第87話:リベンジマッチ
12月下旬になる。
オレにとってドイツでの、二回目の冬の季節がやってきた。
そして今日はヤングリーグの前半の最終戦の日。
ユベトスU―12との試合の当日だった。
「やあ、コータ君。調子はどうだい?」
「あっ、ユリアンさん。はい、自分でも驚くくらいに、落ち着いています」
キックオフ前まであと少し。
試合前のアップ中に、ユリアンさんが声をかけてきた。
前回のユベトス戦のことを、心配してくれていたのであろう。
「その様子ではトラップの特訓は、順調だったみたいだね?」
「はい、お蔭さまで。昨日の最終日で、やっとコツがつかめた気がします」
この2ケ月間の特訓で、トラップ能力は急上昇していた。
ユリアンさんも今月の試合の中で、オレの変化に気が付いていたのであろう。
「なるほど、それは良かった。コータ君、今のところF.S.V1軍の方は順調だ。出来れば今日のヤングリーグの試合を勝って、クラブ全体を波に乗せておきたい」
「たしかに、そうですね」
12月下旬はドイツリーグの中間地点である。
現在のところ2部リーグで、F.S.Vは五位をキープしていた。
これは三部リーグから昇格したばかりのクラブとしては、かなり破格の好成績である。
またUCLヤングリーグでも、F.S.Vヤングチームは好調であった。
上位に食らいついていており、今日の試合に勝てたら、来年の決勝トーナメントに進出できるのだ。
「だから、コータ君。今日の試合は、F.S.Vの今シーズンの鍵となる」
「首位のユベトスU―18を倒して、勢いにのる……ですね」
UCLヤングリーグでユベトスU―18は、首位を独走していた。
今年のヤングリーグは彼らの独壇場となっていたのだ。
「今日はウチのホームゲームだ。その流れも使って、勝ちを狙いにいこう」
「はい、ユリアンさん!」
今オレたちが立っているのは、地元のF.S.Vスタジアムの芝ピッチの上である。
観客席にはかなりの数の市民が集まってきた。
いつもの1軍の試合のように、サポータ団が大声援でスタジアムを揺らしている。
これはU-18クラスの試合では、かなり異例の客入り。それだけF.S.Vが地元の市民に愛されているのが分かる。
「そういえば、ユリアンさん。今日は1軍の皆も、あそこに来てくれましたね!」
ピッチから見える最上階の特別席に、1軍のチームメイトの顔が見えている。
自分たちのクラブの若手の応援に、仲間たちが来てくれたのだ。
特訓に付き合ってくれた、例のFWの3人の顔も見えていた。
「えっ、コータ君。この距離で特別席の顔が、識別できるのかい?」
「あ、はい……視力はそこそこ良い方なので」
「なんと。それは凄いね、コータ君」
オレは幼い頃から、スポーツビジョンを鍛えてきた。その恩恵もあり、視力が普通の人よりいい。
たしか前に測った時は、5.0以上の計測不能だったような気がする。
お蔭で埋まっている観客一人一人の顔も、ここからくっきり見えていた。
「今日はたしかに大入りだね、コータ君。でも悔しいけど地元のサポートの半分は、レオの出場を見に来たかもしれないよ?」
「えっ……でも、そうかもしれませんね。何しろレオナルドさんは、セリエAのトップ選手がですからね」
今日のユベトスU―18の選手リストには、前回と同じようにレオナルド・リッチの名前が載っていた。
その影響でここまで、今日は観客が多いのであろう。
何しろレオナルド・リッチを見るための、ユベトスFC戦のチケットはプレミアものなのだ。
「でも、レオナルドさんは、今日も来ているんですかね?」
「それは私も分からない、コータ君。彼は気まぐれな男だからね」
「でもボクの勘では、レオナルドさんは来ている感じがします……」
普通はセリエAの1軍の選手は、こんなU-18の試合には出場しない。
だがオレは感じていた。
このスタジアムのどこかに、異様な気配があることを。レオナルド・リッチの気配を察知していたのだ。
『もちろん今日はアタシも出るわよ、お二人さん』
その時である。
人がいなかったはずの背後から、誰かに話かけられる。
「……えっ⁉」
まさかのお化けが?
思わず声を漏らしてしまう。
『やっぱり来ていたか、レオナルド』
一方でユリアンさんは冷静だった。
『あら、相変わらずユリアンは、つまらない反応ね』
背後に立っていたのはレオナルドさんだった。
前と同じように気配を消して、いつの間にか近づいてきたのだ。
オレは今回も全く気がつくことができなかった。
一人だけビックリ飛び上がって、かなり恥ずかしい。
『それに比べて、こっちの子猫ちゃんは、前と同じで可愛い反応をするね』
オレの過剰な反応を見て、レオナルドさんは楽しそうだった。
それに子猫ちゃんって、やっぱりオレのことかな?
なんか食べられてしまいそうで、ちょっとドキドキするネーミングセンスである。
『キミの不可思議な行動には、ジュニア時代で慣れているかね。それにしてもキックオフ前の敵軍になんの用かな、レオナルド?』
怯えているオレを守るようにして、ユリアンさんは間に立つ。
オレがレオナルドさんのペースに、飲まれないようにしてくれたいた。
『何の用だとは、つれないことを言うね、ユリアン。親友であるキミの顔を見にきたんだよ。あと、そっちの可愛い子猫ちゃんが、狼狽する顔もね?』
レオナルドさんは小悪魔のように笑みで、こちらにウインクしてきた。
ちょっとオネエっぽいけど、美形な人なので不思議と似合っている。
『あれれ? この子猫ちゃん……前と何かが違うね?』
だが次の瞬間、レオナルドさんの表情が変わる。
鋭い視線でオレの全身を、舐めるように突き刺してきた。
『へぇ……なにかアドバイスしたのかい、ユリアン? この子猫ちゃんに?』
オレの微かな変化に、レオナルドさんは勘付いていた。きっと特訓してきたことを察知したのであろう。
恐ろしいまでの洞察力と直感である。
『私はコータ君に、アドバイスしたまでさ。考えて実行したのは彼自身さ、レオナルド』
『なるほど、そういうことかい。それなら今日の試合は、前よりも刺激的になりそうだね、ユリアン……それに子猫ちゃんも』
レオナルドさんは舌をペロリと出しで、不敵な笑みを浮べる。
まるで熟した果実を目の前にして、その食欲を抑えているよう。前回の試合の時以上に、危険な笑みであった。
『今日も後半から出場しようと思ったけど、気が変わったわ、ユリアン。前半から出場して、キミたち二人を頂くとするわ。特に子猫ちゃんの方をメインディッシュにしてね』
レオナルドさんから不気味な気が発っせられてきた。相対するだけでゾクリとするような殺気。
これは世界トップクラスの選手だけが持つオーラなのであろう。
前回とは違い、この人は最初から本気を出してくるのだ。
だがオレは怯む訳にはいかない。
『こちらこそ望むところです、レオナルドさん。前回のリベンジマッチをさせてもらいます!』
オレはその殺気に負けないように、歯をくいしばる。
両足と全身に力を込めて、真っ正面から向かっていく。
たとえ相手がセリエAのトップ選手でも、今日の試合だけは退くわけにはいかないのだ。
『へえ……リベンジマッチとは、面白い冗談だね、子猫ちゃん? でも残念ながら、人はたった2ヶ月では、たいして成長はできないのよ。知っていたかしら? それをこれからアタシが今日の試合で、体験させてあげる』
レオナルドさんの言っていることは、たしかに正論である。
人間の身体は2ケ月間だけ頑張っても、根本的な能力は上昇しない。
もしも、それが可能なら世界中のサッカー選手は、2ヶ月の特訓で誰もがで一流になれてしまうからだ。
『でも、“男子三日会わざれば刮目して見よ!”です、レオナルドさん!』
これはオレの好きな言葉。
日々の鍛錬を積んでいる者に次に出会った時には、注意深く見て接するべきだ、という意味の言葉である。
『ボクの全ての覚悟を、今日の試合でお見せします……です!』
この2ヶ月間はオレ1人の日々ではない。
頼もしいチームメイトの3人と共に、苦悩しながら積んできた二ヶ月間。その相乗効果で何倍にも膨らむ。
だから数年分の重みにある日々なのだ。
『あら……その目は本気なのね、子猫ちゃん?』
オレの言葉に反応がある。
レオナルドさんはこれまでにない真剣な顔になる。
『それなら今日の試合は楽しみにするよ。あっ、そういえば、子猫ちゃん。うちのヒョウマから伝言があったんだ』
『えっ、ヒョウマ君から⁉』
まさかの人物の名前が出できたのだ、素の声で反応してしまった。
ヒョウマ君がオレに伝言を?
いったい何だろう……。
前回の試合の後、彼に挨拶もしないで、オレは逃げてしまった。
そのことに対して、もしかしたら怒っているのかもしれない。
『えーとね……たしか「オレ様は待っているぞ」て言っていたわ、ヒョウマは。このアタシに伝言役を頼むなんて、世界広しといえども、あの子くらいなものね。それじゃあ、また後でね、子猫ちゃんとユリアン!』
キックオフの時間が迫ってきていた。
そう言い残してレオナルドさんは立ち去っていく。
まさに台風の様に騒がしい人であった。
「コータ君、さっきは立派だったよ。あのレオのプレッシャーを前にしても、一歩も退いていなかったね?」
「ありがとうございます、ユリアンさん。でも、本当は怖くて漏らすかと思いましたが、何とか踏ん張れました!」
「はっはっは……その意気なら、試合も大丈夫そうだね。よし、頑張っていこう」
「はい、ユリアンさん!」
いい感じで気持ちを切り替えることができた。
オレたちもキックオフの準備に向かう。
いよいよユベトスU―18との試合が始まるのだ。
「それにしてもヒョウマ君がボクにメッセージを……」
ふと、先ほどの言葉を思い出す。
『オレ様は待っているぞ』という不思議なメッセージを。
「うん、そうだね、ヒョウマ君……」
だがオレには何となく意味を理解していた。
反対側のゴールで練習しているヒョウマ君の、その言葉の意味が。
普段は寡黙でオレ様な人。
でも本当は誰よりも温かい心を持った友の、激励のメッセージの意味を。
「ボクもすぐに行くから……」
こうしてオレのリベンジマッチは始まるのであった。
◇
ユベトスU―18との試合は始まっていた。
今回の試合は前回以上に熾烈を極めていた。
何しろ後半から出場すると思われていたレオナルド・リッチが、なんと前半から出てきたのである。
これにはF.S.Vスタジアムの地元サポートも、大歓声であった。
だがオレたちF.S.Vヤングにとっては、悪夢のよう出来ごとであった。
何しろ相手はセリエAのトップ選手。
前回は後半出場だけでも、F.S.Vヤングを手玉に取った鬼才プレイヤーなのだ。
『レオナルドさんはボクに任せてください!』
そんな試合の中、オレは叫んだ。
圧倒的なレオナルド・リッチに自ら向かっていく。
何度も吹き飛ばされ、裏をかかれて負けてしまう。
だが何でも立ち上がり、オレは向かっていった。
「うぉおおお!」
オレは吠えながら挑んでいく。
この二ケ月間で身につけた新しいトラップを武器に、真っ正面から挑む。
何度負けても諦めずに、更にレオナルド・リッチに挑んでいく。
ユリアンさんたち味方の守備陣を信じて、今の自分のできる武器で戦いをしかける。
そして試合時間が経つ。
試合は1対1の均衡のまま、時間だけが経っていく。
時計の針は試合終了間近を指していた。
このまま引き分けで終わると、F.S.Vヤングの決勝トーナメント進出は難しい状況だった。
まさに絶体絶命のピンチだった。
「よし、ここしかない!」
そんな試合終了間際。
オレは更に叫ぶ。
自軍にラストチャンスが訪れるのだ。
ユリアンさんが敵からボールを奪ってくれた。
ここが最後のチャンス。
それに唯一反応したオレは、敵陣のゴールへと駆けだす。
「よし、いける!」
このまま敵の守備陣の裏をかけば、オレはフリーでシュートを決めることが出来る。
絶好で最後の逆転のチャンスだった。
『甘いわね、子猫ちゃん! 待っていたわよ』
だが、もう一人反応していた選手がいた。
敵チームのレオナルド・リッチ。
彼はオレの背後に回り込み、ユリアンさんからのパスコースを塞いでくる。
「くそっ⁉」
その動きは完璧であった。
どんな一流の選手でも、この相手の動きを回避してパスをトラップすることは出来ない。
レオナルドさんは最後の最後で、絶対的な防御陣を敷いてきたのだ。
「ユリアンさん!」
だがオレは構わずゴールに走り込み、パスの合図をだす。
レオナルドさんに完全にマークされたまま、最後の賭けに出る。
「いくよ、コータ君!」
そんなオレを信じてくれたユリアンさんから、パスが飛んできた。
弾丸のように鋭いライナーのキラーパス。
その鋭さにユベトスの守備陣の誰も、触れることはできない。
『最後の最後に、まさかのパスミスね、ユリアン!』
だがそれは味方であるオレも同じであった。
マークについていたレオナルドさんは、勝利を確信して笑みを浮べる。
『アタシの勝ちね!』
ここままオレではオレの背中に、ユリアンさんからの弾丸パスがぶつかる。
誰の目から見ても明らかにパスミス。
レオナルドさんはそのこぼれたボールを、奪うだけでいい。彼の完璧な読み勝ちを確信していた。
「最高のパスです、ユリアンさん!」
だが勝利を確信したのはオレの方だった。
背中に弾丸パスがぶつかった瞬間……そのまま反転して衝撃を受け止める。
自分のとっての完璧なトラップであった。
「うぉおお!」
更にパスの威力を利用して、一気にドリブルを加速。
ゼロから一気に最大速度まで到達させる。
『えっ……? そんな非物理的な動きが……』
唖然とするレオナルドさんを、オレは一瞬で置き去りにしていく。
その反応も無理はない。
このトラップこそ隠していた本当の技。オレが身につけた必殺技。
身体の全身の至る場所で、あらゆる衝撃を受け止めてトラップする技である。
初速170キロ以上の近距離弾丸シュート。
その威力すらも無効化したトラップ……名付けて“零式トラップ”なのだ。
「いくぞー!」
そしてそのままボールを全力で蹴り込む。
零式トラップの動きは、普通の人間には理解できない。
だからオレの動きとシュートに、相手DFも反応ができなかった。
『ゴーーール!』
次の瞬間、F.S.Vスタジアムに実況者の声が響き渡る。
『『『ウォオオオ!!』』』
間髪置かずF.S.Vサポートの絶叫が、スタジアムの大気を震わせる。
そして大歓声が止みならぬうちに、試合は終了となった。
電光掲示板に写しだされたのは2対1の得点。
「ふう……今回はなんとか勝てたのか……」
その光景にようやく息を吐きす。
ユベトスUー18に勝利したのだと、ようやく実感した。
「最高に楽しかったけど、本当に疲れた試合だったな……」
こうしてオレはリベンジを無事に成し遂げることが出来たのであった。




