第53話:スカウト
全国少年サッカー大会の閉会式の後。
Jリーグ“横浜マリナーズ”のジュニアユースに、オレはスカウトされていた。
「もちろん、返事は今じゃなくて大丈夫です。年明けに、リベリーロ弘前のコーチさんと、コータ君の親御さんの方にも、ちゃんとご挨拶とご説明に伺います!」
横浜マリナーズの人事部の人……実はスカウトマンだった人は、丁寧な口調で説明してくる。
待遇としては中学生のジュニアユースの中でも、最上位のものを用意してくれという。
横浜の寮に入って、午前中と午後は提携している中学校で通常の勉強。その後は横浜マリナーズのクラブで、専門的な指導を受けられる。
中学校がない土日や連休は、練習や試合のスケジュールだという。
説明してくる内容は、信じられないほどの好待遇であった。
前世では社会人だったオレから見ても、破格の条件である。
きっとこれはJクラブの育成的な先行投資なのであろう。
(まさか横浜マリナーズからスカウトが来るとは……)
説明を聞きながら、オレの心臓はバクバクしていた。
何しろ横浜マリナーズといえば、Jリーグの中でも名門中の名門である。
J1でも毎年のように上位争いをしており、これまで代表選手も多数排出していた。
あの赤青白のマリンカラーのユニフォームは、全国のサッカー少年にとって憧れの存在である。
(でも、そんな好条件で、横浜マリナーズのジュニアユースに入るということは……)
オレは選手として“囲い込み”をされてしまうであろう。
入団してから、もしも順調にいけば、
・高校生の時にはユースチームに昇格。
↓
・高校卒業後、横浜マリナーズのトップチームに昇格。
こんな感じのコースになるはず。
つまり“囲い込み”であり、気軽に他のチームには移ることは出来ないのだ。
(オレは……どうすれば……)
今世でのオレの夢と目標は、いくつかある。
目標の一つは『地元の社会人サッカーチームを救うこと』である。
今はまだ地域リーグで奮闘している、小さな地元のあのチーム。
前世で右足と家族の全てを失い、絶望のどん底にいたオレに、あのチームは生きる希望を与えてくれた。
本当に感謝していた。
でもオレが死んだ31歳のあの日……これから19年後に、あのチームは消滅してしまう運命にある。
『地元の社会人サッカーチームを救うこと』
これはオレの今世での大きな目標の一つであった。
(でも、横浜マリナーズのジュニアユースに入ったら、その夢は難しくなる)
プロのクラブチーム同士での選手移籍は、簡単ではない。
本人の意思もあるが、移籍金と契約などで難しくなる場合もあるのだ。
特にJ1の名門から、地方の地域リーグの小さなチームに移籍。
これは移籍金を考えたら不可能に近いのかもしれない。
プロサッカーは巨大なビジネスの世界でもある。
契約を結んでしまったら、選手もその波に巻き込まれてしまうのだ。
「どうでしょうか、野呂コータ君? あなたと、ご家族にも悪い条件ではないと思いますが?」
スカウトマンはビジネススマイルを浮べていた。
提示された条件は破格である。
普通のサッカー少年なら、飛んで喜ぶスカウトだ。
正直なところ、このオレですら心は大きく揺れている。
前世でも見ていた、あの横浜マリナーズのユニフォーム。その誘惑はサッカーオタクには耐えられない、媚薬でもあるのだ。
(でも、オレは……)
どうすればいいのだろうか。
返事を出来ないまま、自分の心に迷っていた。
(どうすれば……誰か助けて……)
今までの自分の目標と、目の前の甘美な誘惑の狭間に、一人で決断できずにいた。
◇
「おい、お前たち。そこで何をしている?」
そんな苦しんでいた時。
誰が近づいてきた。
窮地に陥っていたオレは、顔を上げる。
その声に覚えがあったのだ。
「ヒョウマ君のお父さん?」
やって来たのは、まさかの人物……ヒョウマ君のお父さん“澤村ナオト”だった。
そういえ今年も息子のために、全国大会の応援に来ていたのだ。
この人とは面識がある。
ヒョウマ君の家にサッカーのTVを見に行った時に、顔を合わせていたのだ。
でも、あまり会話をしたことはない。いつもクールな人だった。
「大丈夫か、野呂コータ?」
「は、はい……」
澤村ナオトは優しい声で、オレの頭を撫でてくれる。
大きくて暖かい手だった。
「ところで、お前たち、この子に何の話をしていた?」
澤村ナオトの声が変わる。
強い言葉と共に、この場にいた大人二人に問いかける。
横浜マリナーズU-12の監督とスカウトマンに対して、鋭い視線を向けていた。
「せ、先輩……これは、その……」
「澤村さん、実は……」
澤村ナオトは横浜マリナーズのOB選手である。
だから、この二人とも面識があるのであろう。
会話から現役時代の先輩後輩の関係みたいだ。
「たしか全国大会の場でのスカウトは、マナー違反だったよな、人事部さん?」
「うっ……それは」
澤村ナオトから鋭い殺気が放たれる。
その殺気をモロに受けて、スカウトマンは絶句していた。
近くにいたオレですら、動けなくなる様なプレッシャーである。
「す、すみませんでした、澤村さん。では、失礼します。野呂コータ君、では正式に年明けにご連絡をします」
警告を受けて、スカウトマンと監督が立ち去っていく。
そうか……こうした大会でのスカウト業務は、マナー違反だったのか。
「あの……ありがとうございました」
澤村ナオトに頭を下げて、礼を言う。
この人はオレのことを守ってくれたのであろう。
助けてくれなければ、オレは危うく甘美な言葉に落ちていたかもしれない。
それほどまでに先度は判断力が鈍っていた。
「息子のヒョウマが世話なっているからな。礼を言うのは、こっちの方だ」
殺気を解いて澤村ナオトは、軽く微笑んできた。
あれ?
その笑顔はヒョウマ君が笑った顔と、よく似ていた。
ヒョウマ君はいつもクールだけど、笑った顔はこんな感じで温かみがある。
やっぱり親子は似るのかもしれない。
「あんな後に言うのも、あれだが……横浜マリナーズも悪くないクラブだ。だがサッカー人生の進路を選ぶのは、自分で決めることだ。じゃあな」
「えっ……」
そう言い残して、澤村ナオトは去っていく。
きっと自分の在籍していた横浜マリナーズのことを、あの人も好きなのであろう。
「サッカー人生の進路を選ぶのは、自分か……」
オレは自分の右足を見つめながら、その言葉を呟くのであった。
◇
その後は、いつものようにバタバタした。
閉会式と取材が終わってから、飛行機を乗り継いで、東北の我が家に戻る。
《12月30日》
閉会式が終わって帰宅した次の日。
今年もこの日の夕方に、チームの皆とコーチと、選手の父母たちで食事会をした。
店はいつもの地元のファミリー向けの焼き肉屋さん。子供が大好きな食べ放題の店だ。
“全国大会3連覇、おめでとう会!”
ということで、かつていない程ワイワイ楽しく騒いだ。
オレたち子どもはジュースを飲みながら、焼き肉を食べまくった。
3連覇のお祝いとして今年は『焼き肉+デザートと+お寿司+ラーメン+お菓子』が食べ放題になっていた。
育ち盛りのオレたちは、倒れる寸前まで食べて楽しんだ。
◇
《12月31日》
次の日は大晦日。
一年の最後の日だが、今年も忙しかった。
地元の新聞とTVの取材をチームで受けた。
キャプテンであるオレはインタビューを受けた。
かなり緊張したが、何とか全国大会の話をすることができた。
ちなみにヒョウマ君は今朝から家族で、スペイン旅行に行っていた。
澤村家恒例の正月海外旅行である。相変わらずリッチだ。
普通の庶民の我が野呂家は、正月は家で普通に過ごす。
でも今年はお節料理が、いつもと違っていた。
フランスに両親が応援に行った影響で、お節がフランス料理風になっていたのだ。
これが意外と美味しくて、葵と二人でバクバク食べた。
オレの母親は料理上手なので、ご飯の時間が楽しい。
そんな感じでいつものように楽しい年末を過ごしていく。
◇
「あと、3時間ちょっとで、新年か……」
12月31日の夜8時50分。
オレは布団の中に入り込む。
サッカーライフのため、成長期には夜更かしをしない。
身体の成長を促すために、毎晩9時前には寝ていたのだ。
これは大晦日や正月でも変わりはない。
(今年もあっという間だったな……)
布団の中で、今年一年のことが思い出される。
1月から3月までは冬のトレーニング期間で、主に基礎練習を積んでいた。
ちなみ2月のバレンタインデーのチョコの個数は、去年と同じ数だった。
もしかしたら、あれがオレの限界数値なのかもしれない。少し悲しい。
4月からは6年生になった。
オレはチームのキャプテンと、クラスの学級委員長に挑戦する。
最初は大変だったけど、本当に勉強になったチャレンジだった。
5月から夏までは、ひたすらサッカー漬けの毎日。
チーム練習と自主練と、大会と、合宿と遠征だった。
初秋には“U-12ワールドカップ”のためにフランスのパリへ。
たった二日間だったけど、本当に充実した大会だった。
将来のスーパースターのセルビオ・ガルシア君にも出会えた。
そのお陰で、オレは大きく成長できたような気がする。
冬にあった全国少年サッカー大会でも優勝できた。
小学生の最後の大会で、無事に3連覇を達成できた。
こうして一年を振り返ってみて実感する。
今年も本当に充実して、楽しいサッカー人生だった。
(そして、横浜マリナーズのスカウトか……)
今年の最後にまさかのイベントが発生していた。
まだ誰にも相談してしないけど、年明けには解決しないといけない。
あと3時間ちょっとで、新しい年年になる。
1月になったら、リベリーロ弘前を引退式がある。
それまでに今後の自分の人生を、決めておかないといけない。
(とにかく今日は寝よう……)
こうして今年も無事に終わろうとしていた。
だが決断しなければいけないタイムリミットは、着々と近づいていたのだった。




