第86話:特訓の証
トラップの特訓を開始してから、一週間が経つ。
暦は十月になっていた。
今日はドイツ二部のリーグ戦の日である。
「コータ、おはよう。今日はリーグ戦ね!」
試合前の早朝練習場で、エレナと久しぶりに顔を合わせる。
「って、あなた、その顔はどうしたの⁉」
開口一番、彼女は目を丸くして驚いていた。
「いやー、名誉の負傷というか……ボクが未熟な恥ずかしいアザかな、これは?」
エレナが驚くのも無理はない。
今のオレの顔は腫れ上がっていた。まるでお化けのお岩さんのようになっていたのだ。
「まさか先週に言っていた、トラップの特訓で、そのアザを?」
「うん、そうだね、エレナ。まだ上手くいかないから、どうしても全身傷だらけになっちゃうんだよね……」
「えっ? 全身って……まさか、あなた? ちょっとジャージを脱いで!」
「ちょっと、エレナ、何をするの?」
少し怒り気味のエレナに、ジャージを脱がされしまった。
オレは短パン一丁の、半裸の状態になってしまう。ひと気のない早朝の練習場だが、かなり恥ずかしい格好だ。
「やっぱり! コータ、あなた、全身がアザだらけじゃない!それも、こんなに真っ青で痛そうな……」
エレナは口を抑えて驚いていた。
その反応も無理はない。
オレの全身は至る所が、内出血で真っ青になっていた。自分で見ても気持ち悪いくらいに酷い。
「ねえ、コータ! なんで、こんな大けがをしているのよ? どんな酷い特訓をしているの、あなたは?」
「酷くはないよ。ちょっと大変なだけの特訓だけだけど……」
興奮するエレナを落ち着かせるために、トラップの特訓について説明する。
F.S.Vの一軍のFWの3人の協力を得て、毎朝シュートをしてもらっていると。
かなりの近距離のために、まだ上手くトラップでボールの威力を殺せない。
だから初速が170キロメートルを超えるサッカーボールで、こうして内出血をしてしまうのだと。
「えっ……あのFWの三人に? それに近距離からシュートを? なんでそんな無謀なことを⁉」
「たしかに無謀かもね、エレナ。でもボールはちゃんと見えているんだ。あとはトラップが上手くいけば大丈夫なんだけど……」
早朝の特訓は苦戦していた。
何しろFWの本気のシュートは、弾丸のように速い。
更に普通のPKよりも近距離なために、身体の体勢が間に合わない。そのため無様なトラップで、ボールの勢いを殺せないでいたのだ。
「そんなな無謀な特訓は、無理にきまっているじゃない! ねえ、今から精密検査に行きましょう。その身体じゃ、試合どころじゃないわ!」
「いやー、精密検査だなんて、心配性だな、エレナは。でも大丈夫だよ。最初の数日の特訓はやばかったけど、今は何とかなっているから」
特訓の初日は酷い有り様であった。
オレはボールを受け止められずに、胃の中のものを全て吐き出してしまった。
また頭部で受けきれず、脳震盪で失神してしまったこともあった。
だが、それを毎日繰り返して、今ではなんとか病院送りはしのいでいた。だから病院でも精密検査を受けなくても大丈夫だろう。
「ちょっと、吐き出したとか……失神とか……そんなの、もうサッカーの特訓じゃないわ!もう、こうなったら、らちがあかないわ! そのFWの三人に会って、これから命令してくるわ! そんなコータの無謀な特訓に付き合わないように! 特別アドバイザーの権限で!」
エレナはかなり興奮していた。
本気でFWの三人のところに、殴り込みに行こうとしていた。
やばい、これは止めないと。
オーナーの孫娘である彼女には、本当にそれだけの権力があるのだ。
「ほ、本当に大丈夫だから、エレナ。ほら、こうして、ジャンプも出来るし、腕立て伏せもできるし。身体は痛いくらいで、ちゃんと動けるから。だから特訓を止めないで!」
「そんな、コータ……でも、あなたが、そこまで言うなら……でも、今日の試合はどうするのよ? 太ももまで、そんな真っ青いで、それじゃ審判に止められるわ?」
「あっ、そうか……そう言われてみれば……」
エレナの言うことは一理ある。
サッカーの試合では明らかに外傷がある選手は、ピッチに入れない場合がある。
主審の判断次第では、オレは今日の試合に出られない可能性もあるのだ。
今日までのチーム練習は、長袖長ズボンのジャージでケガを隠して誤魔化してきた。
でも今日の試合では、必ず短パンにならないといけない。
つまり審判に怪我のことがバレてしまうのだ。
「どうしよう……エレナ?」
「そんな私に言われても……あっ、ちょっと、待ってちょうだい。たしか、ここに……」
エレナは何かを思いつき、自分の鞄の中を探る。
中から何かの化粧品道具を出した。
「これは本当は、お母さまに頼まれた、買い物なんだけど、仕方がないわ……ちょっと痛いけど、我慢してね、コータ」
「えっ? うっ……痛てて……それは、なに、エレナ?」
「これはファンデーションよ。上手くいけば、これで内出血を隠せるわ……」
エレナが塗ってくれたのは、女性用の化粧道具のファンデーションであった。
彼女の母親は日本人であり、色もオレの肌色に適しているという。
だが内出血にファンデーションを塗り込まれるのは、かなり痛い。
オレは思わず悲鳴をあげそうになる。
「我慢しなさい、コータ。あなた、男でしょう! まったくもう……ママに何て言えばいいのよ……」
エレナはブツブツいいながらも、助けてくれた。
そのお陰でのオレの全身の青あざは、目立たないようなっていく。
「よし、これでOKよ」
「おお、本当だ! ファンデーション、凄い!」
露出していたアザは綺麗になった。
遠目では気がつかない。どこから見ても内出血人間には見えない。
「ところで試合は本当に大丈夫なの? そんな怪我だらけの身体で?」
「うん、大丈夫だよ。全身は痛いけど、逆に研ぎ澄まされている……感じかな?」
過酷な特訓の連続で、オレの全身は傷ついていた。
だが今週のチームの練習でも、プレイには支障はなかった。
むしろ死の危険性もある特訓のお蔭で、全身の感覚が常に全開の状態。今日の試合も大丈夫そうである。
「それなら良かったわ。でも、試合中に少しでも異変があったら、すぐに交代させるからね。分かった、コータ?」
「うん、分かった。ありがとう、エレナ!」
「仕方がないから今後も、試合前は私がバレないように、助けてあげるわ」
こうしてエレナの強力なサポートを得ることができた。
そのお陰で、この日の試合でオレは活躍して、無事にチームは勝つことができたのだった。
◇
『おはようございます! 今日もよろしくお願いします!』
『よし、いくぞ、コータ!』
その後も早朝の特訓は続いていく。
毎朝90分の時間をフルに使って、FWのチームメイトに弾丸シュートを打ち込んでもらう。
『おはようございます! 今日からは昨日よりも近い、この白線からシュートをお願いします!』
『なんだと、この近距離でか? いくぞ、コータ!』
『はい! よろしくお願いします!』
トラップに慣れてきたら、距離を段々と近くにしていった。
何しろトラップの弱点は、普通は短期間では改善できない。長期的に習得していく必要があるのだ。
『おはようございます! 今日はこの距離で。ボールは二個連続でお願いします!』
だからオレは荒治療に挑んでいた。
普通の方法ではなく、オレの考えた裏のメニューを繰り返していった。
『おはようございます! 今日からは、この固くて小さい特別なボールで!』
日が経つにつれて、特訓は過酷を極めていった。
体力的にはオレの限界ギリギリ。
何しろ早朝の特訓の後には、通常のチーム練習もある。
そして週末の2部リーグ戦では、1軍選手として出場。試合では最高のポテンシャル発揮しなければいけないのだ。
更に月に2度のUCLヤングリーグも、キャプテンとしてこなさないといけない。
これらは予想以上に厳しい日々。オレの全身は毎日、はち切れんばかりの酷使されていく
『おはようございます! 今日はこれでお願いします!』
だがオレは特訓を止めることはしなかった。
そして諦めることをしなかった。
自分の弱点を克服するために、必死で足掻いていく
レオナルド・リッチに勝つために、自分の限界を超えようとしていた。
◇
『じゃあ、最後のシュートをお願いします、皆さん!』
暦はいつの間にか、12月下旬になっていた。
今日は約束していた特訓の最終日。
チームメイトが三人同時に、3個のボールを蹴り込んでくる。
ターゲットはコンクリートの壁を背にしたオレの身体。
近距離から放たれた3個のボールは、大砲のようにごう音を立てる。
そして蹴った次の瞬間、オレの身体の表面に到達していた。
誰がどう見ても、人が止めるのは不可能な状況。
『オー……ミラクル……』
『ナイス、トラップだ、コータ……』
『最高のトラップだった、コータ……』
だが蹴った三人は、満面の笑みを浮べている。
そしてターゲットになったオレ自身も。
なぜならトラップはみごと成功していた。
2ケ月間も渡る地獄の特訓が、無事に成功した瞬間だったのだ
『これで明日のヤングリーグの試合は、楽しみだな、コータ』
『あのレオナルド・リッチに、一泡ふかせてやれ、コータ!』
『オレたち四人の想いを、ユベトスの連中に見せてやれ!』
明日は運命の試合の日であった。
この街のF.S.Vスタジアムで、UCLヤングリーグのホーム戦が開催される。
「レオナルドさん……今度こそは……」
明日の対戦相手は、もちろんユベトスU―18。
前回オレは完璧に封じられて、まったく自分のプレイができずにいた。
だが今回はひと味違う。
地獄の特訓を乗り越えて、オレは一皮むけていたのだ。
「そして、ヒョウマ君……」
自分の心の最大のライバルを、もう二度と失望させたくない。
こうしてオレはリベンジマッチに挑むのであった。
◇
公式にキャラデザインが発表されたので、後書きでも報告します。
1巻はコータたちが小学4年生までの収録になっているので、イラストも4年生の時の姿です
・7番の女の子は妹の葵!(小学3年生)
・エリをかっこよく立てているのは澤村ヒョウマ君!(本当に小学4年!?)
・そして14番は我らが野呂コータ!!(想像以上に可愛い!? 実はモテモテだった?)
です。
――――◇――――
【素人おっさん、転生サッカーライフを満喫する】
ツギクルブックス発刊
2018年6月9日発売
ハーーナ殿下 (著)
白蘇 ふぁみ (イラスト)
1,296円
――――◇――――
イラストの白蘇 ふぁみ先生は小説家になろうでは【村人ですが何か?】などを担当している人気イラストレーター様です。
今後ともイラストなどの発表があれば報告します。




