天啓の儀と、断絶の八年
1. 攻略の基盤
目を開けた瞬間、鼻を突いたのは吐き気のするような下水の臭いだった。
俺はルーク村の孤児院に捨てられた赤ん坊、アラトとしてこの世界に降り立った。
隣で俺の顔をじっと見ているのは、共に捨てられたリナ。そして大泣きしているのがヴィンス。
俺は寝床で、こっそりと自分のステータスを確認した。
【ステータスボード】
名前: アラト
レベル: 1
種族: ヒューマン
性別: 男
職業: 無
スキル: 無
魔法: 無
称号: 無
(……よし、パーティー機能も生きてるな)
このボードの最大の特徴は、俺が「パーティー申請」を行い、登録された仲間にもこの画面が見えるようになることだ。
DFにおいて、ステータスの可視化は戦略の基本。自分や仲間のHP、MP、そして隠されたバフやデバフを正確に把握できる。これは、情報の秘匿が当たり前のこの世界において、文字通り「神の視点」を持つに等しかった。
前世の記憶を持って生まれた俺は、子供たちの間でも異質な存在だった。
壊れた道具を直し、大人の顔色を読み、効率的に仕事をこなす俺を、リナは兄のように慕い、いつも俺の背中に隠れていた。
だが、ヴィンスは違った。彼はリナに想いを寄せていたが、彼女の視線が常に俺に向いていることに、幼いながらもどす黒い嫉妬を募らせていた。
2. 天啓の儀
転生から10年。俺たちは泥を啜りながら育った。
そして10歳の夏、運命を決定づける「天啓の儀」が教会で行われた。
神官が神聖な鏡をかざし、俺たちの魂に刻まれた「職業」を読み上げていく。
「……リナ、【薬草摘み】。……アラト、【ドブさらい】。……そして、ヴィンス……っ! おお、光よ! 【勇者】! 今代の勇者が誕生した!」
聖堂内は狂乱に包まれた。
教会関係者は「救世主の再臨だ」と叫び、即座に王都へ報告を飛ばした。
ヴィンスは最初、呆然としていた。だが、周囲の称賛と跪く大人たちの姿を見るうちに、その顔は醜い歓喜に歪んでいった。自分は選ばれた存在であり、アラトのような「下層の民」とは根底から違う種族になったのだと確信したのだ。
孤児院へ帰る道中、ヴィンスの目は変わっていた。
かつての仲間を見る目ではない。足元の泥を払うような、不快げで傲慢な視線。
リナは、あまりの変貌ぶりに困惑し、涙を浮かべていた。
だが、俺は違った。
絶望的な【ドブさらい】という職を与えられたにも関わらず、俺の顔は生き生きとしていた。何千回という失敗の果てに、俺だけが「この職が最強への唯一の道」だと理解していたからだ。
それが、ヴィンスをさらに苛立たせた。
「……なぜ笑っている、アラト。お前は一生、俺たちの汚物をさらうゴミなんだぞ。理解できないのか?」
数日後、白銀の鎧を纏った王宮騎士団が孤児院を訪れた。
別れを惜しみ、泣きながら彼の服を掴もうとしたリナ。だが、馬に跨ったヴィンスは、冷酷にリナの肩を蹴り飛ばした。
「汚い手で触れるな。……俺は選ばれた光だ。お前たちのような、泥の中で蠢くだけのウジ虫とはもう住む世界が違う。精々、惨めに腐って死ね」
3. 泥の中の約束
銀光を放つ騎士団が去り、舞い上がった土埃がゆっくりと沈んでいく。
静まり返った孤児院の前で、リナは泥にまみれたまま肩を震わせていた。
「……勇者、様。ヴィンスは、もう……私たちのこと、見えないんだね」
リナの手には、自分の職業を記した安っぽい羊皮紙が握られていた。下位職の中でも「代わりはいくらでもいる」とされる【薬草摘み】。彼女の瞳からは、絶望の色が隠しきれなかった。
「リナ。顔を上げろ。……汚れるからな」
俺は膝をつき、彼女の肩に付いた土を払った。
「リナ。ヴィンスのことはいい。それより、お前のその【薬草摘み】……実はこの世界の核心に触れるための、数少ない鍵なんだぜ」
「え……? だって、薬草を摘むだけだよ? 誰だってできる、惨めな仕事だって……」
「俺を信じろ。……いいか、リナ。腐らずにその仕事に励め。植物の声……いや、魔力の流れを見極めるんだ。それができれば、お前は世界を癒やすことも、壊すこともできる存在になる。……時が来たら、一緒に冒険に出よう。この孤児院の外、世界の果てまでな」
俺の言葉は、今のリナにとっては狂人の独り言に聞こえたかもしれない。だが、俺の瞳にある確信が、彼女の震えを僅かに止めた。
俺は彼女の目を見つめ、静かに、しかし断固とした口調で続けた。
「俺がこの『ドブさらい』を極めた時。そして、お前がその瞳に真実を映した時。……俺たちは、ここを出る。一緒に、この不条理な世界の果てまで冒険に行こう」
「冒険……? 無理だよ、アラト。下位職が村の外に出るなんて……魔物に食べられるか、野垂れ死ぬのが関の山だって、院長先生も言ってた」
リナの瞳には、外の世界への根源的な「恐怖」が宿っていた。この世界の管理システムが植え付けた、下層民のための鎖だ。
「問題ない」
俺はリナの頭に手を置き、少しだけ口角を上げた。
「問題ない。パーティーになれば、俺と同じこの『画面』が見えるようになる。俺が全部、勝てるように導いてやる。……約束だ」
「パーティー……? 画面……?」
理解できない言葉に首を傾げながらも、リナは俺の手をぎゅっと握り返した。
ヴィンスが王都で『光の英雄』として祭り上げられている間。
俺たちは泥を啜り、下水をさらった。
来るべき「攻略開始」の日を、虎視眈々と待ち続けながら。
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