第26話:激戦の後
全国大会の決勝戦が終わる。
その後はバタバタしたスケジュールだった。
閉会式の後は、オレたちリベリーロ弘前は沢山のマスコミの取材を受ける。
TVやラジオ、サッカー雑誌やネットニュースなど、ビックリするぐらいのマスコミ囲まれていた。
主にチームとしてインタビューされていたのは、コーチと6年生のキャプテンであった。
特にコーチは“東北の智将”としてマスコミの人たちに褒められていた。
何でも決勝戦での超攻撃的な采配が、サッカー専門家たちを唸らせたらしい。
日本のサッカー界に不足していた、“決定力”の指導の仕方。それにについて、関係者からも、あれこれ聞かれていた。
もしかしたらコーチも、この業績で一気に有名人になるのかな?
別の強豪チームに移籍とか、ある世界なのかな?
マスコミ陣に囲まれるコーチを見て、遠くにいってしまう、そんな不安があった。
『優勝できたのは選手たちのお蔭です。私はむしろ感謝しています』
でもコーチはマスコミ陣に、謙虚にそう答えていた。
何となくだけど、ホッとした。
いつものコーチでよかった。
よし。
オレもヒョウマ君たちと、帰郷の準備をしようかな。
「あっ……」
だがヒョウマ君に近づくことが出来なかった。
何故ならコーチ以上に、彼の周りにマスコミが群がっていたのだ。
『澤村ヒョウマ君、最年少で大会得点王の感想は?』
『お父様には何と、伝えますか?』
『中学生になったらビッグチームに移籍はありますか?』
マスコミの人たちはマイクやボイスレコーダーを、ヒョウマ君に向けてインタビューしていた。
“有名な元Jリーガーの息子で、小学生4年生にして全国大会の得点王で、優勝チームのエース”
記事のネタとしては最高のターゲットなのであろう。
まるで日本代表の選手に対応するみたいに、連続して質問されている。
それを見ていると、なんかヒョウマ君も遠い存在に感じた。
最近はチームメイトとして仲良くなってきたというのに、少し寂しい感じがする。
「優勝も得点王もチームメイトのお蔭です。全員で勝ち取った勲章です」
でもヒョウマ君はマスコミ陣に、大人の対応をしていた。
それに自らの成績を、“チームメイトのお蔭”だって答えていた。
これはなんか嬉しい言葉である。
やっぱり、ヒョウマ君は凄い人だ。
優勝にも浮かれずに、自らの成績に驕ることもない。
ヒョウマ君は一人のサッカー選手として、最高にカッコイイ。
よし。
ヒョウマ君は忙しそうだから、妹の葵と一緒に帰郷の準備をしようかな。
「葵! あっ……」
だが葵にも近づくことが出来なかった。
何故ならヒョウマ君と同じ位に、マスコミに囲まれていたのだ。
『野呂アオイさん、史上初の3年生の女の子として、優勝の感想は?』
『何才くらいサッカーを始めたのですか?』
『将来はナデシコジャパンに?』
さっきと同じように葵も、たくさんのマスコミの人にインタビューされていた。
“まだ小学生3年生の女の子なのに、全国大会の優勝チームのエースの一人。しかも可愛らしい”
やはり記事のネタとしては、最高のターゲットなのであろう。
特に男子の中で奮闘する女の子は、サッカー特集でも話題になりやすいのだ。
なんか葵までもが、遠い存在になってしまう感じであった。
更に大きな不安もある。
何故なら葵は可愛いから、雑誌とかTVに載ったら一躍人気者になってしまう。
なでしこ女子プロサッカー選手でも、可愛い衣装で雑誌の表紙を飾る時代である。
普通よりも可愛い葵だったら、芸能人も兼用できるであろう。
そうなったら変な虫が付かないか兄として、とても不安でしかない。
「サッカーは尊敬するお兄ちゃんに、教えてもらいました! 今後も頑張っていきます!」
でも葵はマスコミ陣に、テキパキと対応をしていた。
それに『お兄ちゃんに教えてもらった』か……なんか嬉しい言葉である。
幼稚園の頃はあんなに小さかった葵が、立派になっていた。
オレは思わず涙がポロリしそうだよ。
よし。
葵もヒョウマ君も忙しそうだから、取材が終わるまで待ってやるか。
どうせ、まだコーチやキャプテンも忙しそうだし。
オレは皆の取材が終わるのを、競技場の端っこで待つことにした。
そう言えば、オレには個人的に取材は無かった。
でも、コレは仕方がないであろう。
何故なら今大会でのオレの意識していた動きは
①中盤のMFとしてチームの勝利のために尽くす。
②なるべく気配を消して相手に察知されないようにしる
③“緩急をつけたプレイ”にチャレンジして、歩いているようにプレイする。
この三つを意識していたのだ。
特に③番目はこの時代の専門家が見たら、評価は低いであろう。
“一生懸命に走り回るのが美徳な時代”のサッカーには、合わないプレイスタイルなのだ。
これはオレがいた未来のサッカー理論で、ようやく認知されたプレイスタイルだった。
でも、オレは後悔をしていなかった。
チームの優勝のために貢献できたことを、むしろ誇りに思っている。
◇
「チョット、いいデスか?」
その時である。
競技場の待っているオレに、話しかけてきた大人がいた。
しかも片言の日本語だ。
いったい誰だろう?
振り向いた先にいたのは、サングラスをかけた白人系の外人である。
歳は60代くらいであろうか。ヒゲも真っ白で、結構おじいちゃんっぽい。
「はい、何でしょうか?」
オレはかるく距離をとって返事をする。
何しろ今のオレは身体の小さな小学生4年生。
特に決勝戦の激戦の直後で、体力も10%位までしか回復していない。
知らない大人と無暗に話をするは、子どもは危険なのだ。
「そんな警戒しないくだサイ。私はアナタの決勝戦のプレイに、感動したノデス!」
「感動? それはありがとうございます」
なんだ。オレのファンの人だったのか。
それなら警戒しなくてもOKであろう。
オレは小学生4年生の子どもらしく、嬉しそうに返事をする。
「アナタは小さいころ、ヨーロッパや南米でサッカーを学んだのデスカ?」
「えっ? サッカーは家で練習していました。小学生1年からはリベリーロ弘前で学びました」
変なことを聞いてくる人だな。
陽気な老人に、自分のことを正直に答える。
オレの家は普通の東北のサラリーマン一家だと。海外には旅行もいったことはないのだ。
「オー! 独学でアノ動きとプレイを⁉ ワンダフルー!」
老人は大げさなジェスチャーでビックリしていた。
最初はなんか怪しい外人だったが、陽気で面白い人である。悪い人ではなさそうだ。
きっと海外のサッカー場にいけば、こんなサッカーおじいちゃん一杯いるんだろうな。
いつか世界各地の本場のスタジアムに、オレも行ってみたいものである。
「デハ、ありがとうございマシタ! サヨナラ! おっと……」
おじいちゃんが去って行こうとした、次の瞬間である。
小さな段差につまずいて、転びそうになる。
杖も持っていないし、頭をぶつけたら大変だ。
「よっとと……おじいちゃん、大丈夫ですか?」
オレは即座に動く。
老人の転ぶ方を予測して、その先にダッシュする。
そして背中を当てるようにして、老人の全体重を支えてやる。
小学生4年生と大人では、体格差は結構ある。
でもサッカーの激しい当たりで鍛えたオレなら、難なく助けることが出来きたのだ。
「ワオ……今のハンノウは……?」
おじいちゃんは何かにビックリしていた。
きっと転んだことに驚いたんだろうな。でも無事でよかった。
「じゃあ、ボクは用事があるから」
オレは老人に挨拶をして別れる。
いつの間にかコーチやヒョウマ君たちの、取材も終わっていた。
そろそろ地元に向けて、飛行機で戻らなきゃいけない。
昨年に引き続き、今年も南国の鹿児島から東北地方まで大移動である。
「それにしても、変なおじいちゃんだったな……身体もやけに筋肉質だったし……」
さっきの外人の老人はやけに筋肉質であった。
背中で支えた瞬間に、オレは違和感があったのだ。
何かのスポーツをやっていた人なのかな? それも凄く高い水準で。
気になり、後ろを振り向いても、もう姿は見えなかった。
もしかしたら、サッカー競技場の幽霊だったとか?
「ま、いっか」
細かいことは気にしない性格である。
オレは帰郷のために、チームメイトに合流するのであった。
こうしてオレの2回目の全国大会は幕を閉じる。
リベリーロ弘前の小さなサッカー戦士は、故郷に帰還するのであった。
◇
閉会式が終わってから飛行を乗り継いで、東北の我が家に戻ってきた。
家に帰ってからも、今年も大忙しであった。
何しろ戻ってきた日は12月29日の夜。あと少しで大晦日である。
《12月30日》
閉会式が終わって帰宅した次の日。
夕方にチームの皆と、コーチと選手の父母たちで食事会をした。
でも昨年の“お疲れさま会”とは違い、今年は“全国優勝おめでとう会!”である。
場所は昨年と同じ、地元のファミリー向けの焼き肉屋さん。みんな大好きな食べ放題の店だ。
オレたち子どもはジュースを飲みながら、焼き肉を食べまくった。
更に今年は優勝のお祝いとして、デザートとお寿司も食べ放題になっていた。
育ち盛りのオレたちは、腹が破裂する寸前まで食べていく。
「いやー、コーチのお蔭でウチの息子が……」
「いやいや、私も皆さんのお子さんに助けてもらって……」
「ささ、飲んで下さい……」
「どうぞ、どうぞ……」
一方でコーチと親たちは酒を飲みながら、かなり酔っ払っていた。
何しろ全国大会で初優勝したのである。
子どもたちと同じくらいに、大人も嬉しいのであろう。
オレの両親もビックリするぐらいに酔っ払っていた。帰りは大丈夫かな?
「では“リベリーロ弘前の今年の一年”を開演します!」
今年も父母会の人がスライドショーを作ってくれた。
貸し切りの店の壁に、音楽と共に映像を流していく。
春の新人戦や、夏のサマー大会の真剣な試合の様子。
また夏合宿の自由時間で、ふざけている子どもたちの様子。
大会の入場行進で手と足がバラバラな様子。
今年一年間のオレのサッカー人生が、走馬灯のようにスライドに流れていく。
本当に素晴らしいスライドショーだ。
「この次は6年生特集です!」
スライドショーは次に6年生特集に移る。
最年長のキャプテンたちが、まだ1年生の時の動画と写真。
サッカーで失敗して泣いている映像。低学年の時の失敗の時の動画。
お宝映像が盛りだくさんである。
「あの、鬼の先輩たちが……ぷぷぷ」
「おい、お前たち、見るな!」
「もう、遅いですよ! わっははは……」
スライドショーを見ながら、皆で笑って楽しんだ。後輩と先輩も関係なく楽しんだ。
でも同時に誰もが感動していた。
引退の最後の年に全国大会で優勝。本当にいい思い出が出来たと感動していた。
引退していく6年生たちの笑顔は、今年も本当に輝いていた。
やっぱりサッカーは本当にいいね。
◇
《12月31日》
次の日の大晦日も忙しかった。
地元の新聞の取材をチームで受けた。更に今年は地元TVの取材もあった。
コーチとキャプテンが慣れた感じで、全国大会の秘話を話していた。
年が明けた後には市長に表敬訪問をして、優勝の報告会もあるという。
本当にバタバタした年末年始になりそうである。
ちなみにヒョウマ君は今朝から家族で、カリブ海の旅行に行っていた。
澤村家の正月は、毎年海外で過ごすらしい。相変わらずリッチだ。
もちろん普通の庶民の野呂家は、正月は家で普通に過ごす。
それにしても昨年以上に、バタバタした年末だった。
でもオレは自主トレを、一日も欠かさずにいた。
チームメイトたちも誘って、一日も欠かさずに皆で自主トレしていたのだ。
正月休みもない位に練習するなんて……本当に皆サッカーが大好きなんだろうな。
あっ、……鐘の音が……?
いつの間にか、年を越していたのだ。
24時の除夜の鐘が、オレの住む街に鳴り響く。
もちろん21時に寝ている、オレの耳には聞こえていない。
でも、今年も夢の中で少しだけ、聞こえたような気がした。
◇
こうして次の日の元旦になり、新しい年になる。
オレのサッカー人生の4年生編は、あと3ヶ月で終わりを迎えていた。
サッカーの練習をしていたら、3ヶ月もまたあっとう間に過ぎていくであろう。
4月から、オレは5年生になる。
5年生も今までと同じ、サッカー漬けの毎日であろう。
全国大会の連覇に向けて、コツコツと練習の日々だ。
だが5年生になったオレに、大きな人生の転機が訪れる。
それはオレにとっても未知の世界であり、予想もつかない出来ごとであった。
「よし、まずは元旦の朝練に行ってくるか!」
こうしてオレのサッカー人生は、未知なる場所へ向かおうとしていた。
◇
次話から新章になります。
たくさん方に読んでいただき、本当にありがとうございます。
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次章も頑張っていきます!




