■第四章■ 20-1 丹波【祝言】
第四章のスタートです。
最初の朝鮮出兵である文禄の役、その直前からになります。
天正二十年(1592年)如月(2月)――永勝宅
まだ冬の底冷えの残るこの日、藤懸三河守永勝の自宅では祝言が執り行われていた。
永重の妹・志野の祝言である。
嫁ぎ先は秀吉の馬廻衆で、永勝と同じく丹波に領地を構える川勝広綱であった。
ただ、このとき広綱はわずか十三歳、元服したばかりである。
志野は十六歳、いわゆる「姉さん女房」であった。
永勝が志野の婚礼を急いだのには理由があった。
太閤秀吉による朝鮮出兵である。
先年、天正十九年(1591年)、秀吉はその右腕ともいえる弟・権大納言秀長、そして嫡男の鶴松を相次いで亡くすという不幸に見舞われた。
秀吉は身内の死に深く悲嘆したが、やがて自らの出陣、そして明国を隠居の地とする決意をいっそう固めた。
明国を制するため、まずはその冊封国である朝鮮に服属を迫ったが、これを拒まれる。
そのため、遠征軍を朝鮮へ差し向けようとしていた。
秀吉の直臣である永勝、同じく直臣である嫡男・永重、そして元服した次男・永元(幼名・次郎丸)もまた、この遠征軍に加わるものと考えられていた。
同じ丹波に所領を持つ家同士の結束、またその遠征のあいだ家内を盤石にしておく必要があり、急ぎこの婚儀となったのである。
本来であれば祝言は婿方で執り行うのが通例である。
しかし家格の事情もあり、今回は永勝の屋敷での挙行となった。
「志野のこと、よろしゅう御頼み申す」
永勝は婿・広綱にわずかに頭を下げる。
「いえ、こちらこそ藤懸家の方々とご縁をいただけるは、この上なき誉れにございます」
広綱は満面の笑みで応じた。
かくして祝言の儀が滞りなく終わると、やがて酒宴が始まる。
飲めや唄えやの大宴会であった。
「若殿、次はいよいよですね」
平松半佐が永重に酌をしながら言う。
「こればかりは縁が、な」
永重は苦笑して盃を傾けた。
永重はニ十歳になっていた。
小田原征伐の際、その小田原開城において功を一つ成し得たとして三千石に加増されていた。
それからおおよそ二年。
永重は武芸の鍛錬を怠らぬ一方、自らの所領の農政改革を強く推し進めていた。
当時、農の中心はあくまで稲作である。
春に田を起こし田植えを行い、秋に稲を刈る。
一年はその循環で尽きる。
だが永重は考えていた。
――田植えと稲刈りのあいだ、あるいは刈り取り後の地を活かせぬものか、と。
ここで活躍したのが伴伊織であった。
伊織の居た武蔵国の忍城は、利根川・荒川流域の低湿地帯に位置していた。
低地は水田に適するが、自然堤防や微高地では畑作も盛んであった。
そこで作られていた作物のひとつが――大豆である。
伊織はその知識をもとに進言した。
「丹波の地にも、必ずや適う土がございましょう。
田のみに頼らず、畑を併せれば兵糧の備えも厚くなります」
永重はこれを採り入れ、この二年、稲作に加えて大豆の栽培を広げてきた。
その成果は、上々であった。
もっとも――
永重がこの農政改革に取り組んだ最大の理由は、兵糧ではない。
国内の争いは終わった。
これから為すべきは、民と、それを統べる者――
双方が安らかに暮らせる世を築くこと。
それこそが、永重の目指す道であった。
「永重」
酒瓶を手にやってきたのは、父・永勝だった。
「殿、このたびはまことにめでたきことにございます」
永重は盃を置き、居住まいを正して頭を下げる。
半佐と、同席していた多紀重兼もそれに倣った。
「やめよ。皆、楽にせい」
永勝は笑う。
やや酔いが回っているらしい。
そして、ふと永重を見た。
「次はそなただ」
「は……」
永重は先ほどと同じく苦笑で応じる。
「世辞ではないぞ?もう相手も決まっておる」
「はっ……――え?」
思わず声が裏返る。
同じく半佐と重兼も目を丸くしている。
「祝言は十五日後だ」
永勝はそう言うと、手酌で濁酒を注ぎ一息にあおった。
「い、いや……父上――いや、殿」
さすがの永重も完全に動揺している。
永勝は愉快そうに笑った。
「はは、驚かせようと思うてな。
華とも話をして、今日まで黙っておったのだ」
永重が視線を向けると、母・華は此方の様子を見て会話を察したのか静かに微笑んでいる。
「……さすがにそれは無いのでは?」
怒りではない。
呆れとも、諦めともつかぬ感情が胸に広がる。
永重は何とも言えない感情になった。
「それで……お相手は?」
しぶしぶ問うと、永勝はにやりと笑った。
「お相手はな、木村常陸介重茲殿の御息女だ。名は雪乃じゃ」
――宴の喧騒が、やけに遠く感じられた。




