表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【御礼10,000PV到達】戸侯記  作者: 和音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/86

6-16 丹波亀山


三人が永重の家へ戻ると、門前に笠を被った二人が佇んでいた。


永重は門の前でわずかに目配せすると、そのまま無言で門をくぐった。

二人も軽く頭を下げ、後に続く。



永重たちは玄関には向かわず庭先に回り、永重は縁側に腰を下ろした。

左右には重兼と半佐が控え、面前には笠をかぶった二人が片膝をついて座った。


重兼は鯉口は切っていないものの、いつでも抜刀できるよう左手を刀に添えている。



「早かったな」

永重が続けて言った。

「既に察しておろうが、今この家には誰も居らぬ。申せ」


そう言うと、一人の男が笠を取り両手をついて頭を下げた。


「改めまして…月心(げっしん)でございます。

こちらは……」


続けて、もう一人も笠を取り両手をついて頭を下げた。


夕霧(ゆうぎり)と申します」


そう言って頭をわずかに上げると――


「――くのいちか」

重兼が抑えた声で呟いた。


永重の目の前には、顔立ちのはっきりとした美しい女性が居た。

それを見た半佐は、思わずぽかんと口を開けて見惚れていた。



「頼明殿は何と?」

永重が問うと月心が答えた。


「二つのみ言付かっております。

一つは、ご支援への深い御礼。

もう一つは、これより永重様に仕え、戻ることは不要、とのことです」


「……伊賀者が一人に仕えるのか?」

重兼が問う。


同じ忍びでも、伊賀と甲賀は大きく異なる。


甲賀は特定の主君に仕え、伊賀は複数の依頼人と契約する傭兵的な存在であった。

重兼が警戒していたのは、この違いによるところが大きかった。


「……我らは、出が伊賀であるのみで、伊賀者ではございません」

夕霧が答えた。

その声音もまた、耳心地よく美しいものだった。



「……あいわかった。

そなたらにはきちんと扶持を与え、雇おう。

条件は半佐と同様だ。励んでくれ」


さすがにこの言葉には、ここに居た全員が驚いた。

忍び二人も同様である。忍びは蔑まれる身分でもあったからだ。


「……まことで?」

月心はすぐには信じられなかった。

夕霧は緊張の糸を緩めず、目を伏せたままでいる。


「若殿。さすがにそれは……」

重兼が言うと、


「重兼が警戒する気持ちはわかる。

だがな、表向きこの月心と夕霧は側付きだ。

そうであれば扶持を与えるのは普通のことだろう?」


永重はそう言うと、さらに続けた。


「私はまだ力不足だ。

皆に助けてもらうのではなく、教わらねばならぬ。

それに……命をかけてもらうならば猶更だ。

それを思えば、報いるのは当然のことだ」


月心はまだ半信半疑といった表情で、しばらく下を向いたまま動かなかった。

夕霧も、緊張の糸を少しも緩めず、手を膝の上で固く組んでいる。


永重はその様子を静かに見つめ、軽く笑みを浮かべた。


「まぁよい。

先程も言ったが、そなたらが忍びである事はここに居る三人と、次郎丸しか知らぬ。

普段は私の側に仕え、そなたらも私を見極めよ」


その言葉に、月心はゆっくりと顔を上げた。

夕霧もまた、伏せていた目をわずかに上げ永重を見つめる。


「……見極めよ、とは?」

月心が慎重に問い返す。


「私は主として、そなたらを試す。

そなたらは忍びとして、私が仕えるに足る男かを試せ」

永重は穏やかな声でそう言った。


重兼が小さく息を呑んだ。

主が自らを試せと言うなど、聞いたことがない。


「夕霧。そなたもだ」


夕霧は一瞬、戸惑ったように瞬きをしたが、すぐに深く頭を下げた。

「……承知いたしました。

その御覚悟、しかと見極めさせていただきます」


その声音には、先ほどまでの緊張とは異なる、はっきりとした芯があった。



その様子を見ていた半佐は、ようやく我に返ったように口を閉じ、姿勢を正した。


重兼はなおも警戒を解いてはいないが、先ほどよりもわずかに肩の力が抜けている。



縁側を吹き抜ける風が、庭の木々を揺らした。


そのざわめきの中で、永重は胸の奥に小さな重みを感じていた。

永重は空を仰ぎ、静かに息を吐いた。



-------------------------------------



月心と夕霧は、それぞれ一室を与えられた。


それぞれ少しの荷をほどき、二人は月心の部屋に居た。


「――変わったお方だ」

月心が言うと、夕霧は表情を変えず黙って聞いている。

「御頭の言われた通り、甘いお方だ」


「……されど、甘いだけのお方ではございません」

夕霧はそう言って、ようやく月心の方を見た。


「自らを試せ、と申される主君など聞いたことがない。

それに……命を賭す覚悟を口先ではなく、当然の理として語られた」

月心は低く息を吐き、天井を仰いだ。


「一番厄介だな。

情に訴えるでもなく、威で縛るでもない。

忍びを『道具』として見ていない」


「はい」

夕霧は静かに頷く。


しばし沈黙が落ちた。


「……戻らぬでよい、か」

月心は独り言のように呟いた。

「御頭の言葉とはいえ、石川を捨てる覚悟を問われたようなものだ」


夕霧は膝の上で組んだ手に、わずかに力を込めた。

「わたくしは……後悔はしておりません」


「即答だな」

月心は苦笑する。


「はい」

夕霧の声は静かだったが、迷いはなかった。

「月心様は?」

夕霧が問い返す。


「俺か?」

月心は肩をすくめた。

「俺はまだ、半信半疑だ。

だが――」


縁側で見た永重の横顔が、脳裏に浮かぶ。

空を仰ぎ、何かを背負うように息を吐いた、あの一瞬。


「試す価値は、十分にある」

その言葉に、夕霧はほんのわずか、口元を緩めた。




その頃、別室では。


永重は文机に一人座り、書付を前にしても筆を取らずにいた。

胸に残る小さな重みがまだ消えていない。


(忍びを抱える、か)


それが何を意味するのか、理解していないほど若くはない。

疑念も、危うさも、すべて承知の上だ。


(それでも、だ)


遠くで、鳥の声が微かに響く。


永重の胸の重みは、決して軽くはならない。

しかし、その重みが、彼を真っ直ぐに前へと押し出していた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ