21-2 越前府中城【出逢い】
越前府中城の奥庭。
雪は日陰にわずかに残るばかりで、梅の枝先には小さな蕾が膨らんでいる。
冷たい空気の中にも、わずかな春の匂いが混じっていた。
永重は縁側に立ち、庭を見渡していた。
背後で足音が止まる。
「藤懸様」
振り返ると、雪乃が立っていた。
白小袖に淡い浅葱の袴。
髪はすっきりと束ねられている。
「永重で結構です」
「では……永重様」
わずかに言い淀む。
その響きにまだ距離がある。
「少し、お時間をいただいてもよろしゅうございますか」
「もちろんです」
二人は庭へ降りた。
踏みしめる砂利の音がやけに大きく感じられる。
遠くで鶯がひと声、試すように鳴いた。
「祝言前にお会いするのは、異例にございます」
雪乃が言う。
「承知しております。
ですが、どうしても一度、お話ししたかった」
「……何を、お聞きになりたいのですか」
永重は少し考え、率直に答えた。
「雪乃殿は何を望んでおられるのか」
雪乃は目を瞬かせる。
「望み、にございますか」
「はい。
某は――私は戦に出ます。政も担います。
だが、それは私の志。
雪乃殿には雪乃殿の思いがあるはずだ」
風が梅の枝を揺らし雪がぱらりと落ちる。
雪乃は少し歩き、庭の的の前で足を止めた。
そこには弓が立てかけてある。
「母は申します。
女子は家を守り、帰りを待つものだと」
静かに弓を手に取る。
「それも大切な務めにございましょう」
永重は否定しない。
「ですが――」
雪乃は弓弦を張る。
ぴん、と澄んだ音が冬空に響く。
「ただ待つだけでは、胸が潰れそうになるのです」
雪乃は矢を番えるとすぐさま放った。
乾いた音。
的の中心に深く刺さる。
「父が戦へ向かうとき、祈ることしかできぬ自分が悔しかった」
弓を下ろし、永重を見る。
「もし、永重様が戦へ出られるなら――
私は祈ります。
ですが、それだけでは足りぬ気がするのです」
永重はその視線を受け止める。
「足りぬ、とは」
「帰る場所を守りたい。
ただ無事を待つのではなく、『戻りたいと思える家』を作りたい」
その言葉に、永重の胸が強く打たれた。
――同じだ。
「私は」
永重は静かに口を開く。
「戦のない世を作りたいと思っています」
雪乃の瞳がわずかに揺れる。
「田畑を整え、民を飢えさせぬこと。
それが戦よりも大切だと私は思うのです」
「……父から少し伺っております。
丹波で新たな作を広めておられると」
「大豆です」
「大豆」
雪乃は小さく笑う。
「武家の話にしては随分と穏やかにございますね」
「戦よりも、よほど難しい」
永重もわずかに笑った。
静かな間。
「雪乃殿」
「はい」
「私はあなたに弓を捨ててほしいとは思いません」
雪乃の手が止まる。
「家を守るためなら、矢を取る覚悟もまた武家の道。
ただし――」
一歩、距離を詰める。
「どうか独りで背負わぬでほしい」
雪乃の呼吸がわずかに乱れる。
「夫婦になる以上、守るのはどちらか一方ではない」
雪乃はしばし黙し、やがて静かに言った。
「……永重様は……優しゅうございますね」
「そうでしょうか」
「ええ。
ですがそれは弱さではありません」
ふと、いたずらっぽい光が宿る。
「ただし」
「ただし?」
「弓の腕前で負けたら少し考えます」
「……それは困る」
雪乃はくすりと笑う。
その笑顔は、少しだけ少女の面影を残していた。
「では、勝負なさいますか?」
「いずれ」
「祝言の後に?」
「ええ。
その頃にはもう少し近くで話せるでしょう」
言葉が止まる。
雪乃は目を伏せ、そっと言った。
「近いうち。
私は藤懸の家へ参ります」
「はい」
「不安がないと申せば偽りになります」
「私もです」
その率直さに、雪乃は顔を上げる。
「ですが」
永重は続けた。
「共に歩む覚悟は、今日ここで持ちました」
雪乃は弓を胸に抱え、深く一礼する。
「未熟者ではございますが――
どうぞよろしゅうお頼み申します」
永重もまた、同じだけ深く頭を下げた。
「こちらこそ」
そのとき、鶯が澄んだ声で鳴いた。
春はまだ浅い。
だが、確かに近づいている。
雪の残る越前の庭に、二人の間に芽吹いたものは――
まだ名のない、しかし確かな絆であった。




