各国の代表クラスのメイン選手が離脱……そして、3月、4月はユリアンさんが離脱か……」
リフティングしながら頭の中で計算する。
現在のF.S.Vの選手の個々の能力を、数値化していく。
それと同時に2部リーグのライバルチームの総合力も、計算する。
ドイツ2部リーグの2月から5月までの全試合を、頭の中でシミレーションしていく。
「これは……ボクが3月末で帰国したら、最悪の事態もあり得るぞ……」
正直なところ主力戦が抜けたままでは、2月、3月は2勝1敗がギリギリであった。
だがユリアンさんに加えてオレが更に抜けてしまったら、F.S.Vの戦力は大幅にダウンしてしまう。
「このままでは5月の閉幕の時点で、1部昇格は危ういぞ……」
頭の中のシミュレーションで、オレが3月末で抜けたあとの結果がでた。
F.S.Vは順位の今季の最終順位は3位か4位。
つまり1部昇格の夢は、微妙な状況になってしまうのだ。
「くそっ……このままボクは、ドイツでの目標が叶えられずに、中途半端に帰国するのか……」
こうなったF.S.Vとプロ契約を結ぶしかいのか?
だが、それでもオレは来季の8月からしか試合に出られない。
それならF.S.Vは来季に、また1部昇格を目指していけばいいのか?
だが来季もF.S.Vが好調を続けるとは確定できない。
ハイレベルなドイツ2部リーグは、それほど甘い世界ではない。
好調な今期をラストチャンスだと思って死力を尽くさないと、昇格には手が届かないのだ。
「それならどうする? 考えろ、コータ……考えるんだ、野呂コータ!」
リフティングしながら頭を全回転する。
オレは今までの困難も、こうして解決してきた。
脳細胞を活性化させて、シミュレーションを繰り返していく。
何とかして逆転の打開策はないのか?
オレの目標と叶える策は本当にないのか?
エレナに再び笑顔を取り戻すことはできないのか?
「あれ……? まてよ……?」
脳内に一つのアイデアが浮かび上がってきた。
もしかしたら、これなら……。
◇
「コータ、やっぱりここにいたのね! よかった……」
そんな時である。
早朝の練習場に、エレナが息を切らしてやってきた。
どうやらオレのことを心配して、わざわざ見に来てくれたらしい。
「ちょうどいいところに来てくれたね、エレナ!」
「えっ、えっ? いきなり、どうしたの、コータ?」
先ほど浮かんできたアイデアを、正確に検証したかった。
ナイスタイミングで彼女は来てくれたのだ。
「エレナなら2部リーグの現時点での勝敗表を持っているよね?」
「もちろん、ここにあるけど? これがどうしたの?」
エレナから2部リーグの順位表を見せてもらう。
ふむふむ、やはりこんな感じか。
オレは頭の中で再計算していく。
誰も悲しい顔をしなくても、良い作戦を。最高の作戦を精査していく。
「やっぱり……そうだ! エレナ、これなら全ての夢が叶うよ!」
「えっ? どういうこと、説明してよ、コータ?」
まずはエレナに現在のF.S.Vの総合力のことを説明していく。
あと主力選手が抜けてしまう、今後のスケジュールのことも。
「そんなことは私も知っているわ? だから、困っているんでしょう……」
エレナも現在のF.S.Vの危機に対して、オレと同じ認識をしていた。
オレが抜けた後のF.S.Vの今季の最終順位は、4位か5位と計算していたのだ。
それなら話は早い。
オレの危機を打開する作戦を、説明しやすい。
「この順位表と、明日からの後半戦の組み合わせを見てよ、エレナ?」
「ええ、これなら毎日のように見ているわ。これがどうしたの?」
ドイツ2部リーグは明日から後半戦がスタートする。
5月末までの各クラブの対戦スケジュールは、最後まで決まっていた。
「すごく簡単なことだったんだ、エレナ。! F.S.Vが明日から3月下旬まで全勝すると、その時点では1部昇格のラインを越えるんだよ!」
「えっ? それは……本当……本当だわ!」
オレが考えた作戦はシンプルであった。
F.S.Vは前半戦を好調である。そのお陰であと9連勝するだけよかった。
各クラブの組み合わせの関係で、自動的に3月末にF.S.Vの2位以上が確定するのだ。
「これでF.S.Vは間に合うよ、エレナ! ボクたちの夢が叶うんだよ!」
オレがいる3月末までに、F.S.Vの1部リーグ昇格を確定させる。
そうなったオレが抜けた後の、4月からも安心であった。
F.S.Vは堅実な試合を、進めていくだけいいのだ。
「でも、コータ。それは理論上の話だわ! だって2月と3月は主力選手の離脱してしまうわ。万全だった前半戦でも、9連勝は不可能だったのに? どうやって戦力ダウンしてしまう、今後に9連勝なんて不可能なことが出来るの?」
エレナの指摘は正しい。
サッカーでは絶対という試合は一つもない。
特にドイツ2部リーグは強豪クラブが揃っていた。
普通に考えたら9連勝など不可能な作戦なのだ。
「それはボクも知っているよ、エレナ。でも、何とかしよう! 何か考えるんだ! 最後まで諦めちゃだめだよ!」
たしかに9連勝は夢物語かもしれない
だが昨日のあの絶望に比べて、微かな希望の光は見えてきた。
あとは一つ……F.S.Vにとって何か一つのパーツが揃えば、9連勝の可能性がある。
それを信じて、オレは最後まで諦める訳にはいかない。
◇
『おっ、コータ。やっぱりここにいたか?』
そんな時である。誰かが近づいてきた。
『この早朝の時間は、コータはいつも自主練しているかなら』
『珍しく今朝はエレナお嬢様と一緒か?』
それは一人ではなかった。
『みなさん……こんな早朝にどうして?』
やってきたのはF.S.Vの選手。
1軍の20数名の全員が、なんと早朝の練習場にやって来たのだ。
エレナとの激論に熱中して、彼らに気がつかなかった。
『昨日、オレたちだけでミーティングをして。今朝に集合することにしたんだ』
『えっ、ミーティングをですか?』
昨日の気まずい空気のロッカールームの後。
チームメイトたちは話し合いをしていたと。その結果を伝えるために、ここに来たのだという。
『実はオレたちは凄い作戦を考えたんだぜ、コータ!』
『それをコータに教えてようと思ってな』
『まあ、オレたちっていうより、ユリアンが考えたんだな!』
『えっ、ユリアンさんが?』
チームメイトの中にはユリアンさんもいた。
この人が考えた作戦って、いったい何んだろう?
よく見るとユリアンさんの手には、見覚えのある順位表があった
『聞いてくれ、コータ君。私たちF.S.Vは、明日からのリーグ戦で9連勝する。それでコータ君の帰国前に、1部への昇格が間に合うだよ』
なんとユリアンさんも同じ策に辿り着いていた。
チームメイト全員とミーティングをして、打開策を模索していたのだ。
『はい、ユリアンさん……その策はボクもたどり着きました。でも、それは理論上であり、実際には不可能です……』
さっきのエレナとは逆の立場で、今度はオレが説明していく。
2月、3月のF.S.Vは戦力ダウンをしてしまうと。
例えるならベストのF.S.Vの総合力100とする。
主力選手が離れた2月、3月は、オレの推定で70までダウン。
これドイツ2部リーグのライバルチームに比べて、少し低くなってしまう。
つまり9連勝は難しいと説明する。
『コータ君、戦力ダウンの対応策も、私たちは昨日のうちに編み出していたよ』
『えっ⁉ 本当ですか、ユリアンさん? でも、どうやって⁉』
ユリアンさんの言葉に耳を疑う。
この危機的な状況に、どんな策があるのか?
いくら考えても想像もできない。
『その答えは簡単だよ、コータ君。2月以降のF.S.Vから、一人も離脱者はいない。だから万全の戦力で、9連勝に挑める』
『えっ……ユリアンさん……それって、どういうことですか?』
2月以降のF.S.Vから、一人も離脱者はいなくなる?
それなら確かに9連勝できる可能性は、微かに見えてきた。
でも、どうやって?
もしや試合のスケジュールを動かすとか?
いや……そんなことはサッカーの神様でも不可能。
それならどんなマジックで離脱者を出さないのだろうか?
『コータ君……私はドイツU-23代表の招集を、昨夜に辞退した。それに他のチームメイトたちも、招集があった代表の打診を、全て昨夜に辞退した。これが離脱者を一人も出さない答えだよ、コータ君』
『えっ? えっ……?』
ユリアンさんの口から出てきたのは、まさかの答えであった。
真剣なその顔から冗談ではないことは確実。
でも、それならF.S.Vは最高の布陣で、リーグ戦に挑むことが出来る。
9連勝も夢ではないかもしれない。
いや、待って⁉
ユリアンさんとチームメイトたちが、母国からの代表招集を断っただって?
『でも、そんなことをしたら、皆さんのサッカーの人生が……』
母国からの代表招集を断ることは、サッカー選手にとっては大事件である。
怪我以外などでは、普通では絶対にあり得ない。
何しろ国際試合は国同士のメンツでぶつかる場所。
もしも個人的な理由で代表招集を断れば、どうなるであろうか?
断った者はおそらく今後は、代表チームに招集されない可能性が高い。
それほどまでのサッカー選手にとって、代表チームからの招集は重要なのだ。
『はっはっは……コータ。そんな怖い顔するな。たしかに代表招集を断るのは、オレたちにとっても、重大な決断だったんだぜ?』
『怖い顔もしますよ! だって貴方も、せっかく掴んだ代表の席じゃないですか⁉』
彼は久しぶりにコンゴ共和国の代表に、復帰できたチームメイト。
代表復帰はこの人にとって長年の夢だった。
復帰の招集が届いた日に、嬉し涙を流していた。
彼の苦労と喜びはこの3年間、共に汗を流してきたオレもよく覚えている。
『だがよ、コータ。聞いてくれ。オレたちには代表復帰よりも、大事なことがあるんだぜ? 世話になった偉大な仲間が困っている時に、オレたちが動かないでどうする?』
『そんな……でも……』
こんなオレのために、チームメイトの夢を捨てさせるなんて出来ない。
そうだ……誰か他の人を説得して、みんなを止めてもらわないと。
『おっと、オレの方も無理だぜ、コータ』
『でも、代表に初選出されて、あんなに奥様も喜んでいたのに……』
この人はスイス代表に初選出された。
その知らせが届いた時、この街で一緒に暮らしている奥様も大喜びをしていた。
もうすぐ生まれてくる子どものために、生きがいができたと、夫婦であんなに大喜びしていたのに。
それなに、どうして……。
『なあ、コータ……聞いてくれ。オレは生まれてくる子どもに、胸を張って言いたんだ。「パパは大事な仲間のために選択した。だから代表招集よりも誇らしいサッカー人生だった」って……な』
『そんな……でも……でも……』
オレはそれ以上の言葉を、続けることが出来なかった。
『それを言うならオレもだぜ、コータ……』
『ああ、オレもだぞ、コータ……』
何故なら代表に選出された他の人たちも、語り始めたのだ。
自分たちは代表選出を辞退した。
それはこの3年間、世話になったオレのためだと。
自分たちが代表に選出されたのは、日本から来た偉大なプレイヤーのお蔭だと。
サッカーに対する想いが、ここまで熱くなったのは、コータ・ノーロのお蔭だと。
だから失うことは、何も怖くない。
そう語り続けてきた。
『観念したまえ、コータ君』
『ユリアンさん、あなたなら分かってくれるはずです……』
最後にユリアンさん。
発案者であるこの人を説得出来たなら……。
この冷静沈着な人なら、きっと理解してくれるはずだった。
『悪いが私の答えも、皆と同じだ。コータ君が在籍している間に、必ずF.S.Vを昇格させる。これは私たち全員の、コータ君に対する恩返しだ』
ユリアンさんは全てを悟ったように答えてきた。
この人は冷静沈着だが、誰よりも頑固な一面もあった。
この顔したユリアンさんはテコでも動かない。それはこの3年間、毎日用の共に切磋琢磨してきたオレには分かる。
『せっかくの代表の招集を辞退するなんて……皆さん……本当に馬鹿です。こんなボクのために、本当に……』
それ以上の言葉を、続けることが出来なかった。
何故なら目の奥から、熱い涙が込み上げてきたのだ。
仲間たちの熱い想いが、オレの胸を締め付けてきた。
彼らの言葉が、オレの魂に言葉を止めさせたのだ。
『ふう……コータ。もう、観念しないさいよ。あなたの負けよ?』
『エレナまで、そんな……』
『それにしてもF.S.Vは、本当に馬鹿な選手の集まりになっちゃったわよね。本物のサッカーバカの集団になっちゃって……これも、いったい誰の影響かしら……』
エレナは苦笑いをする。
でも、その表情はさっと晴れ渡っていた。
いつもの元気な彼女が戻ってきたのだ。
『さて。ここから気持ちを切り替えていくわよ、みんな。離脱者がいなくても、明日から9連勝できる確率は、数%よ?」
エレナは特別アドバイザーの顔になる。
明日からのリーグ戦で全勝していく作戦を、選手全員に問いていく。
『はい、エレナ! とにかくボールを蹴って、運んで、相手ゴールにぶち込もう……作戦でこう!』
『ちょっと、コータ⁉ あなた、それ作戦じゃないでしょう⁉』
たしかにエレナの突っ込みも一理ある。
せっかくいいアイデアだと思ったんだけど。
『オレはコータのその作戦は、いいと思うぜ!』
『オレもそう思うぜ! なんかワクワクしてくるしな!』
おや?
チームメイトたちには好評だったらしい。
エレナいがいの全員は、オレの“とにかくボールを蹴って、運んで、相手ゴールにぶち込もう作戦”に賛成してくれた。
『よし、明日からオレたちのゲルマン魂を見せてやろうぜ!』
『いや? この場合はヤマト魂じゃないのか?』
何やら賑やかになってきた。
皆はどんどん自分勝手な意見を出していく。
『よし、こうなったF.S.V魂でいこうぜ!』
『それいいな! 全ドイツ国民に見せてやろう!』
『ああ、F.S.V魂を!』
最終的には“F.S.V魂”という言葉が生まれた。
初めて聞く単語だが、心に響く強い言葉だった。
『オレたちの偉大な仲間……コータのためにF.S.V魂を!』
『F.S.V魂をここに!』
早朝の練習場に、男たち雄たけびが響き渡る。
戦士たちの熱が広がっていく。
(みんな……本当にありがとう……)
その想いにオレの魂も熱く燃えていた。
(この最高の仲間たちと、最後の大仕事を……)
こうして最後の2ヶ月が始まろうとしていた。
オレはドイツでの最後の戦いに挑むのであった。




